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第六章 聖麗学院奪還戦 3・4

 

    3


 聖麗学院へ戻る、三度目の"夜"だった。


 最初は崖から落ちた夜。


 二度目は慈修館地下へ潜った夜。


 そして今夜。



 南門坂の夜は、昼間よりずっと長く感じた。


 閉ざされた校門。

 消灯した校舎。

 風に揺れる植え込み。

 臨時休校の通知。

 人の気配はほとんどない。


 それでも完全な無人ではないのが分かる。

 見回り灯の動き。

 遠くで開くカードキー音。

 そして、右手の中に引っかかる"見られている感じ"。


『相変わらず感じの悪い学校ね』


 リリスが言う。


『綺麗に磨いた箱の中で、まだ人を選別してる匂いがするわ』


 俺と結理は、聖歌堂裏手の小扉から入った。


 迅のラインが一時的に落としてくれた監視穴の猶予は六分。

 そのあと先は、結理の手仕事だ。


 礼拝堂の中は暗い。

 ステンドグラスの向こうで、街灯の色だけが薄く差している。

 木の長椅子が並び、祭壇の白布が闇の中でぼんやり浮いていた。


 その一番後ろの席に、美羽が座る。


 防寒のコートを着て、イヤーピースを耳に入れ、膝の上には予備端末。

 十四歳にさせる顔じゃない。

 でももう、ただ守られるだけの位置にもいない。


「聞こえる?」


 小声で言うと、イヤーピース越しにすぐ返事が来る。


『聞こえる』


 目の前の美羽は口を動かさない。

 声だけが耳の奥へ届く。


『変な感じだね』


「同感」


『お兄ちゃん』


「ん?」


『帰ってきて』


 その一言だけで、右手の熱が静かに整う。


『やっぱり便利』


 リリスがまた言う。

 でも、もうそれを咎める気にもなれなかった。


 結理が礼拝堂脇の小部屋からハッチを開ける。

 冷たい地下の空気が上がってくる。


「行くよ」


 俺は最後に美羽を見る。


 美羽は小さく頷いた。

 それだけで充分だった。


 地下へ降りる。


 石の階段。

 湿った壁。

 古い搬送路。

 前に通った時より、今日はこの空気がやけに馴染むのが嫌だった。


 途中の分岐で、結理が右の壁へライトを当てる。


「ここ」


 一見すると、ただの古い石壁だ。

 でもよく見ると、継ぎ目がある。

 封鎖されたはずの通路を、表から塗り固めただけの跡。


「工具でいけるか」


「音が出る。だから、こっち」


 結理が俺の右手を見る。


 嫌な役回りだ。


「やっぱり俺かよ」


「そう。

 この学校、もともとあなたを"鍵候補"として見てた可能性がある。

 だったら向こうの都合を逆に使う」


 右手を壁へ当てる。


 ひんやりとした石の感触。

 その下に、もっと新しい金属の反応がある。


『繋ぎ目は左』


 リリスが囁く。


『表は壁でも、奥は扉よ』


 言われた通りに指を滑らせる。

 最初は何もない。

 だが、ほんの少しだけ温度の違う線がある。


 そこへ指先を押し込むみたいに意識を向けると、内部で何かが噛み合う感触がした。


 がちゃん、と鈍い音。


 石壁の一部が、呼吸するみたいに少しだけ浮く。


 結理が隙間へ薄い器具を差し込み、テコで引く。

 重い扉が、内側へゆっくりと開いた。


 その向こうは、真っ白だった。


   4


 白い部屋は、病室のようだった。


 壁も床も白。

 天井の照明だけがやたらと明るい。

 その中心に、古い金属フレームのベッドが三台。

 壁際には書庫みたいに並ぶキャビネット。

 そして奥には、最新式のサーバラックが場違いなくらい整然と立っている。


 蓮の言った通りだ。

 ここは本当にあった。


「……趣味悪い」


 結理が小さく吐き捨てる。


 白い十字架が、壁の一番奥にかかっていた。

 礼拝堂の真下。

 祈りの場所の真下に、切り離しと条件づけの部屋。


 聖麗学院らしい、と言ってしまえばらしい。

 綺麗なものの下に、見せたくないものを埋めるやり方。


『気持ち悪いわねぇ』


 リリスも珍しく心底嫌そうだった。


『慰めの記号を、恐怖の天井にぶら下げるなんて』


 結理はすぐに奥のラックへ向かった。

 端末を接続し、電源系統とストレージを洗い始める。


 俺は部屋の中央に立ったまま、周囲を見渡す。


 ベッド脇のモニター。

 固定具の跡。

 壁に残る古い引っかき傷。

 そのどれもが、蓮の痛みとぴたり重なる。


「諸井」


 結理の声が急に低くなる。


「当たり。

 蓮の原記録もある。

 ALICE系統の補正計画も。

 ……あと、学院理事会の承認ログ」


「全部持てるか」


「持つ。でも、これ――」


 言いかけて、結理の声が止まる。


「何だよ」


 近づく。


 画面にはフォルダが並んでいた。


 Sagara Ren / Family Restriction

 ALICE-01 / Correction Draft

 Seirei Candidate Pool / Archive

 Moroi Miu / Observation Extension


 心臓が止まりかけた。


「……美羽?」


 俺より先に、右手が熱を持つ。


 結理がすぐファイルを開く。


 中身はまだ作成途中のメモだった。

 でも充分すぎる。


 Secondary relevance due to primary subject stabilization response

 Direct host suitability: low

 Emotional lever value: exceptionally high

 If primary correction fails, consider staged bereavement simulation using sibling channel


 視界の端が白く飛ぶ。


 段階的喪失シミュレーション。

 妹を使った擬似喪失イベント。

 つまり――美羽を失わせる演出をして、俺を恐怖の側へ寄せる計画。


「ふざけるな」


 声が低く出る。


 右手が、机の端を握りつぶしかける。


 結理がすぐこちらを見る。


「諸井、落ち着いて」


「落ち着けるかよ!」


 声が響く。


 白い部屋の壁が、それを冷たく跳ね返した。


 イヤーピースに、美羽の声が飛び込む。


『お兄ちゃん』


 その一言だけで、熱の暴発が少しだけ下がる。


『聞こえる。私、ここにいるから』


 喉が詰まる。


 右手の中で、リリスが低く囁く。


『見たでしょう。

 あの子を失わせることで、あなたを作り替える気だったのよ』


 結理はもう次のファイルを開いていた。

 その速さだけが救いだった。


「これも」


 画面には動画ログ。

 タイトルは簡素だ。


 Correction Committee / Internal Review


 再生する。


 映ったのは、見覚えのある顔ばかりだった。


 教頭。

 慈修館の提携医。

 志奈星の白衣の男。

 そして――天城迅。


 結理の指が一瞬だけ止まる。


 動画の中の迅は、今より少しだけ若く見える。

 顔色も、声も同じだ。


 教頭が言う。


「諸井静男については、現時点で愛着依存傾向が強い。学院環境下での自然矯正は困難です」


 白衣の男が続ける。


「ならば切り離しを。相良蓮のケースで実証済みです。初期アンカーを失わせ、恐怖と疼痛を基軸に再調整する方が、統制性は高い」


 胃の奥が冷える。


 動画の中の迅が、低い声で言う。


「失敗例の再生産は避けたい。相良蓮は安定を失った。同じ条件づけを諸井静男へ適用しても、リンクが外側へ跳ねる可能性がある」


 一瞬だけ、息が戻る。


 だが、次の言葉でまた凍る。


「ただし補正試験そのものを否定はしない。実施するなら段階的に。まず家族チャネルへ擬似喪失刺激を――」


「っ……」


 そこで結理が動画を止めた。


 部屋が静まり返る。


 俺は画面から目を離せない。

 今の迅は止める側だった。

 でも、"やること自体"は止めていない。


 結理も同じ場所を見ていた。


「父さん……」


 すごく小さい声だった。


 俺は笑うことも怒鳴ることもできず、ただ息を吐いた。


「やっぱり、全部は止めてなかったんだな」


『坊や』


 リリスが囁く。


『だからこそ、今のあの父親は"少しだけまし"なのよ。人は一度、ここまで落ちてからしか、線を引き直せないこともある』


 慰めにも何にもならなかった。


 その時だった。


 結理の端末に、複数の赤い警告が走る。


「……まずい」


「何だ」


「白い部屋のハブ、焼却準備に入った」


「何?」


「向こうも気づいた。データ消去じゃない。物理焼却ライン起動。この部屋ごと焼くつもり」


 背筋が一気に冷える。


 天井の換気口から、低い作動音が響き始める。

 空調じゃない。

 もっと重い機械の起動音。


「どれくらいだ」


「四分ない!」


 結理がSSDへ全力でコピーを走らせる。

 画面の進行バーが遅い。

 遅すぎる。


 イヤーピースの向こうで、美羽が鋭く言う。


『礼拝堂の上、誰か来た』


「誰だ」


『足音二つ。学院の先生じゃない。……星のマーク』


 喉が凍る。


 志奈星だ。


 上も下も、同時に来た。


 結理が一瞬で判断する。


「データを持って上に戻る。礼拝堂側はもう使えない。白い部屋の奥に、別の排気シャフトがあるはず」


「"はず"ばっかりだな!」


「図面はそう言ってる!」



 迅の声が、今度はイヤーピースへ直接飛び込んできた。


『地下外周に移動班を回す。だが上の志奈星班が礼拝堂を押さえたなら、正面復帰は無理だ。最短でハブを切れ。切らないと消える』


 結理が奥のラックの最下段を引き出す。


 そこに、物理回線が束になっていた。

 学院内。

 慈修館。

 外部医療ライン。

 そして星の記号のついた細い黒線。


「これ」


 結理が振り返る。


「抜いたら、この部屋は外と切れる。でもコピーも途中で止まる」


「どっちが残る」


「記録の半分か、接続の全部かどっちか」


 最悪の二択だった。


 俺は白い十字架を見る。

 ベッド。

 蓮の母親の声。

 美羽の擬似喪失計画。

 迅の署名。

 相良蓮の壊れた記録。


 全部、ここに眠っている。


 右手が熱を持つ。


『選びなさい、坊や』


 リリスが囁く。


『奪うか、断つか。両方全部は無理よ』


 イヤーピースの向こうで、美羽の声が震えた。


『お兄ちゃん』


 それだけで、心臓が決まる。


「……断って」


 結理の目が一瞬だけ揺れる。


「いいの」


「このまま繋がってたら、次の襲撃が来る」


 結理は小さく息を吐いて、頷いた。


「了解」


 その指が、星の記号のついた黒線へ伸びる。


 同時に、白い部屋の外で鍵が解く音がした。


 誰か来る。

 志奈星か、学院か、その両方か。


 結理が線を掴む。


「三、二――」


 俺は右手を構え、扉の方を見た。


 熱が、静かに脈打つ。


『いい子』


 リリスが甘く笑った。


『今度はちゃんと、選んだわね』


「一!」


 結理が回線を引きちぎった。


 部屋中の照明が真っ赤に落ちる。


 端末の進行バーが半分を超えた位置で凍った。


 同時に、白い部屋の扉が外から激しく叩かれた。


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