代わりに
昼食のため、佳央様と私が座敷に移動すると、既に更科さんが座布団に座って待っていた。
古川様の姿は、まだ見えない。
私は、
「お待たせしてしまい、申し訳ありません。」
と謝りながら部屋に入ると、佳央様から、
「丁寧に謝りすぎよ。
『待たせた。』の一言で十分だから。」
と駄目出しが入る。
作法の一環で指摘してくれるのはありがたいのだが、妻に一言だけというのもどうなのだろうか。
私はそう思いながら、
「すみません。
性分なので、つい・・・。」
と頭を掻きながら謝った。すると佳央様から、
「頭を掻くのも注意したけど、忘れた?」
と怒られた。
以前、赤竜帝が頭を掻いて謝ったら威厳もへったくれもないが、それは私も同じだといった趣旨の指摘を受けたのを思い出す。
私は、
「そうでした。
これも、つい・・・。」
として、思わず頭に手をやりかけた。途中で気づき、笑って誤魔化しながら腕を下げる。
私は、
「一先ず、座りましょうか。」
とこの話を打ち切り、佳央様にも座布団に座るように促したのだった。
下女の人が、
「昼餉を持って参りますので、少々お待ちください。」
と言って、この場を後にする。
私は、
「古川様が、まだ来ていませんが・・・。」
と指摘すると、更科さんが、
「古川様なら、もう出掛けたわよ?
代わりに、稲荷神社から氷川様って方が来るって。」
と教えてくれた。だが、氷川様という名前に心当たりがない。
私は、
「氷川様?」
と首を捻って思い出そうと考えていると、佳央様が、
「たっぷりの人よ。」
と一言。稲荷の人達に中にいた、小太りの女性を思い出す。
私は、
「あぁ、あの方ですか。」
と手をポンとやると、更科さんは、
「正午に、こちらに着くって。」
と付け加える。私は、
「分かりました。
では、早めに食べてしまわないといけませんね。」
と返し、更科さんも、
「そうね。」
と頷いた。
障子の向こう側に、下女の人がやって来る。
その下女の人が、
「昼餉にございます。」
と伝え、膳を運んできた。
私の目の前の膳には、粥が乗るのみ。
だが、佳央様と更科さんの膳には、少しくすんだ色の豆腐、牛蒡と人参、後は胡麻を油で炒めた物、後、白菜のお漬物、白飯、小松菜と油揚げのお味噌汁が並んでいる。
昼出掛けると、昼餉もこうなるのかとがっかりする。
佳央様から、
「そんなに見られたら、佳織が困ってるでしょ?」
と怒られる。指摘されて、朝食に続き、また更科さんの膳に目が行っていた事に気がついた。
私は、
「申し訳ありません。」
と謝り、自分の粥が入った茶碗を手に取った。
私が一番に昼餉を食べ終えると、下女の人がやってきた。そして、
「山上様。
氷川様が、いらっしゃいました。」
と告げた。私は、
「申し訳ありません。
まだ、着替えていないので、少しお待ち頂くよう伝えてもらっても良いでしょうか?」
とお願いすると、下女の人は、
「承知しました。」
と返事をし、下がっていった。
私は座布団から立ち上がると、佳央様から、
「一人で行く気?
私、まだ食べてるんだけど。」
と引き止められた。私は、
「いえ、先に着替えてしまおうと思いまして。」
と返すと、更科さんから、
「もう少しで食べ終わるから、少し待ってて。」
と止められた。私は、
「着替えくらい、一人で出来ますよ。
なので、佳織はゆっくり食べていて下さい。」
と笑いかけたのだが、更科さんは少し上目遣いで、
「でも、私の仕事だから。」
と手伝いたい様子。私は、
「分かりました。」
と返事し、更科さんが無理に急いで食べなくても良いようにと考え、
「すみません。
新しいお茶を頂いても宜しいですか?」
と下女の人にお願いした。下女の人が、
「分かりました。」
と返事をし、綺麗な所作でお茶を注ぐ。
更科さんが、先程よりも早く箸を動かし始める。
私は、
「ゆっくりで良いですよ。」
と言ったのだが、更科さんは、
「氷川様をお待たせしてるのに、悪いでしょ?」
と反論した。確かに、その通りだ。
私は、
「そうですね。
では、無理のない程度に急いで下さいね。」
とお願いすると、更科さんは、
「うん。」
と返し、黙々と残りを食べ始めた。
暫くお茶を飲みながら待っていると、下女の人がやってきた。
そして、
「戸赤様が、お越しです。」
と言って来た。焔太様が来たようだ。
私は、
「分かりました。」
と返して立ち上がろうとすると、佳央様から、
「氷川様の方が、先じゃない?」
と怒られた。私は、
「先に来たのはそうですが、焔太様なら着替えなくても大丈夫ではありませんか。」
と反論すると、佳央様から、
「普通、上から順に会うものよ。
それに、誰が取次するの?」
と反駁する。
私は、面倒だなと思いながら、力なく、
「あぁ・・・。」
と声を漏らした。そして、下女の人に、
「では、すみません。
焔太様には、
『申し訳ありませんが先客がいるので、少し遅れます』
と伝えておいていただけないでしょうか。」
とお願いしたのだが、佳央様から、
「謝るのは駄目よ。」
とまた指摘が入った。私は少し考え、
「・・・謝るのが駄目なのですよね?」
と確認すると、佳央様は、
「当たりよ。」
と頷いた。私は、
「すみません。
では、
『先客がいるので、少し遅れます』
とだけお伝え下さい。」
と言い直すと、下女の人は、
「分かりました。」
と返事をし、座敷を後にした。
更科さんの方を見ると、食事が終わっている。
私は、
「では、佳織。
食べ終わってすぐで恐縮ですが、着替えに行きましょうか。」
と座布団を立ち上がると、更科さんも、
「うん。
待たせてごめんね?」
と謝りながら立ち上がった。
私は、
「いえいえ。
こちらこそ急がせてしまい、申し訳ありません。」
と私も謝った。佳央様が何か言いたげだったが、目を反らす。
そして、二人で着替えのために座敷を後にした。
紺の着物と浅葱色の袴に着替え、座敷に戻る。
佳央様に、
「お待たせしました。
では、行きましょうか。」
と声を掛け、二人で氷川様の待つ別の座敷に移動した。
座敷に入ると、たっぷりとした体格の女性が頭を下げて座っていた。
氷川様だ。
私は座布団に座ると、
「ご苦労さまです。」
と声を掛けた。
佳央様が返事を待たずに近づき、私に小声で、
「直接で良かったんだっけ?」
と言ってきた。私はそこまで深く考えていなかったが、
「稲荷の側の代表ですし、良いのではありませんか?」
と適当に思いついた言い訳をすると、佳央様は少し考え、
「分ったわ。」
と了承した。だが、あまり納得してはいない様子。
佳央様が自分の座布団に戻ったのだが、氷川様からの返事がない。
私は次の言葉をかけようと思ったのだが、佳央様が急いでやってきた。そして、耳元で、
「やっぱり取次、必要だったんじゃない?」
と言ってきた。先程は何も考えずに声を掛けただけで、取次が必要かなんて事は考えてもいなかった。
私には、必要かどうかの判断がつかなかったので、
「そんな事は無いと思いますが・・・。
念の為、聞いてみてもらっても良いですか?」
と少し誤魔化しながらお願いすると、佳央様は渋々という感じではあるが、
「面倒ね。」
と了承してくれた。
佳央様が戻り、
「面を上げて下さい。
直接お話しても良いそうですよ。」
と声を掛ける。
すると氷川様は、
「ははあ。」
と返事をしながら頭を上げた。
私からも声掛けが必要だろうと感じたので、
「見ての通り、成り上がり者で作法の勉強も不十分でして。
氷川様も、内の者でもありますし、至らぬ点がありましたら教えて下さい。」
とお願いすると、氷川様から、
「もったいなきお言葉にございます。」
と整合性のない返事が帰ってきた。不思議には思うが、話が進まないのでそのまま流す事にする。
私は、
「それで、稲荷神社の側で準備を行うと聞きましたが、今はどういった状況なのでしょうか?」
と質問すると、氷川様は、
「はい。
稲荷神肝煎りの、年に一度の社の祭礼と聞いております。
急ではございましたが、盛大になるよう、尽力している最中にございます。」
と答えた。予感はあったが、想像以上に話しが大きくなっている。
私は背中に冷や汗が流れるのを感じながら、
「すみません。
折角準備していただいて申し訳ないのですが、今回は祭礼ではありません。
外で少し祝詞を唱え、瞑想をして帰るだけの予定だったのですが・・・。」
と伝えたのだが、氷川様は、少し遠慮がちに、
「・・・無礼を承知で・・・申し上げます。
それでは、稲荷神に失礼ではありませんか?」
と指摘してきた。
私は、
「いえ、今回に限っては問題ありません。」
と伝えると、氷川様は不審な顔つきで、
「本当に、そうなのですか?」
と聞いてきた。私は、
「はい。」
と答えたのだが、氷川様は眉を寄せて何か言いたげだ。
そもそも今回社に行くのは、狐講が私の地位向上を図ろうと社に立て籠もっての狂言誘拐を企てるので、これを止めにいくのが目的だ。
だが、稲荷神からは、適当な儀式をでっち上げて竜の里に留まるようにという指示。目的は口に出してはいけないと思われる。
このため、今の困った状況が生まれてしまっている。
私は、どうしたものかと悩みながら、
「今回は、社の中に入る必要すらないような儀式で、祝詞さえも適当で良いと言われております。
盛大にお祭りせずともよかったのですが・・・。」
と伝えると、氷川様は、
「『祝詞が適当で良い』ですか・・・。」
と物凄く困惑している様子。
私は駄目押しにと思い、
「用事が済んだら、その後で山に行って雪熊を間引きに行こうという事になっていた程ですよ。」
と伝えると、氷川様は、
「・・・分かりました。
ですがそのような形態、あまり聞いた事がありませんでしたもので・・・。」
と泣きそうな顔になっていった。
──氷川様に、今回の事情を伝える事が出来たら良いのに。
私は心がチクチクするのを感じながら、
「すみません。
事が終われば、事情を説明しますので・・・。」
と謝ったのだった。
今回も、小粒なネタをいくつか。
作中の「少しくすんだ色の豆腐」は、精進料理で有名な胡麻豆腐となります。
豆腐百珍 続編の附録からの出典で、白胡麻と葛粉を使って作られている事を想定しています。
また、「牛蒡と人参、後は胡麻を油で炒めた物」は、金平牛蒡を想定しています。
作中の金平牛蒡はごま油で炒めている想定ですが、前身は伽羅牛蒡ではないかとの事で、油では炒めず、煮る料理だったのだそうです。
後、おっさんの力量不足で本文中だけでは汲み取るのに無理があると思った所があったので、注釈をひとつ。
作中、山上くんが氷川様に対して「内の者」と言っています。
この「内の者」、妻や家族という意味もありますが、家に仕える家臣とか使用人といった意味でも使います。このため山上くんは、ここでは『同じ社の者同士』という意図で使っています。
ただ、一緒に仕事をした事はないので、山上くんには実感がありません。
一方、氷川様は稲荷神社で下っ端のポジションだったので、きちんと組織の一員として認めてもらえていると感じ、返事をするのを忘れて感謝の意を示しました。
・胡麻豆腐
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%83%A1%E9%BA%BB%E8%B1%86%E8%85%90&oldid=94491035
・麻乳
https://dl.ndl.go.jp/pid/2536546/1/48
・きんぴら 東京都
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/34_27_tokyo.html
・金平
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%91%E5%B9%B3&oldid=93142476
・きゃらぶき
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%8D%E3%82%83%E3%82%89%E3%81%B6%E3%81%8D&oldid=90502629




