御泉水邸の悲劇
「母上、行ってはなりません!お願いでございまする」
永見右衛門は懇願した。
「もちろん母は御父上を裏切ることは致しません。しかし右衛門殿、そなたにその後の覚悟はおありか?」
「私も永見家に生まれたもののふの一人、覚悟については亡き父より常日頃、学んでおりまする」
右衛門はそう言うと、数寄を凝らした広い庭園を眺めた。ここ母の部屋からは手前に並ぶ松の枝の間から清水の湧き出る池が望めた。この庭園の美しさに、人は永見屋敷を御泉水邸と呼ぶ。
この邸宅、そして庭園をバックに、ナレーションが流れる。継体天皇の声だ。
「この御泉水邸の前の主人、永見右衛門尉長次は知行一万五千三百五十石を戴く藩祖松平秀康公の重鎮じゃった。公、他界に及んで大円山心月寺に於いて殉死すると、まだ二十三歳の右衛門が永見家を継ぎ、福井藩二代忠直に仕えることとなった」
場面変わって、福井城の表御殿に忠直が寝そべっている。奥には乱れた着物をかき集めて裸の身体を隠し、縮こまっている娘が見えた。
そこに家臣の三河守がやってきて、手払いして娘を部屋の外に追い出し、自分は忠直の横に正座した。
ナレーションが続ける。「この松平忠直という殿様はのう、江戸幕府史上名高い暴君であり、有名なところでは菊池寛が忠直卿行状記という小説に書いたものが残っておるぞ。この忠直、この頃は正室との間にまだ子が出来ていなかったのじゃが・・・」
「三河、そちまで小言を言いに来たのではあるまいの?」不貞腐れた調子で忠直が言った。
「まさか。子作りこそ殿の一番のお仕事でござる。今日はその一案を申し上げに参りました」
「なんじゃ。言うてみよ」
「殿のお相手は若い娘ばかり。そりゃあ生娘の肌は面白いのでしょうが、若い娘に種を仕込むのはなかなか苦労多くして実りが少うございます。イヤイヤが多ォございますよって」
「ふふ。それが良いのよ」
「殿はまだお若い。女によりますが、年増にも面白いものがありますぞ」
「年増だと?気が乗らんのう。味噌のにおいでもしちゃあ興醒めじゃ」
「そうですか。子を産んだ腹ならでき易かろうと思い、町人の嫁を何人か見繕ってこようかと思ったのですが」
「要らん要らん。いや待てよ」と、忠直はふと何かを思い出して、身を起こした。
「三河。そちは永見の細君を覚えておるか」
「永見?先代に殉じた永見右衛門尉長次様の細君ですか」
「そうじゃ。跡取りを連れて目通りに来たよな。美しい女子だった。こんな大きな息子がいるとは、と驚いたものだ」
「おう、あれは上玉でしたな!いや失礼仕った。確かに永見様の細君はたいそう美しいお方です。しかしあれほどの女子が町にいるか・・・」
三河守はしばらく考えてから、首を振った。
「探してみますが、はたして見つかりましょうや。都まで探しても見つかるかどうか」
「その必要はない。永見の細君を連れてくれば良いのじゃ」
「えッ、それは如何かと」
「なぜじゃ?あの女子は肌艶も良いし、まだ若い。そちが年増にも面白いのがあると言ったのは、まさにあの女のことではないか」
「しかしそれでは永見家が黙ってはいますまい」
「ふん、小倅に何が出来る。所詮わしの配下ではないか」
「しかし」
「三河、お前が言ったことだ。すぐに連れて参れ!」
と、激昂した忠直の顔がモワモワと靄に包まれた。
次に靄が晴れると場面は福井城内、裏御殿の一室である。
忠直が下卑た顔を見せて勢いよく障子を開けると、部屋にはひとり、白い着物に大きな黒頭巾姿の女が平伏している。
永見右衛門の母の声がナレーションとなって聞こえてくる。
「右衛門殿。私も武家の女、女の意地というものがあります。ここで自害はいたしませぬ。殿様が来いと言うなら行きましょう。ただし、右衛門尉長次の妻として」
忠直は後ろ手に障子をそっと閉めると、涎を拭って淫乱な目を女に注いだ。
「永見殿、よう来られた。そうかそうか、寡姿で来られたか。これからはこの部屋で暮らすが良い。今後の永見家の面倒はわしが見るよってに」
忠直がガバッと頭巾を剥いだ。あらわれたのは髪を剃り上げたツルツル頭だ。
「お、おのれ、何のつもりじゃ!」
「見ての通り、亡き右衛門尉長次供養のため、尼になりましてございます」
忠直は怒り心頭に発し、永見の母を蹴り倒したあと、
「三河!三河!」とその名を呼んだ。
どこからか三河守が駆け寄って来た。
「はッ、ここに!」
「永見家を取り潰す!自害などさせるな、ここに連れてくるのだ!」
と、またしても激昂する忠直の顔がモワモワと靄に包まれた。
それが晴れると御泉水邸の屋敷、二階の窓に弓矢を抱えた一人の侍の姿があった。その侍の背中から、
「そこもとは客人、むざむざここで死ぬことはない。若殿の命で家の者でも与力以外は皆帰らせた。早々に立ち去るが良い」と永見家の弓手のひとりが声をかけた。
「いかにもわしは加州浪人。だがな、しばらく前からここで飯を食わせてもらっている身よ。ここで永見の若殿に御味方する以外、わしの生きる道はない。とはいえもうだいぶ前から弓は弾いておらぬ。役に立つとは思えんが頼む、ここで死なせてくれぬか」
浪人の言葉に弓手は目を潤ませてよしと頷くと、隣の窓から下屋の瓦に足を運んだ。浪人もまたそのあとをついて外に出た。
「しかし御母殿は今朝、城に行かれたばかり。兵隊たちは本当に来るのかの」
「わからぬ。しかし若殿は今日、来るだろうと」
浪人は手を翳して城に目をやった。なるほど城の門から兵の行軍があらわれた。
「ふふ。手際の良い若殿じゃ」
福井城を出た寄せ手が御泉水邸の東門に集結した頃、御泉水邸の中では永見の与力が持ち場について、闘いの時を待っていた。
寄せ手の大将が馬の上から御泉水邸に向かって大声を上げた。
「永見右衛門殿!武装を解いて表に出てきなされ!殿に謀反の意思のないことをお示しされよ」
右衛門は門の内から大きな声で言った。「外の皆様に申し上げる!家臣の妻を奪う殿様などこれまで聞いたことがありましょうや。謀反の意思ですと?これは武士の意地にござる。さっさと始めましょうぞ!」
右衛門のさわやかな声は下屋の上から弓を構えている加州浪人の耳にも届いた。
「では始めさせていただきますぞ、若殿様!」
浪人の弾いた弓は馬の上の大将から大きく外れ、ずっと右に並んでいた兵の一人の腕に突き刺さった。
その近くに真砂作兵衛という弓の名手がいた。彼は射手が屋敷の屋根瓦に立つ男だと認めるや否や、一瞬の無駄もない動作でスパッと矢を放った。
矢は加州浪人の胸を貫き、その身体を屋根から転げ落とした。
それが戦闘の合図となった。丸太で門を叩き壊して、寄せ手の兵が流れ込んでくる。永見家の与力は抜刀して立ち向かう。斬り合いが始まった。
永見家の侍は死ぬつもりで刀を手にしている。城側の兵はその迫力に屋敷の外に追い出されてしまった。
忠直はその報を聞くと、狂的な笑顔を見せた。
「面白い。増員せよ。わしも出る!」
忠直にとって永見家潰しは面白半分だ。兵はいくらでもいるし、自分も戦況を見たくなってぐるりと御泉水邸の西側、俗鷹の門まで出張った。
次から次に兵を送り、さすがの永見家の侍たちも疲れ始め、再び屋敷に侵入されそうになっていった。
忠直は狂ったように笑い叫びながら橋の欄干に足をかけた。
「殿、危のうござる」
「永見はあそこで死ぬ気ぞ。あの尼に、お前の息子がどう死んでいったか伝えてやるのだ!」
御泉水邸の奥では、忠直が橋の上に突っ立っていますと侍の一人が右衛門に報告した。
「若、あそこなら砲筒が届きますぞ」
「よし、やってくだされ」
数人が武器庫から大砲を一門出してきて、発射準備に取り掛かった。
それを背景に、再び継体天皇のナレーションが。
「屋敷を取り囲まれ、右衛門は一旦ここを脱したいと考えておるのじゃ。自分は死ねばいい、しかし家の者を逃がしてやりたかった。この者らには何の罪もないのだから、とな」
ドーン!と大音響とともに大砲の球がこちらに飛んでくるのを見た忠直は、驚愕の表情で橋の欄干から飛び降りると、一目散に逃げた。
家臣団や兵士たちも忠直の後を追うように逃げ出した。彼らの背後で球がどこかに衝突する音がした。
忠直の兵が姿を消した後も橋は崩れなかった。そこに永見右衛門と与力五十騎が走り抜けていく。彼らは屋敷を捨て、町から遠く田圃の広がる農村までやってきて、追っ手の来ないのを確かめると、そこでやっと馬を止めた。右衛門が馬を降りると与力たちもそうした。
「皆、礼を言う」と右衛門は呼びかけた。
「わしのわがままで、皆の人生を変えてしまった、申し訳ない。しかしこれでわしの気は晴れた。もう充分だ、これよりはわし一人でカタを付ける。皆はこのまま逃げてくれ。ではさらばだ」
右衛門はそう言って再び馬に乗ると、ひとり町に駆け戻っていった。
屋敷には多くの寄せ手の兵が詰めていた。彼らは一人きりで戻ってきた右衛門を見ると、おうと声を上げながらも手は出さず、後ずさりして道を開けた。
「どうしたのじゃ!」
寄せ手の大将が何事かとやってきた。
「おッ、永見!」
「どうします?捕らえますか」
右衛門に闘う気力がないのは明白だ。難なく捕らえられると誰もが判断した。
しかし大将は首を横に振った。
「武士の情けというやつじゃ。永見殿の最後をここで見届けようぞ」
右衛門が縁側から屋敷に上がった頃、遠くから馬のいななく声や人の駆ける足音などがして、またしても騒がしくなった。
「今度は何じゃ?」と大将は戻ってきた兵に尋ねた。
「永見家の兵が十三騎、やって来ました。永見右衛門殿の元で死なせて欲しいとのこと」
「主人を追って十三騎も!さすが永見家じゃ。天晴れぞ」
寄せ手の兵が敬意を込めて十三人を迎える中、継体天皇のナレーションが始まる。
「それは謀でも罠でもないぞ。右衛門と共に屋敷を脱出した五十人のうち、十三人が死の供をするために戻って来たのじゃ。
寄せ手の人垣の間を通って、十三人の永見家の与力たちは静かな足取りで屋敷に上がり込んだ。やがて屋敷に火が放たれ、燃え上がる大広間で全員が切腹して果てたのじゃ」
靄がたちこめ、やがて晴れると、眼の前には継体天皇の大きな顔があった。
「ストリーミング終了じゃ」
「わッ!何だったの?今のは」
と、ゆかりは驚いて二人に顔を向けた。
晴美さんも信子さんも目を丸くして互いの顔を見合っていた。




