朝早くに
白狐から新たな狐講の情報を聞いた私は、真夜中の時間帯に目を覚ました。
これから、禊の準備をしてもらうため、古川様にお願いをしに行かなければならない。
真っ暗な中、少し縮こまりながら布団から抜け出て、移動を開始する。
更科さんはまだ寝ているようなので、起こしてしまわないように気配を消し、音を立てずに歩みを進める。
突然、雨戸がガタガタと揺れる。
先程まで静かだったので、思わず、ビクリと肩が上がる。
一度深呼吸をし、音の原因を考える。
恐らく、風のせいだろう。
気を取り直し、また歩き始める。
──抜き足、差し足、忍び足。
少し歩くと、人が近づいてくる気配を感じる。
下女の人が、侵入者がいないか見回りをしているのだろう。
何となく、隠れてやり過ごす。
いよいよ、泥棒をしている気分になってくる。
だが、改めて考えると、私に隠れる理由はない。
思わず、苦笑いが漏れる。
そうこうしている内に、古川様の部屋へと辿り着く。
私は、部屋の中に向かって、少し控えめな声で、
「古川様。
もし。
古川様。」
と呼びかけてみた。
だが、部屋の中の気配に、特に変化はない。
もう一度、呼びかけてみる。
「もし。
古川様。
もし。」
やはり、返事がない。
仕方がないので、私は古川様の部屋の障子を開ける事にした。
私は、遠慮がちに障子を開けながら、
「おはよ〜、ございま〜す。」
と呼びかける。
──誰もいない。
佳央様の部屋と同じで、奥に寝屋があったのを思い出す。
私は奥の部屋に続く障子の前に立ち、改めて、
「古川様。
もし。
古川様。」
と呼びかけてみる。
少し待ったが、返事がない。
私は、恐らく、ぐっすりと寝ているのだろうと思いながら、もう一度、
「もし。
古川様。」
と声を掛けてみた。
やはり、返事がない。
仕方がないので、障子を開けてみる。
だが、部屋の布団は片付けられていた。
──この部屋ではなかったのか?
私は、一瞬、隣の部屋と間違えたのではないかと思ったのだが、よく見ると、衣紋掛けに着物が掛けてある。この部屋で間違いなさそうだ。
私は、古川様が今夜は神社に泊まりに行った可能性がある事に気が付き、急に不安になった。
古川様がいなければ、禊の準備ができない。
私は、顔面蒼白になりながら、念話が使える佳央様がいる部屋に向かって早足で歩いた。
佳央様の部屋の前につくと、私はすぐに障子を開けた。
そして、部屋を突っ切り、寝屋の障子の前に立つ。
私は勢い良く、
「佳央様っ!
申し訳ありません!」
と声を掛けながら寝屋に侵入した。
すると、佳央様は身をよじりながらこちらに顔を向け、
「・・・和人?」
と返事をした。私は、
「すみません!
古川様に、念話をお願いしたく!」
と依頼すると、佳央様は、
「古川・・・様?」
と寝ぼけている様子。私は、
「はいっ!
古川様です!
今から、禊の準備をお願いしたいのです!」
と伝えると、佳央様は少し考え、
「・・・?
井戸にいない?」
と言ってきた。佳央様の方が、私よりも気配を探れる範囲が広い。
私は、他から話を聞いていたのだろうかと思いながら、
「分かりました!
でしたら、直ぐに行ってみます!」
と断って、少し早足で井戸に向かった。
先程よりは、気持ちが軽くなる。
後ろから、
「障子くらい閉めなさい!」
と苦情が聞こえてくる。私は、
「申し訳ありません。」
と佳央様に謝ながら引き返し、障子を閉めた。
改めて、井戸に向かう。
お勝手から外に出て、飛び石を渡る。
風が吹き、その度にゾワッとなる。
両腕を擦り、黄色魔法も使って、少しでも寒さを和らげる。
井戸に近づくと、ざばぁと水を捨てる音が聞こえてきた。
気配で、音の主が古川様だと確認する。
佳央様からの情報通り、古川様は井戸にいるようだ。
恐らく、古川様がどこからか話を聞いて、禊の準備をしてくれているのだろう。
私は、井戸が見える距離まで近づくと、少し大き目の声で、
「おはようございます、古川様!
禊の準備、ありがとうございます!」
と話し掛けた。すると古川様がこちらに顔を向け、
「山上。
今朝は、・・・早いわ・・・ね。」
と挨拶を返したのだが、
「ところで、・・・なんで・・・お礼?」
と質問が帰ってきた。私は、
「今日、神社に行くのを聞いて、準備してくれていたのでは無いのですか?」
とこちらも質問で返す。すると古川様は、
「そう・・・なの?」
と疑っている様子。私は、
「はい。
昨晩、寝ている間に聞いたのですが、白狐から、
『年に1度、特別な祝詞を上げる必要がある』
と言われましたので。」
と白狐に言われたとおりに説明した。すると古川様は、困った表情で、
「そうなの・・・ね。
でも、・・・私も用事があって・・・ね。
えっと・・・。」
と困っている様子。私は、禊なんて水を被るだけだと思っていたので、
「どうかしたので?」
と尋ねると、古川様は、
「これは、・・・別件だから・・・ね。」
と言ってきた。私は意図が判らず、
「と言いますと?」
と質問すると、古川様は、
「今日は、・・・巫女様に・・・・外せない用事があって・・・ね。
それが・・・、念話では難しい・・・から、・・・直接会うのだけど・・・ね。
その・・・。
社に行くのと、・・・祝詞が違うの・・・よ。」
と理由を説明した。ここで言う巫女様は、恐らく、竜の巫女様なのだろう。
私は、以前の禊の様子を思い出しながら、
「そう言えば、大麻を振って祝詞を上げていましたね。」
と言うと、古川様は、
「それ・・・よ。」
と同意する。私は、
「同じでは駄目なので?」
と確認すると、古川様は、少し怒った様子で、
「参拝する神様に、・・・失礼だから・・・ね?」
と返事をした。言われてみれば、そうかもしれない。
私は、
「では、私はどうすれば?」
と確認すると、古川様は、
「一先ず、・・・巫女様に聞いてみるわ・・・ね。」
と答え、目を瞑った。
私は、無理だと言われたらどうしようかと思い、じっとしていられなくなった。
3尺くらいのところを、くるくると円を描くように歩き始める。
少しして古川様が目を開けると、
「事情は・・・聞いた・・・わ。」
と言った後、
「今回に限り、・・・同じで良いそう・・・よ。
社の中に・・・入らなければ、・・・問題ないらしい・・・わ。」
と説明した。私は、
「なるほど、そういう事ですか。」
と納得した。気が抜けたせいか、急に用を足したくなる。
私は、
「後でまた来ますので、宜しくお願いします。」
と声を掛け、厠に向けて歩き始めた。
古川様は、
「分った・・・わ。」
と返事をしたのだった。
本日短め。
あと、江戸ネタはお休みですが、しょうもないやつを一つだけ。(^^;)
作中、『抜き足、差し足、忍び足』というのが出てきますが、こちらは、泥棒や忍者の動きとしてよく出てくると思います。
この『抜き足、差し足、忍び足』ですが、抜き足は足場の一部に余計な力を加て音が出ないよう抜くように足を上げる事を、差し足は音を出さないようにつま先で力の加減を確かめながらそっと足を下ろす事を、忍び足は音を出さないように細心の注意を払って歩く事を言うのだそうです。




