第6話 領地改革
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夕刻、私は旅荷を解き終えた後、持参した手土産をグララド様に渡すため、再び広間に姿を現した。
大きな窓から斜陽が差し込む中、グララド様は既に席についており、何やら書類に目を通していた。
領主としての仕事に余念がない様子に、私は少し感心しながら声をかける。
「グララド様、少しお時間をいただけますか?」
彼はすぐに顔を上げて微笑んだ。「もちろん。どうぞ」
私は侍女クラーラに合図を送り、手土産を載せた布包みを持ってこさせた。その中には、クラーラの母であるマルグリット・ド・モントルイユ子爵夫人から譲り受けた見事なジャガイモが詰まっている。
「これは……」
グララド様は布包みの中身を見ると、目を細めてじっと見つめた。その大きな手で一つ持ち上げ、不思議そうに眺める。
「これは何ですか? 石のように見えるが……食べ物ですか?」
私はその様子に思わず笑いそうになるのを堪えた。やはり辺境ではジャガイモは馴染みのない作物なのだろう。
「これはジャガイモという作物ですわ。食べられるのですよ」
「……これが?」
驚いた表情のグララド様に対し、私は丁寧に説明を続けた。
「フランシス侯爵領で、最近発見された新しい食べ物です。育てるのが比較的簡単で、土地の質が悪くても、いえ、むしろ砂質土の方が向いていて、豊作が期待できます。そして、保存も利くので冬場の食料としても最適ですわ」
「ふむ……」
グララド様は真剣な表情で私の言葉を聞いていたが、まだ半信半疑の様子だった。
「見た目はともかく、これが本当に領民たちの役に立つものなのか?」
「はい。実際に領地で栽培すれば、その価値がすぐに分かるはずですわ」
私は少し真剣に、男爵領の現状について話を続けた。
「グララド様、こちらの領地は土壌が痩せているせいか、農作物の収穫量が少ないと聞いています。それでは領民の方々も苦しい思いをしているでしょう? このジャガイモなら、そんな問題を少しでも解消できるかもしれません」
グララド様は私の言葉にじっと耳を傾けていた。その瞳には領主としての責任感と、領地を何とかしたいという熱意が見えた。
「……君がこの作物を持ってきたのは、そんなことを考えてくれてのことなのか?」
「はい。私はまだこちらに来たばかりですが、せっかくこうしてお世話になるのですから、少しでもお役に立ちたいと思いました」
その言葉に、グララド様は深く感銘を受けた様子だった。
「フランシェ様……いや、フランシェ。あなたは本当に素晴らしい人だな」
そのまっすぐな言葉に、私は思わず頬を赤らめた。
「私はただ、領地のことを考えたまでですわ」
「いや、それがどれだけ貴重なことか。あなたはこの領地の未来のために知恵を持ち込んでくれたんだ。あなたのような伴侶を持てるなんて、俺はなんて幸運なんだろうな……」
グララド様の大きな手がふわりと私の肩に触れた。
「本当にありがとう。俺も全力でこれを広めてみせる。村人たちと協力し、あなたが持ってきてくれたこの『ジャガイモ』を必ず成功させる」
「それでは、まず種芋を用意して……」
「フランシェ、あなたも一緒にこの領地を支えてくれるか?」
その問いに私は迷うことなく答えた。
「はい、もちろんです」
グララド様の目が優しく輝き、私の胸は温かな気持ちで満たされた。彼が領地の未来を信じ、領民とともに歩んでいく姿を想像するだけで、私はここでの新しい人生がきっと素晴らしいものになるだろうと確信したのだった。
夜が更ける頃、ターシュエル領の空は満天の星に包まれていた。
私の為に用意されていた花の香りが漂う静かな部屋で、心地よい疲労感に身を委ね、ゆっくりと眠りについた。
――――
まだうっすらと眠気が残るまま、目を開けた。
――昨夜の温かな余韻が残る中、目に飛び込んできたのは高い天井と、温かみのある木目調の壁。王都の屋敷とは異なる、素朴ながらも落ち着いた部屋の雰囲気が広がっている。ふわりと鼻をくすぐるのは、花瓶に挿された可憐な野の花の香り。
(そうだわ……今、ターシュエル領にいるんだったわね)
昨夜は旅の疲れもあり、ベッドに入った途端、深い眠りに落ちていた。グララド様の気遣いで寝室は別々に用意されていた。王太子殿下からは婚姻を命じられていたが、そこは貴族として通例に従い、先ずは婚約から始める事にしたのだ。それでも、突然の事に対して、礼儀を重んじた彼の配慮には正直ほっとしていた。
軽く体を伸ばし、ベッドから起き上がると、ふわりと扉がノックされる音が聞こえた。
「お嬢様、お目覚めですか?」
クラーラの明るい声だ。
「ええ、もう起きているわ」
扉が開き、クラーラがにこやかな笑顔を見せる。
「おはようございます。昨夜はよくお休みになれましたか?」
「ええ、とてもぐっすり眠れたわ。さすがは辺境男爵の屋敷ね。静かで空気が澄んでいる感じがするわ」
クラーラは笑いながら窓を開け放った。冷たくも清々しい風が部屋に流れ込んでくる。
「お支度を整えますわね。今日は男爵様が領地を案内してくださるそうですわよ」
「楽しみね。ターシュエル領のこと、もっと知っておきたいもの」
数時間後、私はグララド様の隣で馬車に揺られていた。領地は王都からの噂とは異なり、しっかりと手入れされた畑や牧場が見え、活気に満ちている。
「意外でしたか?」
グララド様が不意に口を開いた。
「ええ。失礼ながらも、ターシュエル領は貧しいって聞いていましたが……そんなことないわね」
「いや、実際、畑はあっても農作物の収穫量は少なく、貧しいことは事実だ。ギリギリ魔石の輸出で何とかやっているんだ。ただ、それも楽な仕事じゃない」
私が怪訝そうに眉を寄せると、グララド様は険しい表情になった。
「この領地は“暗黒の森”と隣接している。魔物との戦いは日常の一部だ。農作業だって安全なわけじゃない。守るべき領民たちがいる限り、俺も部下も気を抜けない。実際、俺や騎士たちは日々、暗黒の森で魔物狩りを行っている。奴らの数を常に減らしておかないと危険なのだ。」
(魔物と隣り合わせの生活……想像以上に過酷ね)
馬車は森の際へと近づいた。黒々とした木々が不気味に立ち並び、そこには静寂とは違う異様な気配が漂っている。
「この森からスタンピードが起きたことあるって聞いたのですが……」
「ああ。過去にも何度かあったが、直近では二十五年前だ。森から溢れた魔物の群れが領地を襲い、王都へ向かう勢いだった。だが、何とか領地内で食い止めた。……その代償として、多くの兵士や村人が犠牲になり、そして、当時の当主だった俺の父も討ち死にした。父や俺は、魔物に対して圧倒的な力を有する一族の末裔なのだが、それでも常に勝てるわけでは無い」
「そんなことが……」
「それ以来、魔物の動きには細心の注意を払っているが、完全な対策なんてない。いつまた同じことが起きるか分からないから、なるべく魔物が増えすぎないように間引くことぐらいしか出来ない」
「……そうですよね」
「我がターシュエル家の領地は、王都の防壁であり、剣でもある。だからこそ、ここで魔物を少しでも討伐し脅威を低減させる見返りとして、王国から支援金を受け取っているんだ」
そうか。そうだったのか!
貧乏なのでは無い。魔物に対して圧倒的な力を有する一族の末裔である彼が魔物を狩り続ける。
それが、この地に縛られた領主の課せられた役目なのだ。そして、それに対して支援金と言う名の対価を受け取っているのか。
私の心がざわめいた。領民たちの笑顔が思い浮かぶ。この人々を、ただ役目だからと放っておくことなどできない。
その日の夜、夕食の席には領地で取れた野菜や焼きたてのパン、ハーブの効いた肉料理が並んだ。
グララド様の執事ダルクスと、双子のメイドであるジョアンヌとイザベルが丁寧に給仕をしてくれる。
「フランシェ、今日は長い一日だっただろう?」
グララド様が笑いながら問いかける。
「ええ。でもとても有意義だったわ。領地のことを色々と知ることができて」
一口スープを飲んだ後、私は慎重に切り出した。
「グララド様、お願いがあるの」
「お願い?」
「万が一、スタンピードのような事態が再び起きたときのために、村人の命と財産を守る対策を考えたいの」
彼の青い瞳が真剣な光を帯びた。
「例えば、村の中央に砦を築くのはどうかしら? 非常時には村人や家畜が避難できるようにするの。普段は倉庫や集会場としても使えるから無駄にはならないと思うわ」
「ほう……なるほどな」
「それから、森の際に監視塔を建てましょう。そこに発煙筒と音を出す装置を設置しておけば、魔物が異常な動きを見せたときに村人にすぐ知らせることができるはずよ」
「確かに、それなら警戒も早くなるな」
「あともう一つ……」私は一拍置いてから続けた。
「村から離れた場所に魔物を誘導できる地点を作るのはどうかしら。魔石の力を利用して魔物を引き寄せれば、狩りも少しは安全性が増すかもしれません。確かその魔道具を王都では『魔寄せの香』と呼んでいたわ」
グララド様は驚いたように目を見開いた。
「フランシェ……」
「来て早々、差し出がましい事を言ってすみません。私、ただ領民たちが安心して暮らせる場所を作りたいだけなのです。ターシュエル領はあなたが守ってきた場所でしょう? その未来のために、できることは何でもしたいのです」
グララド様は静かに立ち上がると、大きな手で私の肩に触れた。
「君は本当に素晴らしい人だな。自分の立場を超えて、領民のことを考えられる人間はそう多くない。ありがとう。君が今言ってくれたことは確かに重要な事だ」
彼の言葉は真っ直ぐで、私の胸に深く染み込んだ。
「俺も君と一緒に全力でやってみせる。この砦も監視塔も、魔物誘導も……すべて成功させよう」
その言葉に、私の胸は温かく満たされるのだった。
(ターシュエル領はきっと変わる。グララド様とともに、素晴らしい場所にしてみせるわ)
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