Part.211 全て、忘れるんだよ
そうして、俺は――……訪れていた。
『わあー……!! すごい!! きれいだね!!』
空中に浮かぶ、リーシュと黒いローブの男。リーシュは男にしがみついて、どうにか空中に留まっている様子だったが――……黒いローブの男は、どうやら空中に浮かぶ魔法を使えるようだ。リーシュの頭に手を乗せると、優しく撫でた。
『リーシュ。シナプスに通じていれば、シナプスに存在するあらゆる技術を我が物にする事ができるんだよ。……さあ、よく思い出してごらん。『君は、使える』』
どくん、と。
リーシュの中で、強く脈を打つモノの存在があった。同時に様々な魔法の事を、次々とリーシュは『思い出して』いく。
胸騒ぎがした。咄嗟に胸を押さえようとしたが、俺の身体ではないので自由が利かない。
……本来、人から人へと魔法を教えるためには、言語を介する必要がある。それがどのような魔法なのかを説明し、実践して試し、我が物にしていく必要がある。それを、こんなにも簡単に――……魔法の知識だけではない。その経験までもを、瞬時にリーシュは理解した。
これが、『シナプス』なのか。
これが、黒いローブの男が使っていた、奇妙な術の正体だったのか。
『わあ……!! 私も、お空が飛べるようになったよ!!』
『それが本来の君の姿だよ。さあ、君は自由にしていいんだ。君の思うままに、君の望む通りにできるよ』
確かに、これだけの術が使えるのなら。人の記憶に介入して、自分自身の記憶だけを消去するというのも、容易くできるのかもしれない。
あの『シナプス』という物体は、一体何だろうか。……魔法か、呪いか。または、その両方の技術を使って作られたようにも思える。
つまり、誰かが一生懸命考えて作った技術や魔法、知識を、一瞬で別の誰かに移動させる物体……という、事なのか。
この世界に、そんなものが自然にできるとは到底思えない。なら、人工的に作ったって言うのか。……誰が。どうやって。
もしもあれを人工的に作ったのだとしたら、とんでもない技術だ。
……全世界に、革命が起きるぞ。未だ嘗て無い、誰もが待ち望んだ技術だ。
待ち望んだもの――――…………?
『さあ、言ってごらん。君の望みは何だい?』
……そうか……技術、魔法、知識。この『共有』は、そんなレベルの話じゃない。もっと高次元の……別の何か……。
人の記憶や経験を丸ごと移設する事が可能なら……可能かもしれない。
無意識レベルで、人の『判断』を操作することだって……!!
『んー……』
そうして。
リーシュは、あっけらかんとした表情で。
いとも簡単に。
或いは、満面の笑みで。
『できるだけ有能な人を、殺すこと!!』
そう、言った。
『そうだよ。魔力を感じるんだ。すぐそこに、君が目的としている人間が居る事が分かるだろう』
黒いローブの男は少し笑みを含んだような声色で、そう言った。
『……この近くに、居る筈なんだ。つい先日、魔力を感じてね――探していた。ずっと、彼女の魔力を』
待ち望んだもの。
……………………そう、なのか?
何も努力しなくても、何も訓練しなくても、何も望まなくても、すべてのものが手に入る。自分が生きるために必要なこと、すべてが。
目的や目標も必要なくなる。必要な事はすべて『シナプス』が管理し、判断する。俺達人間はただ、それに従っていればそれでいい。異論は許さない、っていう事なのか。
リーシュは自由に、高速で空を飛び、真っ暗闇の中、星の海を見ながら進んだ。とても嬉しそうに、目的としているきらきらとしたものが、あたかもその先にあるかのように進んだ。
楽しい気持ちが伝わってくる。
とても興奮している。まさに、玩具を与えられた子供のそれだ。
『いた――――――――!!』
そうして、山小屋を発見した。
黒いローブの男は、柔和な微笑みでそれを見守る。
すべての人間は、すべてがまるで同じように、同じ能力を所有し、同じ意識を共有する。従って、誰も苦痛を感じないし、誰も悲しくならないし、誰も困らない。
――――――――この世界から、消える。
人と意識を共有できない事から社会のはみだし者になってしまった、俺達……『あまりもの』だって。
『いっくよー!!』
リーシュは巨大な光の剣を生み出した。自由に、何にも縛られる事はなかった。一瞬にして膨大な量の魔力が放出され、拡散し、そしてひとつの形に凝縮された。それは天使のようで、妙に美しく見えた。
神々しく。或いは、神そのものであるかのようだった。
リーシュが放った光の剣は、しかし途中で別の魔法と衝突し、相打ちになる。透き通るような氷の魔法が山から無数に放たれ、それがリーシュに向かって降り注がれる。
それをリーシュは、自由自在に空中を飛び回り、回避する。あまりに高速で移動するので、視界は目まぐるしく変わっていくが――……リーシュにとっては、まるで苦ではない。自分が居る場所がきちんと分かっているようだった。
それは、『あの時』の光景、そのままだった。
『むーっ……結構、強いなあ』
まるで遊んでいるかのような態度で、しかし、リーシュがむくれる。『人を殺す事』を、まるでゲームか何かのように扱う。
山の向こう側に居るのは、人間だ。それがどういった理由であれ、こんなにも簡単に、排除されてはならない筈なんだ。
なあ。……誰か、教えてくれ。
本当に、そうなのか?
言われた事だけを素直にやることが、この世界における本当の『幸福』なのか? 何も苦痛を感じず、何も困難を乗り越えずに、自由に何もかもをできるようになることが、本当に『幸福』なのか?
世界を良くするために、誰も悩まない。もう、誰とも仲良くする必要もない。誰も、誰とも手を繋がない未来。
自分自身の意思決定でさえ、何かに管理される未来。
俺には、分からない。
……それで、いいのか?
――――――――そこに、俺達が生きる意味はあるのか?
『母さ――――――――ん!!』
どこか遠くで、俺の声が聞こえる。
リーシュはこれまでよりも一層大きな光の剣を構え、それを山に向かって――……山の上にある山小屋めがけて、投げた。
刹那、まさに光の速度で剣は地上に降り注ぎ、山小屋もろとも周囲の木々を爆破した。先程まで反撃があったが、それも無くなる。山小屋の上で感じていた強大な魔力は、その一撃で消え去った。
山の上に、炎が広がっていく。その様子を見て、リーシュは本当に相手を殺す事ができたのか、注意しているようだった。
やがて、すっかり魔力が消えた事を確認すると、リーシュは満面の笑みで振り返った。
『できた!! できたよ!!』
リーシュの隣まで黒いローブの男は寄ると、リーシュの頭を撫でた。
『そう。……よく、頑張ったね』
……そうか。……あの日、リーシュは。
自分の頭を使って、自分ではない何者かの意思によって、自らの手で、母さんを攻撃したんだ。
――思わず、頬を涙が伝った。
何が正しいかを、人が決める世界なら。もうそこに、リーシュはいない。『シナプス』に介入された時点で、リーシュは本来の姿を見失っていた。
そんな事があって良いのか。そんな事のために、リーシュはこれまで悩んで来たのか。
自分が失った、自分ではない時の記憶を探して、これまで悩み続けて来たのか。
『……………………リーシュ?』
あれ……?
あ……そうだ。涙……。
今、俺はリーシュの身体からものを見ている。俺が涙を流しているのではなく、これはリーシュが涙を流しているんだ。
リーシュは、笑いもせず怒りもせず。むしろ涙の理由に、自分自身が分からずに困惑している様子だった。
『……かえる』
ただ、それはどうしようもなく、悲しくて。
『リーシュ。……分かったよ、今日はもう帰ろうね』
『いやだ!! おばあちゃんの所に帰るの!!』
なんだ……? 今まで当然のように、『シナプス』の意思に従って来たリーシュが、唐突に……抗う。それを見て、黒いローブの男は珍しく、驚いて困っている様子だった。
うろたえている……これはどうやら、ローブの男の筋書きには無かったようだ。
リーシュは巨大な光の剣を自由自在に振り回し、黒いローブの男から距離を取った。ぼろぼろと両目からは涙を流し続けたまま、急にローブの男に敵意を見せた。
『これは……』
黒いローブの男は暫し、考えているようだった。……しかし、俺にも分かった。
そうか。……未完成だったんだ。
『シナプス』は、この時点では、まだ。
謎が解けていくような気がした。もしも好き勝手に人の未来が決められるなら、俺達はもうとっくに、この黒いローブの男に支配されていたはずだ。俺が魔導士になるずっと前に、革命は起きていたはずだ。
でも、そうはならなかった。『シナプス』はまだ未完成で、人の一生を自由に操ることができるような、都合の良いものではなかった。……だから、時間が必要だった。
と、いうことは……『黒い翼の剣士』っていうのは、まさか……!!
『家に帰る!!』
リーシュはそう言い放ち、紫色の魔法陣を作り出して、その中に一人、飛び込んだ。そうか……自由に『シナプス』の魔法が使えるという事は、当然黒いローブの男が使っていた魔法も、すべて使えるという訳で……。
『なるほど……分かった。……でも私は、必ずまた君を迎えに行くよ』
黒いローブの男は納得した様子で、リーシュに言った。
リーシュの視界が白く覆われていく。眩い光に目を閉じて、魔力の渦の中に飛び込んでいく。
『次は、きっと君も喜んでくれるはずだ』
最後に黒いローブの男は、そんな事を口にした。
でも、リーシュはその言葉に耳を傾けなかった。
急速に、幻想的な風景は元の場所へと戻る。サウス・ノーブルヴィレッジだ……リーシュは元自分が立っていた位置に、再び戻って来る事になった。
誰もいない。ぽつんと一人佇んだリーシュは、泣いていた。でも、その理由も分からない。
段々と、リーシュの意識も現実に帰って来る。
やがて、リーシュは走り出した。婆さんの待つ、自分の唯一の居場所に向かって。
野道を走り、海を横目に、リーシュは走る。七色に光る海は幻想的だったが、それはリーシュの感情に悲しみを呼んだ。
自分の家まで戻る頃、リーシュの婆さんは洗濯物を取り込んでいた。
『……リーシュ!? どこに行っていたんだい!?』
リーシュは何も言わずに家の中へ入り、自分のベッドに頭から潜り込んだ。頭が割れそうな程に痛い。視界は真っ暗になったが、それで胸を押し上げるような不快感を消すことはできなかった。
どうしよう。……どうして、あんな事をしてしまったんだろうか。……もしかしたら、自分は笑いながら、人を――……殺してしまったのかもしれない。
『ひとつは、人に魔力を向けないこと』
一度犯してしまった罪は、もう二度と無かった事にはできない。
『ふたつめに、人を攻撃しないこと』
過去を消すことはできない。例えそれが、どのような内容であったとしても。
『それから――……人に優しくすることだよ』
駄目だ。
この内容は、リーシュには負荷が高すぎる。俺でさえ、胸を締め付けるような想いに――罪悪感と呼ばれるものに、押し潰されそうになってしまうと言うのに。
何しろ、自分が決断した事の意味が、自分で理解できなくなってしまっているのだ。リーシュは、『シナプス』と呼ばれるものの意味をまだ、ちゃんと理解できていない。
幼い心にはまだ、その罪の意識は受け止め切れない……!!
『あ゛――――――――――――――――!!』
それは叫びだったのか、それとも嗚咽だったのか、悲鳴だったのか。
咳き込んでしまう程に、リーシュは叫んだ。あまりの頭痛と吐き気に、嘔吐しながらも叫んだ。自分の声で鼓膜が破れてしまいそうな程に、大きな声で。
痛い。
『リーシュ!?』
やがて、リーシュの婆さんが現れた。あまりに悲惨なリーシュの様子に、ただ事ではないと理解したのだろう。婆さんはただ、リーシュのそばに寄って、リーシュの背中を撫でた。
……本当に、真実、なのか。これは俺の、悪い妄想が起こした悪い夢なんじゃないのか。
『すべて、忘れるんだよ。リーシュ……すべて、悪い夢だったんだよ。悪い夢は忘れるものだ……大丈夫だ。村の誰も、あんたを責めたりしないよ』
意味も分かっていないのに、リーシュを慰め続ける婆さん。無関係に、ただひたすら叫び散らすだけのリーシュ。
頭が痛い。
ガンガンとハンマーで殴られた時のような痛みが、リーシュを通り越して、俺をも襲っている。やがて意識は薄れ、朦朧としていった。
なんで、俺は――――こんな夢を、見て――――…………。
*
「はっ……………………!!」
目を覚ました。同時に俺は、勢い良く起き上がっていた。
息は上がっている。まるで全力疾走した後のように、浅い呼吸だった。全身汗だくで、若干のめまいを覚えていた。
敵襲か……!? いや……。
周囲を見回した。……特に、どこに変化があった訳でもない。龍の巣は今夜も平和で、柔らかい風が吹き抜けるだけだ。
……俺は、リーシュと手を繋いで眠っていたらしい。
呼吸を整えながら、思わず考えてしまった。
今のは、夢だったのか……? それとも、リーシュの魔力が作り出した、過去の映像……リーシュ自身の記憶からは、強制的に消されてしまったもの……。
リーシュは、幸せそうな顔をして眠っている。
どうか、夢であってくれ。