第9話 ため息
アリシエは空中に浮かぶ綺麗な女性を眺めた。
年齢も髪の色も何もかもが自分とは違う。それにこれは機械が作り出した映像という虚構のものであり現実には存在しない。自分はこの人の姿を借りて、遺跡に入ってきた二人組の男性の元へ向かうのだ。
武器を持った男の人たちを前にして自分に何ができるんだろう。
アリシエはそう自分に問いかけながら、映像から目を離し、ルードの方へ方へ寄った。
「えっと……この映像を話し合いに使うのはわかったんだけど……そのために私は何をしたらいいの?」
「それはこれから説明するよ。けど、話の前にこれを被ってくれないかな」
ルードはそう言って奇妙な物をアリシエに手渡した。
手渡されたアリシエはおっかなびっくりで両手にある変な物を見つめた。
それはなんだか騎士の兜みたいで、そこに無理矢理、大きな眼鏡を付け足したような見た目をしていた。
「これも昔の人が作った機械なの?」
「そうだよ。これは映像を通して、物を見たり、人と会話するための機械なんだ。君が直接言って話をするわけじゃないからね。映像を動かして話をするためには、機械の力を借りる必要があるんだ」
「それはわかるけど、でもね、ルード。私、機械なんて使ったことないし、どうやってこれを使うのかわからないよ」
「わからなくても問題ないよ。細かいこと僕がやるから、君は黙ってそれを被ってくれればいい」
「う、うん……」
アリシエは機械のことなんて何もわからない。
昔の人の道具はとても凄い力を持っている。
そんなものを何もわからないままで使っていいんだろうかと不安に思ったが、アリシエはルードを信じて、兜の機械を頭に被った。
兜の機械は眼鏡みたいなものがついている癖に目の部分に穴が空いておらず、アリシエが兜を被った瞬間、何も見えなくなってしまった。
(真っ暗なの嫌だなぁ……)
視界が真っ暗になったことをアリシエは不安に感じたが、それも少しばかりの事だった。ルードが「認証成功。続いて回路の接続を要求。座標のずれを微修正……」などと呪文のようなものを唱え出すと共に視界が徐々に鮮明になっていった。
そうして見たものは、ついさっきまでアリシエが見ていたものと同じものだった。
いや、まったく同じではない。少しだけ違う所がある。
視点だ。さっきよりも視点が少しだけ高い。
ルードは幻――彼の言葉で言うと『映像』の少女の姿の自分のものから成人を迎えた女性のものに変えていた。視点が高いのは、その女性の身長に応じたものになっているためだろう。
(凄い……本物そっくりの景色だ。でも、目の高さ以外にも何か違うような……)
自分が見ているものはとても鮮明で、視点が高いこと以外、自分の目で見ているのと何一つ変わらない。音だってそうだ。自分の耳で聞くのと何も違いはない。それなのにどこか違和感を感じる。
(……そうか、匂いだ。何にも匂いを感じない。それに風の流れだって感じない……)
いくら大昔の人の作ったものが凄い力を持っていると言っても再現できるのは目と耳に入るものだけで鼻で匂いを嗅いだり、手で物を触れたりする感触までは再現出来なかったのかもしれない。
そんなことをアリシエが思っていると耳元からルードの声が聞こえてきた。
「調子はどう? 物がずれて見えたりはしない? 耳鳴りがして頭が痛いとかそういうのはない?」
「う、うん。大丈夫、ちゃんと見えてるし、音も聞こえてるよ」
「それなら良かった。他には何かおかしな所はない?」
「おかしな所はないけど……えっと……今の私って本当の自分の身体じゃなくて、糸で動く操り人形みたいな感じで映像の自分を動かしてるんだよね」
「そうだよ。それがどうかした?」
「その……映像の自分を動かすのってどうすればいいの?」
「そんなに難しいことじゃないよ。頭の中でどう身体を動かしたいかイメージすればいい。やってごらん」
「わ、わかった……」
アリシエは頭の中で自分が歩く姿をイメージした。
すると頭の中でイメージした通りに身体が動いた。ルードの言う通り、難しいことは何もなかった。
「大丈夫みたいだね」
「う、うん……」
アリシエが返事をすると少しして、ルードはため息をついた。
それもただのため息じゃない。自分に聞こえるように大きく、ため息のつき方も妙にわざとらしかったような気がする。
(え? なんで? どうしてため息をつかれたちゃったの……?)
アリシエは戸惑った。
自分はちゃんと映像を動かせたはずだ。ルードはそれ以上のことは求めていなかったはず。それなのになぜルードはため息をついてしまったのだろう。自分の何が彼を落胆させてしまったのだろうか。
「……わかりやすいんだよね、こういう時の君って。何か気になることがある時はいかにも自信なさげな声を出すんだから。そんな声を出す前に僕に聞けばいいのに。そうしないと互いに困るだけだって、なんでわからないの?」
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていいよ。で、君が気にしてることって何?」
「その……こっちの身体の動かし方は大丈夫だけど……本物の自分を動かす時はどうしたらいいの?」
「その時は本物の自分の手足を動かせばいいよ。君の肉体は消えたわけじゃないんだからね」
「そ、そっか……」
アリシエは安心して、息を吐いた。
「映像の身体を動かしてる時は本当の身体を動かせない。悪いけど、諦めて」なんて言われなくて本当に良かった。ルードは冷たくて、意地悪だけどこんな時にそんなことを言うほど酷い性格はしていなかったらしい。
「他には何かある?」
「ないよ。今の所はだけど……」
「ないなら次の段階に移るよ。君の映像を迷宮の中に転送させる。目の前の景色がいきなり変わるけど、驚いて暴れたりしないでね」
「ちょ、ちょっと待って! 迷宮に転送するってどういうこと? そもそも迷宮って何?」
「迷宮は今、侵入者がいる所だけど……説明してなかった?」
「してないよ。そんなの今、初めて聞いた」
アリシエが言い返すとルードは「それはすまなかった。僕のミスだ」と謝罪の言葉を口にした。
「迷宮について詳しく説明するととんでもなく時間がかかるから簡潔に説明するよ。迷宮っていうのは、この黒の遺跡を守る仕組みの一つなんだ。遺跡の主の許可を受けずに黒の遺跡に足を踏み入れたようとしたものは、侵入者と見なされ遺跡の外周にある迷宮に飛ばされてしまうんだ」
「どうしてそんなことをするの? 悪い人は最初からこっちに来れないようにすれば安全なのに……」
「そうもいかない事情があったんだよ。前に言ったようにこの黒の遺跡は世界を救う力を持っているんだ。もし、この遺跡の主が悪の道に走り、その力を私欲を満たすために使ったら大変なことになる。」
「遺跡の主の人が悪いことが出来ないようにしなかったの?」
そうやってアリシエが尋ねるとルードはため息をついた。
またため息をつかれた。
今度は何でため息をつかれたんだろう。
「悪いことをさせない……ね。なら聞くけど、どうやったらそんなことが出来るんだい?」
「えっと……その……機械の力でなんとかして……」
「機械は万能じゃないんだよ。なんでも出来るわけじゃないんだ」
「そ、そんなこと言われても私には機械のことなんてわからないんだから仕方ないじゃない」
「どうにか出来なかったから、古代人は苦労したんだよ。彼等は苦肉の策として、黒の遺跡は外から人が訪れるのを止められないようにしたんだ。遺跡の主がその力を私欲に使った時、外にいる人間が遺跡の主を止められるようにね」
「……そうだったんだ」
アリシエは頷きつつも心の中で自分にため息をついた。
(何もかも全部初めて聞く話。私、何にも知らないんだ……そんなんだからルードにため息つかれちゃうんだ)
これ以上、質問をしたりしたら、またため息をつかれてしまうんじゃないだろうか。でもわからないことがあると互いに困ることになるとルードは言っていた。それなら質問をしても大丈夫だろう。
そう判断して、アリシエはおっかなびっくりとだが口を開いた。
「えっと……あの人たちは今、迷宮にいるんだよね。私が迷宮の中に入っても大丈夫なの? 怪我したりしない?」
「大丈夫だよ。君の本体が行くわけじゃないんだから。何より迷宮が遺跡の主に危害を加えることは決してない。君はまだ遺跡の主の候補止まりだけど、それは変わらないよ」
「……うん。わかった。それならいいよ」
ルードがそこまで強く断言するなら、本当に大丈夫なんだろう。
彼の言っていることは全て真実というわけではないし、自分に対して意地悪を言ってきたりもする。
でも彼にはこの大陸を救うという使命がある。そして自分は彼がその使命を果たすのに必要な人間だ。彼が自分に意地悪を言うことはあっても危険に晒すようなことはない。
実際、さっき彼は自分が遺跡に侵入してきた人たちの前に出て話し合いをすることを危険だと言って、反対していた。
(……大丈夫。何かあったらルードが守ってくれる)
そう。きっと守ってくれる。
だから大丈夫……なはずだ。
(守ってくれるよね……?)
不意にアリシエは怖くなった。
もしルードが守ってくれなかったら? 見捨てられてしまったら?
……わからない。その時が来なければ、ルードがどう動くかなんて本当にわからないのだ。
でも、信じるしかない。
今の自分には信じることしか出来ないのだから。




