20.ヒトとそうでないものの思考回路
「リリムノワールさま!」
「リリムノワールさま、あの、今日は……」
「あっ、リリムノワールさま!」
きらきらとした笑顔で、リリムノワールが姿を表した途端にエステルが駆け寄ってくる、という光景。
エステルの周りにいる人達は、『おや微笑ましい』という気持ちで見ていたし、リリムノワールも笑顔をうっすら浮かべていたから、何もかも大丈夫で問題ないと思っていた、のだが。
「…………鬱陶しい」
彼らの存在する世界にて、リリムノワールの部屋。
彼らを統べるものとして、豪奢な部屋で過ごしているリリムノワールの部屋の中は、荒れに荒れていた。人間界に行く度、どれだけ綺麗に片付けて部屋を整えていたとしても、帰ってきてからリリムノワールは遠慮なく暴れる。
「鬱陶しい…………鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい!! っ、あああああああああああ!!!!」
叫びにも似た声に、慌てて世話係が駆け込んでくるが、部屋に入って見たのはぎらりと目が光るリリムノワールの姿。
彼女の体は尋常でないほどの魔力に覆われており、怒っているのは一目瞭然ながら、それに加えて感情の行き場を失っているように、ふーふーと荒い呼吸を繰り返していた。
「お、恐れながらリリムノワール、様……一体何が……」
「……なに、おまえ」
いつもならば、リリムノワールはこんなにも怒気を溢れさせたりはしない。
だが、今回に限ってはこうして暴れ回るのが日常となりつつあることで、周囲も警戒するほどだ。
ルルティリアの婚姻の儀が控えているのだから、今代の彼らの女王たるルルティリアに心労をかけてはいけない、と思っていたが、これほどまでに怒りに満ち満ちているリリムノワールは見たことがなく、縋れる先はルルティリアのみ。
「あ、の……」
ルルティリアも、リリムノワールも、とてつもなく強い。
強いからこそ、先代を排除してルルティリアが王位を継承した。……いいや、もぎとった、と言ってもいいだろう。
「……わたしに……いけん、するの……」
今はどうにかして人型を保っているリリムノワールだが、あまりにも暴走が激しくなってしまえば、どうなるか分からない。
本来の姿を見せることをとてつもなく嫌っているリリムノワールだから、そうはならないと思っている。だが、今はそれもどうなるか分からない状態に近づいている。
人型を一瞬でも捨てれば、この城だって、そもそものこの世界だってどうにかなってしまうかもしれない。
それほどまでに強い存在としてリリムノワールもルルティリアも生を受けたから、うっかり間違えてしまうことなんてできない。
「……まぁ、凄いことになっているのねぇ……大丈夫かしら、わたくしの可愛いリリムノワール」
「…………ルル、ティリア」
ルルティリアの姿が見えた途端、リリムノワールの怒りがふっと霧散した。
それと同時、部屋全体に満ち溢れていた殺気もようやく緩和され、駆け付けていた使用人も呼吸ができるようなった。
何度も何度も浅い呼吸を繰り返していたから、ようやく普通に息が吸える、と深呼吸を繰り返してルルティリアに対して膝をつき、深く頭を下げた。
「ルルティリア様……ありがとうございます……」
「何だかリリが怒っているような気配がしたから……案の定だったみたいね」
「…………」
怒りの原因を思い出したリリムノワールからは、またぶわりと殺気が溢れ出してくる。んもう、と可愛らしく呟いたルルティリアは、普通にリリムノワールに近付いて、両手を伸ばし、双子の片割れでもあるリリムノワールの頬を包み込んだ。
「…………む」
「落ち着きなさいな、リリ」
「…………」
「どうしたの、何をそんなに怒っているの?」
「…………」
言わずもがな、なのかもしれない。ちょっとうっかり自分がやらかしてしまったかしら……とルルティリアは珍しく反省をしてからそっと額を合わせる。
優しく、丁寧に自分の魔力を放出してからリリムノワールが少しでも早く落ち着くように、と最大限の配慮をする。
こんなことをするのは、リリムノワールに対してだけ、だ。
「わたくしがうっかりお願いしてしまったからね……ごめんね?」
「……ルルが……女王になるんだから……まぁ一応……頑張ろうかな、って」
リリムノワールの人間嫌いはとてつもない。
嫌うな、と念を押していてもうっかりしていれば視界に入っただけで『ごめん、ちょっとうっかり』と殺してしまうほど。
だがそれを今まで我慢しているのは、自分が何よりも大切にしている存在のルルティリアにお願いされたから。ただそれだけ。
「わたし……は」
「そうねぇ……とはいえ、リリムノワールにも何かお役目を与えておかないと……あなた、ついうっかりで暴走しかねないし……」
うーん困った、と言っているルルティリアだが、あまり困っているようには見えない。
そもそも、ルルティリアが『最凶姫』と呼ばれているのは身内に手を出された時に一切何の配慮もせずに、敵が一番嫌がる方法で、的確にダメージを与えつつ絶望も与えてから心も何もかも壊し尽くしてしまうことをするから。
リリムノワールは、その逆、ともいえる。ちょっとボコボコにするくらい。頑張れば立ち直れるのだが、如何せん手加減は一切しない。
エステルの前に加護を与える予定だった人達に対して、実はこっそり色々報復をしていたりもするが、こちらの世界の者たちには関わりのないことでもある。
その後でルルティリアがまるで救いの女神のようの手を差し伸べたことで、『女神様だ』とか『救いの神』とか『我らが真に崇めるのはこのお方だ』とか言われているだけではある。
ルルティリアからすれば結果オーライでしかないが、とはいえルルティリアの半身ともいえる存在が何もしないままでいるというのも、どうにも外聞が悪いから色々お願いしようとしていたのだが、まさかここまで人嫌いだとは、正直思ってもいなかった。
なお、当の本人はルルティリアにべったりと抱き着いて離れようとはしない。それはそれはもうべったり、である。
「……ねぇ、リリ。ちょっと聞きたいのだけれど……そんなに苦痛? いや?」
「いや」
即答。
ぷい、と視線を逸らしているリリムノワールのことは、ルルティリアにとってはとっても可愛い双子の片割れ。魂の半身。
誰よりも、大切な同族。
同族といえど、憎いものはいる。だが、このリリムノワールのことに関しては誰が何と言おうと憎んだりもできないし、自分が最も大切にできるということ。
「(……リリムノワールがここまで嫌がっている……とはいえ、何も役割を与えないというものおかしな話ではあるし……。そうねぇ……)」
よしよしとリリムノワールの頭を撫でてやっていると、どうやらじわじわと機嫌が上向いてきたらしい。癇癪を起してしまった自覚があるだけに、少しだけバツが悪そうな顔をしているようだが、根本的には己の考えを変えることはしない。
「ルルティリア……とりあえず、我慢は、してみる」
「我慢しすぎて癇癪を起しちゃったの、だぁれ?」
「……わたし」
「そうなのよねぇ」
「……だって」
何が嫌なのだろうか、と考えてはみたがリリムノワールの思考回路は至ってシンプル。
極度の人間嫌いの彼女が、短期間とはいえエステルと交流を持っていること自体、奇跡に近いことではあるというのに、これ以上何かを我慢させるのは大変申し訳ない。
むしろ、これ以上の我慢を強いていると、ルルティリアに対して少しでも敵対心を抱いている連中の気配を大変敏感に察知した上で、壊滅してしまう。だが、それはそれで力を享受できる者たちが増えるだろうから良いのでは……という物騒なことも考えてみる。
「ねぇ、リリムノワールはどうやってあのヒトに接しているの?」
「我慢してる」
「なら、すこぉし考え方を変えてみなさいな」
「?」
「だって」
にこ、と極上の、蕩けるような微笑みを浮かべたルルティリアは、ゆっくりと。しかしリリムノワールにしか聞こえないほどの小声で言葉を続ける。
それを聞いたリリムノワールもまた、とてつもなく綺麗な微笑みを浮かべ、ゲートを開いてとてもご機嫌な様子でしゅっと姿を消した。
『――だって……ヒトなんて、所詮わたくしたちの養分なのよ? だったら……すぐに死に絶えてしまうか弱き命から、思う存分……『吸い上げて』おやりなさいな』
考え方を、すこぉし変えましょうね。可愛いリリムノワール。




