厠から戻って
石灯籠が灯る庭の隅を、飛び石を辿りまがら裏戸まで渡る。
引き戸を引いて中に入り、下駄を揃えておく。
そして、戸を立てた後は、座敷まで戻るべく歩き始める。
歩きながら、いつどうやって焔太様に謝ろうかと考える。
一番簡単なのは、今日は何も言わず、後日、酒の席だったのを理由に謝る事だろうか。
だがそれだと、今日は雰囲気が悪いままだ。
形だけ謝った所で、あれでも焔太様は竜人だ。
見透かされるに違いない。
そんな事を考えていると、ふと、自分が戻るべき座敷がどこか、判らなくなっている事に気がついた。
酔っていることを、自覚する。
──一旦、入口まで戻れば思い出すのではないか?
そう考えた私は、一旦、入口まで戻った。
そして、店の人がどのように案内したか思い出しながら、また奥に進んでいく。
少し歩いた所で障子が開き、中から先程の蝸牛の着物を着た竜人が出てきた。
その竜人、座敷の中に向かって、
「それでは、殿様に若殿様。
これにて、失礼いたします。」
と挨拶をしている。
盗み聞きするつもりはなかったが、部屋の中から、
「・・・病弱だったのに、丈夫届や嫡子願も受理され、いよいよめでたい限り・・・」
と話しているのが聞こえてきた。
──何かの祝の後なのだろうか?
私はそんな事を考えながら、蝸牛の着物の竜人が障子を閉めたのを見計らって、
「先程は、助かりました。」
と声を掛けた。すると、向こうも覚えていたようで、
「坊っちゃんかい。
『助かった』って事は厠は判ったんだね。」
と笑顔で返してきた。が、
「だが、それにしては妙に冴えない顔つきだね。
また、何かあったのかい?」
とにこやかに聞いてきた。
私は、自分の部屋を聞くのは筋違いなので、
「えっと・・・。」
と困り顔で返すと、蝸牛の着物の竜人は、
「込み入った話なら、聞かないよ。」
と訳知り顔になった。私は、そんなに重たい話ではないと伝えるため、正直に、
「いえ、大した話でもありません。
実は、案内された座敷が判らなくなったので、店の人を探しておりまして・・・。」
と苦笑しながら話した。すると、蝸牛の着物の竜人は、
「あぁ。
そういう事かい。
あまり慣れない店では、迷う事もあるからね。」
と納得。親切にも、
「一緒に、探してあげようか?」
と提案してくれた。だが、私は小さな子の迷子みたいで恥ずかしくなり、
「いえ、大丈夫です。」
と返すと、蝸牛の着物の竜人は、
「そうかい?
まぁ、駄目そうだったら、あっしを頼ってくれても良いよ。
一応、ここでは顔だからね。」
と言ってくれた。私は、
「ありがとうございます。
助かります。」
とお礼を言った所で、大月様の姿が見えてきた。
私は、
「丁度、知り合いが来ましたので、大丈夫そうです。
ありがとうございました。」
とお礼を伝えると、蝸牛の着物の竜人も、
「そうか。
それなら、安心だね。」
とにこやかに返し、
「では、また縁があれば。」
と挨拶をした。私も、
「はい。」
とだけ返す。大月様が蝸牛の着物の竜人に一礼した後、小声で私に、
「知り合いか?」
と聞いてきた。
私が、
「いえ。
先ほど、厠を教えていただいた縁でして。
お礼を言っておりました。」
と返すと、大月様は、
「そうか。」
と頷いた。
ふと、赤竜帝や蒼竜様の気配を探せば、座敷の在処なんて一発で判った事に気づく。
私が思わず苦笑いすると、大月様は、
「どうした?」
と尋ねてきた。私は、
「いえ、何でも。」
と返すと、大月様は、
「そうか。
ならば、良い。」
とやや不満げに言ったのだった。
座敷に到着し、大月様が障子を開けて中に入る。
私も続いて座敷に入り、障子を閉める。
すると皆さん、少し心配そうに私の方を見てきた。
座布団に座ると、赤竜帝から、
「大丈夫か?」
と心配そうに聞いてきた。
──どうしたのだろうか?
一瞬、過剰に心配しているように感じたが、考えてみれば私が座敷に戻るまで、普通よりも長かった。
恐らく、気分が悪くなって厠で吐いていたと勘違いしているのだろう。
私は、
「はい。
今は、すっきりとしていますので。」
と返すと、赤竜帝は、
「そうか。
が、無理はするなよ。」
と優しい言葉を掛けてくれた。
私は、正直に、
「はい。
厠が判らず、迷っただけですので・・・。」
と返すと、赤竜帝は、
「そうか。
酒のせいでないならば、よい。」
と安心したようだった。私は更科さんに笑顔を向けながら、
「あれは、佳織のお陰で抜けましたから。」
と返すと、赤竜帝は、
「そうか。」
と頷いた。
焔太様が、
「山上は、酒に弱いようだからな。
少しは考えて飲めよ。」
と声を掛けてきた。焔太様も、心配してくれているようだ。
私は、
「はい。
そうします。」
と返し、盃を手に取った。
すると、焔太様が、
「言った側からか。」
と厳しい顔つきになる。私は、
「これは、大丈夫ですよ。
私のために、店の人が準備したものですから。」
と苦笑いすると、焔太様は、
「まぁ、そうだが・・・。」
と口籠った。私は、
「はい。
ですが、心配していただいている事はありがたいと思っていますよ。」
と伝えると、焔太様は少しバツが悪そうに、
「そういうわけではない。」
と返した。理由はともかく、先程の口論はなかった事になったようだ。
そう思った矢先、赤竜帝が、
「それで、二人はもう良いのか?」
と聞いてきた。私が厠に行く前、少し険悪な雰囲気になっていたからだろう。
私は、今、蒸し返さなくても良いのにと思いながら、
「えっと・・・。」
と少しそっぽを向き、一先ず、
「あの時は、咄嗟で思い出せませんでした。
話し方も、悪かったと思います。
申し訳ありませんでした。」
と謝った。
少し、間が出来る。
赤竜帝が、
「戸赤は、どうなのだ?」
と焔太様を一瞥すると、焔太様は少し頭を振った後、
「俺も、頭に血が登っていたようだ。」
と謝り、
「人間が酒を飲んだのだ。
そのような事もあるだろう。」
と付け加える。私は、また突っ掛かられたような気もしたが、これも焔太様の性格だと思い直し、
「はい。」
と言葉を飲み込んだ。
赤竜帝は、
「まぁ、飲むか。」
と一言。私は、
「はい。」
と同意したのだった。
作中、(明らかに後書きの為だろうと見え見えの)「丈夫届や嫡子願も受理されて」という下りがありますが、この中に『丈夫届』というものと『嫡子願』というものが出てきます。
まず、『丈夫届』というのは、江戸時代の武家の出生届のようなものです。
今と違う点は、当時は夭逝する確率が今よりも高かったので、殆どの家で、5歳前後になった頃に丈夫に育ちましたと公儀に届けたのだそうです。ここで申請した生まれ年を、本当に生まれた年(生年)と区別して、公年と呼んでいました。
この生年と公年、普通に考えれば一致しそうなものですが、ずれたりする場合があったからなのだそうです。というのも、江戸時代、武家では当主が17歳未満の場合は養子を向かえられないという制約があったそうですが、17歳未満の当主になりそうな子供が病弱だった場合、養子を立てて家督を譲る事が出来ず家が潰れてしまう場合があったとのこと。これを避けるため、わざと公年を上に届け出て、少しでも早く養子が向かえられるよにしました。
場合によっては大幅に上に申請する事もあったのだそうですが、病弱な子供しかいなくなるという事態は、将来、どの家でも起こりうる事なので、将軍様をはじめ、(思ってはいても)公に指摘はしなかったのだそうです。
また、『嫡子願』は、家を相続する嫡子であることを公儀に届けるものなのだそうで、『丈夫届』の後に出したのだそうです。
旗本以上の人たちは、これを出す事で御目見が出来るようになったのだとか。
・官年
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%AE%98%E5%B9%B4&oldid=93220078
・御目見
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・旗本
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%97%E6%9C%AC&oldid=97088444
※余談ですが、旗本は「殿様」、御家人は「旦那様」と呼ばれていたそうです。
〜〜〜
昨日、紅葉狩りに行ったものの、あまり紅葉していませんでした。orz
ということで、来週、もう一度紅葉狩りに行く予定です。
天気によっては、又、お休みしますが、あしからず・・・。(^^;)




