あっちは春高山
更科家の皆さんと、実家の面々で朝餉を食べた。
母が繊蘿蔔汁を作るのを手伝ったという話しを聞き、次兄は、
「お袋、暫く繊蘿蔔汁が続くのは勘弁だからな?」
と言った。習ってすぐは、また作りたくなるものだ。そして、今回、母が習ったお味噌汁は一種類だけだ。
次兄は、暫く同じ物が続くのではないかと心配したのだろう。
私は、流石に同じ物を毎日は作らないだろうと思ったのだが、母は、
「駄目かねぇ?」
と真面目に返していたので、次兄が言わなかったらそのつもりだったのかもしれない。
小鳥遊さんと杉元さんが、明らかに作り笑いをしていた。
朝食を食べた後、私達は葛町に行くことにした。
更科さんのお父様は、
「緊急事態という事もある。
よければ、暫くここにいなさい。」
と言ってくれたのだが、庄屋様にも1泊だけと言ってきたのもあり、父は、
「長々とはご迷惑でしょうから。」
と言って断った。次兄が、
「俺達みたいに小汚いのが出入りしていたら、商売にも迷惑を掛けるかもしれないしな。」
と付け加えたが、すぐに敬語で言い直していたのが可笑しかった。
お父様は当たり前のように、
「そのようなことなど、心配しなくてよい。
必要なら、こちらで着るものくらい準備しよう。」
と言ったのだが、父が、
「いえ、お申し出はありがたいですが、村に帰った後を考えると、下手に長居もできませんので。」
とこちらの事情で、他の村民と合流する必要があるのだと説明した。お父様は少し考えてから、
「なるほど。
和人くんがいるから村八分ということもないだろうが、その方が良いか。」
と言って、納得したようだった。
私達が更科さんの実家を出て葛町まで着くと、平村の人達のために設置された避難所のある広場に行った。私は庄屋様を見つけると、
「おはようございます。」
と挨拶をすると、庄屋様も、
「これは、広人様。
おはようございます。」
と返した。私は、
「昨日は急な避難でしたが、状況は如何ですか?」
と聞くと、庄屋様は、
「こちらは特に問題も起きていません。
あれから、蒼竜様が現状を理解りやすく説明して下さったのが良かったのでしょう。」
と言った。私はどんな説明を受けたのか気になったのだが、これから蒼竜様にも状況を聞きに行くつもりだったので、
「そうでしたか。
何事もなかったのでしたら、それが何よりです。」
とだけ言って、質問するのは止めておいた。それから後ろの両親をちらっと確認し、
「すみませんが、これからうちの両親もこちらで厄介になりますので、宜しくおねがいします。」
とお願いすると、庄屋様も、
「わかりました。
確かに、お預かりします。」
と言って早速私の両親たちを案内しようとしたのだが、次兄は私達と一緒に行動することになった。
次兄は、
「どうせ、冒険者は全員に声がかかっているんだろ?
一応、儂も冒険者だからな。」
と張り切っていた。
私が歩き出すと、次兄が、
「で、これからどこに行くんだ?」
と聞いてきた。私は、
「これから、あっちにいる蒼竜様に会いに行きます。」
と言って、蒼竜様の気配がする方を指さした。
次兄は、
「あっちの門の方か。
なるほど、まぁ、いなかったらいなかったときだしな。」
と言った。佳央様が、
「あっちは門の方なの?」
と確認したので、私は、
「はい。
昨日、入ってきたところです。」
と答えると、更科さんが、
「こんなに遠くまで、蒼竜様の気配が感じられるようになったの?」
と驚いていた。私は、
「普通はないと思いますが、恐らく蒼竜様が、威嚇か何かの意味を込めて気配を大きくしているのでしょう。」
と返すと、佳央様も、
「恐らく、そういうことね。」
と同意したので、そんなに間違った推測ではないようだ。
次兄が、
「お前、そんな事出来るようになっていたのか?」
と聞いてきたので、身内に言われたのが照れくさくて、私は、
「まぁ、一応。」
と答えた。更科さんが、
「『拳骨の』なんて二つ名も持ってるしね。」
と嬉しそうに理由にならない理由を話した。私が、
「その二つ名、もっと格好いいのになりませんかね。」
と言うと、更科さんは、
「もう定着しちゃったし、無いよりは有ったほうが箔も付いていいんじゃない?」
と、なんとなく楽しそうに言った。私がむすっとして黙ると、更科さんに、
「和人は歩荷だから、武器なんて満足に扱えないでしょ?」
と追い打ちをかけられ、私は、
「確かに、それはそうですが・・・。」
と返すしかなかった。
平村に続く方の門に着くと、すぐに蒼竜様と雫様を見つけたので、私は、
「おはようございます、蒼竜様、雫様。」
と挨拶をした。
蒼竜様と雫様が、
「「うむ。」」
と返した。蒼竜様が雫様の方を見ると、雫様は舌を出していた。
私は、
「仲が宜しいですね。」
と言うと、雫様が、
「まぁな。」
とおどけていた。蒼竜様が、
「それよりも、平村のやつが夜遅くまで騒いでいたと聞いたぞ。
なんでも、妙な歌を歌いながら踊っておったとかでな。
木魚と鈴で音頭を取っていたそうだ。」
と言った。私は、
「庄屋様は、何もなかったと言っていましたが。」
と言うと、蒼竜様は、
「避難で気分が晴れないのだろうと言って、皆で放置しておったのだ。」
と言った。私は、
「ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません。」
というと、更科さんが私に、
「和人、どんな歌か知ってる?」
と聞いてきた。私は、
「変な歌というのは、あまり記憶にありません。
どんな歌なのでしょうかね。」
と言ったのだが、蒼竜様が、
「確か、『チーンと鳴ったらワッショイ、ワッショイ』とか歌っておったか。」
と話したので、ようやく何のことか分かった。私は、
「地元のお寺のお囃子ですね。
後、鈴は、チンのことですか?」
と聞くと、更科さんが、
「和人、あれ、チンじゃなくて鈴という名前なの。」
とそっと耳打ちしてくれた。次兄にも聞こえていたようで、
「ん?
あれは昔から仏壇のチンだぞ。」
と言った。私は、次兄も同じようにチンだと思っていたことに確証を得て、
「恐らく、村の方言なのだと思います。」
と話すと、皆納得していた。
更科さんは、
「それで、どんなお囃子なのですか?」
と聞いてきたので、私は、
「えっとですね。
『チーンと鳴ったら、ワッショイ、ワッショイ。
ポックポック叩いて、どっこいしょ。
チンを鳴らして、ワッショイ、ワッショイ。
木魚を叩いて、どっこらしょ。』
という感じです。」
と少しだけ歌って聞かせた。次兄が、
「木魚とチンを叩いて拍子を取るんだ。」
と付け加えた。蒼竜様が、
「それだ、それ。
今夜は、歌わぬように言っておいてもらえぬか?」
と苦笑いをした。と、この時、遠くで威嚇するような感じがした。
思わず、そっちの方に向くと、後ろからニコラ様が、
「あれは、ゴーチェか。」
と言った。どうやら、ニコラ様も門に来たようだ。
私は振り返るとニコラ様に、
「おはようございます。
恐らく田中先輩だと思うのですが、いったいどこからなのでしょうか。」
と聞いてみた。ニコラ様は、
「距離は分からんが、あっちだな。」
と指を差した。次兄は土地勘があるので、
「あっちは春高山の方角か。」
と言うと、蒼竜様も、
「間違いあるまい。」
と肯定した。
恐らく、春高山かその裏の辺りで戦いが始まったのだろう。
私は、これからどのようになるのだろうかと不安を覚えたのだった。
正直、おっさんも最近まで「仏壇のチン」だと思っていましたが、あれ、お鈴というのが正式なのですね。
どうやら、チャリンコのチリンチリンと同じ感じだったようです。(^^;)
あと、仏壇が普及したのは、江戸時代の事なのだそうです。
江戸幕府は、キリスト教を排除するために寺請制度を作りました。寺請制度では、民衆が寺請証文を受けることを義務付けています。寺請証文を受けるためには、菩提寺を決めて檀家になる必要があったそうなのですが、この時、檀家になった証として仏壇が設けられたとのこと。結果、仏壇が普及したのだそうです。
・仏壇
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・寺請制度
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