第1食 天丼死の若者、伝説のババアに拾われる
――ありがとうござましたぁ♪
境界線を跨ぐと、静かなる現実が広がっていた。
「…………」
真菜充の瞳に映る町並みに色はなかった。
金属がぶつかり合う音と大音量の音楽が鼓膜に残る。他に残ったものといえば、不快感。それと、ポケットの中の五百円玉だけ。
グゥゥゥゥ……。
深刻な気持ちになりかけたミツルの腹が鳴った。
日本一のコンビニエンスストア『シャドウエッジマート』の看板が、嫌でも視界に入る。
腹が減っては、絶望すらできぬ。
ふらふらと歩き出すミツルの背後で、境界線を跨いだ者がまた一人現れた。
――カツン。
弁聖の響かせた音を拾う余裕は、今のミツルにはなかった。
鮮やかなカラーに彩られた外装、他を寄せ付けぬ清潔感で溢れる店内。
「…………」
ポケットの中で五百円玉をもてあそぶミツルには、すべてがどうでもよかった。
腹が減った。
その一心で弁当コーナーを物色する。
そんな彼の、色のない世界でも、重量感だけはしっかりと伝える物体が存在した。
【リピーター続出!! モリモリの盛り☆ドデカ天丼498円!!】
大負けによって脳を焼かれているミツルは、キャッチーなポップとその弁当が生み出す『高さ』を信じ込み、レジを通してしまった。
雑誌コーナーで立ち読みをしていたギャルが、ガラス越しに歩いてゆくミツルの背中を見て、鼻で笑っていた。
公園は魔法が解ける場所。
「…………」
ベンチでひとり、買ったばかりの天丼を膝に乗せたミツルは、ようやく自分が間違った選択をしていたことに気がついた。
軽い。
軽すぎる。
何これ?
どうやってんの?
この調子だと、カロリーまで軽そう。どうすんの、これ。
よくよく考えると、帰りの電車賃、使っちゃってんじゃん。どうすんの、俺。
いや、どうすんのって……温めてもらって、今さら店に返すわけにもいかないじゃん。
喰うんだよ。このスーパーライト級の、天丼を謳う何かを。
喰って、喰って、喰らいつくして。
嫌なことを忘れて、帰り道を歩くエネルギーにするんだよ。
そうすれば、救助が来るから。
いや、来ないか。
とにかく、もう――。
「いただきます」
蓋を開け、見た目とは裏腹な軽さを保つ天丼に箸を入れる。
――バツッ。
箸が突き破ったのは容器の底。
「……ちょっと、ワイルドすぎちゃったかなぁ? 納豆でよくやる、あの技が出ちゃった」
ミツルは自分に言い聞かせたが、納豆の容器の底を突き破るのとはわけが違う。
お弁当という商品であってはならぬ、異常事態。
それでもミツルは、箸という名の聖剣を引き抜き、生存をかけた戦いを再開させた。
未だ続くモノクロームの世界で、エビ天と思われる物体をつまみ上げ、口へと放り込む。
「こ、これは……!!」
――美味くも、不味くもない。
サクサク、ベチャベチャ、どちらでもない。
乾燥した衣を口の中で虚しく転がす。
酸化した油の臭いが鼻を抜ける。
その味を例えるなら、室町時代の天ぷら。
生の実感が欲しかったミツルに、化石のような味がするその物体は、何も与えてくれなかった。
ただ顎を動かすのみ。
食事をしようと思っただけなのに……。
いきなりの運動行為を強いられたミツルは、次に、パワーの象徴である米に箸を伸ばした。
――バツッ。
箸が突き破ったのは容器の底。
まさに天丼。
「レモン絞るやつの形みたいになってっからだよ、コレェ!!」
キレながら聖剣を振るうミツルは、スカスカのライスフィールドをあっという間に蹂躙。
「こんなん、一体何が面白れぇってんだ!!」
雑魚狩りついでに残った天ぷらを頬張ると、税込み四百九十八円の戦いは終焉を迎えた。
「……騙された」
浪費したのは五百円。消費したのはカロリー。
ベンチの横にたたずむは、カラスすら寄り付かぬ軟弱なプラスチック容器。
あぶく銭がもたらす、ウハウハの未来。
腹を満たす、十分な量の食事。
家路を歩く、最低限のエナジー。
何一つ、
結局は、何一つ手に入れることができなかった。
「なんかもう……目まで霞んできた……」
怒りという生体燃料すら使い切り、ミツルの全身から力が抜けていく。
世にも奇妙な天丼死が、若者の未来を奪おうと牙をむいた。
――カツン。
錫杖を持った小さな死神が、ぼやけた世界の彼方から近づいてくる。
だが、ミツルを捕まえようとしていたのは、死神ではなかった。
「……たかが弁当、されど弁当。今時、そんな大げさに食事ができる若者がいるとはねぇ」
死神と見間違えた老婆のしわくちゃの手が、一人の若者の手をとった。
公園は魔法にかけられる場所。
これより、ミツルの新たな人生が始まる――。




