援軍が来るらしい
今の季節、日が落ちると一斉にいろいろな虫が鳴き始めるのだが、まだ日も落ちきらないというのに、微かに気の早い鈴虫が鳴く音色が聞こえてきた。
先程から、佳央様、岡本様と私で奉行所に乗り込む相談をしている。
岡本様は、
「もう、更科屋の面々は奉行所に連れて行かれておるかも知れぬな。」
と言った。私はそれで役人を多く見かけたのかと思い、
「それならば、すぐにでも行かないと!」
と動き出そうとしたのだが、佳央様が私の前に移動し押し留め、
<<和人、短慮は駄目よ。>>
と怒られてしまった。岡本様からも、
「準備は大事にござる。
先ずは、他の者ともつなぎを付け、どこまで調査がすすんでおるのか確認する。
同時に、大杉の守にも連絡を入れ、奉行所に踏み込む許可を貰う。
この二つが出来ねば、奉行所は如何に佳央様とて話を聞かぬでござろう。」
と言った。私は、
「無理やり押し通ることは出来ませんか?
町奉行様と会えなければ、話も進みません。」
と前に進もうとしながら言うと、佳央様が私を押し返しながら、
<<それじゃ、押し入りじゃない。
私達は賊じゃないのよ。>>
と呆れられてしまった。
私はてっきり佳央様も『町奉行を出させて』などと言っていたので同じ考えだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
長谷川さんからも、
「気持ちは分からんでもないが、今は抑えるように。」
と注意されてしまった。
しかし私は、
「もう時間もないというのに、本当に返事が貰えるのですか?
それに、つなぎを付けて会うとなれば、それも時間がかかりませんか?」
と指摘した。岡本様は、
「一応、緊急の連絡網はあるゆえ、つなぎも連絡も間に合う筈にござる。」
と返した。私は、
「何故、一応と付けたのですか?」
とつっかかると、岡本様は、
「大杉の守からは、花押の入った書状が必要にござれば、それを運ぶ時間だけは必要にて。
ただ、明朝書いていただき、昼、早馬を出せば明後日には着くはずにござる。」
と説明した。私はカチンと来て、
「明後日ですか。
それまで、佳織やお祖母様方を冷たい牢屋で寝かせろと?」
と聞いた。佳央様が、
<<それもそうね。
後から届くからと説明して、無理にでも話を通してもらう?>>
と聞いてきたので、私は、
「他に手段がないなら、押し入ってでも。」
と答えた。長谷川さんが、
「いや、少しは冷静にな。」
と眉を顰め注意してきた。私は佳央様との押し合いをやめ、
「冷静ですよ。
これから佳織やご両親が遭う目を考えれば、何もしない方がおかしくありませんか?」
と返すと、長谷川さんは、
「・・・む。
まぁ、気持ちは分からんでもないが。
しかし、正当な理由がなければどうにもな。」
と諭してきた。
不当な理由で捕まったのに、正当な理由が必要という点に理不尽さを感じる。
私は、
「なら、私も一緒に捕まってきます。
岡本様達は必ず、明後日書状を持って来て下さい。」
とお願いした。岡本様は、
「そのような・・・。
・・・明朝。
・・・明朝まで待たれよ。
せめてそこまで待てば、何か返事が出来るやも知れぬゆえ。」
と渋い表情をした。私は、
「それでも!」
と岡本様に詰め寄ろうとしたが、佳央様に止められ、
<<ここまで言ってくれているのなら、待つしか無いかな。>>
と言った。私は今度は自分でも頭に血が上っているのが分かったので、一度深呼吸し、
「分かりました。
ただ、今更科屋がどうなっているのかも気になります。
これから行ってみたいのですが、付き添ってもらっても大丈夫ですか?」
と岡本様に確認した。すると岡本様は、
「あまり長くは。
打つ手も、打てなくなるゆえ。」
と言った。佳央様が、
<<先に急ぎの用事を済ませるとして、どのくらい掛かりそう?>>
と確認した。岡本様は、
「先にでござるか。
それであれば、これから1刻でなんとか。
拙者はその間に用事を済ませるゆえ、ここで待たれよ。」
と言った。だが、ここで佳央様が、
<<そういえばここ、もう閉まっている時間じゃないの?>>
と確認した。長谷川さんは、呆れた顔をして、
「今の状況であれば、仕方あるまい。」
と言ってくれた。私は、
「ありがとうございます。」
とお礼を言ったのだが、ここで突然佳央様が、
<<やった!
援軍が来てくれるみたいよ。>>
と喜んで言った。私は、
「援軍?
どういう事ですか?」
と聞くと、佳央様は、
<<さっき、念話で蒼竜が来る事になったわ。
ついでに、田中も連れてくるそうよ。>>
と説明してくれた。私は少し気が楽になって、
「これなら、大杉城も落とせますね。」
と冗談を言うと、岡本様が、
「それだけは平に!」
と頭を下げてきた。私が、
「いえ、攻めたりしませんよ。」
と言ったのだが、岡本様は、
「蒼竜様と言えば、竜人様ですよね?
お取り潰しとか言ったりはしませんよね?」
と確認してきた。佳央様が不満そうに、
<<一応、私も和人も竜人格なんだけど。>>
と言うと、岡本様は、
「!!
そうでございました。
もうしわけござりません!」
と忘れていたようで土下座した。長谷川さんが、
「何の話だ?」
と聞いてきたのだが、私は、
「いえ、佳央様も竜人になれるので竜人格だという話です。」
と答えた。岡本様は他にも何か言いたそうだったが、
「・・・そう言うことにござる。」
と歯切れが悪かった。長谷川さんは、
「そのことなら、葛町の冒険者組合から聞いている。
が、普通にしたほうが良いのだろ?」
と確認すると、佳央様が、
<<まぁ、大げさなのもね。>>
と答えた。
私はそんな話よりも、蒼竜様たちと一緒に奉行所に行く話の方が先だと思ったので、
「ところで話を戻しますが、佳央様。
蒼竜様や田中先輩は、いつ頃来られそうですか?」
と聞くと、佳央様は、
<<ちょっと待って。>>
と言って少し頷いてから、
<<明朝だって。>>
と答えた。私は、
「もう少し早く、と言いたいところですが、もう夜ですし、これからというわけにも行きませんか。
あぁ、もう。
とにかく、今夜は更科家の様子だけでも確認したいのですが。」
と言うと、岡本様は、
「苛ついておるな。
まぁ、無理もござらぬか。」
と言ってから、
「ひとまず、拙者は用事を済ませるゆえ、その後にでも。」
と答えた。そして岡本様は、
「では、拙者は暫く別行動で別れるが、また1刻後にはここに戻るゆえ、必ず待っていますように。」
と言い残し、岡本様が部屋から出ていった。
佳央様が、
<<1刻あるなら、その間に晩御飯にしない?>>
と聞いてきた。私は呑気に晩御飯など食べる気にもなれなかったが、佳央様が言うので、
「そうしましょうか。
長谷川さんもご一緒に如何ですか?」
と誘ってみた。すると長谷川さんは、
「ふむ。
では、案内しよう。」
と言って了承した。私は、
「良い所があるのですか?」
と聞くと、長谷川さんは、
「そう言うわけでもないがな。」
と言って私達を連れて歩き出した。
てっきり私は、長谷川さんは美味しい飯屋にでも連れて行ってくれるのだろうと思っていたのだが、違っていた。
というか、なぜか今、長谷川さんのお宅に来ていた。
他人の家というやつは居心地の悪いもので、佳央様も私も借りてきた猫状態だった。
長谷川さんが、
「そんなに緊張せずともよい。
楽にな。」
と言ったのだが、長谷川さんの奥様が、
「あなた、そんな風に言うものではなくてよ。
返って緊張するでしょ?」
と諭した。そして私達に、
「ふふふ。
うちは、子供がとっくに独立しちゃったからね?
こういうのが楽しくて仕方がないの。」
と楽しそうに話してから、
「少し待っててね。」
と言って女中さんに指示を出し、夕餉を持ってこさせた。
奥様は、
「もっと、前に言ってくれたらもう少し美味しいものが出せたのだけど、急だったからこんなものしか無くてご免なさいね?」
と謝った。
謙遜してのことだろうが、里芋の煮っころがしがある。本来、里芋はもっと秋も深まってから出始める筈なので、恐らくは初物なのだろう。結構、高かったに違いない。
佳央様が、
<<煮っころがしはあまり得意じゃないのよね。>>
と言った。おそらく煮っころがしの芋は丸くてお箸で摘みづらいから、そう言ったのだろう。だが、せっかく心尽くしで初物を出してくれたのだろうから、あまりそのようなことを言うものではないと思い、思わず苦笑いしてしまった。
長谷川さんは私とは違う意味でだろう。不味ったという顔をしている。
奥様は、
「あら、あら、ご免なさいね。
うちの子供が好物だったから、こういうのが好きだろうと思ってしまってね?
他のを準備させましょうか?」
と残念そうに言った。
私は、本当は御飯を食べる気分ではなかったのだが、ここは誤解を解かないといけないと思い、里芋を器の端に寄せて、お箸で二つに切って一方をいただき、口に入れた。
私は食べるどころではないと思っていたので、形だけのつもりだった。だが、実際に食べると大変美味しかった。
私は、
「佳央様、これ結構美味しいですよ?」
と勧めると、佳央様は、
<<それじゃ、食べさせて。>>
と言ってきた。私は、竜人化して自分で食べればいいのにと思ったがそれは口にせず、
「しょうがないですね。」
と言って、私が切ったもう一方の里芋を食べさせてあげた。
佳央様は、
<<まぁまぁね。>>
と言ったので、やはり食べにくいから『得意じゃない』と言ったようだった。
奥様は、
「無理しなくていいわよ?
お芋、苦手なんでしょ?」
と言ったのだが、私は、
「いえ、佳央様の『まぁまぁ』は美味しいという意味ですから、大丈夫ですよ。」
と言っておいた。佳央様がバツが悪そうに、
<<まぁ、そう言うことよ。>>
と肯定したのを聞いて、長谷川さんもホッとしたようだった。
私はおかわりこそしなかったものの、どれも美味しくて全部食べてしまった。
夕餉も食べ終え、冒険者組合の長谷川さんの部屋に戻ったのだが、長谷川さんが言うには、まだ約束の時間までは四半刻くらい残っているそうだ。
私は、
「どうやって時刻を?」
と聞くと、長谷川さんは、
「なんだ、知らなかったのか。
これは時計と言って、時刻が分かる機械だ。」
と言って、時計という機械を指差した。佳央様が、
<<ほら、この針が時間を指すの。>>
と説明してくれた。私も流石に干支の漢字は読めるので、
「なるほど、これは便利ですね。
それにしても、まだ四半刻もあるのですか。」
と言うと、長谷川さんは、
「今から急いだ所で、状況は変わらぬ。
食休みと思って、岡本様を待てばよい。」
と返した。私はお腹が膨れたせいか、少し落ち着いていたのもあって、
「そうします。」
と言ったのだが、佳央様は、
<<その心配は無用ね。>>
と言った。ひょっとしてと思い気配を探ると、岡本様が近づいているようだった。
私も、
「そのようですね。」
と同意すると、それからすぐに岡本様が、
「おまたせ申した。」
と言いながら部屋に入ってきた。私は、
「お疲れ様です。
それで岡本様。
首尾は如何でしたか?」
と聞くと、岡本様は、
「明朝にはなんとかなりそうにござる。
もう夜なのに、向こうで早馬を出してくれてな。」
と言った。早馬と言えば、普通に手紙を出すよりも遥かに高いと聞いたことがある。
私は、
「夜通し走らせるのですか?
かなりかかってしまうでしょうに、申し訳ありません。」
と謝ると、岡本様は、
「ん?
・・・あぁ、費用か。
なに。
大杉の守の失態ゆえ、費用はあちら持ちと相なり申した。
気にせずともよかろう。」
と説明した。
どうやら私が急がせたせいで、大杉の守様が大金を使う嵌めになったようだ。急がないといけないのはそうなのだが、私は貧乏性なので、なんとなく悪いことをした気持ちになったのだった。
江戸時代の時計と言えば、やはり和時計でしょうか。
この和時計の大きな特徴は、江戸時代に採用されていた昼と夜をそれぞれ6等分した時間で表す不定時法に対応している点になります。
江戸の不定時法は、昼と夜は夜明け(薄明、明六つ)と日暮れ(黄昏時、暮六つ)で昼と夜を分け、それぞれ昼時間は昼時間で、夜時間は夜時間で6等分していました。日の出の時間も日の入りの時間も毎日変わりますから、昼時間と夜時間の長さが変わります。
和時計では、錘を入れ替えることで時計の進みを調整する物が有名ですが、初期の和時計では、不定時法に対応するために朝夕の二回、昼用の錘と夜用の錘の入れ替えを行っていたそうです。季節によっても時間が変わるので、二十四節気毎の15日に1回、錘の種類も変えていたのだとか。
しかし、「二挺天符」型が開発されると、「明六つ」と「暮六つ」で昼用の錘と夜用の錘を自動で使い分けてくれたので、錘の入れ替えは15日に1回に軽減されたそうです。
こういうからくりを作るのは、江戸の人達も得意だったということでしょうかね。
もっともこのお話では、現代人が直感的にわかりやすいようにと、1刻2時間の定時制を採用しています。このため、冬至のように夜が長い場合でも、夏至のように昼が長い場合でも卯の刻とか明六つと言えば午前6時、酉の刻とか暮六つと言えば午後6時と決まりますので、山上くんの見た時計には1種類しか錘は入っていませんが・・・。(--;)
・和時計
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・時刻
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