Part.200 なんて、遠いんだ
視界には、クランの後頭部が映った。それ以外には、何も見えなかった。
俺は……、頭が真っ白になって。
「……………………えっ?」
ただ、そう呟く事以外に、何をする事もできなかった。
クランは俺の反応を予め予想していたのか、苦い顔をして、続けた。
「……ノックドゥの国民に事情を説明して、納得して貰おうとしたんだ。……でも、そう簡単には行かなくて……暴動を抑えられず、結局投票で決める事になった。そうしたら……否定派が、半数以上を占めた」
「な……なんでだよ!! グレンの就任式は、やり直しじゃないの!?」
トムディが割って入り、クランの前に立った。クランは唐突なトムディの言葉に少し面食らった様子だったが、そのまま続けた。
「私も、それを望んだんだ。……でも、どうしても分かって貰えなかった。この決定は変えられない」
「なん……だよ、それは!!」
トムディが、クランの胸倉を掴んだ。
普段そんな事をしないトムディだからこそ、そのインパクトは大きい。クランが明らかに動揺した様子で、トムディの顔を見た。
トムディの怒りが、ビリビリと部屋全体に伝わる。俺はその様子を、ただ見ていた。
「誰が何と言おうと、例え証拠が無かろうと、チェリィを助けたのは僕達だ!! グレンは何もしていないし、結果から見ても、何も損害は出ていない!! ギルドを降ろすなんて冗談じゃない、むしろ褒められて然るべきだろ!? 認めないぞ、そんな決定は!!」
トムディの言葉を聞きながら、俺は――……若干の目眩を覚えていた。
まるで、地面が歪むようだった。視界は悪くなり、足元は覚束ない。城の床の絨毯が、何故が妙に遠く見える。
張り詰めた意識が、冷え切った手足が、堪らない吐き気を呼ぶ。胃の中を丸ごと吐き出してしまいそうな程に、冷たい。
ギリギリに引き絞られた拳銃のような感覚。或いは、逆さ吊りにされた男のような。
クランはトムディから目を逸らして、言った。
「……たとえ未遂でも、国王を殺した可能性のある人間に、未来のノックドゥを任せる訳にはいかない……と」
「だから、あの時その国王を助けたのは、僕達だって言ってるんだよ!!」
耐えられなかったのか、クランはトムディを見て、少し厳しい顔をした――……トムディに、胸倉を掴まれたまま。クラン自身の決定では無いにもかかわらず、言わなければならないクランは。
「いや。……あの時、瀕死のチェリィ・ノックドゥを救ったのは……キングデーモンだと、そういう見解になっている」
トムディは、目を大きく見開いた。
……そうだ。
あの時トムディはミューの銃によって、近くの治安保護隊員と身体が入れ替わっていた。厳密に言えば、チェリィを救ったのはトムディじゃない。治安保護隊員……即ち、キングデーモンだ。
その言葉は、まるでトムディの身体に風穴を空けるように。真っ直ぐに、トムディを射抜いた。
初めて、トムディの表情に焦りが生じた。動揺し、真っ青になって――……クランの胸倉を掴んだままそれを前後させ、大声で叫んだ。
「あの時チェリィを助けたのは、僕だよ!!」
きっと、トムディ自身も分かっている。
……その言葉に、意味などないことに。
「あれは……!! あれは!! そこのミュー・ムーイッシュが持ってる、『ソウルスワップ・バナナバズーカ』っていう武器を使ったんだよ!! 確かに身体はキングデーモンだったかもしれないけど、あれは僕なんだよ!!」
この議論に、意味などない。決定を下したのは、クランではないのだから。
国民にとっては、見たものが全てだ。あの時治安保護隊員と入れ替わっていたのがトムディだったとして、それを証明する術はない。
結局この事件は、何から何まで証拠がない。更に言えば、事件すら起きていない。
まるで、鏡の向こう側で俺自身が嗤っているかのようだ。
どうにか、なるのか? この状況を逆転する方法はあるのか?
……駄目だ。……わからない。
今、俺の手持ちには、この状況をどうにかする術がない。
「じ、実際にやってみせようか……!? ミュー、来てくれよ!! この場で入れ替わってみせるから!!」
「……それで、あの時入れ替わっていたという証明にするには……国民は、納得できないだろう」
「じゃあ、その時の治安保護隊員に話を聞いてみるとか!! ……そうだ、チェリィ!! チェリィの言葉があれば、まだ引っ繰り返せるんじゃないの!?」
「すまないが……チェリィさんだって、事実の証明はできないよ」
「どうにかなる筈だろ!! なんで僕らに事情説明する前に、投票なんかしたんだよ!!」
「それは……」
クランは目を閉じ、声を荒げた。
クランのそんな顔を、俺は初めて見ていた。
「リーシュさんが、やっぱり信用できないと……!! そういう話があったから、こちらで決めるしか無かったんだよ……!!」
きっと、その時リーシュがした顔を、俺は生涯忘れる事は無いだろうと思う。
トムディが昂ぶったクランにますます怒りを見せて、より大きな声で叫んだ。
「だったら、公にはリーシュをギルドメンバーに入れないとか、幾らでも方法が――――…………」
「トムディ」
俺は、トムディの言葉を遮った。
「…………もう、いいよ」
トムディは俺の方に振り返って、絶望した表情を見せた。
どうして、誰もかれも傷付かなければならないのか。
こんな事になりたくて、俺はギルドリーダーを引き受けようと思った訳じゃない。
だったら、いっそ。
「な……何言ってんだよ、グレン!! こうなるために、これまで頑張って来たようなもんだろ!? こんな所で諦めるのかよ!!」
「クランに何を話した所で、俺達のこれからはきっと、変わらないだろ?」
クランは、極めて深刻な顔をしていた。チェリィもどこか放心した様子ではあったが、特に反論する様子もなかった。
なら、それで、もういい。
俺は、そう思った。
「グレンまで何言ってんだよ!! 今ここでギルドになるんだよ!! そう約束したじゃないか!!」
「ありがとな、トムディ。でもさ、仕方ないだろ。こんな事もあるってことだよ」
力の限り叫んだトムディは、俺の言葉を聞いて――……しかし、俺の言葉を認めていない様子だった。
吉報を貰えると思っていたのだろう。ヴィティアとキャメロンは、事の顛末に暗い顔をしている。ミューは目を閉じて、ただ一人、すました顔でいた。リーシュは……呆然としている。
俺はうんと背伸びをして、溜息をついた。わざとらしく声も出して、明るく振る舞った。
「さー、そうと決まれば、セントラル・シティに戻って、またミッションを探さないとな!! ノックドゥではミッションは受けられないし、そうしたら一度戻るよ。早速、荷物をまとめて出発しよう」
そうだ。俺達は、何も失っていない。何も得られなかった。それだけだ。
たったそれだけの事で、何を弱気になっているんだ。
クランの隣で、エドラが俺に頭を下げた。
「今回の件は、私からも謝らせてください。……本当に、申し訳ございませんでした。あなた方には、特別見舞金として千セルの用意がありますので……」
「いや、国王。それは、いらないよ」
俺は頭を下げるエドラに苦笑して、言った。
エドラは顔を上げて、俺を見た。
別に、拒否して何が得する訳でもなかった。でも、こんな所で、こんな事のために、金を貰ってはいけない気がした。
「……グレンオードさん」
「だって俺達、ここで何もしてないんだ。泊めて貰って、食事が出た。それでイーブン。問題ないよ」
「それで、よろしいのですか」
「グレン!!」
追求するような顔で、トムディが俺を見る。俺はトムディにも笑って、皆に背を向けた。
「じゃあ、まあ……これで、この話は終わりで良いよな。……俺、少し外の風に当たってくるよ。戻って来たら荷物をまとめて、ノックドゥを出よう。皆、頼むな」
「分かったわ……ゆっくりで良いわよ」
真っ先にミューが反応して、立ち上がった。俺はその様子に安堵して、手を振った。
「ぼ……僕は……!! 僕は、絶対に認めないからな!!」
トムディの言葉は、聞かなかった事にした。
出入口の扉を開いて、外に出る。……大丈夫だ。あとは、ミューが皆を取りまとめてくれるだろう。
俺は余裕を持った足取りで外に出て、悠々と城の外へと向かう。
「グレン!!」
不意に、呼び止められた。
振り返ると、クランが俺の事を、悲しそうな顔をして見詰めていた。
「本当に……!! 本当に、すまなかった!! 僕は、こんな事になると思って君を誘った訳じゃないんだ!!」
俺は、笑った。必死になってそう話すクランに、笑みを向ける以外には方法を持たなかった。
「君は、認められるべきだ……!! どんな形であれ!! こんな所で、終わるような人間じゃない!!」
……そうだな。
或いは、もっと早くにクランと出会う事ができていたら。俺は、もしかしたらこうはならなかったのかもしれない。
でもそれは、単なる可能性に過ぎない。今ここにある俺が、俺自身で。他に何にも代えられない、俺だけの真実だ。
俺はたった一言、クランに言った。
「ありがとう」
クランに背を向けて、再び歩き出した。ノックドゥの城はしんと静まり返っていて、今日は使用人もそこまで動いていないらしい。……それか、もうじき夜に向けて動き出すのか。廊下には、人の気配はなかった。
俺はクランから見えなくなる所までゆっくりと歩いて、それから――足早に、歩いた。
やがて、城の外へと辿り着いた。
……外は、明るい。
雲一つない、綺麗な青空。底抜けに明るい、今の俺の気持ちとは対照的な空だ。
俺はそれを見上げて、笑った。
俺の中にいたスケゾーが分離して、俺の肩の上に座った。
「いやー……大変だったな、スケゾー。でも、皆何事もなくて、本当によかったな!!」
そうだ。何を、悲しむ必要がある。
もっと俺は、喜ぶべきなんだ。得体の知れない何者かに、チェリィを殺されそうになった。それをどうにか食い止めて、全員無事で、ちゃんと帰って来る事ができた。
リーシュが捕まりそうになるのも阻止して、俺達の誰も、罪に問われる事はなかった。
十分だ。この上ない勝利だ。これ以上、何を望む事もない位の成果だ。
「色々あったけど、生活も変わらないし……まあちょっと、よく考えたら、しばらく冒険者依頼所には行き辛いかもしれないか。俺、ギルドリーダーになるって話でセントラル・シティを出て来たんだし……でも、少し休憩して、そうしたらまた、依頼所にも行けるよな!!」
すべての人を、護る事ができた。
俺は、それだけでいい。それが、一番大切だ。
「そうだな、そうしたら……なあスケゾー、今度は西の方に行ってさ。昔やってたって話をしただろ、大道芸さ。皆でそんな事をやっても、楽しいかもしれないよな。旅行に行くのもいいかな」
俺は、幸せだ。
「ご主人」
スケゾーが、言った。
「よく頑張ったな」
瞬間、止めどなく涙が溢れた。
……どうしてだろう。俺は、何も泣く事なんてないのに。限りなく最悪な状況の中から、仲間の協力を経て、最善が尽くされた筈なのに。
確かに俺は少しばかり、頼りなかったかもしれないけれど。でも、仲間は俺の想像以上に、逞しく動いてくれた。
そうして、成果もあった。
何を、悲しむ事がある。
俺は、スケゾーに言った。
「ごめん」
たった一言、スケゾーにそう言って謝罪した。
嘘だ。
やっと、手が届くと思った。『一万セル』という、長い長い、俺の旅路。まったく現実的にならない目標。俺にはあまりにも遠すぎる、未来の光。
ようやく、手中に収めたと。俺はきっと、そう思っていた。
『グレンオードおおおぉぉぉぉ――――――――!!』
『待ってたぞ――――――――!!』
沢山の人の、暖かい声に包まれて。
きっと、これでようやく夢が叶えられると、そう思った。
『魔導士になって、千セルだって、一万セルだって、稼いでみせるよ!!』
――――――――なんて。
なんて、遠いんだ。
涙は、頬を流れ落ちた。大の男が涙を押し殺す事もできずに、顔を覆って泣いている。その事実に、羞恥心を覚える余裕さえ、俺にはなかった。
城の入口には、誰もいない。
どこまでも広がる、青空の下。俺の、俺だけの時間。
「…………ちょっと、泣いてもいいかな」
「おう」
悔しさの代わり、歯を食い縛って流した涙は、俺の手を伝って、地面に染み込んだ。
もう届かない、俺の目標。
きっと、こんなチャンスはもう二度と、訪れないだろう。幼い俺が母さんに豪語したあの言葉は、もう叶える事はできないのかもしれない。
なあ、スケゾー。……俺は、どうすればいい。
それは、問い掛ける事もできなかったけれど。スケゾーはいつまでも、俺を慰めてくれていた。