中山はいつも一番前
高校2年生の春。始業式の日、那智はドキドキしながらいつもより少し早く高校に登校した。
理由は単純で下駄箱前に貼り出される新しいクラス表を早くチェックしたいから。
校門付近の桜はすでに散り始めている。年を追うごとに段々と暖かくなる日が早まり、今年も入学式まで桜は保たないだろうなと那智は落ちてくる花びらを見つめて思った。
下駄箱まで辿り着くとすでに那智と同じ目的だろう生徒が複数集まっていた。同級生もいる。
「おはよう。早いな。」
1年で同じクラスだった藤川が那智に声をかけてきた。
「おはよ。藤川も早いな。やっぱ、気になる?」
「だよなー。俺、杏奈ちゃんと同じクラスか気になっちゃって早く来ちゃった。那智は?」
(杏奈ちゃん、、、あぁ、藤川の彼女か。)
「俺は単純に気になったから来ただけー。」
那智はへへっと笑って藤川に早く見ようよとクラス表の前に向かった。
那智の学年はクラスが5クラスある。
1組から順番に自分ともう1人の名前を探す。
藤川には言わなかったが那智も一緒だったらいいなと思う子がいるのだ。
(か、か、勝浦那智、、あった!2組だ。)
カ行のため比較的早く見つけられた。すぐに次の名前を探す。
(な、な、中山、、あった!中山すず!)
「2組だ。」
思わず声に出してしまった。
「え、那智2組なん?俺、1組だったー。残念。ってか、杏奈ちゃん5組じゃんかー、最悪。」
横で藤川が彼女と離れ離れになり嘆いている。
危ない、つい口にだしたが中山の名前を呟かなくてよかった。
藤川には悪いが那智は思わず口元が緩んでしまった。
(2年生も中山と同じクラスだ。嬉しい。)
藤川を慰めてから新しい教室に入る。半分くらいはすでに登校しているようだったが、皆ソワソワとして落ち着かないようだった。席に座ることなく新しいクラスのメンバーについてあれこれ話して盛り上がっている。那智の席は窓側から2番目の列の真ん中だった。まぁまぁの席だ。席に荷物を置いて椅子に腰掛け、ふぅと安堵の息を吐き出す。中山はもう来ているだろうかと教室の前方を確認した。
中山が絶対に一番前の席なのはわかっている。
(いた。窓から4番目の一番前。)
中山だけを見ていると周りから悟られないように視界の端に中山の存在を確認する。サラサラとした少し明るい茶色の髪の毛。肩甲骨あたりまである髪の毛をひとつにくくっただけのいつも同じ髪型。のぞく耳には黒縁眼鏡がかけられている。そのせいで表情は見えず、眼鏡のフレームの一部が見えるだけだ。
那智は中山の姿勢の良い後ろ姿を1年間見つめてきた。
またもう1年、中山の後ろ姿を見られることが嬉しかった。
「先生、お願いがあるんですが。」
高校1年の春、まだ授業が始まって2日目くらいだっただろうか。休み時間に担任を呼び止める中山の姿に気付いた。那智が中山という生徒を認識したのはこの時が初めてだった。
那智の席から近い場所で2人が話を始めたため、つい気になり2人の会話を聞いてしまった。
どうやら中山は自分の視力が悪いことを理由に前の人と席を変わって欲しいという内容だった。
「先生、俺替わるよ!」
一番前、しかも教卓の前だった那智は絶好のチャンスとばかりに2人の話に割って入った。
ビクッと中山が驚いて那智を見る。
(あ、猫みたい。)
眼鏡のフレームの中の目が真ん丸に見開かれている。それがまるで猫の目みたいだった。
先生の了承を得て那智は嬉々として中山と席を替わった。一番後ろの席になり、クラスメイトの後ろ姿がよく見えた。まだ高校1年になりたてでクラスメイトの名前と顔が一致しない。後ろ姿ばかりが見えるので結局はよくわからないが、中山は先程覚えたばかりなので自然と目についた。
大人しそうな、真面目そうな子だ。見えないからって一番前の席を希望するとは本当に真面目なんだろう。
授業が始まったがなかなか集中できない那智は中山の後ろ姿を何度も見た。自分とは違い、中山は黒板と教師とノートを忙しなく追っているのが頭の動きでわかった。カリカリカリとシャーペンで書く音が聞こえてきそうな程、中山は真面目に授業を受けていた。対して那智のノートはまだ真っ白だった。
教師の「次を書くから消すぞー。」という声ではっとして慌ててノートに黒板の文字を書きなぐった。
那智の成績は可もなく不可もなくというもので、特に将来したいこともなく、とりあえずほどほどに勉強を行っていた。対して中山はいつも勉強をしている。授業中も眠気がくる様子もなく、黒板を見てはノートを書き、教師を見ている。ほぼ規則的に動く中山の頭部を見ながら那智は眠気で船を漕いでいた。中山は休み時間が短ければ立ち上がることもなく本を読み、時間があればどこかに行っているようでクラスに馴染もうとする様子がなかった。
担任の意向で席替えは毎月行われた。
だが、一番前の席だけは希望者優先だった。那智を含めクラスメイト達はくじで決めたが中山はいつもくじを引くことはなく一番前の席を希望した。左側だったり、右側だったりと列は変わるが一番前なのは変わらない。皆が席のくじ引きで一喜一憂するなか、中山だけはいつも静かに座っていた。
クラスメイトの顔と名前が一致するようになり、後ろ姿でも名前がわかるようになったが、相変わらず那智は中山の後ろ姿をよく見ていた。何故かわからないが中山が気になった。
だが、気になるだけでそれ以上の感情が湧くことはなく話かけることもなく気付けばあっという間に日々は過ぎた。
真新しいブレザーを着ていた春から蒸し暑い夏へと変わった。ブレザーを脱ぐことが多くなり、衣替えの時期からは紺色の半袖へ変わった。中山の袖から覗く白い腕が柔らかそうだと思った自分が少し変態っぽいなと思って慌てて目を逸らした。長い夏が終わり少し涼しくなり長袖ブラウスを着たかと思えばあっという間に冬が来たため、またブレザーを着て授業を受けている。中山の後ろ姿は着るもの以外は変わらなかった。肩甲骨くらいまでの少し茶色の髪の毛をいつもひとつくくりにして黒縁眼鏡を掛けていた。那智が見る中山はいつも後ろ姿だった。
1年生が終わり2年生に上がる前の春休み、那智はコンビニバイトを終え1人で夜道を歩いていた。夜はまだまだ寒く自然と足早になる。マフラーをぐるぐる巻きにして鼻まで覆って肩をすくめて俯き加減で歩いていた。帰宅ラッシュの時間は過ぎているがまだまだ仕事帰りの社会人らしき大人達が歩いている中に見知った後ろ姿を見つけた。
那智の高校と同じ制服、いつも見ていた肩甲骨くらいまでの髪をひとつくくりにした黒縁眼鏡の女の子。
(中山すず?)
いかにも真面目そうな子が歩く時間帯ではない。中山が遊んだりバイトしている姿も想像できない。ましてや今は春休みなのに制服を着ている。
(塾とか?)
那智の5mくらい前を駅方向に向かって歩いている。那智も駅を利用するため自然と後ろを付いて行くかたちになった。中山の歩くスピードに合わせ少しスピードを落とす。
改札口を抜け、那智が乗るはずの同じ電車の到着ホームに中山が立った。
(あれ?同じ路線?会ったことないよなー。)
那智はギリギリ登校のため乗る時間が違うのだろうか。帰りもバイトをしてから乗ることが多いため気付かなかったのかもしれない。緊張しつつ、中山が並んでいるのと同じ列にあえて並んだ。中山は那智の3人前に立っている。振り向かれたらバレてしまうかもしれないとマフラーをさらにぐるぐる巻きにした。
何だかストーカーをしているような気分だ。
やがて時間通りに電車が到着してドアが開き、前から順番に中に乗り込む。中山はドアに1番近いシートに座った。
中山よりも後に車内に入った那智は中山がドアに1番近いシートに座っているのを見て近さに驚いた。とりあえず座らなければと焦ってしまい、空いていた向かい側につい座ってしまった。中山は俯いてスマホの画面を見ているが前を向かれたら那智の存在がバレてしまう距離だ。
(なんで俺ここに座っちゃったんだろ。中山が顔上げたらバレるじゃん。)
ぐるぐる巻きにしたマフラーは鼻まで完全に覆われて目から上が見えているだけだ。バレないようにチラリと中山を確認したがスマホの画面から顔を上げる素振りはなかった。
とりあえずほっと息を吐いて那智は中山の足元の床あたりに目線を固定した。
発車しますと放送がかかり、ドアが閉まってゆっくりと車体が揺れ出す。那智はチラチラと中山の姿を確認した。足を綺麗に揃え、膝の上に学校のカバンを置きスマホを眺めている。
いつも後ろ姿ばかり見ていた那智には前から見る姿が新鮮だった。スマホを見ているため俯いているが、眉下で綺麗に切り揃えられている前髪、黒縁眼鏡の中に見える瞳を見て那智が席を替わるよと言った時に見せた驚いた時の猫みたいなまん丸な瞳を思い出した。真っ直ぐに那智を見たのはあの時だけだ。
(また見てくれないかな。)
あの瞳がひどく恋しい。またあの時のように那智を真っ直ぐに見て欲しいような、でも気付かれたくないような。
ガタンガタンと揺れる車内で中山は変わらずスマホを見ている。チラチラと盗み見る那智には気付かない。
(なんかモヤモヤする。)
那智はバレたくないくせに見て欲しいような気持ちになり、中山を見つめて(こっち見ろ)と念じてみた。
1回、2回、3回と念じてみるが当然中山には届かなかった。
次は◯◯〜次は◯◯〜
那智が降りる駅だ。中山は反応している様子はないから那智とは違う駅で降りるのだろう。
ガタンと一際大きく車体が揺れて駅に止まった。ドアが開く僅かな時間に降りる乗客がドア前に集まり始めた。那智も立ち上がる。
結局中山は那智を見なかった。それがなんだかすごく悔しく感じた。那智はドアの前に集まる他の乗客に交じるふりをして中山の目の前に立った。
最後にもう一度(こっち見ろ)と念じた。
自分の目の前に誰かが立ったことでさすがに気配に気付いたのだろう。まるで念が届いたように中山がふっと那智を見上げた。
那智の顔を認識した中山はビクッとしてみるみるとまん丸な目に変わっていく。
(猫の目だ)
見たいと思っていたあの時の目がもう一度見れたことに謎の達成感を抱いたが那智も那智ではっとした。
(何してんの俺。バレバレじゃん。)
こちらを見てくれたのはいいがその後を考えていなかった。
プシューっと音がしてドアが開く。客が次々と降りていく。ドアはすぐに閉まってしまうため那智も降りなければならないが今だに2人は見つめ合っていた。だが、そこには甘酸っぱさの欠片もなく戸惑う男女がいるだけだった。
何も言葉が浮かばないが降りなければならない。
那智は中山から視線を逸らしドアに向かって歩き出した。
ホームに降りたところで笛の合図がした。
那智が振り向くとまだ中山は驚いた顔のまま那智を見ていた。また視線が合う。
「なっ、中山!」
プシューっと音がしてドアが閉まり始める。
中山は那智を見ている。那智はぐっと手を握りしめ大きな声を出した。
「お疲れ様!また明日!」
言い終わったところでドアが閉まってしまった。もう中山の顔は見えない。ゆっくりと電車が走り出す。
行ってしまったし、言ってしまった。
那智はその場に立ち尽くしたまま走って行った電車を見つめた。
「なんだよ、お疲れ様って。なんだよ、また明日って。今春休みじゃん。学校ねぇよ。恥ずかしすぎる。」
中山を見つけてからの自分の行動の意味がわからず、思わず口から出てしまった言葉をひたすら後悔しながら次に中山と会った時はどうしようと那智は俯いたまま駅の改札口へと歩いて行った。
那智はバイトがあるため中山と出会ったときと同じ時間帯で何度か駅を利用したが、中山に再度会うことはなかった。ほっとしたような、残念なような複雑な感情のまま、次に会った時は何て言おうか、それとも言わないべきか悩んでいた。
春休みは短く、あっという間に終わり2年生の始業式を迎えた。結局あれから中山には会えないでいた。
(俺、中山のこと好きなのかな。)
中山の後ろ姿を眺めながら那智は考えた。
中学生の時に告白されて付き合ってみたことはあるが好きかどうかと聞かれると正直よくわからなかった。自分の事を好きだと言ってくれる姿は可愛いと思えたし嬉しかった。だけど、相手と同じ熱量にはなれないことはすぐにわかった。那智から会いたいとか話したいとかは特に思わなかった。ある日、相手の子が別に好きな子ができたと別れを言ってきても那智はそうかとしか思えなった。
中学の時はなんとも淡白だったが、今はつい中山の存在を確認してしまう。後ろ姿ばかりだがそれでも見ていたかった。別に何を話した訳でもない、関わりなんてほぼないのに那智は中山を見てしまう。那智の中にいつも中山を探す自分がいる。
今日だって何だか落ち着かなくていつもより早く登校してクラス表を確認した。自分と同じクラスに中山の名前を見つけ、また一番前の席を陣取っている中山の後ろ姿を見つけ素直に嬉しかった。
これが好きということなんだろうか。恋をまだしたことがない那智には自分の行動の真意がまだわからないでいた。
2年生の始業式の日、教室に最後まで残って友達とダラダラと話していると、担任に早く帰れと追い出された。校内にはあまり生徒も残っておらず一緒に残っていた友達とは帰る方向が反対方向だったため、那智は校門からは一人で歩いていた。
ふと教室に忘れ物をしたことに気付いた。面倒だなと思いつつ、まだ校門を出て5分程度だ。取りに戻るかと振り返った瞬間、那智の目の前に中山が歩いて来るのが見えた。
「わっ!」驚いて思わず声を出してしまった。
2m程しか離れていなかった中山にはばっちりと聞こえてしまったようで中山も驚いて立ち止まった。
(あ、目がまん丸びっくり猫。)
またあの目が見れたと嬉しい感情が湧きあがったが、すぐに気まずい雰囲気へと変わってしまった。
お互いに見つめ合ってはいるが驚きで固まっているだけ。あの春休みの電車での場面と同じだった。
先に動いたのは中山だった。何もなかったことにして那智から視線を逸らして歩きだした。
まずいと思った那智は中山が出した一歩目の足の方向に自分の一歩を出して中山の進路の邪魔をする。
中山が怪訝な顔をして那智を見た。
(あ、初めて見る表情だ。)
「あ、あの中山。春休みに同じ電車で会ったの覚えてる?帰り同じ電車なら一緒に行かね?」
よく言った、頑張ったと那智は自分を褒めた。未だかつて無い勇気を振り絞った自分によしよししたい。
那智が返事を求めて中山を見つめていると、みるみるまん丸びっくり猫の目になり固まっていた。
「・・・・・・・えぇ?」
たっぷり30秒くらいの沈黙の後、中山は目に見えてわかる程にあたふたとし始めた。
「わゎゎ私と!?え?私?!」
中山の顔は耳まで真っ赤になっている。
「うん、中山と。」
自分以上に慌てふためている中山を見ていると那智はドキドキと緊張していた気持ちが段々と落ち着いてきた。
(自分より慌てている人間がいると逆に冷静になれるって本当だな。)
「いいじゃん、同じ方向でしょ?」
那智はほら、行こうと中山を手招きした。
中山はパクパクと何か言おうとしていたが手招きして待つ那智を見て諦めたようで、肩に掛けたカバンの持ち手をギュッと指が白くなるほど握りしめた。覚悟を決めたような、でも不安が滲む顔でおずおずと那智の方まで歩いてきた。
那智の所まで中山が辿り着くと那智は駅に向かって歩き始めた。中山も半歩遅れて歩き出す。チラリと中山を見るとうつむきがちなため表情は見えないが耳がまだ赤かった。カバンの持ち手はいまだにギュッと握りしめられたままだ。那智は少し申し訳ない気持ちになったがそれ以上の嬉しさでニコニコと満面の笑みで歩いた。
道中、少し話しかけてみたがその度に中山が飛び上がりそうなくらい驚くため笑うの必死に堪えてあまり話しかけないようにした。
中山の最寄りの駅は那智の駅より2つ後だった。一緒に乗ろうとホームに並んで立ち、電車の中でも並んで座った。中山は終始挙動不審で学校のカバンを今度は抱きしめるように座っていた。並ぶ那智とは拳一つ分、いや、三つ分の距離。電車が少し大きく揺れても肩が触れ合うことはないだろう距離感。それでも、今までこんなに近付いたことはなく、時々ふわりと中山の頭からシャンプーのいい香りがした。
「なぁ、中山。◎INE交換しない?」
あまり話しかけない方がいいだろうとは思ったが那智はこれだけは中山にお願いしたかった。こんなチャンスまたいつあるかわからない。中山はきっと教室とかクラスメイトの目があるところではあまり話したがらないような気がした。◎INEなら文字でも声でも気兼ねなく会話ができる。
「・・・うぇ!?」
中山からなんか変な声が出た。那智はぶふっと吹き出してしまった。電車の中なので必死に笑いをこらえる。
「ぶふっ、あ、いや、ごめん。中山って会話苦手かなぁって。◎INEなら文章で会話できるじゃん。」
ここに来るまで中山の口から出たのは変な驚きの言葉と、うん、はい、と名詞くらいだ。見た目通り会話が苦手らしいことはわかった。
「だめかな?」
那智は中山の方を向いてこの通りと拝んだ。チラリと隙間から覗いてみると中山は挙動不審のまま悩んでいるようだった。
(上手く断る言葉も出ないんだろうなぁ。)
若干、申し訳なく思ったが那智は拝み姿勢のまま中山の返事を待った。押すしかない。
「・・・・・はい。」
断りもできず諦めたような中山の返事がぼそりと聞こえた。項垂れていることに若干ショックを受けたが了承は得た。
「ありがとう!」
言質は取ったとスマホを出すように言ってサクサクとQRコードを読み込む。
那智のスマホの画面に黒猫のアイコンが表示された。中山すずと名前まんんま登録してある。
「中山の家の猫?可愛いね。」
会話のきっかけになりそうなのでアイコンの猫に触れてみると中山の表情が和らいだ。
「うん、うちの猫。ナナって言うの。」
(あ、笑った?くそ、眼鏡が邪魔でよくわからん。)
初めて見る中山の表情にドキッとした。可愛い。そこからはしばらく猫の話で会話がなんとか続いた。
ちなみに那智のアイコンは好きな漫画のキャラクターだった。中山は知らないのだろう、しばらくじっと見ていたがノーコメントだったため那智は帰ったらすぐに動物のアイコンに変えようと決意した。
中山と電車で一緒に帰ったあの日から那智は時々◎INEを送るようになった。
あまり長続きはしないけれど、ポツポツと返してくれる中山の優しさが嬉しかった。学校では相変わらず以前からと同じ距離感で話すこともなかった。那智は相変わらず一番前の席で授業を受ける中山の後ろ姿をよく眺めていた。
「じゃぁ、今月も席替えするぞー。」
担任が毎月恒例の席替えくじを取り出した。中山はいつものように前を希望するためくじは引かない。那智は真ん中より後ろがいいなと思いながらくじを引いた。引いた番号の席を確認すると一番前の席だった
。
(げー。一番前かよ。)
元々一番前の席は嫌いだが中山の後ろ姿を眺められないことに更にショックを受ける。
大きなため息をつきながら窓側の一番前の席に座る。隣は誰だろうと待っていると、荷物を抱えた中山が隣にやってきた。
「え。中山そこなの?」
驚いて思わず声を掛けてしまった。
「う、うん。1カ月、よろしくね。」
那智にだけ聞こえる程度の小声で中山が呟く。目線は下を向いたまま、新しい自分の席に荷物を片付け始めた。
「・・・よろしく。」
那智も小声で返し、窓の方を向いた。
(やばい、嬉しい。にやける。)
だらしなくにやけているだろう自分の顔を中山に見られたくなくて窓側を向いたが、その表情はしばらく落ち着かなかった。窓に反射する自分のにやけ顔が気持ち悪い。中山には気付かれたくなかった。
こうして那智はいつも中山の後ろ姿ばかりを見ていたポジションから中山の横顔を見るポジションに変わった。
一番端の席である那智が教師を見ようとすると自然と視界に中山の横顔が入ることが嬉しかった。
熱心に教師や黒板を見る振りをして中山の横顔を見ていた。
中山は授業中は勉強に集中するため那智の視線には全く気付かないようだった。
「お前、よく中山のこと見てるけど好きなの?」
那智の後ろの席に座っているクラスメイトに気付かれて指摘されるくらいには見ていたらしい。
那智は慌てて口封じをしたが、気を付けなければと気を引き締めた。
中山との隣同士は思った以上に楽しかった。プリントを渡す時や落ちた物を拾って手渡す時に指の先が少し触れるとドキドキした。教師が隣同士で話し合えと言えば、お互いに少し近付いて内緒話をするように話ができた。教科書を忘れた時は中山が机を近くに寄せて見せてくれた。給食の時は中山は少食なようで那智が少し貰ったりした。相変わらず中山は挙動不審気味ではあったが段々と柔らかく笑ってくれるようになったような気もする。なんだか少しカップルみたいに思えて嬉しかった。
そんな楽しい1ヶ月はあっという間に終わってしまった。
「7月の席替えするぞー。」
担任の席替えの言葉がひどく憎らしい。しなきゃいいのにと那智は担任を睨んだがどうにもならなかった。
中山は相変わらず一番前の席希望だった。那智は神頼みをしながらくじを引いた。
「一番後ろ。」
しかも、中山と同じ列の一番後ろで那智の前の席にはクラスで一番背の高い高木が座った。
(全然見えねぇ。)
高木のせいで中山の姿が全く見えない。
(くそ、高木のやつ!)
背も高く強面で性格も強面気味な高木が少し苦手で前が見えにくいから席を変わって欲しいなど怖くて言えなかった。
しかも今は7月だ。中山が見えないまま夏休みに突入してしまう。那智は先月が楽しかった分、真逆の状況にショックを受けた。
「中山ロスになりそう。」
席替えをしてからまだ数日だ。前を見れば縦にも横にもでかい高木がいて、中山どころか黒板も見えない。高木はよく居眠りをするため眠っている時は黒板は見えるが肝心の中山が見えない。高木が怖いから気付かれないようため息をつき、バイト中もため息が止まらず、凡ミスもして店長に怒られた。やる気のでない時間をなんとか終えて駅に向かってトボトボと歩き電車を待つ間、いつもは座らない駅構内のイスに座り項垂れていた。
やはり自分は中山に恋しているんだろう。特別何かイベントがあった訳ではない。だけどきっと、あのまん丸びっくり猫の目を見た時から一目惚れだったのだ。
(初恋ってもっと特別なことがあって好きになるのかと思ってたけど全然違ったなぁ。)
理想と現実ってやつなのか、でも全然嫌じゃない。大人しくて恥ずかしがり屋で、勉強を一生懸命やっている中山が那智の心の中に遠慮するように座っている感じがとてもほっこりとして安心できる。
席替え前までは隣に中山がいて嬉しかった。楽しかった。後ろ姿も横顔もたくさん見れた。だから、今がこんなにも寂しい。
頭の中でグルグルと自分の初めての感情に振り回されていると、トントンと肩を叩かれた。
「あ、あの、大丈夫?」
幻聴かと思った。那智がばっと頭を起こして声のした方を見上げると、那智の急な動作に驚いたまん丸びっくり猫の目の中山が目の前に立っていた。
「え。中山?」
中山ロスのせいでとうとう幻を見たのかと思ったが本物だった。
「えっと、気分が悪いのかと思って、、、違った?」
項垂れて座っていた那智を見て心配してくれたようだ。わざわざ声をかけてくれたことに感動した。
「大丈夫。ちょっと疲れてただけ、ありがとうな。」
(嬉しい。好き。嬉しい。)
好きだと自覚した途端、たくさんの好きが溢れてくる。那智は自然と笑って中山にお礼を言った。
中山の顔が赤くなった。肌の色が白いからすぐにわかる。照れているようだ。
「あっ、なら良かった。じゃ、じゃぁね。」
離れて行こうとする中山を慌てて呼び止める。
「中山も今帰りだろ?一緒に乗ろうよ。」
せっかく会えたのだ。まだ一緒にいたい。話したい。
「・・・うん。」
中山が目線を逸らしつつ了承してくれた。
「やった!」
那智は思わず声に出して喜んだ。途端に中山の顔がまた赤くなった。
(照れてるのも可愛い。)
ヤバい。可愛いが止まらない。自分がこんなにキュンキュンするとは思わなかった。新発見だ。
数カ月前は中山にバレないようにこっそりと後ろに並んだホーム。次は2人並んで立って、並んで座った。
今、また並んで立てた。以前は終始挙動不審だった中山だったが今はカバンを握りしめることなくポツリポツリと会話もしている。ここ数日の中山ロスが急速に補充されて満たされていく。
電車が到着し、ドアに一番近い席に並んで座る。前は拳三つ分だったが今は一つ分の距離だ。もし電車が少し大きく揺れたら触れてしまう距離。だけど、もし触れてしまっても中山は大丈夫なような気がした。
やがて那智の最寄り駅に到着した。
降りなければならないので那智は渋々立ち上がった。中山にまた、と、短い挨拶をしてホームに降りた。
名残惜しくて振り返ると中山が那智を見ていた。那智が振り返ると思っていなかったんだろう、あわわわと真っ赤になって慌て始めた。
(ダメだ。こんなの無理すぎる。)
那智は拳をぐっと握りしめた。
「中山!」
あわわわと慌てていた中山が少し驚いた顔で那智を見た。
「俺、中山すずが好き!」
真っ直ぐに届いただろうか。
後ろでも隣でもなくて、前から見つめ合える場所に自分がいたい。
中山すずの後ろ姿をずっと見てきた。隣から横顔も見られた。けど、俺は真ん前から見たい。それはきっと友達としてでは立てない場所だ。その場所に俺は立ちたい。立って、まん丸びっくり猫の目だけじゃなくて笑う顔や照れる顔や拗ねる顔も見てみたい。
プシューっと音がしてドアが閉まる。那智を見たまま固まる中山の顔はもはや茹でダコだった。
那智の大きな声のせいで車内にいる乗客からもホームにいる乗客からも大注目だった。
電車が動き出す前に那智は自分のスマホを取り出し、茹でダコの中山にスマホを見るようにジェスチャーした。
ガタンゴトンと電車がゆっくりと走りだし、那智も周囲の注目から逃げるようにホームから走リだした。
那智の顔も茹でダコだった。先程の自分の咄嗟の行動が永遠に頭の中でリピートされている。
(恥ずかし過ぎる)
でも、言いたくなってしまったのだ。溢れた感情が止まらなくて口から出てしまった。
改札口を出て、とりあえず呼吸を落ち着け◎INEの黒猫アイコンを探す。
中山に大衆の前で言ってしまったことの謝罪と伝えきれなかった言葉を打とうと思ったがすでに中山からメッセージがきていたのに気付いた。
震える手でアイコンをタップする。
『私の心臓がもちそうにないです』
え。これは振られた?
ピロリンと音がして、新たなメッセージが表示される。
『まずは隣からお願いします』
これは喜んでいいのだろうかと思っているとまた次のメッセージがきて読んだ那智はその場に膝から崩れ落ちた。
見間違いじゃないかと膝を床につけたまま、もう一度メッセージを確認した。
『私も好きです』
茹でダコのままあと2駅分電車に乗らなければいけないすずさん。きっと何ヶ月か後にあの時は本当に恥ずかしかったと那智にぼやくようになっているでしょう。




