第二章 秘密 ~『夜の散歩』実行編~
次の夜、あたしと〝獏〟は人通りが少なくなるのを待って『箱』を出た。
『箱』を出る時には周りに視線を走らせ、人気がないことを確認して、素早くその場を離れた。ロードウェイに乗る時も、降りる時も、建物への出入りにしても、公園のベンチに座る時も、あたし達は周りに人影がないか、注目している者はいないかを確かめながら『夜の散歩』を続けた。気分は大昔のムービーとかにあった『スパイ』だった。
しかし、意外にもというかやっぱりというか、あたし達は誰にも変な目で見られずに散歩を楽しむことができた。『箱』に無事に帰り着いて、二人で興奮しながらその夜のことを話し合った。とてもスリルがあって、不安と同時に病みつきになりそうだという予感がした。――この予感はものの見事に的中した。
それからというもの、毎晩のようにあたし達は出歩いた。
中央公園の中の水の止まった噴水の縁に腰かけて話をしたり、研究者きどりで端末を持ってあちこち覗いてみたり……。
図書館に生まれて初めて入った時は、さすがに緊張した。大体公共施設が深夜まで開いてるなんて、話には聞いていたけれど信じられなかった。しかも入口のすぐ側にカウンターがあって、人が座っているのを見た時は心臓が止まるかと思った。なのに〝獏〟は中へ入ると言ったのだ!
「ちょっと、人がいるじゃない! まずいよ、絶対に見つかるって!」
入り口の陰の部分で、あたしは声をひそめて叫ぶという器用なことをした。
「大丈夫ですって。カウンターの下は死角になってますから、見つかりませんよ」
「あんたのその自信ってどこから来るのか、あたしにはわかんないわ。とにかく、今日は止めようよ」
「どうしてです?」
「こういうとこは、《センター》直結なのよ! もう少し事前調査と言うか、心の準備と言うか――」
「そうやってまた、うやむやにするつもりでしょう? 違うと言うなら日にちを区切ってください」
……完全に見透かされていた。
元々あたしは公共施設と言う奴が苦手だ。『要注者』として、良い思い出がない。なるべくなら、避けたい。なのに〝獏〟はそういう所に行きたがる。
以前にも夜間診療の病院へ行きたがったのを、止めさせた経緯がある。あの時は確か、「邪魔をすると人命にかかわるかもしれない」と言ったような気がする。夜間とはいえ、病院の中はライトが点いてすごく明るかったのだ。夜の病院なんて、どこがおもしろいんだか!
「確か前の病院は昼並みに明るかったですけど、ここはスポットライトしかないじゃないですか。大丈夫、見つかりませんよ」
……バレてるし……。
結局、あたしは〝獏〟に押し切られた。
なるべく顔を見られない様に俯き加減に入り口を入り、カウンターの前では少し向こうの方を向き気味にした。〝獏〟はあたしの足下で、歩調を合わせるように歩いた。
早足でカウンターの前を過ぎ、棚の陰に入って、あたしは大きく息を吐き出すとその場に座り込んだ。本当に心臓に悪い……。
「とりあえず、何か本を探してみましょう」
〝獏〟がこっそり囁いた。その声がなんだか弾んでいるように聞こえた。
あたしは二三度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、静かに気合を入れてから立ち上がった。
図書館は不思議な空気を持っている。人がいるのに、その気配を感じさせない。まるで吸水紙が水を吸い取るように、気配を吸い取っているかのようだ。
空気もどこか違う。
「それはここにある古書のせいでしょう」
「古書?」
「紙を束ねて『製本』してあるでしょう? 昔はメモリーが無かったので、動物の皮をなめした物や植物繊維から紙を作って、それに筆記用具で書いたり印刷したりしたんですよ」
こっそりと〝獏〟が解説してくれた。あたしは黙って頷くと、目の前にある古書を手に取った。
それはずしりと重く、表紙を捲ると薄い紙にたくさんの文字が書かれていた。紙は、捲る度に微かな音を立てる。それは自分の存在を主張しているように聞こえた。
後で聞いた話だと、古書の類はものすごく高価なのだそうだ。あの図書館は古書の蔵書が多く、いつもは保管室に置いてある古書を時折棚に並べて空気の触れさせているらしい。
「虫干しも兼ねているんでしょう」
「虫干し?」
「紙というのは呼吸しているんですよ。だから仕舞い込んでおくと逆に呼吸困難を起こして、良くないんです」
「へえぇぇ・・・・・・」
〝獏〟は時々変な事を言う。常識で考えれば、紙が生きてるわけは無い。だから呼吸なんてするはずが無い。でもあたしはそういう考え方が好きだ。だってそんな風に考えると、この世の中には生きているもがたくさんあることになる。意外とあたしたちが気づいていないところに、たくさんの「生き物」が存在しているのかもしれない。――一人じゃないと思えるのは嬉しい事だ。
そんなふうに出歩いていて気付いたのだけれど、夜起きている人は結構多い。そしてそれらの人達はかなり自由にいろいろなところへ出入りでき、危険なことや市民生活に悪影響を与えない限りいろんなことができるようだった。話をしてみて、彼らが『クリエーター』だということもわかった。ただ――。
「どうしたんです? 何かありましたか?」
『クリエーター』と会って話をしてから『箱』へ帰ってきた日、〝獏〟が恐る恐る訊いてきた。あたしは帰り道、ほとんど喋らなかった。喋りたくなかったのだ。
あたしが『クリエーター』のことをどんなふうに思っていても、それはあたしの勝手な思い込みで、彼らのせいではない。それはわかっているが……。
「あたしね、『クリエーター』になりたいと思っていたわけじゃないけど、少し、ほんの少しだけ憧れてたところもあったのよ」
入口のドアを少々乱暴に閉めると、あたしは〝獏〟相手にずっと我慢していた事を吐き出し始めた。
「創造や発想力で《シティ》に貢献してるって、すごいなあってずっと思ってたの。『要注者』だったのに、ちゃんと自立してるんだと思ってたの。でも――」
あたしは怒っていた。
かつてあたしとの接触は「不安定な彼らを元に戻す可能性があるから」と先生に禁じられた時から、あたしは彼らの感覚は『要注者』とそんなに変わらないものだと思っていた。だからこそ《センター》の側でずっと監視されて生きていかなくちゃならないのは、自由が無くてかわいそうだとも思ったのだ。
ところが実際に会って話した彼らは、『クリエーター』は、市民よりももっと悪い。自主性が無いどころか、存在感すらない。こっちの言う事が理解できているかどうかもわからない。なにを訊いてもまともな返事が返ってこなかったのだ。いつでも笑みを浮かべ、視線が定まっていない。まるで精神が壊れているようだった。
「あたしは、あんなになりたくない。あれは生きているって言わない。《センター》もいったい何を考えてるのよ! いくら穏やかな性格が必要だからって、あれはやり過ぎよ。あたしは死んでも、あんなにはなりたく無いわ!」
〝獏〟相手にあたしは自分の中の怒りをぶちまけた。あたしの剣幕に〝獏〟は驚いて目をまん丸にしていたが、何も反論しなかった。下手に何か言うと火に油を注ぐとわかっていたんだろう。
「そりゃ、勝手に美化して、勝手に同情してたのはこっちだけど……。だからこそ腹が立つってこともあるでしょ? ああ、もう! 間抜けな自分に腹が立つわ!」
ひとしきり怒鳴って少し気が晴れたころ、〝獏〟が宥めるように言った。
「いつまでも幻想を抱いているより、早めに実態がわかってよかったじゃないですか。――で、『クリエーター』に幻滅したから、『散歩』止めますか?」
「まさか!」
あたしは即答し、その後も『夜の散歩』は続けられた。
それ以降はショッキングな事も無く、『夜の散歩』は回を重ねるごとに大胆になって行った。あれほど嫌だった夜間病院も平気で「深夜医療の実態を調べてます」とか言って何度か足を運び、担当医にインタビューまでした。そして大胆さと反比例して緊張感がなくなり、ただの日課と化していった。




