おまけ
「先生は、どうしてそんなにドラゴンが好きなんですか?」
そんな質問を口にしたのは、四学年の夏、夏季休暇に入ろうという時期だった。
学期最後の講義中、『今学期教えるべきことは終えたからドラゴンの話をする』と何故かドラゴンについて語り始めた先生は、きっちり最後まで聴き終えた上で投げかけた私の質問に、小さく鼻を鳴らして答えた。
「格好いいからだ」
そんなことも分からんのか、とでも言いたげな先生の手元には、板書用の筆記具が握られている。ちょうど、板一面に雄々しいドラゴンの絵を描き終えたばかりだった。講義中に描き進めて、一体描き終わったはずなのに二体目が追加されたのである。
「……格好いいから、ですか」
「そうだ。見ろこの逞しい身体から生えた絶妙なバランスの翼を。ドラゴンと名のつく魔獣は原初の魔法生物としては最高純度の魔力を宿しているが、中でもクァラトス・ドラゴンは素晴らしい。太陽光に含まれる魔素を受けて光り輝く金青の鱗はこの世のあらゆる宝石に勝る。
この美しく強い、空に愛された生き物をぼく自身の手で造り出せたなら、正しく至上の喜びだな」
先生の舌は、ドラゴンのこととなると非常に流麗に言葉を紡ぐ。元より嫌みと討論には特化していると言えるので、別段無口という訳ではないのだけれど、『楽しそうな話題』で口数が多くなる様というのは、中々貴重だ。
そういう訳で、私はたまに、思惑が気づかれない程度の頻度で先生にドラゴンの話を振る。好きな人が楽しそうに喋っている様ほど嬉しい光景はないからだ。
「先生はよく人造ドラゴンの話をされていますが、現在生息しているドラゴンを捕獲して飼育することには興味はないんですか?」
「無い……とは言わないが、実物を見るのは剥製で十分だな。子供の頃にカルカトス大陸まで見に行ったことはあるが」
「先生にとっては『理想のドラゴン』が存在していて、現実のドラゴンはそれにそぐわないから、ということでしょうか」
「いや? 現在確認されている種族はそれぞれ異なる特徴を持っているが、ぼくはその全てを素晴らしい存在だと思っている。比較することすら烏滸がましいと言える程にな」
筆記具を置いた先生は、やや名残惜しそうにドラゴンの絵を見上げた後、溜息と共にそれを綺麗に消し去った。
「では、先生は実物のドラゴンを見るのもお好きなんですよね」
「無論、大好きだ」
大好き。なんて素敵な響きだろう。何らかの方法で音声を保存できないだろうか、と思ったが、考えるだけに留めておいた。多分、提案しただけで害のある羽虫を見るような目で見られてしまうだろう。
あらぬ方向に飛びかけた思考を繋ぎ止めつつ、ひと月ほど前から計画していたそれを口に出す。
「夏季休暇中にカルカトス大陸ドラゴン観察ツアーの渡航予定があるのですが、先生も一緒に来ませんか?」
退室の片付けに勤しんでいた先生の手が、ぴたりと止まった。
元々そう多くはない荷物だけれど、今日はドラゴンの絵を消すのを惜しんだせいで普段より時間がかかっていた。その隙を狙っての言葉だった。
夏季休暇に合わせて、私はドラゴン観察ツアーへの申し込みを済ませていた。
私は現在未成年ではあるが、家族は全員私など家に帰って来ない方がいいと思っているので簡単に許可を得られたし、成績優秀者の校外学習の一環として学園長先生からも保証人欄にサインを頂いているので、ツアーへの参加自体には何の問題もない。
父なんて、もしかしたらツアー中に何らかの事故が起きて私が二度と帰ってこなければいいと思っているかもしれない。
あわよくば夏季休暇中にも先生に会えないだろうか、と計画したものだったが、もちろん先生が行かなかったとしても参加するつもりだ。
ドラゴンに関しては素人同然の私のレポートなど何の価値もないかもしれないが、そもそも先生はドラゴンの話ができる相手自体に飢えている節がある。実物を見た上で提出されるレポートを、先生が無視する筈はなかった。
改めて決意を固める内に、質問を投げかけてから三十秒が経っていた。
いつになくぎこちない仕草で固まっていた先生が、何かを振り払うようにして緩く首を振る。
「行かないな。ぜひ君一人で楽しんでくるといい」
「現地集合現地解散でも構いませんが」
「君と共にいる所を見られることを危惧している訳ではない。ぼくの信念として、極力生きている彼らに近づかないように努めているだけだ」
「信念、ですか」
そっと繰り返した私に、先生は教室の扉に向かいながら、静かに続けた。
「ぼくは、彼らの姿を見れば、どうしたって手元に置きたいと欲してしまう。
あらゆる柵を強引な交渉と正当な手続きでもって取っ払い、何としてでもあの神聖な美しい生き物を手に入れてしまうだろう。雄大な空で自由に生きている彼らをぼく個人の欲望に突き合わせて縛り付けるなど、言語道断、恥ずべき行いだ。
だが、無茶を通す権力を手に入れてしまった今のぼくは、その欲を抑えることができない。故に行かない」
「情熱的ですね」
羨ましさすら覚えながら呟いた私に、先生は照れ隠しなのか、小さく鼻で笑って教室を後にした。遠ざかる足音を聞きながら、私はそっと机に頬を寄せる。なんだか胸がいっぱいになってしまって、上手く気持ちを切り替えるのに時間が必要だった。
魔法植物の研究者である先生は、趣味で人造ドラゴンの研究にも手を出している。研究というものは一分野を極めるだけでも一生を費やすようなものだと思うのだが、先生はその頭脳と情熱でもってそれらの両立を可能にしている。
先生がドラゴンに向ける情熱は恋に似ていて、魔植物に向ける慈しみは愛に近いのだろう。私はそのどちらにもなれないから、今日もこうして先生に愛されることなく、ただただ真面目に講義を聞いている。
一度で良いから、先生に愛されることはできないだろうか。別に私のまま愛されなくても構わない。例えばそう、ドラゴンになるなどしたら、愛されたりはしないだろうか。
縛り付けるのが嫌だと言うのなら、気まぐれに遊びに行こう。そう、今と同じく、思惑に気づかれてしまわない程度に。
そんな、馬鹿げた願望を抱いていた学生時代の記憶を夢として見ていた――と気づいたのは、ベッドの上で身を起こしてから一分近く経ってからのことだった。
カーテンの隙間から差し込む陽光に目を細めながら、室内を見回して丸々一分。此処が住んでから一年が経つ我が家の寝室であるとようやく認識出来た。
「……先生?」
学生時代の記憶が、軽い混乱を呼んだようだ。ぼんやりとしたまま身を起こした私が隣で寝入るロディの顔を見ながら発した呼びかけに、彼はそれまで比較的穏やかだった表情を歪めて、眉間に皺を二つほど寄せた。
どうやら意識は目覚めていたらしい。私の口にした呼称を聞き咎めたロディは、目を開くこともないまま、ベッドの上で身体を起こしている私を、腕の中に戻すように引き寄せた。
「……おはよう、メイベル。ぼくはもう少しねる」
「そう、ええと……」
「君もそうするといい」
あくまでも促すような物言いだったけれど、私を抱える腕はちっとも放す気はないものだったので、私は少しの申し訳なさと共に、素直にその言葉に従うことにした。
◇
「ロディ? どうしたの、朝から難しい顔をして。何か問題でも?」
いつもよりも遅くベッドを出た後。届いた手紙に目を通していたロディが顰め面のまま動かなくなったのを見て尋ねると、彼は溜息を共に私に問いを投げ返した。
「魔植物学会主催の集まりがある年なのをすっかり忘れていた。君、再来週末には予定があるか?」
「いえ。あっても買い出しくらいかしら」
「そうか。ならついてきてくれ」
ロディは心底面倒臭そうな顔で手紙を卓上に放った。端的に言えば会長主催のパーティだそうだ。普段ならばその類いの催しは全て欠席しているロディも、会長直々の招待とあっては断れないものらしい。
「あいつら、揃いも揃ってぼくの妻に興味津々らしい。顔を見せなければすぐにでも乗り込んでやるぞ、と脅しまでついている」
「まあ、それは……困ってしまうわね……」
心の底から困り果てた声が出てしまったのも、無理はない。この屋敷は、基本的には来客をもてなすのには向いていないのだ。
二階にあるロディの部屋からは、既に得体の知れない蔦が伸び始めているし、無事なのは寝室とキッチンくらいのもので、到底人の住む家とは言えない。無論、私たちにとっては素敵な我が家だけれども。
「一度顔を合わせておけば少しは大人しくなるだろう。心配はいらない、君は軽い挨拶だけすればあとは自由にしていればいいし、食事もそれなりのものが出る」
「そう、楽しみね」
ロディは全く乗り気ではないけれど、私としては、彼と付き合いのある方々に会えるのは素直に楽しみだった。言外に含まれた意味もきちんと聞き取ったのか、軽い挨拶だけでは済まなそうな気配を感じ取ったロディの眉間には、再び皺が刻まれてしまった。
もちろん、彼がどうしても嫌だというなら、きちんと弁えるつもりでいる。けれども彼の方から私に誘いをかけたのだから、別に疎ましく思うような関係の方々ではないのだろう。
ちなみに、私の口にした〝楽しみ〟には、彼が汲み取ったのとは別の意味も含まれている。
「ところでロディ、正式な場というからには、それに相応しい格好をするべきなのかしら」
視線を上げたロディの顔には、『そうなんじゃないか? ぼくはそうしないが』と明確に書かれていたけれど、私は完璧に作り上げた淑女の笑みを返すに留めた。要望の全てを彼に伝えるには、それだけで十分だからだ。
「……分かった、君の好きにしてくれ」
大きな溜息の後、ロディは全てを諦めたように頷いてみせた。
◇
「なんだよ、アルフスタイン! 見違えたぜ、本当に、誰かと思ったよ」
「やっぱり妻を持つと人は変わるのねえ」
「いやはやまさか、君のような変人、いや、奇人、んん゛、変わった男と結婚までしようという女性が現れるだなんてね、驚きだよ」
パーティ当日。ロディは、開始から十分で既にうんざりした顔を隠しもしていなかった。次々と挨拶に訪れた方々に対し、散れ散れ、と容赦なく羽虫を払うかのように手を動かしている。ロディの態度は一定して冷えたものだったが、周りの方々は意に介すことなく言葉を重ねた。
学園でのロディは生徒からも教師からも遠巻きにされている印象だったけれど、魔法学者というのはやはり一癖も二癖もある方ばかりらしく、ロディの態度なんて気にも留めていない。どころか、彼の方が圧されているようにすら見える。
「ええ、本当にね。しかもこんなに愛らしく美しい方だなんて! 一体どんな風に口説き落としたのかしら」
「口説いてない。勝手に落ちてきたんだ」
事実だけれども、言い草が酷い。思わず笑ってしまった。
信じられないものを見るような目でロディを見ていた美しい細身の女性――フィオナさんが、そろりと私に目を向ける。
その目があまりにも素直な懐疑を含んでいるので、私は淑女にはあるまじき、やや面白さが優ってしまった笑みでそれに応えた。
「ええ、彼の言う通りです。昼となく夜となく熱心に口説いたのは、紛れもなく私の方です」
「まあ……なんてこと……アルフスタイン卿? 貴方、妙な薬を彼女に盛ったのではないでしょうね」
「するわけなかろう。ぼくが結婚生活そのものを疎ましく思うタイプなのは、君も知っての通りだと思っていたがね」
ロディは素っ気なく言い放つと、それ以上の詮索を避けるように唇を引き結んだ。こうなった場合に何も答えてはくれないのは知っているのか、フィオナさんは悪戯めいた微笑みを浮かべながら、私の方へと視線を向けた。
「奥様は、お話しはお嫌い? 素敵な旦那様のちょっとしたエピソードをお返しにご用意できるのだけれど、いかがかしら。お二人の愛のエピソードを是非ともお聞きしたいわ」
楽しげに囁かれた声はロディにも届いていたけれど、彼は微かに眉根を動かしたが、面白がる友人を止めるつもりもないようで、聴こえない振りをしてグラスに口をつけていた。
ロディは私が彼を大層愛しているとご存じなもので、『ちょっとしたエピソード』に心惹かれている様子を見て黙認してくれたのだろう。
「ええと……ご満足いただけるような面白い話かは分かりませんが……」
ただ、此処でロディの私生活を売るような真似をするのも気が引けるので、私は少し考えてから口を開いた。
「私、彼のためにドラゴンになろうと思ったことがあるんです」
「まあっ! 素敵! 愛だわ!」
ぎゅっと両手を握りしめて甘い声を上げたフィオナさんと同時に、ぎょっとした顔で隣のロディがグラスを取り落としかけるのが見えた。
幸い、中身は既にほとんどなかったので無事だったけれど、少し妙なことを口走ってしまったのかもしれない。視線だけで謝罪を送ると、最近では中々に見る機会のなくなった、厄介な子供見るような目で見られてしまった。
「それって肉体変成で? それとも憑依とか、精神魔法の類いなのかな」
フィオナさんの隣に立っていた三十過ぎの男性――ガルフさんが、少し興味を引かれた顔で尋ねてくる。掘り下げられても実のある内容ではない浅い話なので、私は慌てて言葉を紡いだ。
「変身魔法を試そうとしたのですけれど、結局、肉体の変成時に痛覚遮断の都合がつかないので断念いたしました。加えて、他生物に憑依する魔法を扱えるような才能もありませんから、此方も諦めました」
「遮断までは試そうとしたのか。いやあ、ロディ、君の奥さんは面白い人だな」
楽しげに笑い声を響かせるガルフさんを前に、羞恥から赤くなる頬を押さえる。恋心によって暴走していた小娘の、ただの夢物語だ。研究を生業とする人に聞かせるような話ではない。
ひとしきり聞き終えたのち、彼らは満足した様子で離れていった。もしかすると、隣に立つロディが随分な顔をしていたので、気を遣ってくれたのかもしれない。
グラスを手に取ることもやめて腕を組んでいたロディが、溜息と共に隣に立つ私を見やる。
「メイベル、君は誤解しているかもしれないが、僕は翼竜種の魔物に対し性愛を向けている訳ではない。ただ、基本的に人類種そのものに対しても同様の欲求を抱きづらい性質をしているというだけだ。故に君がそうなったとして、興味の種別は異なるものになる」
「知的好奇心が一番強いタイプですものね、先生は」
これに関しては、明確なからかいを込めて口にした。いつかの私に、途方もない夢物語を抱かせる程に夢中にさせてくれた〝先生〟への、ちょっとした意趣返しである。
あの時の耳にこびりついてしまった『大好き』の甘い響きを、私は今でも思い出す時がある。
「……僕はもう君の先生ではないが?」
眉を寄せ、心からのご不満を顕にしてみせたロディの顔を見上げている内に、なんだか少しおかしくなって笑ってしまう。
「ロディは、私がドラゴンになったら、嬉しい?」
「それは…………あー…………」
言い淀んだ先生は、一瞬、想像した映像を確かめるかのように視線を左上に向けたのち、小さく舌打ちを響かせた。もしかして、本当に不愉快な思いをさせてしまったかしら。不安に思って目を伏せたところで、隣から強く抱き寄せられて、顔を上げる。
「残念なことに、本能的な喜びを抑えきれない程度には、限りなく嬉しい——が、ぼくは、可愛い妻に四肢を無理に引き伸ばされるような痛みを与える趣味はない。よって君にそんな無体を強いることもない、と理解してくれ」
「痛覚への影響を克服するための研究を進めるのはどうかしら?」
「そんなことに時間を費やすんだったら、先に人造ドラゴンを作るのに協力してくれないか」
呆れたように笑ったロディが、仕方のないものを見るような目で私を見下ろしている。
冗談半分に——つまりは、半分は本気で口にしたのが分かっているのだろう。もしも彼が本気で協力してくれたのなら、実現可能な技術ではあるのだ。肉体を変成する魔法は、ちょっと、倫理的に問題があるというだけで。
「いいの? 是非とも、生涯をかけてお手伝いしたいわ」
人造ドラゴンの制作に携われるだなんて、ロディの心にある最も深い部分に踏み入れるのを許されたに等しい。学生の頃の私が聞いたら、驚きのあまり気絶したかもしれない。
心からの喜びに浮かれながら答えを返した私は、苦笑を浮かべたまま落とされたロディの呟きを綺麗に聞き逃していた。
「……まあ、君は数年以内にドラゴンにかまけている暇はなくなるかもしれないが」
ちなみに、フィオナさんから後日、きちんと〝素敵なエピソード〟が送付されてきた。
学園時代の学園祭で着た、とある劇の衣装姿の写真付きで。
どういう都合か、当日に欠席者が出たとかで、なんとロディが〝天使〟の役をさせられてしまったらしい。
持ち前の頭脳で長台詞は完璧に頭に入れていたものの、心優しい天使様のご助言は、まったくの棒読みのまま、真顔で放たれたそうだ。
自分では絶対に選ばないだろうふわふわの衣装と繊細な造りの長杖を持ち、羽の冠をつけたしかめっ面のロディは、たまらなく可愛かった。
夢中になって眺めていたところ、我慢ならなくなったらしいロディに、手早く取り上げられてしまったのだけれど。
どうやら捨ててはいなかったらしいその写真を、可愛い〝娘〟が〝お父様〟の書斎から見つけ出してしまうのは、それから七年後の話である。




