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視線の主は誰か

* 2025/01/29

 誤字等を修正


 今は夜。ここは夢の中。


 私の目の前には、禍津日神(まがつひのかみ)()御霊(みたま)と白狐がいる。

 子狐達の件については、古川様に前例が書かれた書物がないか調べるよう、依頼する事となった。

 後は、私が更科さんに反応し過ぎている件の調整だが、肝心の稲荷神の分け御霊がいないので、今夜は出来ない。


 私は、


「後、もう一つお(たず)ねしたい事があります。」


と話しかけた。白狐が面倒くさそうに、


<<何じゃ?>>


と返事をする。

 私は、


「神社の帰りなのですが、何やら視線を感じたのですよ。

 何となく不気味(ぶきみ)なのですが、何か知りませんか?」


と聞いてみた。だが、白狐は、


<<妾が知るわけ、なかろうが。>>


(あき)れた口調。私は、


「白狐にも、心当たりがないのですか・・・。」


と軽く溜息(ためいき)()き、


「禍津日神の分け御霊様はご存知ありませんか?」


と聞いてみた。禍津日神は神なのだから、白狐よりも知っている可能性が高いに違いない。

 そんな風に考えていると、禍津日神の分け御霊は、


「それは、自分で考えるがよいぞ。」


とやはり何か知っている様子だった。私は、


「と言う事は、考えれば、ある程度は判るので?」


と確認すると、禍津日神の分け御霊は少し(だま)ってから、


「・・・それも考えよ。」


と苦笑いした。表情や言い回しから、肯定と受け取るのが妥当(だとう)と思われる。

 私が思い至らないだけで、考えるための材料も、実は既に(そろ)っているのかもしれない。

 私は、


「ありがとうございます。

 少し、考えてみます。」


とお礼を伝え、視線の主が誰か考えてみる事にした。



 まず、私が一番(あや)しいと思っている狐講(きつねこう)について考えてみる。


 この狐講は、狐信仰の者が集まって出来た講だ。

 どうも、運命の分岐(ぶんき)を見る事も出来る巫女がいる可能性が高いのだが、信仰(しんこう)の度が過ぎるせいか、度々(たびたび)、問題を起こしている。

 直近(ちょっきん)でも、更科さんを(さら)おうとしたり、(やしろ)()()もったり。

 後、火付け騒ぎなども()こしていた。


 ただ、これらの騒ぎは、多少なりとも理由があった。

 仮に今回も狐講の仕業(しわざ)なのであれば、何か理由があるはずだ。

 狐講が動きそうな理由を考えることにする。


 前回は、どうだったか。

 更科さんの誘拐事件は、私が狐憑(きつねつ)きという事で捕まったと勘違いし、周囲の者の身も危ないと思い込み、保護しようと考えての事だった。

 また、社への立て籠もり事件では、私の地位向上を(はか)ろうと考え、社に立て()もっての狂言誘拐(きょうげんゆうかい)(くわだて)てた物だった。

 火付けの件は、私は理由を聞いていない。だが、彼等にとって火付けをするに値するだけの理由があったに違いない。

 そう言えば、もう一度火付けがあるという話だったが、あれはどうなったのだろうか・・・。

 心配になって来たが、今は置いておく事にする。


 ふと、子狐達の事を思い出す。


 子狐も狐は狐。

 つまり、狐講の信仰対象ではないだろうか?

 社の帰りに視線を感じたのは、子狐達を捕まえた後からだ。

 そう考えると、あの視線が狐講の誰かではないかと思えてくる。

 子狐達がいる組織に巫女がいるようだったが、狐講の後ろにも、おそらく巫女がいる。

 巫女の存在が稀である事を考えると、この二人は同一人物ではないのだろうか。


 そう思い至った私は、自信満々に、


「禍津日神の分け御霊様。

 視線を向けてきた者の正体は、狐講の関係者ではないのではないかと思うのですが、如何(いかが)でしょうか?」


と質問をした。だが、禍津日神の分け御霊は、


「それは、時が来れば判る。」


茶化(ちゃか)されてしまった。

 これで間違いないだろうと思っていたが、実は違っているのだろうかと不安になる。

 私は、


「そう()っしゃらずに、お教えいただけないでしょうか?」


とお願いしたのだが、ここで白狐から、


<<そろそろ、時間じゃのぅ。>>


と告げられる。

 私は、


「最後に一言だけでも。」


(ねば)ろうとしたのだが、禍津日神の分け御霊は、


「そちらの言う、運命の分岐に影響が出る。」


と言って、教えてくれなかった。

 私は、少しぐらい良いではないかと思ったが、


「それでは、仕方がありません。

 今夜は、これで失礼します。」


挨拶(あいさつ)をし、少しもやっとした気持ちで目を開けたのだった。


 本日も短め。

 今回、特に江戸ネタは仕込んでいなかったのですが、講の話が出たので、その話を少しだけ。


 講というのは、『善意で』の後書きでも紹介した通り、何かの目的のために継続的に集まった集団やその行事の事となります。

 現代でもえびす講等が有名ですが、江戸時代の頃は他にも様々な講がありました。

 例えば巳待講(みまちこう)もその一つで、これは()の日か己巳(つちのとみ)の日が七福神の弁才天の縁日という事で、前日の夜から集まって巳の日を迎えると言った事をやったのだそうです。

 現代でも、金運が上がるという事で、この日に弁財天をお祀りする神社に参拝に行く人がいるのだとか。


 なお、巳の日は曜日と似た感じで、巳は十二支の1つで順番に巡るので、12日に1回やってきます。

 また、(つちのと)は十支の1つで順番に巡るので、10日に1回やってきます。

 このため、己巳の日は60日に1回やってきます。


・講

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%AC%9B&oldid=103417057

・巳待塔

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B7%B3%E5%BE%85%E5%A1%94&oldid=98043771

・弁才天

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9&oldid=102182294

・己巳

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B7%B1%E5%B7%B3&oldid=98658365

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