遠慮明けの宴にて
私達は、昨日から寝ていなかったのだが、今日はもう一つやることがあった。
赤竜帝の思いつきで急遽行われることになった、更科屋の遠慮がとけたお祝いの宴だ。
場所は更科屋の座敷で、葛町の丸膳から料理人が来てくれる事になっている。食材やら調理道具は後藤先輩が運んでくれる手筈だ。後藤先輩は仕事が終わったら家に一直線なのに、急に杉並社長から指名されていい迷惑だろう。
私はというと、更科さんの部屋で佳央様や更科さんと一緒に夕方まで仮眠を取る事になった。
宴が始まる前に、起こしてもらう手筈になっている。
だが、感覚としては寝てすぐに、鼻から頬の辺りを柔らかな毛でくすぐるように撫でられて目が覚めた。
私はもっと寝かせてくれないかと思いながら、誰がいたずらしているのかと思って目を開けると、目の前にムーちゃんがいた。
私は、
「お前、最近見かけなかったけど、どこに行っていたんだ?」
と聞いて頭を撫でてやると、
「キュイ!」
と返事をした。
すると、慌てたように更科さんの部屋に杉元さんが入ってきて、小声で、
「駄目でしょ?
ムーちゃん。
寝てるんだからね?」
と話しかけた。するとムーちゃんは、
「キュイ!」
と小さく鳴いて、杉元さんの足にじゃれ付いた。
佳央様や更科さんは、まだ寝ているようだ。
私は、
「おはようございます。
杉元さん。」
と小さく声を掛けた。すると杉元さんは、
「おはようございます。」
と挨拶をしてから、ムーちゃんを、
「ほらっ!
起こしちゃったじゃないの!」
と小声で叱りつけた。私は、
「大丈夫ですよ。
もう、目も覚めましたし。
これだけ寝れば、大丈夫です。」
と言って、本当はまだ眠い目をこすりながら上半身を起こした。
杉元さんは、
「目を擦りながら言われましても、あまり説得力はありませんよ。」
と苦笑いして、
「もう少しで宴の準備も出来ます。
それまで、寝ていても大丈夫ですよ。」
と言った。私は欠伸を噛み殺しながら、
「ふぃえ、その前にちょっと水浴びをしたくてですね。
井戸をお借りできないでしょうか?」
とお願いした。杉元さんは口元で手を押さえて少し笑いながら、
「分かりました。
では、手ぬぐいでも出しますね。」
と言って、部屋を出ていった。
それから私は手ぬぐいを受け取り、井戸まで行った。
井戸から汲んだ水で手ぬぐいを濡らて固く絞り、丁寧に軽く体を拭った。拭いた後の、僅かに湿った体に当たる風が心地良い。
なんとなく、また降り出しそうになってきた空を見上げると、更科さんがやってきた。
更科さんは、
「和人、そろそろ始めるそうよ。
座敷に行こ?」
と誘ってきた。私は、
「もうそんな時間ですか。
ありがとう、佳織。
分かりました。」
と言って、更科さんと座敷に行った。
私が座敷の前に着くと、丁度お祖父様も起きたようで、廊下で鉢合わせした。
簡単に挨拶をして、一緒に部屋に入る。
座敷に入ると既にお膳が並べられていて、その上には紙が置かれていた。
更科さんが言うには、今日の席では、百珍物の絶品とかいう料理が出てくるらしい。
座敷に入って座る場所も指定されたのだが、これが少し変わっていた。
本日の主役ということで、お父様が上座にいるのは分かる。
だが後は、蒼竜様、田中先輩、赤竜帝、佳央様、私、佳織、お祖父様、お祖母様、お兄様、お姉様、修くん、杉並社長、後藤先輩の順だった。本来は、赤竜帝が第一位のはずだ。なので私は始め、蒼竜様、田中先輩、赤竜帝は一時的に席を移動しているだけだろうと思っていた。だが、どうやらそう言うわけではなく、身分を隠しているせいで結果的にそうなったらしい。
だが、確か赤竜帝は蒼竜様の上司ということで紹介されていたはずなのに、何がどうなってこの席順になたのか不思議だ。
なので私は、宴が始まって暫くしてから、隣りに座っていた赤竜帝に、
「なぜ、赤竜帝がこちらに座っているのですか?」
と聞いてみた。すると赤竜帝は小声で、
「元上司で、今は無役ということにしていてな。
まぁ、知り合いもいないし大丈夫だろう。」
と返事をした。私は小声で、
「不知火様とかが見たら、卒倒しそうですね。」
と言って少し笑うと、赤竜帝も悪戯が成功したおじさまのようないい笑顔で、
「まぁな。」
と楽しげだ。その様子を見ていたお祖父様が、
「和人は、広重様とも知り合いだったのじゃな。」
と確認してきたので、私は、
「はい。
竜の里や、先日は葛町でもお世話になりました。」
と答えた。お祖父様は、
「確か、先日の葛町での飲み会には赤竜帝が訪ねていらっしゃったと聞いているのじゃが。」
と質問してきた。私は、この話題は誤魔化したほうが良いだろうと思い、できるだけ表情を殺しながら、
「はい。」
とだけ答え、
「それで、その打ち上げにはニコラ様という異国の偉い方も参加していまして。
その従者のレモンさんという人が、飲みすぎて大変でした。
私は、付きっきりで面倒を見る事になりましたし。」
と話題を変えた。お祖父様は不本意そうな顔をしたが、
「そうか。
儂は、異国に知人はおらんが、これも一つの人脈じゃて。
そのうち、何かの役に立つかも知れぬの。」
と変えた話題に乗ってくれた。私はそのまま、
「いえいえ。
確か、国はハプスニルと言いましたか。
ここから船旅で半年もかかるそうですから、もうお会いすることもないかも知れません。
余程のことがない限り、役には立たない人脈だと思いますよ。」
と話すと、お祖父様は、
「まぁ、何がきっかけで役に立つかわからないのが、人脈というやつじゃて。
昔、どうしようもないボロを着た行商に銀1匁を貸してやったことがあったんじゃがな。
その行商、それを元手に今や王都に店を構えるまでになりおった。
今も昔も直接取引はないが、それが縁で『うちの商材とは違うから』と言って何人か優秀な職人さんを紹介してもらった事もあるんじゃ。
確かに、異国ともなると距離は違うが、文通なり何なりしておけば、思いもよらぬ有用な情報を教えてもらえるかも知れぬぞ?」
と説明した。すると赤竜帝も、
「なるほど、そのご老体の言う通りだ。
山上は冒険者もしていただろ?
竜和国も異国も、冒険者としてやることは変わるまい。
向こうで発達したやり方があれば、そういうのを聞くのも勉強であろう。」
と言った。私は、
「すみません。
その前に、連絡先を聞いていませんでした。」
と言った。すると田中先輩が話を聞いていたようで、
「あぁ、それな。
ハプスニル王国宛、ニコラ・ド・レルム様って書いとけば届くぞ。
貴族姓は普通は付けられないから、一意になる筈だ。
そっちに、一度出せばいいだろう。
ちなみに、レモンは庶民からの成り上だから、それだけじゃ絶対に届かないからな。」
と教えてくれた。ニコラ様は偉い異国の人とは聞いていたが、国名と名前だけで手紙が届く人物という話を聞くと、今更ながらよく普通に話をしていたものだと思う。いや、隣に竜和国の一番偉い人がいるわけだけれども。
私はある意味呆れて田中先輩に、
「赤竜帝もそうですし、ニコラ様もそうですし、他にどんな人脈を持っているんですか。」
と聞いてみた。すると、いつもなら怒られそうなものだが、油断したのか田中先輩は、
「いや、まぁ。
後は、ちょっと話したことがあるだけなら龍神くらいだぞ?」
と言った。
赤竜帝が、
「竜人?
いや、龍神か。
前の赤竜帝を倒した後、会合に行った時であったか。」
と懐かしそうに言った。
蒼竜様が、
「その時か。
龍神に会いに行く時、竜の里の冒険者組合を通して田中に指名で依頼を出したのだがな。
拙者が、
『ポーターの指名依頼を出したいのだが』
と言うと、当時の組合長に、
『わざわざ私どもに依頼など出さずとも、城から誰かを連れていけばよいのではありませんか?
そうでないにしても、ポーターならこちらで手配しますが、指名しないといけないほど難易度の高いところなので?。』
と質問されてな。
だが、
『龍神城まで、田中を連れて行こうと思ってな。』
と言ったら、組合長は暫し考えて、
『あぁ、尻尾切りですか。
しかし、流石にポーターはないでしょう。
あれだけの腕前、どう考えても超級より上じゃありませんか。
いくら、人間が相手でも馬鹿にしすぎと跳ね除けられてしまいますよ。』
と笑いながら注意されてな。
拙者が、
『ならば、調べてみよ。』
と言ったら、本当にポーターで出てくるではないか。
組合長のやつ、ぎょっとしおってな。
なかなか、見せぬ顔をしておったぞ。」
と思い出し笑いをした。
田中先輩が、
「そんな事があったのか?」
と聞くと、蒼竜様は、
「ん?
道中で話したであろう。」
と返した。田中先輩は、
「いや、もう15年位まえだろ。
流石に覚えていないぞ。」
と苦笑いしたのだが、話から一緒に旅したであろう赤竜帝も、
「その話は初めて聞くぞ?」
と首を捻った。だが、蒼竜様は、
「それは広重と拙者達とでは、部屋も別だったからな。
確か、寝る前に話したのだ。」
と返した。赤竜帝は、
「そうであったか。」
と言って、バツの悪そうな顔をした。
赤竜帝は、
「そう言えばあの時、ふらっと天幕の外に出たときに田中と遭ってな。
立ち話をしたんだが、未だに竜人が立ち会いに来るとかで苦情を言われてな。」
と話した。田中先輩は、
「そうだぞ。
あれだ、あれ!
あの頃、竜人が数人で来ては、
『尋常に勝負!』
と言ってかかってきてな。
複数でかかってきておいて、既に尋常じゃないだろうって事なんだがな。」
と苦笑いした。
赤竜帝も、
「そうであったな。
ゆえに、この件についてはいつでも正式な場を作るゆえ、抗議するがよいと言ってやったのだ。」
と話した。蒼竜様が、
「そう言えば、龍神城から帰って、田中に手を出さぬようにと触れが出たが、そう言う事情があったのか。」
と納得していた。
私が、
「その触れには、何と書いてあったのですか?」
と聞くと、赤竜帝が、
「確か、
『田中を襲うことまかりならぬ。
竜の里の中においては、身分の外とする。』
と書いたか。」
と言った。私が、
「それでは、身分がないみたいじゃありませんか。
取りようによっては、冒険者見習いやポーターよりも下になりますよ。」
と指摘した。すると田中先輩も、
「ほら見ろ。
やっぱり、そう思うだろ?」
と言った。赤竜帝は、
「いや、普通に考えてみよ。
身分の外なら、誰とでも気軽に話せるではないか。」
と反論した。だが、蒼竜様も、
「いや、普通はそうは取ってくれぬ。
そう言う話が出たゆえ、触れの横に人を立たせ、口頭で説明させたりしたのだぞ?
結局、草子物になって普及したんだが。」
と説明した。更科さんが、
「田中先輩、物語になっているんですか?」
と質問した。蒼竜様は、
「うむ。
物語にするには、うってつけの素材であろう?」
と言った。しかし田中先輩は知らなかったようで、
「それは初耳だな。
どんな話なんだ?」
と聞いた。
蒼竜様は、
「長い話になるがいいか?」
と確認すると、田中先輩は、
「そうなのか?
まぁ、気になるからな。
大雑把でいいから、聞かせてくれ。」
と言った。
こうして蒼竜様は、その草子の概要を話す事になったのだった。
一応、今回の席順はこんな感じです。
床の間
お父様
田中先輩 蒼竜様
佳央様 赤竜帝
佳織 山上くん
お祖母様 お祖父様
お姉様 お兄様
杉並社長 修くん
後藤先輩
本文中、百珍物が出てきますが、これは1つの材料で百種類の料理を紹介する料理本です。豆腐百珍、蒟蒻百珍、鯛百珍など沢山の種類があって、尋常品から絶品まで6段階に分けて書かれています。
おっさんも何か美味しいレシピは無いかと思ってネットを検索する事がありますが、当時の人も何か良いレシピはないかと思って百珍物を読んでいたのでしょうね。(^^)
あと、思ったよりも長くなったので、話を分けました。
身分の外なら誰とでも気軽に話せるという解釈が、草子物になって普及した理由がまだですが、ここは次回ということで。
↑大した理由ではありませんが。(^^;)
・江戸
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・豆腐百珍
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https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536494
・蒟蒻百珍
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536696
・鯛百珍
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536202




