Part.230 行って来い、馬鹿息子
どうして、『あまりもの』が出てしまうんだろう?
昔から、そうなんだ。皆が諸手を挙げて賛成する、その大多数の中に、俺はいない。
人が十人居たとしたら、そこに用意された椅子は九つ。
そうするといつも、俺は最後に一人で立っているんだ。
……席を、譲ってしまうんだ。
いつもそうだ。どんな時もそこには、必ず困っている誰かがいて。俺はそこに、手を差し伸べようとするんだ。
絶対に最後は一人で、立っている事になるんだ。
そうすると、みんなが指をさして、言うんだ。
あいつは、『あまりもの』なんだって。
俺が席を譲ることで、みんなが指をさして、笑うんだ。
それは、そんなにいけない事なのか? 誰かに手を差し伸べたらいけないのか?
そりゃあ、全員を助けられる訳じゃない。そんなのは無理だって、俺も分かっているさ。
でも……せめて、目の前にいる人くらいは。自分にとって大切と思う人くらいには、優しくしたいじゃないか。
だって、それで他の誰かが助かるんだ。だったら、それで良いじゃないか。
他の誰かが辛い想いをするより、よっぽどいい。
ああ、でも。
きっとそうやって、俺が頑張ることで……俺は、疲れてしまったんだ。
『優しくなるためには、強くならなければいけないんだ』
それは、こんなにも難しいことなのか。
優しくすることで、こんなにも傷付かなければならないのか。
……もう、痛いのは嫌だよ。
一人で頑張るのは、もう嫌だ。
ここは、温かい。
もう、目を覚ましたくない。
……俺は、夢を見ているのか?
俺は、どこにいる?
「ご主人!! ……ご主人っ!!」
重い瞼を、持ち上げた。
何もない、真っ暗な世界。そこから一転して、真っ白な世界の中に投げ出された。
真っ白で何もない世界なのに、どうしてだか移動しているのが分かる。……心地良い。
眩しくて、温かくて、どうにも――……美しい。
俺を呼んだのは、誰だ?
……周りを見回したけれど、誰もいない。
真っ白な世界の中に、俺は一人。一人なら……それで、いいや。
俺は再び、目を閉じた。
ずっと、ここに居たい。もう、外に出るのは嫌だよ。
「本当に、それでいいのか?」
不意に、俺は思い出した。
……スケゾー?
「ご主人が席を譲るのは、誰かに傷付いて欲しくないからだろう? でも、別の誰かから見れば、ご主人が一人で傷付いていくのを見るのは、嫌だったりもするんじゃないのか?」
どこに居るんだ、スケゾー。
どうして、声だけが聞こえてくるんだ。
「それで、今度は人が傷付いていくのが怖くて、目を塞いでしまうのか? ……そのままで、本当に良いのかい?」
ざあ、と、風が吹き抜けるような音がした。
白い光の向こう側にいた、そいつのことを――……どうしても俺は、ちゃんと見る事ができなかった。
蜃気楼? ……なんだか薄ぼんやりとしていて、透けているような、はっきりしていないような。
よく、分からない。
「もう、ご主人は知っているはずだよ」
でも、その声は聞き覚えがあった。……どこか、遠く懐かしいような。
それはひどく懐かしくて、どういう訳か悲しくて、そして、涙が出るような。
「お前自身が、一番よく知っている。人は、殻を破って外へと連れ出してくれる人を、探しているんだ。連れ出すためには、手を握らなければいけないんだ」
「スケゾー!! お前なのか!? 聞こえているなら、返事をしてくれ!!」
叫んでみたが、声は届かない。
「だから、臆病になるな」
そして色々と、思い出した。
そうだ、俺は。ハースレッドと戦って、そして……絶望の淵で、スケゾーと入れ替わった。
どうなったんだ……!? 俺がスケゾーと入れ替わってから、一体何が起こったんだ。
俺はこれから、何かをしなければいけないのか。
「ご主人は、『あまりもの』になったんじゃない。……いや、『あまりもの』なんていないんだ」
どうして、こんな声が聞こえてくる? スケゾーは、ハースレッドに勝ったのか?
分からない……。
「席を譲るんじゃない。手を引いて、一緒に。……外へ、出よう」
不意に。
視界の向こう側に、スケゾーの姿が現れた。
つい先程までは、スケゾーじゃない……何か、別の誰かだったような――……。
「楽な道はない」
スケゾーが、言った。
「未来に手を伸ばせば、まるで形は掴めないかもしれない」
俺は、スケゾーの言葉に、耳を傾けた。
「明日を夢見れば、遠すぎる光に絶望するかもしれない」
俺は、どういう訳か悲しくて。
涙が、止まらない。
「そのたびに、泣きたくなる時があるかもしれない」
その理由も、分からなかった。
「でも、大丈夫だ。そういう時にどうしたら良いのか、もう知ってるだろう。手を、繋ぐんだ」
俺の声は、きっとスケゾーには届かない。
こんなにも、遠い場所からでは。
「明日のために」
それでも。
声が、届かなくても。
「スケゾー!!」
がむしゃらに、俺は叫んだ。
「本当は、もっと沢山、話したい事があったんだ!! 山程、あって……なあ、なんでお前、ここにいるんだ!? どうしたんだよ、ハースレッドは!! みんなは、どうした!? なんで俺……」
ずっと。
スケゾーは、俺の手を繋いでいてくれたんだ。
俺と共に、歩んでくれていた。
手を繋いで、外に出た。
明日のために。
「なんで俺……泣いてんだ……」
スケゾーが、笑った。
その笑顔に、何か。俺がよく知っているはずの、誰かの顔が、重なった。
「行って来い。――――――――馬鹿息子」