40.告白
「ん? いいけど、今から??」
夕日も沈みかけている空を見上げながら奏士は立ち止まる。
「うん。一緒に来てほいしい所があるの」
言葉を一言一言外に吐き出す度に終わりが近づく気がして、声の震えを抑えるのに必死だった。
途中自転車を路肩に停め、美雨に連れられて浜辺へ降りる二人。
何も言わずに美雨は奏士の手を握る。
手から伝わる彼の温かさを噛み締めながら黙って歩き進んでいく。
側で聞こえる波音に乗り、遠い世界にいっその事私達を連れて行って欲しいと思う。
美雨になって初めて奏士に出逢った日から今日までの事を走馬灯の様に思い出して目の前が涙でぼやけてくる。
もう直ぐあの岩場に辿り着く。
美雨は奏士に少しずつ話し始めた。
「奏ちゃん。私実は奏ちゃんに言わなきゃいけない事が沢山あるんだ」
一生懸命笑顔で自然に振る舞う美雨。
「ん……? 何?」
美雨の顔を覗き込む。
彼女の笑顔が今にも壊れそうに見えて、思わず立ち止まり両腕で美雨の肩を掴んだ。
伏し目がちになった視線はなかなか真っ直ぐ奏士を見ることができない。
「奏ちゃん……。今まで……十年以上かな……? 本当にありがとう」
美雨は深々と頭を下げて、ゆっくりと顔を上げ、ようやく奏士を見つめた。
「どうしたんだよ……急に……」
十年という長い年月の意味はよく分からなかったが、今にもさよならをする様な美雨の言い方に不安が押し寄せる。
「これから私が話すこと、きっと奏ちゃんは信じられないと思うけど……、でもね、伝えたいの、奏ちゃんにいっぱいの大好きと、感謝の気持ち」
美雨はふうと震えを抑えながら深呼吸する。
「……だから……、嘘だと思っても、信じられなくてもいいから……、最後まで聞いて欲しい」
悲しいほどに柔らかく微笑んだ美雨は、目の前にある岩場に入り込む。
「ここ……」
奏士はその見覚えのある風景を目にして、懐かしいみゅうとの記憶に触れるかの様に岩を撫でた。
「私、ずっとずっと奏ちゃんのお家で、奏ちゃんとお母さんとお父さんと……みんなで暮らしたかった……」
美雨は少しずつ奥へと歩いていく。
「奏ちゃんが日本に来て初めて私と逢ってから……毎日お外で遊んだり、一緒に寝たり……寂しい時はいつも優しく撫でてくれて……奏ちゃんのピアノを膝の上で聴きながら窓の外を眺めると沢山のお花と海が広がってて……私、本当に幸せな猫だった」
その途端、美雨の身体の足の方から徐々に黄金に輝き始める。
「……猫……?」
(そんなバカな……?!)
奏士は今目の前で美雨が話している事が、とても現実として受け入れる事ができなかった。
「私は……みゅうだよ。猫なのに、奏ちゃんにずっとずっと恋していて……奏ちゃんの恋人に憧れて……」
声が詰まる美雨。
「私奏ちゃんに甘えてたの……これからもずっと側にいてくれるって、勝手に信じてて……。でも、初めて奏ちゃんが有田さんの事、家に連れてきた日……、あぁやっぱり私は猫なんだなぁって、人間の恋人にはやっぱりなれないんだなぁって思った」
悲しく笑う美雨に、奏士は身動き一つ取ることなく必死に耳を傾けた。
「奏ちゃんがしばらく合唱の練習で帰りが遅くなって……、当たり前のようにあった奏ちゃんのピアノを特等席で聞ける時間がなくなっていって……。ずっと奏ちゃんに元気を貰ってたから気がつかなかったのかなぁ? 自分に病気があったなんて、寂しくなって初めて気がついた」
俯く美雨。
美雨の身体の半分が金色に光り輝いていた。
「本当はあのまま落とすはずの命、神様みたいな猫がいて……ほんの少しの間私の事人間にさせてくれたの。私は今、奏ちゃんに愛してもらって……凄く幸せになれた。だから…もう思い残す事なんてない」
目の前で光輝く美雨の姿が、奏士の目にもちゃんと映っていた。
「……美雨……? ……美雨!!」
奏士は目の前で何かが変わろうとする美雨を、必死に繋ぎとめようと強く抱きしめる。
美雨は奏士の腕の中で目を閉じる。
「奏ちゃん……。奏ちゃんはもっと自信もっていいんだよ。きっと明日には、有田さんが奏ちゃんの側にいて……笑顔で信頼してくれるクラスメイトに囲まれてるはずだから。私が今話している事も、私の存在も……全て消えてしまうけど、ちゃんと奏ちゃんには幸せになれる毎日が用意されてるんだから安心してね」
抱きしめた腕を奏士の背中に回し、優しく撫でる美雨。
「……何言ってんだ……?! 信じられるわけないだろ、そんな事!!」
奏士は美雨が話している事が全て真実で、みゅうしか知り得ない事を何故美雨が知っているのか……
……混乱していた。
でもまさか……猫が人間になるなんてあり得るわけがない……?!
想いが通じあった今、彼に幸せになってもらうには信じてもらえるはずのない自分の正体を明かして、自分の存在が完全に消えれば、奏士が手に入れられる筈だった恋人の瑠美と、居心地の良い学校での生活が戻ってくる……
美雨は命に代えてでも、自分が現れた事で奏士が失おうとしている物を、どうしても返してあげたかった。
「奏ちゃん、前にみゅうだった私を恋人の様に思ってたって話してくれたでしょ? 私、それ聞いて本当に嬉しかった。人間と猫でもほんの少しだったとしても恋人として繋がれてたんだなって。それで満足しなきゃいけなかったのに……もっと奏ちゃんに愛してもらいたいって……欲が出ちゃって……ごめんね、いっぱい振り回しちゃって」
奏士の胸の中で泣き笑いしている美雨の足の力が急に抜けて、ずっしりと重さを感じる。
「もう直ぐ……さよなら。ごめんね、力が入らない……」
その場に座り込む美雨。
ふと、奏士の手を見ると、さっき岩場に引っ掛けたのか、指先から血が出ていた。
「奏ちゃん……ピアノを弾く大切な指なのに……」
美雨は奏士の長い指からつうと赤く流れ出す血を拭う様に口の中に入れる。
自分の傷を舐めてくれている美雨を見て、奏士は身体中に愛しい記憶が走り抜けた。
あの雨の日も……みゅうは自分の傷をここでずっと舐めてくれていた……
「……みゅう……」
小さく呟く奏士の声に、美雨は『うん?』と奏士の指を咥えながら目線を上に上げる。
……美雨はもう全身が黄金に輝いていた。
奏士は美雨の瞳を離さない。
以前、涼子が言っていた言葉をふと思い出す。
『悩んだ時は、お互いの顔、じっと恥ずかしがらずに見つめあってごらん? 微笑み合えるまで目を逸らさずにいられたら、必ず答えがでるからさ』
すがる様な思いで美雨を見つめる奏士。
美雨もそれに答える様に、これが最期になる彼の顔をしっかりと心に焼き付けようとじっと見つめ返す。
奏士は本当は何度も彼女がみゅうなんじゃないかと思う瞬間があった。
でも、そんな事あるはずがない……みゅうに会いたい気持ちが美雨の姿をそんな風に自分に見せてるんだ、そう思っていた。
でも今目の前にいる彼女は……いつも自分を求め、側にずっといてくれたみゅうの瞳をしていた。
どうして今までちゃんと彼女を見てあげなかったんだろう。
彼女は、どんな気持ちで俺のそばにいたんだろう。
美雨の気持ちを考えたら奏士は彼女への愛おしさが、狂おしく嵐のように彼の心の中に吹き荒れた。
奏士は美雨の頬にそっと手を当てる。
「みゅう……。ずっと俺と同じ気持ちでいてくれてありがとう………」
彼女を見る奏士の瞳は全てを受け入れた恋人の色をしていた。
「もう二度と……この手を離れないでくれよ……、どうか……どうか……!!」
「奏ちゃん……。ありがとう………」
片時も目を逸らさず自然と微笑み合う二人。
この後に出る悲しい答えを予想しながらも最後まで信じたかった。
『大好き……』
最後のその言葉がお互いの耳に届いたかはどうかは分からない。
美雨は大きく輝きを放ち、奏士の前から消えた。




