午前中は
暗い中、目が覚める。
布団の中だ。
昨日は、赤竜帝との飲み会で古い居酒屋に行った後、そこで寝たまでは覚えている。
だが、そこから先、一切の記憶がない。
一体、私はどこで寝ているのだろうか。
不安になってくる。
なんとなく、厠に行きたくなる。
が、布団から外ずとも、顔に凶悪な冷たが伝わってくる。
スキルで温度を見てみると、天井が冷たくなっているのがはっきりと分かる。
部屋の中でこの色は初めて見るかもしれない冷たさだ。
この天井、なんとなく見覚えがある。恐らく、お屋敷に戻っていたのだろう。
私は、もう少しこのまま布団に入っていたかったのだが、厠の方に用がある。
徐々に恋しさが増すのはわかりきっているので、えいやで布団から外に出る。
が、想像以上の寒さ。
私は、両腕を旨に引き付け、指先を息で温めながら、周りの様子を確認した。
長火鉢や長持が目に入る。
やはり、普通にお屋敷で寝ていたようだ。
私は、昨夜も無事買えることが出来たのかと若干安堵しながら、厠へと向かった。
お勝手で共用の下駄を履き、外に出る。
雲間から、もうすぐ沈みそうな月明かりが薄っすらと庭を照らしている。
一面、雪景色。
足を踏み出すと、音もなくふんわりと沈み込む。
どうやら、昨晩は雪が降っていたようだ。
私は、飛び石があるであろう、雪が膨らんでいる所を踏み、厠に向かった。
暫く飛び石を進み、井戸に差し掛かる。
すると、ここで声がかかり、
「山上。
後で・・・ここに来て・・・ね。」
とお願いされた。古川様だ。
顔を向けると、四方に細い笹のような物が立ててあり、七五三縄が張ってある。
嫌な予感がする。
私は恐る恐る、
「何を、・・・するのですか?」
と確認すると、古川様は、
「見ての通り、・・・禊よ。」
と答えた。私はこんな寒い日にまでと思いながら、敢えて、
「それは、古川様も大変ですね。」
と言うと、古川様は、
「山上も・・・よ?」
と不思議そうに小首を傾げた。案の定だ。
私は前回の禊を思い出し、
「やはりですか。」
と溜息混じりに返事をした。
すると古川様は、
「何かあった・・・の?」
と聞いてきた。私は、
「いえ。
雪も降っているのに、水を被るなんて、凍え死なないかと思いまして。」
と答える、古川様は、
「そんな・・・筈は・・・。
井戸の水は、・・・外より温かいで・・・しょ?」
と反論した。だが、
「・・・多分。」
と付け加える。自信はないようだ。
私は、
「ですが、事実です。」
と言うと、古川様は、
「そう・・・なの?」
と確認しながら少し考え、
「すぐに・・・汲んでなかった・・・かな?」
と聞いてきた。私は、
「すぐにと言いますと?」
と聞き返すと、古川様は、
「今朝みたいに、・・・雪が降る日は・・・ね。
井戸水が・・・冷たくなる・・・の。
でも、・・・水を汲んだら・・・徐々に、・・・暖かくなるの・・・よ。」
と説明した。私は、
「そうなので?」
ともう一度聞くと、古川様は、
「ええ。」
と返事を返した。私は、
「そういえば、前回も、前々回も、準備をした後、直ぐに汲んでいたような気がします。」
と言うと、古川様は、
「やっぱり・・・そうなの・・・ね。」
と納得した様子。古川様は、
「今日は、・・・大丈夫だから・・・ね?」
と笑って言った。私は徐々に厠に行きたい欲求が高まっていたので、
「分かりました。
では、後ほど。」
と言って、この場を後にした。
厠に着き、着物の上前を捲り、用を足し始める。
格子から外をぼんやりと眺めながら、先程の話を思い出す。
──本当に、水は暖かいのだろうか?
私は、経験上、やはりそれは無いだろうなと思いながら、ブルリと震える。
着物を整え、厠から外に出る。
先程、禊をする理由を聞き忘れた事に思い至り、これも聞かないといけないなと思いながら、井戸を目指して歩いた。
井戸に着くと、白装束が渡される。
私は、
「雪が積もっているのに、ここで着替えるのですか?」
と確認すると、
「まだ、・・・少し時間があるから、・・・部屋に戻っても大丈夫・・・よ?」
と言ってくれた。私は、
「分かりました。
では、直ぐに戻ります。」
と返事をし、一度部屋に戻る事にした。
部屋に戻り、他の人を起こさないよう、静かに着替えを始める。
すると更科さんが布団から出て、こちらに近づきながら、
「和人。
おはよう。」
と挨拶をし、
「着替えなら、手伝うわよ?」
と言ってくれた。私は、
「おはようございます。」
と挨拶を返し、
「起こしてしまいましたか?」
と質問すると、更科さんは、
「寒くて、起きるか迷ってたから。」
と答えた。私は少し悪い気がして、
「それなら、もう少し寝ていても良いですよ?」
と返すと、更科さんは、
「もう、布団から出ちゃったから。」
と着替えさせてくれる様子。私は、
「では、お願いします。
これから禊なのですが、もう、外で古川様が待っていますので。」
ちお願いした。更科さんが、
「そうなんだ。」
と少し、拗ねたように言う。私は、どうしたのだろうと思いながら、
「今朝、井戸の横を通りかかったら、急に呼ばれまして。
昨晩のうちに、教えてもらいたいものなのですが・・・。」
と思わず愚痴ってしまった。更科さんが、
「そうなんだ。」
と答える。声色から、同じ『そうなんだ』と言っているだけなのに、今度は機嫌が戻ったように感じる。
私には理由が判らなかったが、急いでいるので確認する余裕もないかと思い、
「では、急ぎましょう。」
と言って、着替えを手伝ってもらった。
白装束への着替えが終わり、井戸に移動する。
私が、
「お待たせしました。」
と声を掛けると、古川様は、
「ええ・・・。
では、・・・始めるわ・・・よ。」
と返した。
禊が始まる。
古川様が祝詞を上げ、井戸から水を汲み上げる。
桶に水を入れると、ほんのりと湯気が上がっている。
その桶を受取り、目を瞑って一気に頭から水を被る。
予想外に、ほんのりと温かい。
私は、感想を言いたくて仕方がなかったが、ぐっと我慢する。
二度目、三度目と水を被る。
古川様は、
「これで、・・・終わり・・・よ。」
と言うと、直ぐに手ぬぐいを出してくれた。
風が吹き、一気に熱を奪われる。
私は思わずくしゃみが出そうになったのだが、古川様から、
「くしゃみしたら、・・・やり直し・・・よ?」
と言われ、鼻がムズムズしたが、なんとかくしゃみを飲み込み、踏みとどまった。
直ぐに、手ぬぐいで体を拭く。
いそいそとお勝手に戻ると、既に朝食の支度が始まっており、ほんのりと暖かかった。
私は、お勝手の人に断って、竈の側で暖を取った。
古川様も、白装束を乾かすべく、竈の側に一緒にいる。
ふと、禊をした理由を聞き忘れた事に気がつく。
私が、
「今日は、どのような予定なのでしょうか?」
と確認すると、古川様は、
「午前中は、・・・神社で改めて・・・祝詞を上げるの・・・よ。」
と説明した。私が、
「ひょとして、昨日のやり直しですか?」
と聞くと、古川様は、
「それとは・・・別・・・よ。」
と答えた。私は、
「という事は、神社の行事なのですか?」
と確認すると、古川様は、
「ええ。
週に1度か2度、・・・何かあるの・・・よ。」
と答えた。私は、
「大月様にしていただく、作法の勉強が進みそうにありませんね。」
と苦笑いすると、古川様は、
「小さなお社だから、・・・本当は・・・いくつかの行事を・・・纏めてやってもいいの・・・よ。
でも、・・・狐講の目があるから、・・・なるべく本来の形に近づける事に・・・なった・・・の。」
とこちらも苦笑い。私は、
「纏められるという事は、本当に必要なのですか?」
と聞くと、古川様は困った表情で、
「神様とは、・・・真摯に向き合うのが、・・・本来だから・・・ね?」
と答えた。私は、言い難い事を聞いてしまったなと思い、
「分かりました。」
と返すと、古川様は、
「皆、・・・思うことだから・・・ね。」
とまた苦笑いしたのだった。
本日も、江戸ネタは仕込めなかったのですが、説明が無いとよく解らない描写があるので、そこだけ説明します。
作中、井戸水の水温の話が出てきますが、一般的に井戸水の温度は年中一定と言われていますが、こちら、正確には地下水の温度が年中一定と言う意味合いとなります。
この地下水の温度ですが、地面深くなるにつれ、徐々に地表の温度の影響を受けなくなっていくのだそうで、地下10mになれば、水温はほぼ一定になるのだそうです。
ですが、井戸の水面は外気に曝される訳ですから、寒ければ水は冷えますし、氷点下になれば、凍る事もあります。(逆に暑ければ温くなる)
この冷えた水を汲み出すと、水位が減った分、地下水が井戸の中に流れ込みますので、汲めば汲むほど本来の地下水温になっていくという想定となります。
因みに、一般的に地下水温は一定と言っていますが例外があり、中には水が染み入る季節に影響を受けて水温が変化する場所もあるのだとか。
・井戸水は夏は冷たく、冬は温かいのはなぜですか?
http://www.jagh.jp/jp/g/activities/torikichi/faq/39.html
・地下水の温度はほぼ一定ですか?
http://www.jagh.jp/jp/g/activities/torikichi/faq/138.html
※地下水温が変化する話が紹介されています。




