第29話「良いことしてて、よかったなあ」
(1)
三町ネコ一等独裁官、並びに毒村秀太二等独裁官の死亡。
それらの事柄は、不慮の事故として報道された。
超等裁判所の崩壊は漏電による火災か、ガス漏れか、はたまた『砂獏』による襲撃か。
『国家』としては目下調査中である。
その件に関わりがあるのかは不明だが、『国家』は被害者支援特例法及び若年裁判官制度の見直しを行うことを明言した。
これにより、被害者では無いノーサイドの独裁官として活躍していた平良良平は、普通の学生として高校二年の秋を迎えることとなる。
「あー、終わりか。じゃあ、また明日」
校内に響く鐘の音と共に教諭は去り、良平も帰り支度を始めた。
支度とは言っても、タブレットを小さな鞄に入れるだけだ。
一昔前の人々が扱っていた書類も手紙も紙幣も、今の時代には存在しない。
(──風が冷たい季節になってきましたね、どうぞご自愛ください──)
冴木倫子が平良耕作に宛てた文面を、良平は不意に思い出した。
(あれは、遺書のようなものだったかもしれないな……)
そう思うと良平は破棄することが出来ず、手紙は今も耕作が使っていた部屋に眠っている。
「楽しくなさそうね。鮫島さんがいないと表情暗いわよ?」
「そう、かなあ……」
狩葉に話し掛けられても、良平はどこか上の空だった。
鮫島不可子は家庭の事情で転校した。
そんな教諭からの簡潔な説明に、良平は口を挟まなかった。
最初から不可子など存在していなかったように、教室からは一人、また一人と家路に着く。
「……そういえば、天野さんが復讐したかった相手って……」
「ちーっす!」
狩葉に問い掛ける良平を遮って、二つの影が現れた。
いや、二つではない。
二人の人間と、二人の刑官の姿があった。
「空井さん! ミローさん!」
「ですわー!」
快活に応えるミローとにやにやしている詩乃の姿に、良平は動揺する。
燃え盛る超裁の庭園で倒れた二人の姿を思い出している良平に、
「あれくらいで死んでたら『砂獏』なんてやってられねーよ!」
心を読んだように、詩乃は明るく笑った。
「あーし達はまた行方を眩ますけどよ、元気で生きてるってことだけ憶えててくれ」
それと──。
そう言って、詩乃が示したのは二人の刑官だ。
白い仮面と黒い外套を身に付けた二つの影は、ゆっくりと良平に迫り、
「……こんな姿になっても、わたしはやっぱり、『優しい世界』を望みます」
小柄な刑官は、その一言を残して、風のように去った。
「……! 長谷部さん!」
遠退く影を追おうとした良平に、もうひとつの影は、
「わたしは、やっと、自由になれたよ……。好きなように生きてね、良くん」
「…………!」
良平の返事を待たず、影は音も無く去った。
「まあ、なんつーか」
頭をぽりぽりと掻きながら、詩乃が言葉を紡ぐ。
「お前のユマホ──ノコの必殺技が起こした奇跡は、これくらいのもんらしい。刑官になった独裁官を人間に戻した。そして破壊されたユマホを、人間として転生させた。どうだ? どう思う?」
「……最高です!」
「だよなあ! なあ! 良いことしてて、よかったなあ良平!」
ばんばん、と肩を叩かれて、良平は瞳に涙を浮かべた。
嬉しくて泣いたのは、生まれて初めてのことだ。
「……わたしが復讐したかった相手の話、聞きたい?」
一連のやり取りを遠巻きに見ていた狩葉が、どこか楽しそうに語り掛ける。
「つまらない理由で、わたしを振った男よ。好きで好きで好きで好きで好きで好きで、ずっと一緒にいたかったのに、わたしを振った男。分かる?」
詩乃を押し退けるようにして、狩葉は良平に触れるくらいの距離まで近付いた。
「平良くん、あなた、これから大変よ? わたしに好かれて、無事でいられた人間はいないんだから、ね」
頬を赤らめる狩葉が本気なのか、窓から差す夕日のせいなのか、良平には分からなかった。
遺言を紡ぐにはまだ早い、十七歳の秋は始まったばかりだ。