表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/43

第一章 墜落と覚醒 5・6

  5

 復帰してから一週間。

 その間に分かったのは三つ。


 一つ。久世は俺を落としたことを完全には処理しきれていない。

 二つ。俺の右手は、嘘と恐怖に触れると“見える”。

 三つ。リリスはろくでもないが、今のところ俺の味方だ。


 全校集会の日、麗星ホールはいつもより静かだった。


 舞台の上には学院の校章。

 壇上には校長、教頭、生活指導主任。

 前列には教員、来賓、そして、四天会に所属する、役職持ちの生徒たち。

 そして、後方にはカースト下層の生徒が、決められた列ごとに並ぶ。

 俺はその後方の席で、黙って舞台を見ていた。

 上品な学校の、上品な行事。

 建前だけはいつだって美しい。


 どいつもこいつも、品位と安全が大好きな顔をしていた。


 舞台袖の機材卓に、天城結理の姿が見えた。

 無表情でモニターを見ていたが、突然俺の方を向いた。

 ほんの一、二秒。

 こちらと目が合っても、何もなかったみたいにモニターに視線を戻す。

 この集会の動画は学内SNSのS-LINKで同時配信もされているらしい。


 情報棟とホールの映像は、天城結理が管理している――という噂は有名だ。


「では、生徒代表から一言」


 司会の声で、久世が壇上へ上がった。


 拍手。

 綺麗な足取り。

 非の打ち所のない笑顔。


「皆さん、お時間をいただきありがとうございます」


 よく通る声だった。

 代議士の息子ってのは、呼吸の仕方まで教わるのかもしれない。


「本日は、安全意識について改めて考えていただくため――」


 俺は聞きながら、膝の上の右手に力を込めた。


『落ち着いて、坊や』


 リリスの声は妙に優しかった。


『怒りだけでは失敗する。相手の一番柔らかいところを探して、そこをそっと撫でるの』


「お前の言い方、いちいち気持ち悪い」


『褒め言葉として受け取っておくわ』


 壇上の久世は続ける。


「先日、本学院の生徒が校内危険区域で転落し、重大な事故となりました。幸い命は助かりましたが、これは一歩間違えれば――」


 校内危険区域。


 それを知っている口ぶりだった。


 俺は立ち上がった。


 周囲がざわつく。

 でも、構わない。


 舞台脇へ回り込む。教員が一人、止めようとしたが、俺の顔を見て言葉を飲んだ。

“事故の被害者”を無理に押し戻す絵面は、きっと学院の品位によろしくないのだろう。


 舞台袖。

 久世がスピーチを終えて戻ってくるタイミングを見計らう。


 やがて拍手が起こり、久世が袖へ下がってきた。

 俺の姿を見て、一瞬だけ足を止める。


「……諸井?」


「いい話だったな」


 俺は笑わなかった。

 笑ったら負けだと思った。


「何しに来た」


「礼を言いに。心配してくれたんだろ?」


 久世の喉が上下する。

 周囲には機材係の生徒と、数人の教員。

 けれど彼らは皆、“何か面倒なことが始まりそうだ”という顔で距離を取っていた。


 俺は一歩踏み込んだ。


「なあ、久世」


 右手で、あいつの手首を掴んだ。


 びくり、と久世の体が跳ねた。


 熱が走る。


 灰色の崖。

 スマホの録画画面。

 城崎の笑い声。

 御堂の退屈そうな横顔。

 そして、久世の心の底に沈んだ、ぐちゃぐちゃの恐怖。


 ――動画、まだある。

 ――消せよ。いや、消したら俺が怖がってるみたいだ。

 ――あいつが喋ったら?

 ――でも、目、覚めないかもしれない。

 ――頼むから死ぬな。死んだら終わる。俺が終わる。


『見えた?』


 リリスが囁く。


『なら、押してあげる。ほんの少しだけ』


 右手の奥で何かが脈打った。

 俺は低い声で言った。


「事故だったんだよな、久世」


「っ……」


「お前、そう言ってたよな」


 久世の顔色がみるみる白くなる。


「し、静男、離せよ」


「じゃあ、なんで動画をまだ持ってる」


 その瞬間だった。


 久世の胸元についたピンマイクが、まだ生きていた。


 ホール全体に、かすかなノイズが走る。

 誰かが気づいて慌てる前に、久世の喉が勝手に言葉を吐き出した。


「俺は押してない!」


 麗星ホールが凍った。


 久世自身が、一番驚いた顔をした。


「ち、違う、今のは――」


 俺は手を離さない。


「押してない?」


「俺じゃない、城崎が……いや、そうじゃなくて、ちょっと脅しただけで、あんなふうに落ちるなんて思わなくて、動画だって、ただ――」


 そこで完全に、自分が何を言ったのか理解したんだろう。


 久世の口がぱくぱくと動く。

 顔面蒼白。

 機材係の生徒が青ざめてホールの方を振り向く。

 舞台上では教頭が何か叫んでいた。遅い。


 俺は静かに言った。


「事故、だったんだろ?」


 久世の膝が折れた。


 その瞬間、ホールのざわめきが爆発した。


「今の……」

「え、押してないって」

「動画?」

「城崎って言ったよな」

「配信、切れてないぞ」


 S-LINKの通知音が、会場のあちこちで一斉に鳴り始める。

 切り抜きが回ったのだ。誰かが保存し、誰かが拡散した。

 この学校でいちばん速く広がるのは、いつだって“上位者の失点”だ。


 教員たちが駆け寄ってきた。

 久世は床にへたり込んだまま、「違う」「誤解だ」「今のは音声が」と意味のないことを繰り返している。


 その少し離れたところ、機材卓の脇に天城結理が立っていた。

 ホールの照明に照らされた横顔は、相変わらず人形みたいに整っている。

 マイクの音声を切るタイミングは、いくらでもあった。

 でも止めなかった。 

 俺と目が合う。

 その目は冷たかった。

 結理はほんのわずかに、顎を引いた。

 肯定も否定もしない。

 けれども同時に、何かが変わる瞬間を見届けた人間の目でもあった。

 ただ、データは取れた、とでも言いたげな視線でもあった。


『上出来』


 リリスが満足げに笑う。


『ねえ坊や。人間って、壊れるときは案外あっけないでしょう?』


 俺は答えなかった。


 床に崩れた久世を見下ろしても、思ったほどすっきりはしない。

 ただ、胸の奥で凍っていた何かが、ほんの少しだけ動いた。


 終わりじゃない。


 これは最初だ。

   

   6


 その日の帰り、南門坂を下る頃には、学院中がその話で埋め尽くされていた。


 久世直哉、自白。

 転落事故はやはり事件だったのか。

 城崎の関与。

 動画の存在。

 学校はまた隠蔽するのか。


 スマホの通知が止まらない。


『マジ?』

『今の保存した?』

『消される前に回しとけ』

『学院の品位どこいった』


 最後の一文にだけ、本気で笑いそうになった。


 品位。


 そんなものがあるなら、最初から俺は崖の下にいない。


 坂の途中で、スマホがもう一度震えた。


 差出人不明。


 けれど学院内部ネットワーク経由だと分かる識別コードがついている。


『次は御堂玲司、あなたも、そう考えているんでしょう?』


 足が止まった。


 短い文面。

 それだけで、送り主が誰なのか分かる。


 天城結理。


『あらあら』


 右手が手袋の中で小さく動いた。


『敵に回すには惜しい子ね』


「敵とは限らない」


『もちろん。だから面白いのよ』


 夕暮れの坂を、同じ制服の生徒たちが何事もない顔で通り過ぎていく。

 空は淡い橙色で、街はいつも通りで、世界は何ひとつ変わっていないように見えた。


 でも俺の中では、もう元には戻らない何かが始まっていた。


 崖から落ちて、目を覚ましたら、右手の中に得体の知れない女の子がいて。

 そのせいで、人の恐怖や嘘が見えるようになって。

 今は、あの上の連中を一人ずつ引きずり下ろそうとしている。


 最悪だ。


 本当に、最悪だ。


 それでも。


「……悪くない」


 小さく呟くと、リリスがすぐに笑った。


『ようやく認めたのね、坊や』


「勘違いするな。これは復讐だ」


『ええ、もちろん』


 右手が、まるで機嫌よく呼吸するみたいにわずかに脈打つ。


『さあ。下剋上の時間よ』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ