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Part.227 時よ止まれ、お前は美しい!

『ラグナスはまだ、恋愛をするような段階じゃないんだねえ』


 アバの言う『デート』が終わりに近付く頃、すっかり日は暮れていた。ラグナスは橋の上でアバと酒を飲みながら、星を見ていた。


 普段は酒を飲まないラグナスだったが、その日だけはアバに付き合っていた。


 明日も訓練はない。……たまには、こういうのも良いだろう。


『……どうすれば、恋愛とやらをする段階になれるだろうか?』


 ラグナスが問い掛けると、アバはくすりと笑って言った。


『今のままじゃ、絶対無理だね。この世の全ての女性を虜にする位じゃないと無理』


『そんなにか!?』


 色恋について、まるで話を聞いたことが無い訳ではない。それでも、ラグナスには遠い存在のようで。こんなにも身近な所で話題に出るとは、思ってもみなかった。


 アバは空を見上げていたが、橋の柵に体重を預けて、ラグナスの方を向いた。


『だって……そうしたらさ、どんな女の人が好きなの?』


 どんな?


 ラグナスは少し、考えた。アバのようにきちんと筋肉が付いていて、バランスの取れた女性は格好良く見える。


 そういう事だろうか。


 程なくして、ラグナスは言った。


『……身体の綺麗な人?』


『最低だよ……』


 何故か、アバに幻滅されるラグナスだった。


『まあでも、身体の綺麗な女の人でも脱がせる位じゃないと、到底恋愛なんて成立しないだろうね!』


『何を、茶化すようなことを――――…………』


 瞬間、場の空気が変わったような気がした。


 その時、確かにラグナスは、距離を感じた。


 同じ場所にいて、同じ場所で話している。……にもかかわらず、ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルとアバ・フェルディの間には、距離が開いていた。


 アバの苦笑した表情が、遠く、遠く見えた。


『私以外の人には、ちゃんと敬語を使うんだよ? 先に歩いてね、女の子をエスコートするの。それと、ちゃんと自分に自信を持って、女の子が戸惑わないようにね。ラグナスは黙っていればかっこいいんだから』


 ラグナスは、アバを見た。


『もし良い人が現れたら、きっと――……大切にしてね』


 何かを言わなければならないと思った。……だが、言葉が見付からない。こんな時にどう話して良いのか、どんな顔をしたら良いのか、ラグナスには分からなかった。


 いつも、そうだ。大切なことはいつもアバが持っている。人間らしく生きるために必要な何かをアバは持っていて、自分は持っていない。


 だから、戸惑った。




『私ね……今日限りで、十三番隊を移動することになったの』




 アバは笑って、そう言った。


『うちの隊さ、戦争で、かなり良い成績だったじゃない? ……なんかさ、……違和感、あるんだよね』


 ラグナスは、心の内側で感じる焦りや不安のようなものを、アバに話すべきかどうか悩んだ。スパイの容疑が掛かっていると――……話してしまえば、楽になれただろうか。


『なにか、あったのかな……』


 だが、話してどうなる?


 まだ、所詮は疑惑に過ぎない。もしも今、この場でアバに容疑の件を話せば……怖がりなアバのことだ。きっと迷い、どうして良いのか分からなくなるだろう。


 場合によっては、ロウランドを出なければならなくなる、かもしれない。その時は、自分も一緒に。


 それは、駄目だ。今の段階で疑惑に過ぎないものを、眠れる子を――起こしてしまうのか?


 たとえ本当は無実の罪だったとしても、危機を感じてロウランドから逃げれば。アバは、間違いなく罪人として追われるだろう。


 この狭い小国が連なる場所で、スパイの噂などすぐに広まる。そうなれば、もう傭兵としてやっていくのは無理だ。


 ラグナスとアバは、セントラル大陸の西側から大きく離れざるを得ないだろう。自分達はそれでいいかもしれないが……。


 ラグナスは、言った。


『……気にしなくて、大丈夫だと思うぞ』


 駄目だ。


 アバには家族がいる。自分達は逃げれば大丈夫だったとしても、アバの家族はそう簡単には行かない。当然、殺されるだろう。それは誰のためにもならない。


 まだ、この話は疑惑に過ぎないのだから。


『そう、だよね。……あっ、十三番隊の次の戦地はさ、スラムの方なんだって聞いて。ちょっと、ラグナスにお願いがあるの』


『なんだ?』


『私ね、お母さんしか家にいなくて、お父さんの行方を追ってたんだけど……もしかしたら、スラムかもしれなくて。……あ、あと、妹もいて。お父さんはお母さんと離れるとき、娘……私にとっての妹を一人、連れて行ったの。もし生活が成り立ってなかったら二人共、そこにいるかもしれなくて』


『……そうか』


『今は、私が働いてるからさ。……お父さんも妹も、今度は一緒に暮らせると思うんだよね』


 アバは穏やかな笑みを浮かべて、そう言った。ラグナスは笑顔を見せなからも、心の奥底で引っ張られる何者かの手に、居心地が悪かった。


 まだ、何も起きていない。だから、大丈夫だ。


 ラグナスは、そう自分に言い聞かせた。


『了解した。……お前と似たような顔を見付けたら、知らせに行くよ』


『よかった!! 本当は、私が探すつもりだったんだけどね。急な移動になっちゃったからさあ』


 アバは少し寂しそうな笑顔で、ラグナスに手を振った。


 ラグナスは、手を挙げて応えた。




『じゃあ……またね、ラグナス!!』




 でも、その明日は。


 二度と、来ることはなかった。




 *




 どこか遠くで、リーシュの声が聞こえてくる。


「ラグナスさんっ……!! ラグナスさん、しっかりしてください、ラグナスさん!!」


 結局、一度も攻撃できなかった。


 肉塊の攻撃を受けるたび、あのエメラルドグリーンの瞳がちらついた。アバと同じ、緑色の瞳。ラグナスはそれにどうしても気を散らされて、過去を思い出させられて、その度に肉塊の攻撃を身体で受けた。


 全身傷だらけだ。……左腹に、肉塊から飛び出た槍が突き刺さっている。ひゅうひゅうと時折聞こえる呼吸の音は、どうも自分から発されているものらしい。


 一体どうして、こうなってしまったのか。


「…………大、……丈夫です。……リーシュさん」


 ラグナスは、自分の身体から槍を引き抜いた。


 遥か遠くで、予想通りにラグナスを食い止めたハースレッドが笑みを浮かべている。


 歯を食い縛った。倒れそうになる身体にどうにか力を入れ、両足で大地に踏ん張った。


「人というのは、愚かなものだね。……ラグナス」


「黙れ!!」


 ラグナスの状況など知らず、肉塊はただ、ラグナスに猛攻を仕掛けるばかりだ。


 ……アバ・フェルディ。


 エメラルドグリーンの瞳。たったそれだけで、ラグナスにはその肉塊が、アバだと分かった。懐かしい香りがした――……その瞳が自分を見る度、ラグナスは罪悪感を覚えた。


 後悔していた。


 あの時、是が非でもアバの手を取って、自分は逃げなければいけなかったのだろうか。


 いや。……そう思うのは、今の自分の姿があるからだ。


 それをしても、無駄だっただろう。少なくとも、当時の自分では。


 少なくとも、アバは罪人として追われ続ける。そうなれば、先にアバの家族が殺されるだろう。……ラグナス一人で、何ができただろうか。アバ一人ならどうにかなっても、幼い子供を何人も連れて戦地を逃げ切るのは、かなり無理がある。


 どこに移動したのかを口にしなかったアバ。移動とは名ばかりで、すぐにその後、ロウランドはアバを手に掛けた――……後悔など、何の意味も持たない。当時の自分には、無理だったのだ。


 警告が出た時点で、もうアバに未来など無かったのだ。


 それでも、どうしても、後悔してしまう。罪悪感を覚えてしまう。何度も、考えてしまうのだ。


 当時の自分が、今ほどに強ければと。


「権利を持たぬ者の不自由さが……貴様に分かるのか……!? 金はなく、食事は貧しく、背伸びをしても強がっても、護るべきものさえ護る事ができない。死に場所すら選べない……!! そんな人間が、世の中には呆れるほど居るということを……知っているのか……!?」


 言いながら、ラグナスは肉塊の攻撃に耐えていた。


 そうだ。


 アバの死に、価値などない。


 歴史に名を残した訳ではない。沢山の人を救えた訳でもない。偉大な功績などない。


 結局、家族でさえも護る事はできなかった。


 アバ・フェルディは、その生涯において、ただの一つも目的を遂げる事が出来なかった。


「だから、俺は貴様のような、人間の心を平気で踏みにじる輩を……放っては、おけんのだ……!!」


 死など、慣れていると思っていた。死に行く人間に構ってなどいられないと思っていた。


 それでも、覚えている。……ラグナスは今でも、あの娘を忘れることができない。


『故人』とは、時が止まった人の事をさしているようだ。


 この世から居なくなるというのは、まるで建前のようだ。


 進んでいた時間が、ある日ふと、止まってしまう。そこから未来が無くなる。


 その表現の方が、正しい気がする。


 事実、アバ・フェルディの周囲を取り巻く時は、止まった。しかし、止まったのはアバを取り巻く関係のみで、周囲の時間が失われた訳ではなかった。


 だから、苦労した。家族はアバから送られてきた金で生活していた。それが無くなると、途端に食べるものに困った。


 その事を、誰も知らない。


 あの仲の良い家族が食べるものに困り、果ては餓死してしまったことを、誰も知らない。


 誰も、気にも留めないのだ。


 死に行く人間の事など――――…………




「だから俺は、『光の勇者』になって――……この世の全ての女性を……弱者を、救うんだ……!!」




 瞬間。


 ラグナスは、目を見開いた。


 沈黙した。突如として肉塊の攻撃が止んだ――……ラグナスは、剣を下ろした。


 その、エメラルドグリーンの瞳から。


 汚らしく、醜く、もはや人ですらない何かになってしまった肉塊の瞳から、涙が溢れていた。


 ラグナスはその様子を見て、気付いた。


『失った人はもう、戻って来ないと言います。でもそれは、まるで建前のようだ』


 ――――そうか。


 自分は、アバ・フェルディを愛していたのだ。


『どうせなら、二度と戻って来ない方が。無くなってしまった方が、気が楽で。――本当は、何度でも戻って来る。他の誰にも似ていない声も、触れればどこまでも艶やかな髪の感触も、すべるような肌の温もりも……本当は忘れてしまいたい、伝えられなかった言葉も』


 そうか。


「リーシュさん。……すいません」


 ラグナスは、これからどうなるのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしているリーシュに笑顔を向けた。


「ここから先、貴女の道を作るのは……どうやら、無理そうだ」


 身体が動かない。毒が回って来たのだろう。


 自分は、ここで終わるのだろう。


 それでも。……ただ、終わる訳にはいかない。


 少なくとも、この肉塊だけは。自分の手で、どうにかしなければ。


 ラグナスは、肉塊に視線を向けた。


『今のままじゃ、絶対無理だね。この世の全ての女性を虜にする位じゃないと、無理だと思う』


 ラグナスは、知らずのうちに追い掛けていた。


 結局の所アバは、無実の罪で殺されたのだ――……そうしたのは、単なる疑惑に踊らされて動いた、国そのものだ。


 アバのような人間を、もう二度と出すまいと思った。だが、そう動くうちにラグナスは、自然とアバを追い掛けていた。


『どうしてっ…………!! どうしてこの街には、俺のファンクラブが無いんだっ…………!!』




「…………くっ」




 思わずラグナスは、この戦地で、魔界で――……笑ってしまった。


『私以外の人には、ちゃんと敬語を使うんだよ? 先に歩いてね、女の子をエスコートするの。ちゃんと自分に自信を持って、女の子が戸惑わないようにね。ラグナスは黙っていればかっこいいんだから』


 こうして見ると、どうだろう。自分がやって来た事は、まるで明後日の方向を向いている。


『ほら、粗暴な君と一緒に居れば、俺の美しさが更に映えるだろう…………!?』


 なるほど。……今のままでは、恋愛をする段階になど到底なれる訳がないという、アバの言葉は。


 まことに、的を得ていた。


「くっくっくっ……はっはっはっはっはっ……!!」


 再び、肉塊が動き出した。


 一瞬だったのだろう。どこまで感情を持っているかなど、分からない存在だ。少しずつ、ラグナスに向かっていく。だがラグナスは、その肉塊に剣を向けることはない。……それ所か、笑っていた。


 アバの言う通りに、世界中の女を口説いてみようとした。だが、まるで上手く行かなかった。


 当然だ。心にもない事を、言っていたのだから。


「分からなかった……」


 では何故、自分はアバの言う通りにしようとしていたのか?


 この問いに対する答えは、たった一つだ。


 恋愛ができるようになりたかったからではない。


『まあでも、身体の綺麗な女の人でも脱がせる位じゃないと、到底恋愛なんて成立しないだろうね!』


 愛していたのだ。


 自分は、何も出来ず、何も護れず、引っ込み思案で、びびりで、戦地でも特別役に立つ訳ではなくて、それでも――……未来を一生懸命に生きようとしていた、アバ・フェルディのことを、愛していたのだ。


 それで、自分が取った行動はどうだ。




『服を――――脱いでくれないか』




 ラグナスは、剣を地面に置いた。


 笑いが止まらない。


「全然…………分からなかったぞ…………!!」


 今、ようやくアバの気持ちがわかる。


 あのデートの日に、ラグナスに何をして欲しかったのか。あの日、ラグナスから何を言って貰いたかったのか。隊を移動しろと命令され、不安を募らせていたに違いないアバが、何を求めていたのか。


 肉塊は、遂にラグナスの目前にまで迫っていた。


 ラグナスは、両手を、広げた。




「時よ止まれ!!」




 容赦なく、肉塊から突き出た巨大な剣が、ラグナスの身体を貫く。


 紫色に変色した身体が、激痛を訴える。


 ラグナスは、微笑んだ。


『もう二度と元には戻らない王女様が、せめてずっと美しいままでいられるようにって、勇者様は考えたらしいの』


 その、肉塊を抱き締めた。




「――――――――お前は、美しい」




 ラグナスの視界が、赤く染まった。



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