009
ミナミノトチ国の最北端イチバンキタ町。
カトレア達3人がたどり着いたのは、数十万人が住まう巨大な町だった。通りは人で溢れ、馬車を操る御者が声を張り上げる。怒号と客引きの声が引っ切り無しに交わされ、雑踏がそれを打ち消す。
「……凄いなぁ」
カトレアの小さな呟きは、隣にいたツルツルが辛うじて聞き取った。
「確か3か国の交易拠点だったか? さて、ここでは組合に登録だけして、拠点はまた別で考えるか」
「ここじゃダメなの?」
クズが先導し、カトレアが真ん中。最後尾をツルツルが行く。ダンジョン内でのいつものフォーメーションだ。
「人が多すぎる。物価が高い」
クズがチラリと露店を見て答えた。強面で体のデカいクズが先頭を歩くと、自然と人が別れて道が出来る為、ついていく身としては大変助かる。
「それに、等級がアイアンか、下手したらウッドからスタートだからな。都市部は依頼も多いが、競争率も激しい。それに、めんどくさい奴らに絡まれることも考えたら、登録したら早々に離れた方が良い」
「幸い、売れるモンはいくつか持ってる。金を作ったら足りない物を買い足したして出るぞ」
クズは「顔見知りがいると面倒だ」と小さく呟く。カトレアもそれを聞いて、確かに大きな町だとそういうリスクもあるな、と考えた。
ただ、カトレアはこうも考えていた。
ここまでの行程は物語的に盛り上がりに欠けるのではないかと。
何せ、銀一等級という凄腕の護衛が居て、一年近くちみちみと魔法の練習をしていただけの生活だ。定番の盗賊襲撃も、呆気ない程簡単に返り討ちに出来てしまい、正直消化不良な感が否めない。
ここらでこれまた定番の、ギルドで絡まれるイベントもこなしておきたいところだが……。
ちらりとカトレアはクズとツルツルを見るが、二人とも面倒事はごめんだとばかりに、この町では動く気がなさそうであった。
カトレアは少しばかり残念な気持ちになりつつ、小さくため息を付いた。
人通りが多い中をそれなりの速度で歩き、たどり着いたのはミナミノトチ国で最も大きな冒険者の組織を持つ組合だった。元探査者であるクズとツルツルが探査者や探索者組合へ行かない理由は、知り合いがいる可能性を減らすためであった。
流石はミナミノトチ国で最大規模を誇るだけあり、その組合の店舗は巨大で、また整然とした雰囲気を持っていた。一階のフロアにはズラリとカウンターが並び、大勢の冒険者達が受付待ちをしている。吹き抜けになっている二階には食堂などがあるのか、騒々しい声が聞こえてきた。
明らかに経験者と思われるクズ、ツルツルが新規登録のカウンターに並ぶと、物珍しさから注目を集めた。その最後尾にカトレアも並び、二人の手続きを眺めておく。
「新規ご加入ですか?」
「俺とこいつは元探査者だ。冒険者に転向する。ランクは初期からで良い」
「転向の理由をお伺いしてもよろしいですか?」
「一身上の都合により脱退だ」
そこでクズとツルツルが同時にカトレアを見る。その様子を受付の男性がチラリと見て、何かに納得した顔を見せた。カトレアは首を傾げると、ツルツルが肘で突いてきた。これは任せておけ、の合図だと思う。
「では新規登録3名で受付しますね。番号札をお渡ししますので、しばらくお待ちください」
4番の番号札を受け取り、三人は空いているベンチに腰掛ける。ツルツルが「なんか飲む物買ってくるわ」と立ち上がって売店っぽい方へ歩いていった。
短髪の金髪の大男。身に着けている防具は使い込まれた品。一見しただけで「出来る冒険者」に見えるクズが近くにいるため、カトレアに声を掛けてくるような者はいなかった。しかし、そんな経験者が新規登録にきているというのは珍しく、注意深くこちらを観察する視線はいくつか見受けられた。
「職員とのさっきのやりとりはなんだったの?」
「ん? ああ。あれは女関係で揉めて組合辞めたんだなって暗に言っただけだ」
「良くある話なの?」
「良くある。パーティー解散の理由なんて、大なり小なり金か女だ」
「殺伐としてんなー」
「人型が3人集まれば殺し合うなんて言われるんだ。ペアじゃなけりゃそんなもんさ」
「ふーん。そっか」
不思議なことわざをクズから言われ、少し理解に苦しんだがとりあえず頷いておいた。クズから「分かってねぇだろ」と突っ込まれたため「わからん」と素直に答えておいた。ただ、だからと言って説明をしてくれる訳ではなさそうで、「ふん」と鼻を鳴らしてそれだけだった。
「ちらっと依頼を見てきたが、やっぱり対したモンがねぇ」
「じゃ、早々に移動がいいか」
ツルツルが買ってきたコーヒーのような見た目の飲み物を少し飲み、「コーヒーだ」とカトレアが呟く。クズとツルツルも同じものを普通に飲んでいるのをみると、コーヒーはそれなりに普及しているようだ。
それから少し経つと番号を呼ばれ、特に何事もなく諸注意を述べられ、無事冒険者としての登録が終了した。
クズとツルツルは鉄3等級。カトレアは木3等級からのスタートだった。
木級は本当の初心者で、冒険者の身分はあるが、その扱いは一般住民と同じような扱いに案る。鉄級になって漸く冒険者としての肩書きが得られるといったところだ。鉄級を終え、銅級に上がると護衛依頼が受けられるようになり、この辺りから地元ではそれなりに名前が覚えられる冒険者、という扱いが増えてくる。
多くの冒険者は銅1等級で一生を終えるそうだ。銅級と銀級の間にはそれくらいの差があるらしい。その銀級の中での1等級というのは、半ば人の枠からはみ出したような連中だという。
ちなみに、銀級の上の金級というのは召喚者達が多く所属しているとのこと。このクラスは人外の連中であり、一人でドラゴンを瞬殺できたりするレベルの者達ばかりだという。
「だっさい札だなぁ」
「懐かしいな。俺も最初はそこからだった」
カトレアが木の板に紐が通されただけの冒険者登録証を手に取ってぼやく。そんな様子をクズとツルツルが懐かしそうな目で見ていた。
3人は用は済んだとばかりに、さっさと組合を後にしようと歩き出す。
その時だった。二階の食堂から何やら言い争う声が聞こえ始めてきた。そして直に何か金属が激しく打ち合わされる音になり、怒号が響き渡る。
「おいおい。組合内で抜いたのかよ。アホだな」
「金か女か、どっちに賭ける?」
ツルツルがニマニマしながらそういって、クズがポケットに手を突っ込み銀貨を数枚取り出した。
「金」
「じゃあ私は女で」
カトレアはお金を持っていないので、口だけだした。ツルツルは「俺は女かな」と答え、歩く方向を変える。ロビーから階段を上り、食堂にたどり着くと4人の男女が剣を抜いて構えていた。既に3人の男が切り伏せられている。周りの冒険者は口笛を吹き鳴らし、彼らを煽っている様子だった。組合職員が大きな声で叫んでいるようだが、剣を抜いた男女は全く耳を貸そうとしない。再び剣が振るわれ、鈍い音が響き渡る。
剣を抜いた4人の後ろには聖職者と思われる身なりの女が立っており、オロオロと慌てふためいていた。それから彼女は意を決したように目をつぶり、手を組んで何事か口走る。すると、大きな水の塊が彼女の前に現れた。
「止めてください!!」
聖職者の女性が掛け声とともに水魔法を放つ。
その巨大な水球は争っていた男女を見事に巻き込み、そのまま傍観者を何人か吹き飛ばし、さらに射線上にいたカトレアの方へ向けて飛んできた。
「おっとぉ」
「あぶね」
クズとツルツルがそれぞれ左右に飛んで避けた。
カトレアは逃げ遅れた。
「あ゜」
クズもツルツルも、カトレアの丈夫さはダンジョンで幾度となく確認した。
奴隷紋による自殺・自傷不可では説明がつかない程、カトレアは丈夫だ。ためしにクズがカトレアの腕を切り落とす勢いで剣を振りぬいた時は、クズの剣が危うくへし折れるところであった。その時カトレアはビビり散らかしておしっこを漏らした。
そういうこともあり、カトレアがデカい水球をぶつけられた程度でどうにかなる存在ではない事を知っているクズとツルツルは、敢えてカトレアを助けずに放置した。内心「よし。いちゃもん付けてあいつらから金を取ろう」と思っているくらいだ。
水球がぶつかる衝撃。水球の中に閉じ込められていた人間にぶつかる衝撃。そのまま流されて壁にぶつかる衝撃。そのどれもが、通常ならば「痛い」で済まない怪我になる勢いであった。だが、カトレアは無傷だ。
カトレアは水浸しの床からゆらりと立ち上がると、びっしょりと濡れてしまった自分の鞄を見て、それから聖職者の方を睨み付けた。
「……おいてめぇ、どうしてくれるんだ。あぁ?」
可愛らしい声を頑張って低くして、カトレアは聖職者を脅す。カトレアが持っていた鞄には彼女が旅の途中で少しずつ作った燻製肉など、保存食の数々がたんまり入っていた。特に、この町にたどり着く直前で完成した燻製肉は、近くにあった良い香りのする木でいぶした品であり、食べるのを楽しみにしていたものだ。
それが、全部ぐしょぐしょのびちゃびちゃに汚されてしまった。おまけに、ケガ人が巻き込まれた水であり、当然ながら血液で汚染されている。そんな水で汚されてしまった食料など、食べようとは思えない。
聖職者の女が「あわわわわ」と口にして慌てている。カトレアは何も言わず、片手を聖職者に向けて上げた。
「殺すなよー」
「もちろん」
ツルツルの声が聞こえたと同時に、カトレアは魔法を発動した。簡単な水球の魔法。ただし、発生位置は聖職者の頭部を包むようにしてだ。
「おぼごおぼ」
聖職者は突然水に溺れ、もがき苦しみ、暫く床でのたうち回った末に静かになった。
カトレアは魔法を解除し、それから周囲を見渡してもう一度水魔法を発動する。今度は床にぶちまけられていた水が一気に空中へ浮かび上がり、集まって汚い色をした水球を作りだした。水で濡れた周囲の傍観者たちは、一瞬で自分の服も含めた辺り一帯が乾燥したことに驚いた。グラスに入っていた飲み物が一瞬で干からびてしまった客が何人かいたが、彼らは騒動に気をとられ気が付いていない。
カトレアはゴワゴワになってしまった髪の毛を手で払いのけ、それから近くに寄ってきたクズとツルツルを見て、さっと表情を変えた。
「……ごめん。やらかした」
「だな。随分目立ってくれてありがとうよ」
ツルツルの言っていることは彼の目線の先にある汚い水球のことだ。聖職者を気絶させた水球の魔法ならばただの水魔法で言い訳がたつ。だが、周囲の水を一気に吸い上げたこの魔法は説明がつけにくい。ついたとしても、水魔法が得意な魔法使いだと暗に示してしまった。
「やっちまったもんは仕方ない。あとは組合に任せるしかねぇな」
そういったクズは倒れている男達を縛り上げながら蹴り起こしていく。組合職員も数十名が集まり、暴れていた冒険者達を縛り上げていた。そしてカトレア達も事情を聞かれ、それなりの時間を拘束された。
ちなみに、ツルツルが交渉の末、それなりの金貨を相手方から巻き上げていたので、次の移動は少し良い食料を買っていけることが決まった。プロが作った美味しい燻製肉を大量に買う事が出来、カトレアは結果オーライだと苦笑いした。