次兄と話した
刑の言い渡しが終わった後、私達は、ひとまず更科家に戻ることにした。
更科屋への帰り道、まだ昼前なのでこれからもっと気温は上がるだろうが、昨日よりも涼しく感じられた。恐らく、昨晩まで雨が降ったおかげなのだろう。
更科家に着いた後、更科さんと私は冒険者組合であった件を簡単に報告した。
そして今度こそ、竜の里に暫く出かける挨拶をするため、私の実家に出発した。
今回、私の実家に行くのは、佳央様、更科さん、ムーちゃんと私の四人だ。
ムーちゃんは気配を消している事が多いが、今日は私の頭の上に乗っている。
まずは私の着替えを取りに、集荷場の上の私の部屋に向かう。
大杉の門が見えてきた頃、佳央様が、
<<和人の家族も、複雑よね。>>
と言った。私は、
「次兄の事ですか?」
と聞くと、佳央様は頷きながら、
<<ええ。
あそこにいるわよ。>>
と指を刺した。
見ると、門の傍らで、次兄が待っていた。
私はどう声をかけたらいいか迷ったのだが、門に着くと先に更科さんが、
「待ってたの?」
と冷たく聞いた。次兄は、
「ああ。
葛町まで、和人と一緒に行こうと思ってな。」
と返事をした後、
「佳織様が一緒とは思わなかったがな。」
と少しいたずらっぽく付け加えた。私は、
「私達も、これから集荷場で着替えを持ったら実家に行くつもりです。
次兄も、一緒にどうですか?」
と誘った。すると、次兄はバツの悪そうな顔をして少しためらったが、
「そうするか。」
と言った。更科さんが、
「で、バツいくつなの?」
と聞いてきた。次兄は私から目を逸らしながら、
「3つだ。」
と答えた。バツの数が多いということは、それだけ更科さんと関わっていたという事だ。
心がモヤっとする。
更科さんが、
「そうなんだ。
もっと沢山付けてもらったら良かったのに。」
と冷淡に言った。次兄は、
「まだ期間は言われてないが、バツ1つ1年なら3年か。
当分、顔を見ることはないだろう。
せいせいするだろ?」
と聞いた。
今までは、二人の関係について向き合ってこなかったし、向き合いたくもなかったので、実家でもどこでも、なるべく二人きりにさせないように気を付けていた。
しかし、今回はある意味節目だ。そうも行かないように感じた。
だからと言って、向き合う覚悟が出来たわけでもないので、この場から逃げ出したくて、
「二人で話したほうがいいなら、私は先に葛町に行きますよ。」
と言ってしまった。だが次兄は、
「いや、別に話すこともないからな。」
と返した。口実がないなら、逃げ出すことも出来ない。
私は、わざとらしいとは思ったが、
「そういえば、次兄。
大杉の街中でもこれだけ泥濘んでいると、山道はもっと泥濘んでいそうですね。」
と話を変えた。
次兄は、
「まぁ、そうだろうな。」
とだけ答えたが、それだけだった。
沈黙が続く。
私は何度か、次兄が更科さんにどんな事をしでかしたのか問いただそうとした。
だが、まだ、私に向き合う覚悟はない。
結局、質問できなかった。
更科さんが、次兄の事は名前も分かりませんという事なのであればまだいい。
しかし、更科さんの方も以前から次兄の事は知っていたように思う。それも、バツが3つもつくくらいだから、それだけ濃厚な出来事を何度も繰り返していたに違いない。
そう考えると、また、モヤッとしてくる。
更科さんが、
「突っ立っててもしょうがないし、ひとまず葛町に行こっか。」
と話しかけてきた。私は、
「そうですね。
そうしましょう。」
と言って門番さんに挨拶をして葛町に向かって歩き始めた。
私が次兄に声を掛けようとすると、更科さんが、
「そういえば、さっき野辺山さんが来てたけど、結局挨拶しなかったね。」
と話を振ってきた。私はしまったと思いながら、
「処置室の件ですっかり忘れていました。
これから戻って挨拶するのも変ですし、どうしましょう。」
とあたふたすると、次兄が、
「あぁ、偉い人にはちゃんと挨拶くらいしとかないといけないな。」
と返した。しかし更科さんはさらっと、
「向こうから挨拶するのが筋よ。」
と反論した。佳央様が、
<<そうね。
でも、年上を敬うのも大切よ?>>
と反駁する。私は、
「確かに、佳央様の言うとおりですね。」
と言うと、更科さんが不機嫌になって、
「和人、どっちの味方?」
と聞いてきた。普段なら、このくらいで更科さんは機嫌が悪くなったりしない。
やはり、次兄がそこにいるからなのだろうか。
私は、
「すみません。
更科さんが正しいけども、佳央様の意見も一理あるという意味です。」
と手で軽く拝みながら謝った。
佳央様が察してくれたようで、
<<まぁ、和人は佳織の味方だしね。>>
と付け加えてくれた。竜の姿で表情は読めないが、なんとなく苦笑いしているような気がする。
更科さんが、
「まぁ、いいわ。
それで?」
と聞いてきた。私は、何を言えばいいのか分からずにオロオロすると、次兄が、
「こういう時は、尻に敷かれてますって事を言葉を変えて言うもんだ。」
と教えてくれた。しかし更科さんが、
「それじゃ、恐妻家じゃない。
和人は堂々としていればいいわ。」
と言った。
今日の更科さんは、どうも、いつもと勝手が違うように感じた。これだけだと断言できないが、なんとなく次兄が言ったことが答えではない気がする。
私はわざと、
「そうですね。
佳織も、私の味方ですし。」
と、わざと更科さんの言い回しを使って返した。
すると更科さんは、
「それはそうよ。
夫婦なんだし。」
と言った。ということは、さっき『それで?』と聞かれた時の回答は『夫婦なんだし』だったのだろう。だが、私には、どうしてこれが答えになるのか、理由が分からなかった。
ひとまず、更科さんの頭を撫でて誤魔化しておく。
すると更科さんは嬉しそうに笑って、頭を擦り付けてきた。
佳央様が、
<<ふ〜ん。>>
と意味深に言ったのだが、私にはその意図はも分からなかった。
次兄が、
「今は、二人で上手くやっているんだな。」
と言ってきた。
私が、
「はい。
私にはもったいない嫁ですから。」
と惚気けて答えると、更科さんも笑顔で、
「羨ましいなら、信・・・お兄様も早く貰うといいですよ。」
と言った。私と知り合う前の更科さんは、次兄の事を名前で呼んでいたのだろうかと思うとモヤっとした。だが、それを聞きたくても、更科さんがいい笑顔で見てくるので、詮索出来なかった。
代りに、私も、
「それがいいです。」
と言って話に乗っかり、実家での羽織と反物の件を思い出して、
「すこし、墨が入ってしまいましたが、反物を渡した人がいるでしょ?」
と聞いた。だが次兄は、
「反物?
何のことだ?」
としらばっくれた。私は、
「ほら、羽織を着て行った時ですよ。」
と言ったのだが、次兄は、
「・・・あぁ、あれか!
いや、反物は置いていったぞ?」
と言って反論した。私が、
「いえ、私が戻って箱を開けた時はありませんでしたよ?」
と聞くと、次兄は少し考え、
「・・・それじゃ、盗まれたのか?
いくらの物か分からんが、庄屋様だな。」
と言った。確かに、本当に反物が盗まれたのであれば、庄屋様に報告しないといけない。
私は、
「間違いありませんか?」
と聞くと、次兄は、
「ああ。
勿論だ。」
と答えた。
次兄は、ちゃんと目を逸らさずに話している。この感じならば、次兄が盗んだと言う事はないだろう。
私は、
「では、今日早速、庄屋様に報告ですね。
でも、私から言うと、また話が大きくなりかねません。
すみませんが、次兄の口から伝えてもらってもいいですか?」
と確認した。すると、次兄は真剣な面持ちで、
「面倒だが、仕方ない。
儂から父に言って、父から庄屋様に上げてもらうことにするからな。」
と答えた。私もその方が筋が通ると思ったので、
「それでお願いします。」
と言っておいた。
その後もギスギスとした雰囲気はあったものの、ちょうど昼頃、なんとか葛町の集荷場に着くことが出来た。
そういえば、ムーちゃんがいつの間にか頭の上からいなくなっている。
体重があるはずなのに、いつ動いたのかすら、私には分からなかった。
ただ、出発よりも少しだけ背負子が重い気がするので、移動先は荷物の上なのだろう。
集荷場に入ると、田中先輩が報告書を書いていた。
ムーちゃんは、田中先輩が怖いというわけでもないのだろうが、背負子から降りて更科さんの後ろに隠れた。
私が、
「お疲れ様です、田中先輩。
書類ですか。
大変ですね。」
と声を掛けると、田中先輩は、
「お前も溜まっているからな?」
と言われてしまった。そう言えば、この前、湖月村に行ってからバタバタして報告書を出していない。
私は、
「すみません。
これから実家なので、帰ったらすぐに書きます。」
と言って頭を下げた。すると田中先輩は、
「一応、席を残すと言ってくれたんだから、ちゃんと書いて出す物は出してから竜の里に行けよ?」
と言った。
次兄が、
「竜の里?」
と聞いてきた。
そう言えば、次兄には話していなかったなと思い、
「来週からまた、竜の里に行くことになりまして。
1年ほど行って作法の勉強してくる予定です。
なので、私は次兄よりも長く留守にすることになります。」
と説明した。すると次兄は、
「竜人格だからか?」
と確認してきた。私が、
「はい。」
と答えると、次兄は、
「偉くなるのも、勉強しなけりゃいけないなら大変だな。」
と苦笑いをした。私が、
「次兄も上に行くなら、文字の読み書きは出来るようにならないと駄目ですよ。」
と言うと、次兄は、
「いや、バツが付いたんだ。
そう簡単には上がれないだろ。」
と難しそうな表情で話した。私は、
「そうなのですか?」
と聞くと、田中先輩が、
「試験は高級からだろ?
それにどのみち、そこまで実力が着くやつのほうが珍しい。
まぁ、若いんだ。
今は、先の心配なんかせずに、目先を追いかけてもいいんじゃないか?」
と言った。次兄は苦笑いして、
「そこの、偉いおっさんの言うとおりだな。」
と同意したのだが、田中先輩が、
「いや、俺は今は歩荷だから使用人の身分だが、冒険者の頃もポーターだからな?」
と苦笑いで返した。次兄は田中先輩に、
「どこの世界に、赤竜帝と懇意に話すポーターがいるんですか。」
と呆れたように言ったので、私は、
「田中先輩はポーターではありますが、草子の主人公でもありますから。」
と冗談交じりに説明した。しかし次兄は、
「草子の?
いや、普通、ポーターで主人公にはなれないだろ。
それに、仮にそうだとしても、余程のことがない限り天辺の人と話は出来ないだろう。」
と言った。私が、
「その『余程のこと』があったようですよ?」
と言うと、田中先輩に、
「お前、これから実家なら、荷物を取りに来ただけなんだろ?
さっさと行け!」
と怒られてしまった。
ここで奥から千代ばあさんが出てきて、
「ほら、三人分だよ。
持っていきな!」
と言って弁当を持って集荷場に出てきた。普段、千代ばあさんは昼はいないはずだ。
私は、
「今日は珍しいですね。」
と聞くと、千代ばあさんは、
「今のうちに弁当でもこさえてやろうと思ってねぇ。
ほら、1年どっかに修行に行くんだろ?
ばばあも老い先短いから、戻ってきた時に生きてるとも限らないしねぇ。」
と冗談まじりに言った。私は、
「そんな、縁起でもないことを言わないでくださいよ。」
と言うと、田中先輩も、
「いや、あれだけ動けるんだ。
当分、死ぬ事はないと思うが。」
と苦笑いした。
千代ばあさんは、
「まぁ、そうだといいがねぇ。」
と笑ってから、私に弁当を渡して奥に戻っていった。私は奥に向かって少し大きめの声で、
「それにしても、達者でいてください。」
と挨拶をすると、千代婆さんは、
「あいよ。」
と言って答えてくれた。
その後、私は着替えを箱に詰めて背負子に積んでから、他の皆と集荷場を出発した。
実家のある平村に続く山道に入った頃、次兄が、
「そう言えば和人。
さっき、儂よりも長く留守にすると言っていなかったか?」
と確認した。私は不思議に思いながら、
「はい。
次兄はバツ3つなので9ヶ月ですよね?」
と返事をした。しかし次兄は、
「いや、まだ聞いてないぞ。
おれは1年と踏んでいたんだが違うのか?
というか、何で知っているんだ?」
と確認してきた。私は、
「一応、長谷川さんから聞きましたから。」
と返事をすると、佳央様が、
<<そう言えば、謹慎してから改めて連絡って言ってたわね。>>
と言った。私はまたしても余計なことを話してしまったと思い、
「次兄、今のは聞かなかったことにしておいて下さい。
ひょっとしたら、気が変わってバツ1個につき1年になっているかも知れませんし。」
と言ってお願いをした。
すると佳央様が、
<<和人は、人はいいんだけど、ちょくちょくこうやって喋っちゃうのよね。>>
と指摘した。私も自覚しているところだったので、
「おっしゃるとおりでございます。」
と指摘を甘んじて受け入れた。がしかし、更科さんから、
「和人、人それぞれ持ち味だからね?」
と言われた。
私は、更科さんの言葉の解釈が出来かねて、なんとなく微妙な気持ちになったのだった。
まだまだ、山道は続く。
実家に着くまでに、どういう意図で言ったのか確認しようと思いながら、歩みを勧めたのだった。
途中、昔、更科さんと次兄が親しかったことを匂わせる箇所が出てきますが、ここは深堀りしません。
この話で本章も終わりとなります。
例によって、この後、本章で新たに登場した人物の紹介と、次の章に向けての閑話を一つ投稿しておきます。