第8話 名前
恐怖と不安で身体をふらつかせているアリシエを見て、ルードがそれ見たことか、とでも言いたげにため息をついた。
「それじゃあ僕は行くよ。あんな奴らを蹴散らすなんて十分もかからない。君はここで大人しく待っていればいい」
「……ううん。私が行くよ」
「そんな状態で話し合いなんて出来ると思ってるの?」
「……出来るよ」
「あのさ、わがままを言うのもいい加減にしてくれない? 僕が行けばすぐに片が作って言うのに足を引っ張らないでくれるかな」
ルードはアリシエを睨んだ。
半端な答えなんて許さない。そんな目だ。気の弱いアリシエは思わず俯いてしまいたくなった。今すぐ後ろを向いて、逃げ出したくなってしまった。
けれどもアリシエは俯くこともなく、逃げ出すこともしなかった。
アリシエは泣きたい気持ちを懸命に堪え、まっすぐにルードを見据えた。
「……あなたはあの人たちを殺さない。脅かすだけだって言ったよね。でも、それってあの人たちを無傷で家に帰してあげるってわけじゃないでしょ。腕を切ったり、目を潰したり……そういう酷いことをした後、ここから立ち去らないと殺すってあの人たちを脅す。そういうことをするつもりなんじゃないかって思ったの」
「僕はそんなことしないよ」
「それなら何をするつもりなの。答えて」
気弱な女の子だとばかり思っていたルードもアリシエがそんな気丈な振る舞いを見せると思っていなかったらしく、顔は相変わらず無表情だったけど、意外そうにしている気配が感じられた。
「……仮に僕が君の言う通りにあいつらに怪我を負わせたとしよう。だけど、それがなんだって言うんだ。向こうは僕らを殺そうとしてるんだよ。それなのにこっちは命までは奪わず、腕や目の一つを奪うだけで許してやるんだ。むしろ感謝してもらってもいいぐらいだよ」
「じゃあ聞くけど、その怪我が元であの人たちが死んじゃったらどうするの? それってあの人達を殺しちゃうのと同じだよね」
「そんなこと僕に言われてもね。大体、武器を持ってる連中を口で脅しただけで、大人しく帰ってくれるわけないだろ。ましてや話しをして穏便に済ませようだなんてそんなの上手くいくわけがない。そんな簡単なことも君にはわからないの?」
まだ話し合いが失敗するって決まったわけじゃない。
それなのにルードはまるで見てきたことかのようにアリシエの考えを否定した。
「……なんで君はそんな話し合いにこだわるのさ? そんなことして君に何の得があるって言うんだ」
「別に得とかそんなこと考えてないよ」
「じゃあ、なんなの。何か特別な理由でもあるっていうの?」
「そんなのないよ。私は誰かが死ぬのが嫌なだけ」
自信なさげにアリシエは話を続ける。
「……私ね、お父さんが亡くなった時、悲しくて三日間わんわん泣いたんだ。お母さんが亡くなった時もそうだったの。お父さんやお母さんだけじゃないよ。街や村の人たちが亡くなった時、私いつも泣いちゃうんだ
「でもあいつらは君の知り合いでも何でもない。赤の他人だ」
「……そうだね。でもね、赤の他人でも、名前も知らない人でも誰かが死んじゃうのは嫌なんだ」
「自分を殺そうとした相手でも?」
「うん。すごく悲しくなって……泣くと思うよ。きっとね」
アリシエは笑った。
嬉しくて笑ったわけじゃない。
精一杯強がって、笑っただけだ。
そんなアリシエを見て、ルードは少しの間、口を閉じた。
何か嫌なことを言われるかもしれない。そう考えてアリシエは身体を強張らせる。
だけど――
「……君の名前、アリシエで良かったんだっけ」
「えっ……?」
「……違うの?」
「ち、違わないけど……」
今までルードは、自分のことを『君』と呼んでいた。
でも、今は違う。
(初めて名前で呼ばれた……)
なぜだろう。
たったそれだけの事なのに、この人形じみた冷たい少年が急に普通の男の子のように思えてきた。
ほとんど無表情で人間みたいな感情なんてほとんど見せなかったルード。
でもそんなルードの顔にほんの少しだけ感情のようなものが浮かんでいるようにアリシエには思えた。
「……わかったよ、アリシエ。話し合いなんて無駄だと思うのは変わらないけど、君は僕のマスターになるかもしれない人間だからね。ここは君のわがままを聞いて恩を売っておくことにするよ」
そう言った時のルードはまたさっきのような無表情に戻ってしまっていた。
ただ、その声には少しだけ優しさのようなものが含まれていたようにアリシエには思えた。
(……ルードは自分のことを人間じゃないって言ってたけど、ほんとにそうなのかな。もしかしたらそれは嘘で、ただ感情を表に出すのが苦手なだけの私たちと同じ人間で、口は悪いけどほんとは優しい男の子だったらいいなぁ……)
さっきまでの彼の話や古代人の作った機械の力を見て、ルードが人間じゃないのは間違いない。彼が人間だったらいいなと思うのは、自分の独りよがりな考えで、きっとそれは間違っている。
そんなことはわかっている。
だけど、それでもそうだったらいいな、とアリシエは思ってしまうのだった。
(あ、そうだ。ルードにわがまま聞いてもらってお礼を言わなきゃ)
「ありがとう、ルード」
アリシエはルードにお礼を言った。
精一杯、感謝の心を込めて、頭を下げる。
「……礼なんていらないよ。どうせすぐに泣き喚いて、あんなことしなきゃ良かったって言うに決まってるんだから」
だけどルードの方はそんなアリシエを見ても相変わらずの態度だった。
少しだけ気持ちが通じたような気がしたけど、やっぱりそれは自分の勘違いだったのかもしれない。
どんなに頑張ってもこの少年とは仲良くなれないんじゃないだろうか。そう思うとアリシエはがっかりして、頭の上の狼の耳が自然と垂れ下げててしまうのだった。
「それじゃあ、ちょっと失礼するよ」
そう言うとルードはアリシエの頭を撫でた。
「……ふえっ?」
初めて狼の耳に触れられた。
驚きとくすぐったい感触で、アリシエは思わず情けない声をあげてしまった。
が、驚きはそれで終わらなかった。空中に自分そっくりの姿をしたものが浮かびあがったのだ。
「な、なにこれ?」
口をぱくぱくとさせ、アリシエはもう一人の自分を指さした。
「君の映像を映しただけだよ。大したことでもないのにいちいち驚かないで」
「そ、そんなの無理だよ。昔の人には普通のことでも、私にとってはいきなり目の前で魔法と使われてるようにしか見えないんだから……」
アリシエは抗議したが、ルードは「そのうち慣れるよ」の一言で切り捨ててしまった。切り捨てられた方のアリシエは面白くなかったが、今は文句を言っている場合じゃない。
「でもなんでそんなことしたの?」
「君の安全のためだよ。彼等のうち一人はずいぶんと気が立っているみたいだからね。話なんて聞かず、いきなり襲ってくるかもしれない。そうなった時のために君をスキャンして作った映像を向こうに送って――」
「む、難しい言葉を使われてもわかんないよ。もっとわかりやすく説明してよ」
「はいはい。要は君自身がそのまま彼等と話をするのは危険だから、機械の力で映像を作って、それを話し合いに向かわせることにしたんだ」
「え、でも映像って幻みたいなものでしょ? 話し合いなんて出来るの?」
「この映像は今ここに映してるやつとは違うよ。君の思い通りに動かせるし、声を出して相手と話をすることも出来る。何よりも重要なのは、映像が相手ならたとえ攻撃を受けても、君は傷一つ負うことはない」
ルードの言うことはもっともなことだった。
自分が話し合いをしたいと思っても向こうがそうだとは限らない。彼の言う通りいきなり襲いかかってくる可能性は十分にあった。
ルードはルードなりにアリシエのことを心配してくれているらしい。
「わっ……?」
と、そこで空中に浮かんでいた人の姿が変わった。
さっきまでそこに映っていたのは、いかにも田舎者の小さな女の子――まあ、それは嘘偽りない自分の姿なのだけど――だったのに、今は二十歳くらいの背が高く、綺麗な女の人の姿になっていた。
「こ、今度はなにしたの?」
「あいつらと話をするためにちょっと姿と声を変えさせてもらっただけだよ」
「声と姿を……? なんでそんなことまでしないといけないの?」
アリシエが問いかけるとルードは呆れたような声を出した。
「なんでって……。そんなの自分の姿を見てみればわかるでしょ?」
「……この獣の耳と手のこと?」
「それだけじゃない。相手は武器を持って、こちらのことを殺そうとしているんだ。そんな状況で君みたいな子供の話をまともに聞いてくれると思う? こちらもそれなりに威厳のある姿をしないと話し合いになんてならないよ」
「そ、そっか……それもそうだね」
流石にやりすぎじゃないか……とアリシエは思ったが、ルードの言っていることもわからないわけではなかった。
この獣の耳と手がなかったとしても自分はただの子供だ。
武器を持ち魔女を退治すると意気込んでいる大人の前に自分のような子供が姿を現してもまともに話を聞いてくれるだろうか。
多分、無理だろう。幼い子供の戯れ言と思われるだけだ。
最悪、魔女の手下と思われて殺されてしまうかもしれない。だからルードは映像を自分の姿から大人の女性の姿のものに変えたのだろう。
(……そんなのちゃんと考えればわかることだよね。でも、私にはわからなかった。ルードがいなかったら、私、何にも出来ないのに……あの人たちの誤解を解くことなんできるのかな……)
考えてみればみるほど自信がなくなってくる。
いや、そもそも自信なんて最初からなかった。
「さて、僕の方は準備できたけど……君の方はどう?」
「……うん。大丈夫だよ」
本当は全然大丈夫じゃないけれど、何をどうすれば大丈夫になるかなんて分からないし、考える時間もない。
せめて勇気さえあれば、と思うけど、その勇気さえ自分にはない。
でも、やるしかないのだ。