22.引きずりこむ
コンコン、というノックの音にエステルと、エステルの知り合いの口論は止まる。
聞こえてきたのは知り合いが散々に罵った存在、リリムノワールの声。
「リリムノワール様!」
ぱっとエステルが顔を輝かせ、ドアに駆け寄って開く。
その光景はまるで、飼い主を待っていた犬のようで。
リリムノワールの姿を目に入れたエステルの表情は、先程まであれほど強ばっていたというのに見る見るうちに笑顔になった。
「なんで……そんな……」
信じられない、と言わんばかりに呟いたその人は、リリムノワールをじっと観察する。
見た目こそ人間と大差はないように見えるが、漂ってくる力は明らかに人間とは全く異なっているものでしかない。
気を抜けば呑み込まれそうになる、とでも形容すればいいのだろうか。
「……!?」
ふと、リリムノワールと視線があった。
じぃ、とこちらを見てくる視線の中に含まれている侮蔑や、嫌悪感。それに混ざっている、愉悦。
「貴様……!」
絞り出すようなその声に、エステルは過敏に反応し、ぎろりと睨む。
「やめなさい」
これまで発したことのないような、低い声。怒っているのが明らかに分かるそれを聞いたその人は、一歩、後ろに下がった。
エステルは、リリムノワールのこの目をまともに見たことがないとでもいうのだろうか。あの目を真っ直ぐ、しっかり見据えてしまうと、とても恐ろしいものだということはすぐに分かるというのに。
「え、エステル、そいつは」
「そいつ……?」
ふざけるな、と言わんばかりにエステルの声は固くなる。
リリムノワールを敵だとみなすことを許さない、敵意すら向けることを許さない、という視線を向けてくるエステルの様子はまるで、狂信者のようにも見えるものだった。
今までのエステルは、『きっと、かの国のように恩恵をいただけたら素敵なんでしょうけど……でも、人間の力で乗り越えていくからこそ、やり甲斐もあるし、達成感もあるというものよね』と、笑っていた。
――それが今はどうか。
許さない、と全身で叫ぶように。
リリムノワールを否定することをさせやしない、と牙を剥いているかのようにして、ぎっと睨みつけてきている。
その様子を、リリムノワールはとても楽しそうに見ているのだ。
どうして、あの目をエステルは見ようとしないのか。
「エステル、目を覚ませ!そいつは、紛れもなく悪者だ!」
「……許さない」
一度、甘い蜜を吸ってしまえばそれに抗える者など居ない。
「……この地域でとっても困っていることがあるから、って……わたしは精霊にお願いして、力を貸してもらったのだけれど……迷惑だったかしら……」
わざと、悲しそうな表情を造って、エステルに悲しげに問かければ、エステルは必死に否定する。首をぶんぶんと横に振って、違う、そんなことはない、悲しまないで、ととても必死に態度で示した。
「迷惑なんかじゃありません!!我らが思い上がっていたのです!!」
「でも……」
ちらり、とわざとリリムノワールはその人に視線を向けた。
「あの人、迷惑そう、だし」
笑いをこらえることに必死になりすぎて、少しだけ声が震えるリリムノワール。
おっといけない、と口を手で押さえたことも相まってか、エステルの目にはリリムノワールが悲しんでいるように見えてしまったらしい。
別に悲しんでいないし、何なら面白がってしかいない。
嗚呼、人間の何とも騙されやすいことか、と、リリムノワールは手で隠した口元で歪んだ笑みを浮かべる。
「……エステル……ごめんね……」
ここで、トドメを刺しておく。
そうするとどうなるのだろうか、人間同士の争いが起きる。ほぼ間違いなく、確実に諍いが発生してしまうだろう。
罰せられるのは間違いなくエステルに歯向かった……もとい、ちょっとだけ意見をしてしまった、エステルのお知り合い。
まぁ、なんてお可哀想なこと!
きっと元の世界から声を届けるだけにしていたならば、リリムノワールはこの光景が面白くてたまらなくて、くるくると回って踊り、げらげらと笑い転げていたことだろう。
「(おもしろぉい……)」
「リリムノワール様、どうか悲しまないでください!」
「(……いけない)」
口元を隠したまま、ふるふると震えつつ笑いを必死に堪えていたリリムノワールは、エステルの悲鳴のような声にはっと我に返った。
いけない、演技に戻らなければいけないわ。と己に言い聞かせてから、リリムノワールは恐る恐る、というふうに顔をあげる。
困ったように眉を下げ、微笑んでからエステルに向けて口を開いた。
「……大丈夫」
「……っ、わたしが、もっとしっかりしていれば良かったんです!リリムノワール様にそのようなお顔を……」
まるで、ペットと飼い主のような、そんな光景。そして茶番劇。
きっと、その感覚はリリムノワール側に立てば問題はない……というか、色々なことを見抜けたのかもしれない。
だがしかし、今ここは人間の世界であり、あくまで基準の感覚は『ヒト』なのである。
恩恵を受け、とてもとても穏やかな世界となったこの国で、こうやってリリムノワールに対して異を唱えるような行為は、ヒトの世界では異端そのもの。
「言ったでしょう、嫌なら出て行けばいい!ほかの異論を唱えている者にも伝えなさい!」
「エステル!」
「リリムノワール様のおかげで、どれだけ我が国が安定に向かっていっているのか、考えたことがあるの!?」
問われれば答えは、『否』。
だって、何も考えていないのだから。
安定している、だからそれで良い。
でも、どうして安定しているのか、までは考えない。
考えると、『異質なる存在』によってもたらされている恩恵なのだ、ということを目の当たりにしてしまうから。
もし何か、万が一があって、かの国のように滅亡に向かってしまうようなことがあれば、どうなるのか。
「エステル、そうじゃないんだ!話を聞いてくれ!」
「聞いた上で出ていきたければ、出て行け、って言っているのよ!何て傲慢なの!」
それは、お前たちの方だろうが。
リリムノワールは言葉に出さないまま、胸の内で呟いた。
一人の身勝手で、かの国は滅びに向かって一直線、だった。
だって、ヒトが全てあの素晴らしい国を創り上げた、だなんて宣うからあんなことになった、というだけなのに。
もしも、アルハザードがあのまま大人しくしていればどうなったことだろう。
考えるだけ無駄ではあるが、仮にあのまま事が問題なく進んでいったとしても、きっといずれ。そう遠くはない内に、あの国は滅びに向かって走り出していたに違いない。
「(だって、ルルはやるといったら、やるんだもん)」
己の生みの親を屠る少し前のこと。
リリムノワールの前で、ルルティリアは何度か呟いていた。
どうして、あの国だけを優遇するのかしら、と。
もっともっと効率的に己たちを強くすれば良いのに、とも呟いていた。
歴史を調べていくと、行き着いた先はお人好しの先祖が交わしてしまった盟約のせい。
あんなものがあったから、人間ごときを大切にしているかのようなフリをし続けて、ルルティリアは人間と婚約までせざるを得なかった。
あれよりも前に、ギルライハがとてもとても強い存在であり、ルルティリアと並んでも遜色なかったからこそ、いつもリリムノワールはもどかしい想いを抱いていた。
まぁ、大切な己の半身が奪われてしまうような感じが嫌ではあったが、人間に嫁ぐよりは全然問題なかったというだけのこと。
ぽやぽやとリリムノワールがあれこれ考えていると、いつの間にか始まっていたらしい取っ組み合い。
「……あら、まぁ」
止めはしない。
二人がそうする、として取っ組み合いをしているのだから、仲裁は面倒なだけだ。
だが、しかし。
「目を覚ませ!」
「っ、いい加減に……」
「そこまでに、してもらえないかな」
ぱちん、とリリムノワールが指を鳴らせば、いつの間にかエステルはリリムノワールの背後に。取っ組み合いの体勢のままで移動させられていた。
「あれこれ言いまくるのは、一旦やめてもらっていい?」
「なんだと……!」
「わたしが、エステルと、話す時間を……」
反論しようとしたのも束の間、だった。
「奪うな」
たったその一言で、その人の姿はふっと消えた。
「……え?」
「うるさかったから、いなくした。死んではいないよ」
「そう、なんですか」
エステルは少しだけポカンとしてから、すぐに我に返ってまたいつものようにリリムノワールへと微笑みかける。
それに応えるように、リリムノワールはこの瞬間に初めて、心からの綺麗な笑みを向けた。
……ように見せかけた。
「お話の時間、でしょう?」
「はい、リリムノワール様!」
うっとりと、リリムノワールを崇拝するかのごとく、エステルも微笑む。
リリムノワールの笑みが歪なことに気付かないまま、二人は吸い込まれるように部屋の中へと消えていったのだった。




