表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
194/680

糠床(ぬかどこ)をいじったせいで怒られた

 座敷での話し合いが終わり、店の方に声をかけに行くと、更科家の皆さんは先ほどと変わりなく、明日から店を開けるための準備で大忙しそうにしていた。

 そのせいで、私はなんとなくどう声を掛けるか迷っていた。


 別に怒号が飛び交ったり、走り回ったりするわけではない。

 お祖母様が陣頭指揮を取り、お父様は帳面の確認と棚卸しを、お兄様と修くんは反物を一つ一つ広げては何か確認し、巻き直しているだけだ。しかし、全員が明日店を開けるために真剣に作業しており、声を掛け(づら)かったのだ。


 向こうも一所懸命で作業をしていたのだが、暫く突っ立っているとお父様が私に気が付き、


「ん?

 あぁ、すまん。

 向こうの話は終わったのかね?」


と聞いてきた。私はお父様の側まで行き、


「はい。

 今度は一年ほど、竜の里に出かけることになりそうです。」


と返事をすると、お父様は、


「そうか。

 すぐに行くのかね?」


と確認した。私は、


「いえ、来週からです。」


と返すと、お父様は、


「そうか。

 どうせ、佳織も一緒だろ?

 宜しく頼むよ。」


と言って、また反物を数えては帳面を確認していた。


 赤竜帝も、店の方にやってきた。

 その後ろには、蒼竜様や田中先輩が続く。


 赤竜帝は、


折角(せっかく)、ここの遠慮がとけたのだ。

 今夜、祝いに宴でもどうだ?」


と提案した。

 私は、赤竜帝が『ここ』と言っているのは、実は店の名前がうろ覚えだからではないかと思った。

 お父様は、難しい顔をしてお祖母様に、


「明日の開店準備で手一杯なので後日と考えていましたが、如何(いかが)いたしましょうか。」


と小声で確認している。

 私は、お父様が当主なのだから、決めてしまえば良いのにと思った。前々から思っていた事だが、更科屋の代替わりが上手く行っていないのだろう。お父様が宴会一つ決められない所からも、それが(うかが)える。

 お祖母様も(あき)れたようだったが、


「そんなこと、自分で考えな!

 第一、今日、(うち)で宴会をやろうにも食材もなければ料理を作る時間もないだろ?

 日を改めるか、他所(よそ)でやるしかないだろ。」


と小声で(しか)りつけていた。

 しかしお父様は、


「そこが問題ですから、聞いたのです。」


と返した。すると蒼竜様にも聞こえていたようで、


拙者(せっしゃ)はよいのだが、広重(ひろしげ)が忙しくてな。

 折角、参加してくださると言っているのに、無下(むげ)にするわけにも行くまい?」


と言った。お父様は、


「左様ですか。

 ところで、今更で申し訳ありません。

 その、こちらの広重(ひろしげ)様というのは、どういうお方で?」


と確認した。

 お父様は、広重(ひろしげ)様が赤竜帝だということは知らなかったようだ。そう言えば、お城に来た時からずっとぼかして話をしていたので、初対面であろうお父様の知る機会はなかったのだろう。

 赤竜帝と蒼竜様が顔を見合わせると、田中先輩が、


「いや、まぁ、蒼竜の上司だな。

 公式の場以外で飲む機会もあまりないから、ゆっくり飲みたいんだろ。」


と説明した。赤竜帝も、


「まぁ、三人で飲む機会も滅多にないしな。」


と理由を説明した。

 私は、この説明に違和感を覚えた。

 この機会を逃すと赤竜帝、蒼竜様、田中先輩の三名で飲む機会が遠のくからというもので、更科家の遠慮がとけた事は単に口実というのが、赤竜帝の本音のようだ。

 蒼竜様も、


「更科家の遠慮がとけた祝であろう?」


と指摘すると、赤竜帝も、


「・・・その通りである。」


と言った。これでは、どちらの身分が上かわからない。

 お父様は苦笑いをしながらも、


「でも、そうしますと、宴を開く場所が問題になります。

 大杉の料亭はどうしても格が落ちまして・・・。

 その、蒼竜様のさらにその上の方であれば(なお)の事、お連れしても口に合うかどうか・・・。」


と宴会を開く事を決めたようだが、その場合の問題点を説明した。赤竜帝は、


「ん?

 先日の葛の丸膳(まるぜん)はなかなかだったが、葛よりも大杉の方が大きかろう?

 何故に、こちらの方が格が低いのだ?」


と不思議そうに尋ねた。すると田中先輩が、


「なんでも、丸膳は王都でも屈指の料理人が引退した後、道楽で作った店らしくてな。

 この辺りでも、あそこだけは別格になっている。」


と説明した。赤竜帝は、


「なら、また行くか?」


と気軽に言った。お父様も葛町まで移動してくれるならありがたいと思ったようで、


「では、籠を4つ準備いたしますので、お乗り下さい。」


と乗り気で話した。しかし蒼竜様は、


「拙者等は歩くぞ?

 あれは周りも警戒できにくくなるゆえ、どうもいかぬ。」


と籠を拒否した。

 するとお父様は困ってしまい、


「・・・お母様、あそこまでお父様が歩けると思いますか?」


と聞いた。お祖父様の足腰が弱くなっているのかも知れない。

 しかし、蒼竜様が、


「籠で行けばよかろう?」


と提案した。お父様は、


「こればかりは、勘弁して下さい。

 格上の人が歩くのに、私共が籠というのでは、この事が知れれば折角遠慮がとけましたのに、また世間から後ろ指をさされてしまいます。」


と頭を下げて断った。蒼竜様は、


「黙っておればよかろう?」


と不思議そうに言ったのだが、赤竜帝は、


「どこからか漏れるのが、噂というものである。

 その懸念は仕方あるまい。」


と納得していた。

 ここで田中先輩が、


「仕方ない。

 葛町の丸膳(まるぜん)から料理人を呼んで、ついでに材料も持ってこさせればどうだ?」


と提案した。蒼竜様は、


「そんなに都合よく、料理人が来てくれるものなのか?」


と聞いたのだが、田中先輩は、


「高い身分の者に料理を出すために、家で使っている料理人では格が落ちるので呼ばれて出かけて行ったと聞いたことがあるぞ?

 今の時間なら、非番の料理人を借り出せるんじゃないか?

 まぁ、女将が断らなければだがな。」


と答えた。田中先輩は、恐らく昔、丸善の誰かとそういった会話をしたことがあったのだろう。

 蒼竜様は、


「いずれにせよ、他に手もなさそうか。

 ひとまず、丸膳(まるぜん)まで行ってみるか。」


と言った。しかし田中先輩は、


丸膳(まるぜん)の女中に念話が使えるやつがいてな。

 覚えているか?

 ほら、前に丸膳(まるぜん)に行った時に玄関にいた女中だ。

 少し、ふくよかな方の。」


と確認した。すると蒼竜様は暫く目を(つむ)り、


「ふむ。

 確かにおった。」


と言って思い出したようだった。私は、さっぱり思い出せなかったが。

 田中先輩は、


「相手が分かったら、蒼竜ならいけるだろ?

 昔、相手の力が弱くても、結構遠くでも拾ってたしな。」


と言った。

 蒼竜様は、


「まぁ、出来なくもないが・・・。」


と言うと、渋々という感じで、


「不躾で気に食わぬが、試してみるか。」


と文句を言いながら念話を始めた。

 暫くすると蒼竜様は、


「ふむ。

 なんとかなるものだな。

 料理人を出張させてくれることになった。

 が、材料もある。

 少し、移動もゆっくりとなるゆえ、遅くなるかも知れぬそうだ。」


と念話した結果を報告した。

 すると杉並社長が、


「材料か。

 それなら、後藤に運ばせたらどうかな。

 あいつなら、多少重くても大丈夫だから。

 そろそろ、集荷場に戻ってくる頃合いなので、戻ってきたら食材くらいなら運ぶように言付ければいいよ。

 さっきの丸膳(まるぜん)の女中さんに言付けを頼まないといけないけどね。」


と言った。蒼竜様が、


「ふむ。

 確認してみよう。」


と言った。暫くすると蒼竜様は、


「使いを出してくれるそうだ。

 これで、食材の運搬も問題なさそうであるな。」


と言った。すると、お父様が、


「これで、料理もなんとかなります。

 お力添え、ありがとうございます。」


と言って、蒼竜様に感謝の言葉を伝えていた。



 一方、更科家では遠慮の間、女中さん達には、お父様が、


「家の者以外は遠慮の対象でもない。

 一緒に家で閉じこもっている必要もないだろう。」


と言って一時的に(ひま)を出していたらしいのだが、遠慮があけてすぐに小鳥遊(たかなし)さんや大杉さんは呼び戻されていた。店には丁稚もいるそうだが、そちらは親元に返しているので戻ってくるまでに時間がかかるらしい。

 小鳥遊さん達は、先ずは台所の状態の確認に大掃除にとてんてこ舞いになっていた。


「誰だい!

 勝手に糠床をいじったのは!

 野菜が補充できてないじゃないか!」


と、土間の方から小鳥遊(たかなし)さんの声が聞こえてきた。


 今日、朝食を作った時に糠床を触ったのは私だ。


 私は慌てて土間に行き、


「すみません。

 それ、私です。

 あと、勝手に道具もいじってしまいまして、済みませんでした。」


と謝った。

 すると小鳥遊さんは、


「道具はいいんですけど、駄目ですよ?

 ぬか床はね、野菜を抜いたらちゃんと平らにしとかないと、変な水が出てくるんですよ。

 だから、糠床から抜いたら分だけ野菜を補充して、上を平らに(なら)しておかないといけません。」


と怒った理由を説明してくれた。

 私は恐る恐る、


「実家では、わざと穴を開けて水を捨てていたのですが・・・。」


と言い訳をすると、小鳥遊さんは、


「そういう家もあります。

 でも、それをやると糠に出た野菜の旨味が抜けるんですよ。

 だから、本当はあまり捨てないほうが良いんです。」


と実家のやり方を否定されてしまった。

 私は少しムッと来たが、母も料理を習っていたくらいだしと思い直したものの、


「そう言うことですか。

 こちで食べる方が何でも美味しいですし、小鳥遊さんが言うのならそうなのでしょうね。」


と少し(とげ)のある言い回しを使ったのだが、小鳥遊さんは、


「それはそうですよ。

 水が多いと腐りやすくなるから、糠床が柔らかくなってきたら適度に糠と塩を足したり、いろいろな技がありますからね。」


と自慢気に言った。私は小鳥遊さんの作り方も気になったので、


「なるほど、これが美味しさの秘訣ですか。

 それで、他にはどんな技が?」


と聞いたのだが、小鳥遊さんは、


「そこは秘伝です。」


と教えてくれなかった。

 この後も暫く小鳥遊さんと料理の話をしていたら、更科さんに見つかって、邪魔をしないようにと怒られてしまった。その後、小鳥遊さんみたいな人がいいのかなどと変な責められ方に反れていったので、私は理不尽さを感じながらも、穏便に済ませるべく平謝りしたのだった。


 糠床の水抜きは、ミネラルや野菜の旨味が溶け出しているから捨ててはいけないという人と、糠床が腐敗する原因だから捨てたほうが良いという人がいるようです。

 小鳥遊(たかなし)さんは、水が出たら捨てないといけないけど、出てこなければ問題ない基本は捨てない派です。


・糠漬け

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%B3%A0%E6%BC%AC%E3%81%91&oldid=78812607

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ