Part.214 本気で、いきます
リーシュは目を閉じて、すう、と深呼吸をした。息を吐くと同時にリーシュの右手に光の剣が現れ、リーシュはそれを手にした。
それを、黒い翼の剣士に向ける。
「……剣士、ですか」
どうやら、少し緊張している様子だった。いつの間にあんな魔法を覚えたのか、光の剣はこれまでと違い、リーシュの身体に扱いやすい程度のサイズで、手に留まり続けている。……そういえば、ノーブルヴィレッジの村長に貰った剣は折れたんだったか。
輝く剣に、透き通る剣。氷の剣を手にした黒い翼の剣士が一歩前に出て、それからじわりじわりとにじり寄ってくる。
「グレン……!! どうしたら、この魔法は解けるの……?」
ヴィティアは少し焦っている様子ではあったが、俺に振り返ると、そう聞いた。この魔法……というのは、この場所全体を覆っている隔離魔法の事だろう。
……そうだな。見た所、魔法陣の内側から外へは出られない、という魔法だろう。魔法陣そのものがフィールドになっている、という事だと仮定すると……脱出の方法は、大きく分けて三つ。
「外部から解除する事は、恐らく相当難しいんだろうね。内側から解除するとすれば……ひとつは、僕達を覆っている魔力の壁を、防御力以上の力で粉砕すること」
俺の代わりに、トムディが説明する。……そうだ。それは、『カブキ』でリーガルオンを相手にした時、キャメロンがやっていた事だ。
それが魔力による障壁である以上、魔力によって対抗するというのが最も自然で、かつ有効な手段だ。
「もうひとつは、直接的に肉体を転移させて、外に逃げる方法。さっきグレンが、ここに入って来たみたいに……この魔法は直接的な障害にはなるけど、魔力で移動する事に関しては恐らく、制限が掛かっていない」
そうだ。でもこの状況では、中にいる人間すべてを他の場所に転移させるっていうのは、あんまり現実的じゃない。召喚にせよ転移にせよ、実体を伴って場所を移動する魔法というのは多くの場合、それ相応のコストを必要とする。他にも、普通は『どの場所から』『どの場所へ』飛ぶのかという問題があるから、その二つのポイントを何らかの形でマークしなければならない。
さっきの場合は、師匠と先生が『二つのポイント』だった。入る事はできても、出る事はできない。
だから、実際問題脱出は無理と言っていいだろう。
そうなると……。
「……あとは、魔法の発動主……ハースレッドを攻撃して、無理矢理に魔法を解除すること」
やっぱり、これが一番現実的な方法なんだろう。
とは言っても、ハースレッドの手前には黒い翼の剣士がいて、迂闊に近付く事もできやしない。
ハースレッドは不気味な笑顔で、トムディに鋭い眼光を向けた。
「いいだろう。……試してみるといいよ」
その様子にトムディは気圧され、思わずといった様子で一歩、後退する。
黒い翼の生えた連中がどれだけ強いのかというのは、もう分かっている。……一体どうやって、ハースレッドに魔法を解除させれば良いのか。
さっきの感度から考えると、魔力共有をしていられるのは、精々数秒。やってみて分かったが、ダメージがかなり後に引く。軽いめまいまで感じている状態だ。
泣き言を言っている暇なんか、無い。
黒い翼の剣士が、動き出した――……!!
「大丈夫です。グレン様、トムディさんヴィティアさん、下がってください」
そう言って、剣を構えた。
「――――――――私が、戦います」
そう言って飛び出したのは、リーシュだ。光の剣を振り被り、力任せに黒い翼の剣士へと叩き付ける。それは剣士の攻撃とぶつかり、衝撃を相殺して、代わりに反動が起こった。
逆転した勢いを殺して、リーシュが体勢を整える。すぐに切り返して来た剣士の攻撃を、横薙ぎに払って再び受け止める。
随分と、機敏な動きだ。
今までのリーシュとは、全然違う。……まるで別人と言ってもいい。
「リーシュ……す、すごい……!!」
ヴィティアが呟いた。リーシュは振り返って、俺達を含む冒険者を見て、叫んだ。
「絶対に、前に出ないでください!! 私が食い止めます!!」
そう言いながらも、氷の剣を軽やかに躱して宙返り。空中で新たな光の剣を三本作って、剣士に向かって射出する。
これが、リーシュか? ……何がどうなっているんだ。
俺の知っているリーシュは、こんな動きをしない。自分の身の丈よりも大きな剣を握る事だけで、精一杯で……。別に剣が無い時だって、これ程素早く動く事はできなかったし、まして黒い翼の人間と戦うだけのスペックなんてなかった。
リーシュは、背後からでも分かる程に明確な殺意を持って、剣士と――その向こう側に居るハースレッドを見ている。
……本気で、殺す気だ。
一瞬だけ見えた視線が、それを物語っている。
「止まってください……!!」
きっとそれは、リーシュに攻撃しようとする無数の魔物と剣士に対しての、リーシュなりの『警告』だった。
リーシュがそう言うと、小さな無数の光の剣がリーシュの周囲に出現した。そのあまりの数に、黒い翼の剣士が立ち止まった。
魔物は気付かず、そのままリーシュへと向かう。
目を閉じ、深呼吸をした。そうすると、白く輝くものがリーシュの背中から現れた。
白い翼。純白で艶やかで、白い羽を周囲に巻き散らした。それは花吹雪のようにリーシュの周囲に散って、妙に美しかった。
「ごめんなさい。……どうか、今のうちに逃げてください」
目を開き、リーシュは何も手にしていない左手を前に。
「――――――――本気で、いきます」
無数の光の剣が射出される。
その一部は、黒い翼の剣士に。しかし、その殆どは大勢の魔物に向かって、放たれた。
道半ばで光の剣は巨大化した。攻撃を軽視していた魔物は反応する間もなく、その巨大な光の剣に突き刺され、みるみるうちにその数を減らしていく。
あっという間に召喚された魔物は全て消え、黒い翼の剣士とハースレッドだけが残った。
「……………………素晴らしい」
少し面白く無さそうに、ハースレッドがそう言った。
これが、リーシュか。……あの、リーシュ・クライヌなのか。
「リーシュ……?」
あまりの戦いに、他の人間は誰も付いて行けていない。ただ呆然と、トムディがそう呟いた。
遥か昔から、リーシュの魔力には底が見えなかった。俺とのファーストコンタクトから、既にリーシュは超火力を発揮していたし、本気になればいくらでも際限なく、魔力が高まって行くように見えた。
だけど、毎日鍛えて剣を振り、訓練をしても、リーシュの前衛能力というのは皆無に近くて。まるで戦力には数えられない、そういう状態だった。
……そうか。
飛び出したリーシュは光の剣を振るい、黒い翼の剣士と斬り合った。二つの剣は接触し、火花を散らして踏み止まった。
力押しだ。それでもリーシュは、全然負けていない。
「……逃げないんですね。……なら、仕方ありません」
ふと、リーシュは力を抜いた。視覚的には、黒い翼の剣士が力押しでは一歩抜きん出ているかのように見えた。
しかしリーシュは、踊るように鮮やかに身を滑らせて、剣士の攻撃を避ける。
リーシュが相手の目の前で、剣を振れなかった理由。満足に動けなかった理由。
……それは、鍛えていなかったからではなかったんだ。
『ごめんなさい。……私、こんな能力を持っているせいで、どこのパーティーにも入れて貰えず……未だに、仕事を一件も受けさせて貰えないんです』
初めてリーシュと出会った時、リーシュはそう言っていた。
リーシュを動けなくさせていた理由――……それは、『恐怖』だったんだ。
『こっ……怖がらせて、しまいましたか……? よく見てください。私はただの田舎娘で、剣士なのにまともに剣も振れなくて……魔物じゃ、ないです。こんなにバカな魔物、いないですよ……!!』
本気を出せば、自分は簡単に誰かを傷付けてしまえる。場合によっては、殺してしまえる。それが事実だと、リーシュは知っていた。
だから、心の内側では恐怖していた。少し歯車が狂えば、弾みで誰かを殺してしまいかねない。人間はそれほどに、柔くもろいものだ。魔力が高いからこそ、その事をリーシュは肌で感じていたんだ。
例え、母さんを攻撃した時の記憶は戻らなくても。
リーシュは、『あまりに強過ぎるが故に、強くなれなかった』んだ。
今、リーシュには明確な目的がある。どんな事になっても人を護らなければならないという、はっきりとした意志がある――……それは、心が通じ合っていない一人の時よりも、遥かに強い絆になっている。
それが、リーシュを支えているのか。
瞬時に消えた光の剣が、今度はリーシュの人差し指から出現する。リーシュに避けられて体勢を崩した剣士の左肩に、リーシュの生み出した小さな光の剣が刺さる。それは貫通し、剣士の肩を抉った。
すぐに跳躍して、距離を取った。剣士は左肩を押さえて、多少苦しそうにしている様子だった。
先程まで笑みを浮かべていたハースレッドが、今度は訝し気な表情で下顎を撫でた。
「……………………何か、あったようだね?」
リーシュは少し肩で息をしていたが、それだけだ。あれだけの莫大な魔力を消費して、特に辛そうな様子もない。
……流石だ。
「ね、ねえ……!! リーシュ!! すごいじゃない!!」
若干希望を見出したのか、ヴィティアが拳を握り締めて、そう言った。リーシュは振り返って、苦笑していたが――……しかし、苦しそうではなかった。
事実、勝てるのかもしれない。
トムディは呆然として、リーシュと剣士の戦いを見ていた。俺も、後ろの冒険者集団も同じ。リーシュは鋭い眼差しで剣士を睨むと、両手を広げる。再び無数の光の剣が現れ、それらは一斉に剣士の方へと向いた。
もう、魔物は全ていなくなった。あっという間に、リーシュが一掃してしまった――……圧倒的だ。その様子を、ハースレッドは無表情で観察していた。
リーシュの額に、汗が見える。
張り詰めたような、緊張。
「まだ……目を覚ましませんか?」
力無く、そう呟いた。
背後に無数の光の剣を構えて、なおリーシュは光の剣を握り、前に出る。まるで機械か人形のように、黒い翼の剣士はリーシュの攻撃に合わせて、氷の剣を振り被る。
リーシュに、動揺が見える。
再び、二つの剣は交差した。
「分かるでしょう……!? あなたは、私に敵いません……!!」
魔物は、召喚体だと分かっている。――でも、黒い翼の剣士は紛れもない、実体の人間だ。
その事が、リーシュに迷いを与えているのか。
リーシュの光の剣が、剣士の氷の剣を弾き飛ばす。リーシュは剣士の兜に向かって、光の剣を振り払った。
一瞬。
すっぽりと頭を覆い隠す兜を、リーシュの光の剣がかすめる。僅かな振動。光の加減。
――――――――それを見ていたのは、俺だけだったのだろうか。
「戦うのを、やめてください!!」
リーシュが叫ぶ。
その一瞬を確認して、俺は走り出した。スケゾーの魔力を利用して、瞬発力を跳ね上げた。
全身に、激痛が走る。
下から掬い上げるように、リーシュは剣を振り上げる。氷の剣を巧みに躱し、その光の剣は相手を傷付けないよう、綺麗に剣士の兜へと向かう。
時間があれば、俺は叫んでいただろう。
『止まれ、リーシュ』と。
リーシュが剣士に向かって光の剣を振った一瞬、兜が動いて、光が入った。その向こう側に見えた瞳に、俺は戦慄した。
だって。……それは。
その、瞳は。
『無いんだ、母さんの墓』
リーシュの剣が、兜を掬い上げた。空中に高く跳ね上がった兜は激しく回転し、俺達の頭上で太陽の光を反射して、鈍く光った。
――――――――確かに、そうだったよ。
『あの山小屋は、母さんの家だったから。そこに墓を建てようと思って、でも穴を掘る道具が無くて、一度その場所を離れたんだ。すぐに戻って来たつもりだったんだけど…………母さんは、消えていた』
『そ、それは…………!!』
『分かんねえ。分かんねえけど…………あんなもの、放置されていたらやばいだろ。リーシュの上に居た首謀者辺りが回収して、処分したんじゃないかな』
俺は、その事実を予想していたよ。もしかしたらって、もしかしてそうなんじゃないかって、何度も何度も考えたよ。
その度に、そんな事がもし本当にあったらって恐怖して、或いは一種の希望まで感じて、そうだったらどうしようって、考えていたよ。
セントラルの東門でラフロイグンを見た時に、予想は可能性に変わったよ。
『……見付からない』
『そ、そうか。悪かったな、変なこと頼んじゃってさ。……さすがに、もう遺体なんか残ってねえよな。……昔の話なんだ』
『……この人、まだ……魔力を、持ってる。無い訳じゃない……まだ、生きてる』
ミューも、そう言っていたよ。
だけど。
……だけどな。
歯を食い縛った。胸の奥に感じた熱いものが、そのまま目から流れて出て行くかのようだった。
兜を跳ね上げたリーシュが――――先程まで、明確な殺意を持って、険しい表情をしていたリーシュが。
その顔を見て、大きな瞳を目一杯に開いて、隙だらけになる。
「――――――――えっ」
俺は。
『氷の魔法…………!? 少年、やはり君の母親は…………アイラ・バーンズキッドか…………!?』
ただ、我武者羅に叫んだ。
「リイイィィィィ――――――――シュ!!」
前に出た。
無防備になったリーシュの前。突きの姿勢で構えられた、氷の剣の前。
まるで別人のように乾いた顔をして、死んだような瞳でリーシュを見て、無言で氷の剣を構えて突きを放った、
俺の、母さんの前に。
俺の腹を、氷の剣が貫通した。
血が、吹き出した。




