久しぶりに
雪の積もる夜の庭。
太陽の下では輝く雪も、月明かりもない夜闇では白さを失っている。
そんな中、スキルで温度を見ながら、厠に続く庭石を渡る。
先程の古川様の表情について、どういった理由からか推測をする。
単純に考えれば、貧乏神が私に憑いていた事に気づけなかったので、困惑したというものだ。
だが、古川様は、喋りはあれだが、きちんとした性格だ。
祓われたと聞いたのであれば、何かしらの祝の言葉を掛けてくれるのではないだろうか。
だと言うのに、古川様はそうはせず、難しい顔で何かを考えている様子だった。
私は、そこに引っ掛かりを感じていた。
先ず、どういった状況であれば、祝の言葉を掛けるのを忘れる程、困惑するだろうか。
最初に考えられる事は、祓われた筈の貧乏神が、まだ憑いていると感じた場合ではないだろうか。
そうであれば、困惑して祝の言葉を掛けられなかった事も理解できる。
第一感として私も思ったことだが、今までも誰にも気づかれずに潜伏していたのだ。
祓われたふりをして、今も潜伏している可能性があると思うのは、仕方がないのではないだろうか。
だが、分け御霊は既に祓ったと断言していた。
なので、古川様がまだ憑いていると感じたとすれば、分け御霊よりも古川様の方が技量が上という事になる。
という事は、この案には無理があるという事になる。
次に考えられるのは、誰某かから、あのぼんやりした存在を良い何かだと聞いていた場合だろう。
そうであれば、貧乏神だから祓ったのだと言われれば、困惑するのではないだろうか。
だが、分け御霊は貧乏神だと言っていた。つまり、その誰某かが古川様に、嘘を吹き込んだのではないだろうか。
それ即ち、裏に悪意のある誰かがいる事となる。
嫌な想像をした所で、厠に着く。
溜息を吐きながら、用を足す。
格子の向こうの空を見上げる。
ぼんやりと眺めていると、暗い星が見え辛くなっている事に気が付く。
もう半刻程で陽が昇るだろう。
用を足し終え、厠を後にする。
先程の続きを考えながら、庭石を渡り始める。
どういった人物が、私に悪意を向けるのだろうか。
以前、狐講の連中が火付けをしたり更科さんを誘拐しようとした事を思い出す。
だがあれは、手段は酷かったが、私達の助けになろうとしての事だった。
決して、悪意ではない。
次に思い出すのは、白石様だ。
白石様は、里を安定させるために狐を排除すべきと考え、私を誘拐して地下牢に閉じ込めた。
そしてその後、私を道標もない雪山に捨てたのだ。
偶々、雪熊を間引きしていた焔太様と会ったから良かったようなものの、そうでなければ私は遭難して死んでいてもおかしくなかった。
そのような連中が、神社の中にもいるとしたらどうだろうか。
そんな事を考えているうちに、私は、古川様のいる井戸まで着いた。
私が、
「これから着替えてまいります。
もう少し、お待ち下さい。」
と声を掛けると、古川様から、
「いつもより、・・・遅いわ・・・ね。」
と返ってきた。考え事をしているせいで、歩みがゆっくりとなっていたのだろう。
私は、
「すみません。
庭石が凍っていたので、慎重に歩いていたせいだと思います・・・。」
と言い訳をすると、古川様は、
「・・・そういう事・・・ね。」
と納得した様子。私は、
「では、着替えて参ります。」
と言うと、古川様も、
「ええ。」
と返した。
急いで部屋に戻り、白装束に着替える。
そして、更科さんと一緒に井戸まで移動した。
井戸に着くと、古川様の他、佳央様も白装束で待っていた。
古川様が、
「では、・・・始めよう・・・か。」
と言っていつもの祝詞を上げる。
私は、その間も余計な事を考えていたのだが、古川様から桶を受け取り水を被った瞬間、あまりの冷たさに、寒さの事しか考えられなくなった。
早く終わらせるため、桶を受け取る度に、兎に角、素早く水を被る。
禊が終わり、朝餉が出来るまでの間、それぞれの部屋に戻る。
私は更科さんに、
「昨晩なのですがね。
私の中で貧乏神が見つかったので、分け御霊に祓ってもらいまして。
ですので、これから借金は減る一方だと思いますよ。」
と伝えた。すると、更科さんは、
「そうなの?
良かったわね。」
と手を取って喜んでくれた。私は、程度はともかく、これが普通の反応だよなと思いながら、
「はい。」
と頷くと、更科さんは、
「それで、追い出した貧乏神はどこに行ったの?」
と聞いてきた。私が、
「それは、神様のいる世界に送り返したのだそうですよ。」
と説明すると、更科さんは、
「そっか。
なら、安心ね。」
と嬉しそう。そう言えば、古川様には、貧乏神がどこに行ったか伝えていなかった。
つまり、あの難しい顔は、貧乏神が他の人に憑く事を懸念してのものだったに違いない。
私は、自分の中で納得し、スッキリした気持ちになった。
座敷で古川様と会ったら、その旨を伝える事にする。
更科さんが、
「そろそろ、出来たかな?」
と障子の方を見る。朝餉の事だろう。
私は、
「そうですね。
そろそろ、行きましょうか。」
と同意した。
そして、私は心も軽く、いつもの座敷へと向かったのだった。
本日も短め。。。(--;)
作中、「道標」が出てきますが、こちらは皆様ご存知の通り、道に立っている距離や街などの方向を示す看板のようなものとなります。
江戸時代に作られた有名な(量産型)道標に一里塚という物がありますが、こちらは主要街道に1里毎に設置された道標となります。原則は一里毎に作られているのですが、当初からなかったと思われる地点もあるのだとか。
後、この一里塚を街道沿いに作るのを命じたのは徳川家康なのですが、それを取り仕切ったのは、代官頭で色々な奉行も兼任していた大久保長安です。
大久保長安は、元は流れの猿楽師(能楽をやっている人)でしたが武田信玄お抱えとなり、その後、家臣に取り立てられたそうですが、武田滅亡後は敵方だったはずの徳川家康の家臣として仕えるようになり、その後、代官頭に取り上げられ、各種奉行を兼任、最終的にはかなりの権力を有した人物なのだそうです。ただ、没後、家康により代官所の感情が滞っていた事を理由に葬儀が差し止められ、不正に私腹を肥やしていたということで摘発されお家断絶となりました。(大久保長安事件)
家康が何故このタイミングで摘発したかは謎ですが、当時は家を重んじていた筈なので、当人死後、不正を摘発しお家断絶とする事で、不正しないよう促したのかもしれません。
・道標
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%81%93%E6%A8%99&oldid=99698487
・一里塚
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A&oldid=99393139
・東海道の一里塚一覧
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7&oldid=99393170
・中山道の一里塚一覧
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E9%81%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7&oldid=97856845
・甲州街道の一里塚一覧
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%94%B2%E5%B7%9E%E8%A1%97%E9%81%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7&oldid=99729503
・代官頭
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BB%A3%E5%AE%98%E9%A0%AD&oldid=91054422
・大久保長安
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E9%95%B7%E5%AE%89&oldid=98692928
・猿楽
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%8C%BF%E6%A5%BD&oldid=99880478
・大久保長安事件
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E9%95%B7%E5%AE%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=93033264