38.美雨の決心
翌日の放課後、美雨と奏士は音楽室で合唱練習に来る生徒を待っていた。
今日も一日クラス中から浴びせられる冷たい視線を感じながら、瑠美にもずっと避けられたままだった。
悠人は相変わらず当然の事だという表情で奏士を睨み続ける。
美雨はこんなに辛いことがあるのかと思うくらい、そんな心無いクラスメイトの感情を一人で受け止める奏士の姿に酷く心が痛んだ。
昨夜、浜辺で奏士と寄り添い過ごした時間は美雨にとって宝物の様に心の中で輝いていたが、それを手離せば奏士にみんなの信頼が戻ってくるなら……そんな事をずっと考えていた。
昨日の夜からどことなく元気のない美雨を心配して、奏士は美雨の手を引きピアノの横に立たせた。
「なぁ、なんか歌ってよ!」
誰一人として入ってくる生徒のいない音楽室で、奏士は出来る限り明るく振る舞う。
「……奏ちゃん……」
奏士が自分を気遣って言ってくれているという事は、彼の無理をして作っている様なぎこちない笑顔を見ればすぐに分かった。
奏士は突然、楽器屋でセッションした時と同じ曲を弾き始める。
すぐに美雨に視線を送り、合図した。
美雨は奏士のピアノに反応してついつい口ずさんでしまう。
ほんの少し歌に気持ちが傾き始めた事を奏士はすぐに察知して、美雨を煽る様にあの時よりもっと魅力的なアレンジで美雨の耳を擽っていく。
次第に目が合い、二人の作り出す音が一つになっていく。
その音楽はほんの少し開いたドアをすり抜け、廊下に流れ出す。
側を通りすがる生徒たちはその音に吸い寄せられる様に、ドアの隙間から二人を覗き込んだ。
「あれ……晴風さんと、波来くん……?」
その数人の人だかりの中に、美雨と奏士の同じクラスである、山口紗南がいた。
彼女は純粋に前回の合唱の練習が楽しくて、もし今日やっているのなら参加したい……と音楽室の前をウロウロしていたのだ。
初めて聴く美雨の歌声に、前回あんなにも練習がうまくいったのは、彼女のおかげだったのだと紗南は一人首を縦に振って納得する。
「あの二人……本当に凄い……!!」
紗南は目をキラキラと輝かせた。
こっそりとスマホでその様子を動画に収める。
一人で音楽室に入る勇気はなかったが、『この二人は凄い!!』そんな気持ちを少しでもクラスメイトに伝えたくてうずうずしながらひたすらカメラを回した。
演奏が終わり、しんと静まり返る。
「奏ちゃん……、ごめんね………」
美雨は言わずにはいられなかった。
「何が??」
美雨がなぜそんなに元気がないのか分からない。
「私のせいで、奏ちゃん一人ぼっちになっちゃう……」
小さく肩を震わせた。
「なんで美雨のせいなんだよ。それに俺は一人じゃない。美雨がここにいてくれるだろう?」
奏士の美雨をを想う眼差しが彼女を優しく包み込む。
「でも……」
顔を上げられない美雨。
奏士は眼鏡を外して美雨を見る。
「もうこんな眼鏡いらないよ。俺は誰がなんと言おうと美雨が好きだ。有田さんとは何も始まらないまま終わらせてしまって、本当に申し訳ないと思ってる。一度伝えたくらいじゃ納得して貰えない事も、ちゃんと理解してる。でもな……俺は周りにどう思われても、美雨が側にいてくれたらそれでいいんだ。だから……そんな顔するな」
そう言ってふわりと美雨を抱きしめる。
「……奏ちゃん……」
美雨の心は答えが見つからない世界を彷徨っていた。
せめて奏士に心配をかける様な顔はしてはいけないと思う。
「もうちょっと、一緒に歌って行こう!」
美雨は奏士にそう声をかけ、二人はお互いにやり切れない気持ちに蓋をするように演奏を続ける。
紡ぎ出す音の中ではこんなにも素直になれるのに……。
美雨は奏士の作り出すリズムに身体を揺らしながら、絶対の信頼感を持って全てを預けていく。
(こんなにも人を惹きつける演奏ができる奏ちゃんを、私が独り占めする事が本当彼の幸せなの……?)
美雨の目には教室中に、ピアノの音色が美しく光を放ちながら沢山の人に幸せをもたらしたいと、叫んでいる様に見えた。
奏ちゃんは、みんなの笑顔に囲まれるべき人なんだから………
この時間が終わったら……、全てを終わりにしよう……
美雨は、そんな美しい奏士の音色に包まれて、決心するのだった。




