第三話
圭は二人の仲間に合図を送った後、最後の仲間に声をかけるために、アジトがある迷路横丁へと足を進めた。
迷路横丁とはその名の通り、入り組んだ家と路地によって、まるで迷路が作らているような場所だ。そのため、道を知らない者はよく迷う。また、その性質から裏取引の場所や、悪党のたまり場に使われることが多い。それと同時に家賃が非常に安いことから、貧乏人の住処にもなっていたり、モグリが運営している安い店も立ち並んでいる。つまりは混沌とした場所だ。
そんな性質の場所だから、ラーサス信徒や自警団の見回りも頻繁にある。ここにアジトを構えれば、ルーファスがいる説明がつくため、都合が良かった。
圭は慣れた様子で迷路横丁の中を歩き、ある家に挨拶をもせずに入っていった。表には櫛とイヤリングを模した木の模型が飾られていた。これは装飾の店であること示す看板である。店に入る前に、営業中を示す看板を圭は外すと、そのまま懐にしまった。
「いらっしゃいま……なんだ、ケイか」
かなり狭い家で、玄関から生活スペースが丸見えだった。一応は仕切りにしているのか、玄関のすぐ先にテーブルが置いてあり、カウンターのようになっている。カウンターの向こう側には椅子があり、中性的な美人が座っていた。短い金髪のボブカットで、男性の衣類を着用しているため、男だと思われる。
だが、圭は彼女が男装の麗人であることを知っていた。彼女の名前はアニェーゼ。客相手にはアゼルと名乗り、男性かと思わせている。女性と知っている仲間内では、アン、アニーなどと呼んでいるが、知らない人物が周りにいるときは男性名で呼ぶことがエチケットとなっていた。なにせ、これだけ治安の悪いところに住んでいるのだ。女性の一人暮らしと知られたら、毎日襲われることになるだろう。アニェーゼがいうには、残念な事に女性とばれなくとも、男を狙ったホモに何度か襲われているらしい。
「悪いな、客じゃなくて」
「女の子の気を惹くために、買ったらどう?」
アニェーゼは手に持っていたバンクルを圭に見せる。バンクルは木製で、エルドラード神の聖印である黒曜石がはめ込んである。
「ちょうどエルドラード神の聖印だし、ラスにでも買ってあげたら?」
「悪いけど、さっきそのラスに金をむしり取られたばっかだ……」
「どうせあの符丁でしょ? いいかげん、あの符丁をやめなって」
ケラケラと笑われ、憮然とした表情に圭はなった。相手が中性的な男性ならともかく、女性だと知っているため、美女に強く出られない圭に勝ち目はなかった。なお、ルーファスは普段が妻に虐げられているためか、ラーフィリスやアニェーゼに対しては強く出ることができる。
「で、なんの用なの?」
アニェーゼの質問に対して、圭は看板を玄関の横に置き、つっかえ棒でドアを固定した。
「あー、仕事?」
「たぶん、仕事になる」
慣れた様子で勝手に営業を終了させる圭を、冷たいまなざしでアニェーゼが見る。
「あのね、これからお客さんが来る場合はどうするのさ。 大体その行動、如何わしいことをしようとする輩の動きだよ?」
「マジかよ、そんなホモがいるのか……たまげたなぁ……。
まあ、どうせ来ないだろ。で、予約客いるのか?」
圭の勝手な行動にアニェーゼは不機嫌そうに顔をしかめる。
「いないけど、そういう問題じゃないよ。
僕はね、そうやって決めつけて勝手なことをするのを怒ってるんだよ」
怒るアニェーゼを見て、圭はめんどくさいと思った。
「わかったよ、俺が悪かった」
圭は謝りながら、懐から布を取り出し、頭に巻いていく。さらに文句言ってやろうかと思ったが、どうせ聞き入れやしないだろうとアニェーゼは諦めた。
「次からは確認してよね」
効果はないだろうが、注意を促した後に、アニェーゼも出かける準備を始めた。財布とナイフを腰に備えると、圭と同じように顔を隠す。
その間に、圭は裏口を開けて周囲の様子を見ていた。ただでさえ小道が多い迷路横丁の更なる裏道、時折すれ違う人は一様に顔を隠しており、素顔でいるものは浮浪者ぐらいだった。
迷路横丁の裏道は詮索無用。騒ぎを起こしたものは私刑に会う。
アニェーゼも準備ができたようなので、圭とアニェーゼは足早に裏道を歩いた。
「次はないからね」
「わかってるって」
「絶対、わかってない」
文句を言いながらも迷路の奥へ奥へと進んでいく。時折、同じようにフードをかぶった人物や、浮浪者とすれ違うが、お互いに無視をする。もしこの状態でラーサス信徒にあった場合は、大抵職務質問をされるが、「顔隠し運動連盟なんっす、趣味っす」といってごまかしている。通じないことが多いが、大体ソロヴァ銀貨1枚で口を紡ぐ。
足早に進むと、長い通路にたどり着いた。知っている者には、無数の回転扉が左右に並ぶ小道に見えただろう。外部の人間にこの場所を明かした場合は、裏社会から抹殺される。
同じように見える回転扉でも、それぞれには印がこっそりとつけられていた。その中でも、小さく逆三角形と瞳が描かれた壁で彼らは立ち止まった。
回転扉の境界に目立たないように紙が貼ってあり、日本語で『締め』と描かれている。紙は破れていないため、誰かが利用した形跡は見られない。また、筆跡も圭のモノだ。
アニェーゼが周囲を確認する中、圭は回転扉を回して中に入った。入り口には光石と呼ばれる、発光する鉱石が置かれており、ぼんやりと中を照らしている。5メートルほどの一人が歩ける道の先に、小部屋があった。ここが圭たちのアジトだ。
圭は手慣れた様子で、部屋の入り口に置かれている油が入った小皿の紐に火を灯す。油を吸った紐が燃えて、ぎりぎり字が読めそうな程度には部屋が明るくなった。
一方のアニェーゼは、誰にも見られていないことを確認してから扉を閉じ、布を頭から外していた。
圭は緊急時の脱出路の蓋に近づくと、近くに置いてあった剣を取る。脱出路は外から開けられないようにつっかえ棒がはめられている。また、拳大の穴が開いていた。
穴に剣を差し込み、ぐるりと一周させる。脱出路に誰かが潜んでいない確認する作業だ。作業がひと段落すると警戒をしながら蓋を開け、光石が点在する脱出路の様子を見た。
ここまで行い、ようやく所定の安全確認が終わったため、ほっと息をついた。
「ふう、隠れ家の管理もめんどくさいな」
「仕方ないよ」
部屋の一部には段差が設けられ、畳が敷き詰めてある。これは圭の特注で、靴を脱いでくつろげる場所がほしかったため、作ったものだ。圭は靴を脱いで、畳に上がり胡坐をかいた。
「慣れてみると、このタタミってのも、いいね」
アニェーゼも畳に乗り、胡坐をかいた。
「とりあえず、話は皆が来てからにしよう。
アニ、脱出路の光石が3つほど消光してたから、今度交換してくれ」
そう言って圭は財布から、ソロヴァ銀貨ではなく連合王国銀貨を1枚取り出し、アニェーゼのほうに投げた。アニェーゼはそれを受け取ると、自分の財布にしまった。連合王国銀貨は、ソロヴァ王国が加入している連合国で共通に使われる硬貨だ。価値としてはソロヴァ銀貨の5倍程度となる。しかし、その精巧な作りと純度の高さから偽造は難しく、信頼度の観点から時にはソロヴァ銀貨の10倍の価値がつくときもある。
「はー、簡単に連合王国銀貨渡すだなんて……儲かってるの?」
「アホぬかせ。 常に金欠だよ」
見かけ上では圭はほとんど金を使わない生活をしているが、収入の大半を本の購入と、管理に使用しているため、実のところは信じられないくらいに生活費が高くなっている。驚くことに、ソロヴァ銀貨にしておよそ、100枚を毎月維持費として使用している。
それに付け加えて、定期的な本の購入、さらに生活費を追加すると、ソロヴァ銀貨200枚程度が月の支払いである。当然、この金額には交友費や持ち物のメンテナンス料金は入っていない。ルーファスの月収がソロヴァ銀貨140枚前後+賄賂だと考えると、かなりの金額であることがわかる。
「本当かなあ……?」
疑わしそうな目でアニェーゼは圭を見る。彼は鬱陶しそうに手を振り、「ここでの詮索はご法度だぜ」とけん制した。
「もういるのか?」
圭がアニェーゼを適当にあしらっていると、回転扉が動く音がして、ルーファスが現れた。どこかで着替えたのか、ラーサス教徒の法衣ではなく、冒険者の様な恰好をしている。その緑色の髪の毛から、メリル信徒の流浪者のように見える。
「『白の』、早いね」
「最近、帰りが遅いって嫁が不機嫌なんだ。 できるだけ早く終わらせて帰りたい」
アニェーゼがルーファスに声をかけると、肩をすくめて返事を返した。ラーサス教徒はその容姿から『白の神官】と呼ばれる。そこから、ルーファスはあだ名として『白の』と呼ばれてている。最も、ルーファスの正体がばれたり、繋がりがあると知られるのはまずいため、外ではルルと呼ばれている。
「ルル、ラスが来る時間次第だが、大丈夫か?」
咄嗟にルーファスを呼ぶ際に『白の』と言ってしまわないように、圭は普段からルルと呼んでいた。また、唯一の妻帯者であり年長者でもあるので、圭はルーファスに関してはかなり気をつかっていた。
「大丈夫だ、そのぐらいは何とかする」
ルーファスは腰に帯びた剣を外し、畳に上がって胡坐をかき、その横に剣を置いた。
「ねえ、ルル。 ケイのやつ、ララに符丁代でソロヴァ銀貨1枚とられたらしいよ」
茶化すようにアニェーゼがルーファスにいうと、ルーファスは目を見開いた。
「おいおい、連絡するたびに金をとられるだなんて、信じられないぞ」
あきれたようにルーファスは圭を見る。圭は不満そうに口をとがらせた。
「そういうお前こそ、給料全部嫁にむしり取られてるんだろ?」
「あれは……管理してもらってるだけだ」
痛いところをつかれたのか、ルーファスは情けない言い訳をした。
「はー、僕も結婚したら旦那の金は管理しよ」
「結婚する気あったのか?」
ルーファスは意外そうな顔で、アニェーゼを見つめる。圭はアニェーゼが怒るんじゃないかとひやひやしたが、そのような様子は見られなかった。
「んー、まあ、できない可能性のほうが高いけど……。 いつまでも、こんな生活はできないからね」
「そうか」
ルーファスは納得したように頷いた。ルーファスは悪気なしにこういったことを言ってしまうので、人を怒らすことが多い。しかし、アニェーゼはそういう癖を知っていたので怒ることはなかった。だが、間違いなく同じことを自分が言ったら怒っただろう、そう確信した圭は理不尽だと嘆いた。
「皆さんお揃いで」
理想の結婚生活について話し合っているうちに、ラーフィリスが入ってきた。比較的、入り口側に座っていたルーファスは壁際に寄り、アニェーゼも圭に近づいてラーフィリスが座る場所を作った。
ちなみに理想の結婚生活は、男女によってかなり意見の差があるということが良く分かった。そして、ルーファスの結婚生活はあまり理想的ではないことも分かった。
「お店の残り、もらってきたから食べよう」
そう言ってラーフィリスは、布にくるまれていた食べ物を畳の上に広げた。圭はそれに見覚えがあり、思わず声を荒げた。
「お前、これ……! 俺に買わせたミートパイじゃねえか!」
「うーん、強気な値段設定が悪かったのか、捌けなかったんだよね」
圭は非難するが、ラーフィリスは馬耳東風といった具合に涼しげな顔だ。ルーファスとアニェーゼは顔を見合わせると、にやりと笑った。
「せっかくだから、ソロヴァ銀貨1枚の価値があるパイを食べながら話すとしようか」
「そうしよう、そうしよう」
二人は顔をほころばせ、各々一つずつパイを手にする。圭はしばらく唖然としていたが、あきらめて同じようにパイを取った。
『うまい』
4人の声が重なって、暗い部屋に響いた。
17/3/18 8:00 玄関→表 あと表現をちょこちょこと