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寝付けないでいると

 更科さんと険悪な雰囲気になり、なんとなく、寝付きの悪さを感じる。

 だが一方で、心は(おだ)やか。

 矛盾する感情は、心を両側から引っ張られたような感覚と言ったら良いのだろうか。

 それを意識したせいか、体の方までムズムズし始める。


 どこか、()きたい所があるという訳ではない。

 ただ、じっとしれいられないといった感じ。


 体を動かせば治まるだろうと思い、更科さんに背を向ける方に体を丸めてみる。

 ムズムズは収まらない。

 緩和されるかと思ったが、その気配もない。

 つまり、じっとしていられない状態のままだ。


 布団の中で、体を()すってみる。

 しかし、これでも状況は変わらず。


 今度は体の(ひね)り、更科さんの方に向く。

 すると、更科さんから、


「何?」


と低い声。私は、


「すみません。」


と謝ったが、まだ暫く今の状態が続きそうな気がしていたので、


「寝ようとはしているのですが、何故かこう・・・。」


と説明を始めた。だが、説明するための良い言葉が思いつかない。

 すると、更科さんから、


「寝付けない?」


と機嫌の悪そうな声で指摘してきた。

 私は、


「はい。」


と肯定し、何かに例えられないかと考えて、


「無性に、走り出したいような気分になりまして。」


と説明をした。

 すると、更科さんは、


欲求不満(よっきゅうふまん)って事?」


と訝しげな声。質問に従い自分が欲求不満か考えてみるが、そんな気もするし、そうではない気もする。

 考えても判らなかったが、否定して更科さんの機嫌が悪くなるのは避けたい。

 そう思った私は、


「・・・そうかもしれません。」


と一先ず肯定(こうてい)をした。すると更科さんが、


「そうなんだ・・・。」


と微妙な反応を見せる。そして、


我慢(がまん)できないなら、こっちに来て良いわよ?」


同衾(どうきん)を誘ってきた。だが、昨夜の私なら断ったに違いない。

 そう考えた私は、


「いえ、そこまでは・・・。」


と返事をすると、更科さんは、


「そう。」


と冷たい一言。このままでは、どんどん溝が深まる気がする。

 私は、昨日の状態に戻れば、機嫌も戻るだろうと思い、


一先(ひとま)ず、分け御霊に言って、元に戻して貰います。

 同衾するかは、それからで・・・。」


と付け加えると、更科さんは、


「あぁ、そういう事ね。」


と若干、声色(こわいろ)が戻ったような気がした。

 更科さんは、


「なら、早く寝てね。」


催促(さいそく)し、


「おやすみ。」


と寝たのだった。



 私も、布団の中で目を(つむ)る。

 が、体がムズムズするせいで眠れない。

 外を走れば解消できるような気もするが、布団の外は寒い。


 (しばら)く寝返りを打ったり体を揺さぶっていると、更科さんから、


「まだ、眠れない?」


と聞いてきた。私が、


「はい。」


と返事をすると、更科さんは、


(かわや)にでも、行ってきたら?」


と促された。


──不機嫌な時に私がゴソゴソと音を出すものだから、鬱陶(うっとう)しいのだろうか?


 私はそう思ったが、


「外は、寒いので・・・。」


と拒否を試みた。だが、更科さんは、


「走りたいんでしょ?」


と、私を部屋から追い出したい模様。

 私は、


「ですが・・・。」


と反論しようとしたところ、更科さんから、


「こういう時、余計な熱は出したほうが良いのよ。」


と全然違う話をし始めた。私は、


「余計な熱をですか?」


と聞き返すと、更科さんは、


「そうよ。」


と肯定し、


「出せば、スッキリする(はず)だから。」


と肯定。どうやら、同じ部屋に居たくもないという意味ではなかったようだ。

 私は少しだけ安心して、


「分かりました。」


と返事をした。



 ただ、「分かりました」と返事をしたからには、厠まで往復しなければならない。

 布団の外は、寒い。

 体のムズムズは、治まらない。


 私は、自分の(ほほ)を軽く叩いて(かつ)を入れた後、思い切って布団の外に出た。

 部屋の中でさえ、氷が出来そうな寒さを感じる。

 小さく丸くなって移動したいが、朝とは違い、更科さんの目がある。

 気合でまっすぐに立ち、障子(しょうじ)に向かって歩いていく。

 私は、


「では。」


と声を掛けて障子を開け、そして、廊下に一歩、足を踏み出した。

 足元の廊下は、まるで氷のような冷たさ。

 だが、まだ更科さんの視線があるに違いない。


 そう考え、頑張って平静を装いつつ、もう一方の足も廊下に着ける。

 そして、振り返ってから、普通に障子を締める。

 数歩、廊下を歩く。

 私は、もう大丈夫だろうと思うと、すぐにつま先立ちになった。

 いそいそと、お勝手に向かって歩き始める。


 お勝手に付いた後、草履を履いてお勝手の戸の前まで移動する。

 ただ、それだけで一段上の寒さになる。

 戸を引けば、今よりも更に寒くなるだろう。


 私は、厠まで行った事に出来ないだろうかと思いながら、ふと、平村にある寺を思い出す。

 その寺の中にはいくつかの砂場があり、住職曰く、『その砂を踏めば、そこに書いてある寺に行った事になるのだ』と言っていた。当時、私は平仮名も読めなかったので、『へ〜』とだけ返したのだったか。


──ここに厠の土があれば、踏めば同じ理屈で行った事にはならないだろうか?


 私は話す相手のいない冗談に苦笑いしながら、気を取り直して厠に向かう事にした。


 戸を引くと、寒い風が吹き込んでくる。

 閉めてしまいたいとも思ったが、いつまでもここにいるわけにもいかない。

 外に出て、戸を立てる。

 空を見上げると、星が見える。


 私は、このまま明日も晴れてくれないかと思いながら、厠に向かって早足で歩き始めた。

 例によって、飛び石を渡って移動する。


 井戸の近くまできたので、何となく気配を探る。


──誰もいないな。


 私はそんな事を思いながら、


「それもそうだ。

 まだ、この時間だし。」


と独り言を(つぶや)いて、厠に向かって移動を再開した。


 暫くして、厠の近くまで移動する。

 柳の葉は全て落ち、(やわ)らかな枝だけが風に揺れている。

 この柳の木を初めて見た時、幽霊が出そうだと思った事を思い出す。

 そして、実際に下女の人を見かけた時には、本当に怖かった。

 そのような事を考えているうちに、厠に到着した。


 一先ず、出す物を出してしまう。

 そして手を洗い、また、来た庭石を渡る。

 帰りも、井戸の近くには誰もいない事を確認。

 そのまま、お勝手まで移動する。

 勝手口から屋敷の中に入ると、風がない分、暖かく感じた。

 ほっと、息を吐く。


 部屋まで戻ると、さきほどまでのムズムズはなくなっていた。

 私は、更科さんの言うとおりだったなと思いながら、湯たんぽのない布団に入ったのだった。


 本日、若干短めです。(^^;)


 作中、山上くんが『砂を踏めば、そこに書いてある寺に行った事になる』という話をしていましたが、こちらは「お砂踏み」の事となります。

 お砂踏みというのは、お寺さんから採取した砂を踏むことで、その寺を参拝したことにするシステムとなります。

 四国八十八箇所や西国三十三所のお砂踏みが有名かと思いますが、他にもお砂踏みはあるようです。


 後、作中、「欲求不満」という言葉が出てきますが、こちらは元は心理学の「|frustrationフラストレーション」の翻訳語と思われます。(出典不明)

 心理学でfrustrationが使われるのはフロイト氏が活躍した明治以降と思われますので、「欲求不満」は江戸時代にはなかった言葉、つまり時代考証としてはNGとなります。例によって、『この世界では』という事でお願いします。(^^;)

 なお、日本語の「欲求不満」には(フロイト氏の影響で)性的な意味合いを含むと解釈する場面が多いと思われますが、英語の「frustration」は明言しなければ性的な意味合いを含まないそうなので、そのまま訳語として使うと誤訳になってしまう場合が多々あるのだとか・・・。


・総本山善通寺

 https://zentsuji.com/

 ※四国遍路 > お砂踏み道場

  四国八十八箇所のお砂踏みの話が出ています

・四国八十八箇所

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80&oldid=101812926

・西国三十三所

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%A5%BF%E5%9B%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%89%80&oldid=100403723

・フラストレーション

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&oldid=100412698

・ジークムント・フロイト

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88&oldid=101880677

・frustration

 https://ja.wiktionary.org/wiki/frustration

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