露店
佳央様が谷竜稲荷の社の中に戻り、外には私一人となる。
冬の冷たい風が、吹き抜けていく。
一応、陽は出ているのだが、床や手摺で日向の部分は一部だけ。
殆どは、向拝に遮られて日陰となっていた。
溜息を吐いて、雑巾を手に取る。
そして、それを桶の中に入れてはみたものの、指が水に着いた瞬間、思わず手を引いてしまった。
先程、魔法で出してもらったばかりなのに、既に水が冷たくなっていたからだ。
重さ魔法で赤魔法を集め、水の中に入れていく。
暫くこれを続けると、水面からほんのりと湯気が立ち始める。
──少しは、温かくなったか?
水面を指先で撫で、冷たくない事を確認する。
──これなら、大丈夫。
私は水に手を突っ込み、雑巾を取り出して、水気を絞った。
日向まで移動し、お天道様に手をかざす。
日光のお陰げで、寒いながらも温かみを感じる。
掃除を始める前に、気配を探る。
すると、人が近づいてくる気配が一つ。
だが、やはりその気配は、知らない物。
──また、参拝客か。
本当は稲荷神社からの遣いが良かったのだが、向こうから来る者を、私は選べない。
もう一つ溜息を吐き、手摺を拭き始める。
少し拭いた所で、先程の気配が境内に入ってきた。
今、気がついた体で、鳥居の方を見る。
すると境内に入ってきた男の竜人が、|朗<<ほが>らかな笑顔で、
「これは、踊りの。
精が出ますな。」
と話しかけてきた。向こうは、私を知っているようだ。
だが、私は彼を知らない。
私は、
「申し訳ありません。
どちらかで、お会いしましたでしょうか?」
と確認をすると、竜人の彼は、
「おっと、これは失礼。」
と頭を掻き、
「あっしは、小間物を商っとります、治兵衛と申しやす。」
と名乗った。私は、
「治兵衛さんですか。
その治兵衛さんが、こちらに何か御用でしょうか?」
と確認すると、治兵衛さんは、
「いえ、いえ。
本日は、商売をしに参ったのではございやせん。
明々後日、こちらでお神楽が披露されると聞きやた。
そこで、あっしも、露店を開かせてもらえないかと思いやして。」
と答えた。
──何故、治兵衛さんは私が踊る事を知っているのだろうか?
私は不思議に思い、
「それを、どなたから聞いたので?」
と質問すると、治兵衛さんは、
「へい。
稲荷神社の方からで。」
と答えたものの、周囲を見渡して、
「ひょっとして、ガセだったので?」
と確認をした。私は、
「いえ、間違いではありません。
ですが、今回はここでちょっと踊るだけで、人を集める予定はないのですよ。」
と返すと、治兵衛さんは、
「そうなので?」
と困り顔。私は、
「どうかなさったので?」
と確認すると、治兵衛さんは、
「・・・露店は、開けないので?」
と困惑気味に聞いてきた。そういえば、最初に言っていた。
私は、
「露店ですか?」
と聞き返すと、治兵衛さんは、
「何が目的とは言いませんが、こういった行事では、大抵の神社では、人を集めるものです。
あっしらのような者は、こういった時に場所代を払って露店を開き、ご利益のお裾分けをいただいておりやす。」
と説明した。私は、
「ご利益のお裾分けですか。
中で確認してきますので、少々、お待ち下さい。」
と返すと、手に持っていた雑巾を桶に掛け、社の中に入った。
社の中で、全員が私に注目をする。
私は、
「古川様。
今度の舞の時、露店を開きたいという者が来ているのですが、如何いたしましょうか?」
と確認すると、氷川様が、
「露店くらい、開かせてやればよかろう。
心付けは、貰えるじゃろうからな。」
と割って入ってきた。私は、
「心付けですか?」
と確認すると、氷川様は、
「うむ。
神社の縁日で、良く屋台が並んでいるじゃろう?
あれを出したいと言うておるのじゃ。
問題あるまい?」
と言ってきた。私は、
「屋台ですか。
うちは貧乏だったので、ねだっても買ってもらえませんでしたが。」
と苦笑いすると、佳央様が、気まずそうな顔になった。
氷川様は、
「そうじゃったか。
じゃが、あれは思いの外、実入りが良くてな。
神社を運営する上で、なくてはならぬ収入の一つじゃ。」
と私の話は軽く受け流し、露店を開かせる意義を伝えてきた。
私は、
「あれには、そういう一面もあったのですね。」
と返すと、古川様は、
「そう・・・よ。
だけど、・・・どこの屋台かは・・・慎重に選んで・・・ね。」
と釘を差してきた。私は、
「どういった理由なので?」
と確認すると、古川様は、
「揉めやすい店主も・・・いるから・・・ね。」
と困り顔。そう言えば、たまに客と店で怒鳴り合っている姿を見かける事がある。
あれを見ると、せっかくのお祭り気分が台無しになる。
私は、
「確かに、そうですね。」
と返すと、氷川様も、
「そうじゃな。」
と同意する。露店を入れる場合は、きちんと、どのような人が店を出すのか、確認した方が良さそうだ。
だが、露店が入れば、人が来る。
そして私は、『踊りの山上』と呼ばれているが、踊りが上手なわけではない。
今回、練習をする事も出来ない。
つまり、踊れば踊る程、赤っ恥が塗り重ねられていくに違いない。
私は、
「ですが、今回は稲荷神の分け御霊が、『周囲に伝えずともよい』と仰っておりました。
人を呼ぶ行為は、謹んだ方が良いように思うのですが・・・。」
と言い訳をすると、古川様も、
「そう言えば、・・・そんな話も・・・あったわ・・・ね。
なら、・・・この話はお断り・・・する?」
と私に意見を求めてきた。私は、
「そうですね。
今回は、お断りしましょう。」
と結論を出したが、氷川様は、
「『伝えずとも良い』と仰せなら、伝えても良いのじゃろう?
神社の維持にも、金子はかかるのじゃ。
呼べば良いではないか。」
と反論した。私は、
「それは、屁理屈では?」
と指摘したが、氷川様は、
「いやいや。
そもそも、人を集めて踊りを見せれば、人は喜び、心付けも入る。
誰も、損はせぬではないか。」
と眉間に皺を寄せる。
私は、
「まさか、既に金子を貰っているので?」
と指摘すると、氷川様は、
「そのような事はない。」
と答えた。目は、泳いでいる。
私は、
「ならば、今回は露店はなしという事で良いですね?
今回は、日程的にも、業者を選ぶのは難しいですし。」
と伝えると、氷川様は漸く、
「致し方、あるまい。」
と了承をしてくれた。
私は方針が決まったので、
「では、次回どうするかは、後日決めましょう。」
と伝えた上で、社の外に出た。
明らかに、治兵衛さんの機嫌が悪く見える。
社は格子戸なので、中の会話が聞こえていたのだろう。
私は、
「折角くご足労いただきましたのに、申し訳ありません。
今回は、露店はなしとなります。」
と伝えると、治兵衛さんは、
「そうですか。
分かりやした。」
と冷たい口調。私は、
「次回は、また別途検討となりますので、その折にでも。」
と伝えると、治兵衛さんは、
「そうですかい。」
と答えたものの、口調は不機嫌なまま。
私は、
「では、私は掃除の続きがありますので。」
と断り、桶に掛けた雑巾を手に持った。
それを見た治兵衛さんは、小声で、
「出せるんじゃなかったのかよ・・・。」
と文句を垂れながら帰っていったのだった。
本日も若干短めです。
江戸ネタも例によって鐚銭レベルのものを一つ。
作中、山上くんが踊るのに合わせて、出店というか露店を出したいという人が出てきました。
この出店、江戸時代の頃も寺社でのお祭りや行事で出ていたそうですが、この目的は、場所代や売上の一部を徴収することで寺社普請のための資金を確保するといった側面もあったそうです。
・的屋
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