Part.224 仮に、『伝説』としよう……!
力を持っていれば、誰かに利用される。力を持たなければ、誰かに付き従う。
同じことだ。
だが、人は力を求める。……あるいは、支配のために。あるいは、欲望のために。あるいは、恐怖のために。
自由と安全を求めるからこそ、人は強さを求めるのだ。
魔物は、アイラを強く抱き締めた。魔法を展開する余裕も与えないほどに。
ハースレッドが、呟いた。
「まさか……ハイランド……?」
憎んでいたのは、あの時アイラに手を掛けようとしていた男。……そして、護ろうとしていたのはアイラと――……その、子供だった。
遠い昔の出来事だ。記憶もなくなり、怒りと憎しみだけが残ってしまった。とうに、目的など忘れていた。
自分が何者であるのかさえ、思い出せなくなっていたのだ。
『っだーっ! だから、ポーンは前の駒は取れないって何回言ったら分かんだよ!』
だけど。その子供はちゃんと、育っていた。
『こいつは俺の使い魔で、スケゾーという名前だ。別に大してすごくはない』
強く。
『スケゾー。……てめえ、後で覚えておけよ』
強く、育った。
『スケゾー、これからどうしようか?』
自分の見ていない所で。自分が手を掛けなくても、あんなにもしっかりと。
『行くぜ、スケゾー。俺達の出番だ……!!』
育っていたのだ。
不意に魔物は、微笑んだ。
「…………あ…………」
ぴくりと、アイラが反応した。それを見て、思わず穏やかな気持ちになってしまう――……魔力が爆発的に放出されているのは、自分がもう、その役目を終えるからだ。目的を失い、この世界に留まる意味が無くなってしまったからだ。
「……思えば……父親らしい事、何一つしてやれなかったな」
優しくなるための、強さが欲しい。
良いではないかと、魔物は思った。
それが、力を求める理由であるのなら。きっと彼は、誰よりも優しくなれるだろう。
果てない未来へ――――…………。
アイラが、微笑んだ。
それだけで十分だ。……大丈夫。きっと、彼は復活してくれる。
最後の魔力を振り絞って、光を集めた。アイラを連れて、魔物は真上へ――……大空へと、高く跳躍した。
アイラが目を閉じる。……魔物も、目を閉じた。
「頑張れよ。……グレン」
そうして。
魔物の意識は、そこで途切れた。
*
ヴィティア・ルーズは、キララ・バルブレアの目の前で、真剣に言った。
「魔界への行き方を教えて」
あまりの剣幕にキララは珍しく動揺していて、口をぽかんと開いていた。
そこは、『ギルド・グランドスネイク』の城だ。いつも通りキララの隣に立っているモーレンと、ギルドリーダー専用の椅子に座っているキララ。対して、今しがた入口の扉を豪快に開いて入って来たのは、ヴィティア、チェリィ、キャメロン、ミューの四名。
「……な、なんじゃ、唐突に現れて!! グレンはどうした!? まったく、いつになったら迎えに来てくれるのかと待っておったというに!! 今度はいきなり、魔界に連れて行けじゃと!?」
「グレンが危険なの」
キララは目を丸くした。……だが、仲良く話し合っている時間はない。こうしている間にも、魔界で何が起きているか分からないのだから。ヴィティアはただ、キララが事情を察してくれるのを待っていた。
キララは溜息をついた。
「顔も出さないと思ったら、突然そんな事を言い出しおって……」
ヴィティアの持てる手段の中で、もしも魔界に行く方法を知っている人間がいるとすれば、それは――……キララくらいのものだろうと思っていた。キララはギルド・グランドスネイクのギルドリーダーだ。行く手段は持たなかったとしても、知識くらいは所有していてもおかしくはない。
そんな読みだったが、果たして――……。
隣に立っていたモーレンが、口を開いた。
「……キララお嬢様。お持ちしましょうか」
「そうだな。仕方ない……あれ、なんか見た目がすごくイヤだったのだがのう……」
キララは心底、見たくなさそうな顔をしていた。
「倉庫の像でしたよね。……すいません、どうにも記憶が薄くて」
「半裸のオヤジのやつじゃ」
……そういえば、どこかで見たような……気も、しないでもない。
モーレンが頷いて、部屋を出て行く。キララは改めてヴィティア一行に視線を向けると、腕を組んだ。
「……よかろう。すぐに準備をするから、少し待っておれ。二、三日あれば、妾も向かえるようになろう」
「送り込んでくれればいいから。あなたは後でも構わないわ」
ヴィティアがそう言うと、あからさまにキララは不機嫌な態度を取り始めた。
「さっきから黙って聞いていれば、妾をのけ者にしおって!!」
「今すぐに行かないといけないの!! 時間がないのよ!!」
そのメッセージは、簡潔だった。キララはうぐ、と鶏を絞め殺したような声を漏らして、ヴィティアを前にして口ごもった。……そんな事は、以前から考えれば有り得ない事だっただろう。
ヴィティアは、迷わない。真っ直ぐに、キララの目を見ていた。
暫くキララは、ヴィティアの事を見ていたが……やがて、ヴィティアから目を逸らして溜息をついた。
「……分かった。……ただ、後で必ず妾も追い掛けるからな」
キララの言葉に、ヴィティアは初めて笑みを浮かべた。
「ありがと」
席を立ち、キララが部屋を出て行った。これでようやく、グレンの所へ向かう事ができる。ヴィティアは一息付いて、伸びをした。
だが、本題はここからだ。これから先に待っているのは……戦闘。ヴィティアが最も苦手とする所だ。
どうしようもなく、ヴィティアはぼやいた。
「あー、私も呪いで魔法が封じられてなければなあ……」
「えっ?」
唐突に、声は聞こえた。……見ると、ミューだった。
「…………えっ?」
ヴィティアとミューは、顔を見合わせた。
*
ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルは魔界に辿り着くと、巨大な光の柱を発見した。
「あれは……!?」
すぐに、ラグナスは異変を感じ取った。おそらくあれは、魔王城の方角だろう。
高低差の激しい荒野。登り坂を一気に走り抜けると、そこが崖になっている事に気付く。ラグナスは立ち止まり、見晴らしの良い下の光景を見た。
……もう、つい先程まで見えていた光は失われていた。どうやら、消えるタイミングで偶然にも転移してきたようだ。
魔王城は……無い。城と呼べるような物は、そこにはなかった。
しかしどうやら、ここは『魔王城』で間違いないらしい。
おそらく、光の中心にあったのではないだろうか。先程の光は、爆発――……ラグナスがそのように考えるのは、そこにハースレッドと、黒い翼の人間や魔物が居たからだ。
ラグナスは剣の柄を握り、いつでも戦えるように気構えをした。
「ラグナスさん……!!」
「しっ……」
ラグナスは人差し指を立てて、魔力を高め始めたリーシュに制止を掛ける。
まだ、連中はこちらには気付いていないようだ。戦えるよう気構えをしながらも、魔力の反応を出してはいけない。光が治まると、その中心地になお光を放つ、二つの物体があることが分かった。
ラグナスは視線で、リーシュにその存在を示した。
一つは、ラグナスにもよく分からない。虹色に輝く、人間の脳のようなオブジェクト。
「ひっ……」
急に、リーシュが悲鳴のような声を出した。何事かとラグナスが視線を向けると、リーシュは青ざめた顔をして、その場に座り込んでいた。
「……リーシュさん? ……大丈夫ですか?」
呼吸が浅い。何かひどく緊張したような様子だったが――……リーシュは少し戸惑ったような瞳をラグナスに向けた。
「い、いえ……。なんだか、よく分からないのですけど……あれが、どうしても苦手みたいで……」
あれ、とは。
リーシュが見ているのは、ハースレッドの居る方角だ。ラグナスはもう一度荒野の状況を確認して、そのままでリーシュに問い掛けた。
「あの、虹色の変な物体ですか?」
「は、はい」
本人にも、理由がよく分からないようだ。……何だろうか。
確かに、少しグロテスクではあるだろうか。人間の脳……だが、恐怖するような類のモノではない。ラグナスには共感できない感情だった。
リーシュの感覚は鋭い。こう反応しているという事は、脅威を感じるだけの理由があるのだろう。だが……。
……今、考えても答えは出ない。ラグナスは気持ちを切り替えた。
「しかし、まずいですね」
「まずい……ですか?」
「あの物体の近くに、グレンオードがいます」
「グレン様が……!?」
そう。……もう一つは、グレンオード・バーンズキッドだ。
虹色のオブジェクトのすぐ近く。先程、巨大な光の柱が出現していた場所と近いように思えるが……緑色の、半透明な球体の中に彼はいた。宙に浮いている。……連中がグレンオードに手を出していない所を見ると、接触できないのだろうか。
あの魔物は、一体どうしたのだろう。
……この場所は、分からない事だらけだ。
「何にせよ、これで……全ての脅威が消え去った」
ハースレッドは、黒い翼の兵士達にそう話していた。
「さあ、人間界へ行こう!! 今度こそ、セントラル大陸を掌握する!!」
攻め込むなら、今しかない。
ラグナスは立ち上がった。風にマントがなびいた――……どのような事情があったのかは分からないが、あの場にグレンオードが眠っている事を考えると、スケルトン・デビルは何らかの形で倒されたと考えるのが自然だろう。
あれ程の魔力を抱えた、まさに災厄のような存在。それがどうやって食い止められたのかは、分からない。
しかし、目的は一つだ。
「リーシュさん。グレンオードを助けに出ます。……動けそうですか」
ラグナスはそのように声を掛けたが。リーシュは未だ、腰が抜けているようだった。
苦笑して、ラグナスは言った。
「ここに居てください」
「ご、ごめんなさい。少し待って……」
リーシュを待っている余裕は、ない。
ラグナスは愛刀を構え、一直線にハースレッド目掛けて、跳んだ。
風を切る。本気で魔力を放てば、この程度の距離なら一瞬だ。特に、速度を重視した剣技を主として戦う自分にとっては。
本気で、ハースレッドに向かって一刀を振り下ろす。願わくば、一刀両断するつもりで。
振り抜いた剣は、しかしその道半ばで防がれた。
黒い翼の兵士が剣を抜き、ラグナスの行く手を阻んだ――……ラフロイグン・ショノリクスだ。
「…………君か」
ハースレッドがラグナスを見て、忌々しいと言わんばかりの声色で呟いた。
殺気を放つ。ラフロイグンはその昔、セントラル大陸の西で起こった戦争で多大な功績をあげ、伝説になった。あのギルデンスト・オールドパーでさえ、比較にならない実力を持っている。
だが、戦争が終わるとすっかり、その身を隠していたのだ。人の噂になる前に――……だから、滅びの山で出会った老人がラフロイグンだとは、あの時は考えもしなかった。
接触した剣は、互いに一歩も引かない状態で鍔迫り合いになっていた。
ラグナスは、口を開いた。
「――――まだ、脅威は残っているぞ」
構わず、ハースレッドを睨み付ける。
良いだろう。
相手に取って不足はない。
ラグナスは目を閉じ、一気に身体の力を抜いた。
「むぅっ……!?」
セントラル・シティの東門では、グレンオードが戦っていたという。……ラグナスの動きに反応してラフロイグンは呻いた。どうやら、まるで意識が無い訳でもないらしい。
操られているのとも、また違うように見えるが。ラフロイグンほどの男を従える何かが、ハースレッドにあるとも思えない。
ならばやはり、あの不気味な脳のオブジェクトだろうか。
軽やかにラフロイグンの剣をかわすと、踊るようにラグナスはラフロイグンから距離を取り、振り向き様に剣を構えた。
「行くぞ、ライジングサン・バスターソード。気張れ……!!」
一瞬の隙も、油断も有り得ない。
「【ウェイブ・ブレイド】!!」
剣から衝撃波を飛ばす、ラグナスの技だ。ラフロイグンは刀の切っ先を合わせて、ラグナスの攻撃を弾いた。
黒い翼の兵士は沢山居るが、戦っているのはラフロイグン一人だけだ。……どうやら、ラフロイグン一人でも勝てると思われているらしい。ハースレッドはにやにやとした笑みを浮かべて、戦況をただ、見守っている。
舐められたものだ。
「ラグナス・ブレイブ=ブラックバレル。君が今、相手にしているのは『伝説』だよ。同じ剣士として彼に勝てると思わないのなら、ここは引いた方が良いんじゃないかな?」
ラグナスは、目を見開いた。
「笑止!!」
ラグナスとラフロイグンの剣が、激しくぶつかり合う。斬り付け、返し、引いた。
功績を残すからこそ、『伝説』と呼ばれるのだ。だが、それがために優劣を付ける事などできない。
一度ラフロイグンと距離を取り、ラグナスは力を溜め込んだ。全身の筋肉が歓喜し、脈動している。――良い兆候だ。
「この剣は!! 獣よりも激しく、魔物よりも険しい!!」
ラグナスは、動いた。
「【クラッシュ・ブレイド】!!」
一閃。
ラフロイグンの剣が、粉々に砕け散った。ラグナスは自身の愛刀『ライジングサン・バスターソード』をハースレッドに向け、笑みを浮かべるでもなく、口を開いた。
「なるほど。俺はそうは思わんが、仮に貴様が従えている男を今、『伝説』としよう」
輝く金髪。切れ長の瞳が、ハースレッドを捉える。
背中でラフロイグンが、膝をついた。
「ならば俺は、『神』になるまでだ」
ハースレッドの顔から、笑みが消えた。