厠にて
座敷から出た後、私は店の人を探して廊下をうろうろしていた。
言った手前、厠に行こうと考えたのだが、ここは初めての店。どこにあるか、判らないからだ。
一度、奥まで行ったのだが、物置と思われる引き戸があるばかりで、厠らしき部屋はなかった。なので、今は入り口の方に向かって歩いている。
すると、偶然通りかかった座敷から、知らない竜人が出てきた。
──しめた!
この竜人も、厠に向かうに違いない。
竜人の少し後ろを歩くと、着物の柄が妙な事に気がついた。
一見、三つ巴に見えるのだが、よく見ると、巴が蝸牛に置き換わっているのだ。
このような柄があるのだなと思っていると、その竜人から、
「坊っちゃん。
先程から、どうしたんだい?」
と聞かれてしまった。私は、
「すみません。
こちらの店は初めてなのですが、付いていけば、厠に行けるのではないかと思いまして。」
と正直に答えると、竜人は、
「なるほど、厠か。」
と納得し、
「この店は、解りにくいからね。
厠なら、この廊下の突き当りに裏戸があってね。
そこから出て、飛び石に沿って歩いていけば、辿り着けるよ。」
と教えてくれた。先程の物置と思った所が、実は出口になっていたようだ。
私は、
「教えていただき、ありがとうございます。」
とお礼を言った後、
「ところで、雪が降っていても飛び石は見えるので?」
と確認した。すると、竜人は、
「ここは、それなりに良い店だからね。
心配は、いらないよ。」
と教えてくれた。気配りが出来ている店なので、除雪済みだと言っているのだろう。
私は、
「ありがとうございます。
それならば、安心して厠に行けそうです。」
と礼を言うと、竜人は、
「いや、なに。」
と軽く手を上げ、別の座敷に入っていった。
あの竜人は、座敷を掛け持ちしている、芸人か何かだったのかもしれない。
廊下の突き当りまで戻り、裏戸を確認する。
引き戸だったので、横に引いて戸を開ける。
すると、そこには沓脱ぎ石があり、その上に二足の下駄が置いてあった。
すすぎのための桶は見つからない。
恐らく、これを履いて厠に向かえという事なのだろう。
下駄を履き、戸をたてて厠に向かう。
足下は飛び石が見えるよう適度に除雪されており、周囲には石灯籠。きちんと、灯りも入っている。
淡い光に照らされながら、飛び石を辿って歩く。
が、庭木に隠れて直接見えなかっただけで、すぐ厠に辿り着く。
これも、気遣いの一つなのだろう。
厠に入る。
蝋燭が灯されており、思ったよりも明るい。
用を足し始める。
湯けむりが立ち、改めて寒さを実感する。
大きく息を吐きながら格子戸の外を見上げるが、星は見えない。
ぶるり、震える。
先程の、焔太様とのやり取りを思い出す。
「そんなつもりじゃ、なかったんだけどな・・・。」
そう呟くと、厠に向かって近づいてくる気配を感じた。大月様だ。
用がすんだので、柄杓に手水を汲んで、手を洗う。
懐から手拭いを出して拭いていると、大月様が厠に入ってきた。そして、
「多くは言わぬ。
が、戸赤とは仲直りするのだぞ。」
と声を掛けてきた。私は、
「そうですね。」
と返した。が、先程は、向こうから一方的に『私にとって都合が良いように話をした』と言ってきた。
私は、
「引き返した時の事を思い出せなかったのは、私の落ち度です。
ですが、だからと言って、後の話までなかった事にされては、溜まったものではありませんよ。」
と説明すると、大月様は静かに、
「思い出せぬ事は、誰にでも、いくらでもあるからな。」
と頷いた。そして、
「が、山上も言った手前。
戸赤も言った手前。
そういうのがあったのではないか?」
と諭すように言ってきた。確かに、そうかもしれない。
それに、結果的にだが、狡い言い回しになっていたかもしれない。
少しだけだが、私にも非があるように思えてきた。
大月様は私の顔をしっかりと見た後、
「まぁ、山上だ。
そこまで、心配はしておらぬがな。」
と言って私から離れ、用を足し始めた。
私は、
「いえ。」
とだけ返し、
「では、また。」
と挨拶して厠を後にした。
本日、短めです。
作中、「巴が蝸牛に置き換わっている」絵柄が出てきますが、これは「まいまいともえ」という絵柄を想定しています。
この「まいまいともえ」は小紋雅話から出典で、作中の通り、巴の部分が蝸牛に置き換わった絵柄となります。
この小紋雅話は、一見、小紋のデザイン集なのですが、あくまで想像の小紋を描いていると思われますので、本当にこのような絵柄の着物が作られたかは不明となります。
ただ、「まいまいともえ」もそうですが、例えばTシャツにワンポイントでプリントされていても、古臭さを感じないであろう図柄が沢山あるなと思うおっさんです。
・小紋雅話
https://waseda.primo.exlibrisgroup.com/permalink/81SOKEI_WUNI/7jeksk/alma991000913849704032
※「フルテキストを表示」→「HTML」→「4」とたどった先に「まいまいともえ」があります。
・山東京伝
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%BC%9D&oldid=95600933




