しっかり、おやりなさいな
宴会が終わった後、風呂に入ることになった。
更科家には、五右衛門風呂があるので、銭湯に行く必要はない。
一人づつはいると効率が悪いということで、二人一組で入ることになったのだが、私はなぜかお父様と一番風呂に入ることになった。
その後は、お祖父様は一兄と、父はお兄様と、次兄は弟君と入ることになっている。なお、女性陣の組み合わせは、私が入るときには、まだ決まっていなかったので、よく分からない。
今は、お父様が湯に浸かり、私は先に体を洗っていた。
風呂から、お父様が私を見ている。
──気まずい。
家の外から、
「湯加減は如何ですか?」
と女中の杉元さんの声がした。
お父様が、
「大丈夫だ。」
と返した。杉元さんが、
「わかりました。」
と言うと、外から聞こえていた薪の燃える音が小さくなった。
どうやら、火を弱めたようだ。
「佳織はどうかね。」
不意に、父が尋ねてきた。
私はどういう意味で聞いてきたのかが分からず困ってしまったが、とりあえず、
「いろいろとやってくれて、本当に助かっています。」
と曖昧に答えた。お父様は、
「そうか。」
と言って、会話が途切れた。
──気まずい。
私は何か話題はないかと頭を捻ったのだが、適当な話題は思いつかなかった。
仕方がないので、私は、
「こうしている間にも、先日こちらに来た蒼竜様などは、葛町で警戒しているのでしょうね。」
と話を切り出した。お父様は、
「そうだな。」
と興味無さそうに言ったので、会話が途切れた。
──気まずい。
私は、体を一通り洗い終わったので、湯に浸かりたかったのだが、お父様に動く気配はない。
私は、
「いつも、長く浸かるのですか?」
と暗に交代を促した。だが、お父様は、
「そうだな。」
と答えるだけだった。
暫くするとお父様が、
「いろいろと言ってすまんな。」
と切り出した。私は、何の件かすぐに思い浮かばなかったが、宴の始めに言っていた結納だのなんだのをやっていない件だと当たりをつけ、
「こちらは農家ですし、いろいろと知らない作法もあります。
何かと配慮してくれているようですし、こちらこそ、お礼を言いたいくらいです。」
と返した。お父様は、
「そのようなことはない。
が、佳織がやっていけるのかだけが心配でな。」
と言った。私は、
「私は歩荷で農家ではありません。
案外、なるようになると思いますよ。」
と答えた。だがお父様は、
「そうではない。
和人くんが竜人格となっている以上、佳織にも、より厳格な作法が要求されるではないか。
あれは、わりと自由に育てたから、作法とかが身についておらん。
そのうち、無礼打ちとかに遭わないか心配でな。」
と身を案じてしていた。私は、
「それを言うのでしたら、そもそも私が作法を出来ていません。
佳織にはいつも助けてもらっていますし、大丈夫ではないでしょうか。」
と返した。しかしお父様は、
「それは・・・、確かに和人くんも無礼打ちに遭わぬとも限らぬか。
門番などの下級武士であれば気安い者も多いようだが、それより上はそうではない。
ただの町人と断ずれば、何をするか分からぬ者も多いからな。」
と言った。町人と言うことで拉致も同然に更科さんを城まで連れていった、桜咲様を思い出した。
私は、
「上には桜咲様のような方がゴロゴロしているのですか?」
と聞いた。するとお父様は、
「和人くんよりは下だがな。」
と苦笑いした。ここで私がくしゃみをすると、お父様は、
「あぁ、気が付かなくてすまんな。
代わろう。」
と言って、ようやく湯に浸かることが出来た。
湯の暖かさが、私を一息つかせる。
お父様は、
「ごろごろと言うわけではない。
が、少なくもないと聞く。」
と続きを話した。私は、
「それなら、もっと治安が悪くなりそうですが・・・。」
と首を捻ると、お父様は、
「一部の良心あるものが、上手く立ち回ってなんとかなってしまっていると言ったところか。
おいおい、そういう話も聞こえてくるようになってくるだろう。
店をやるだけでも、そういう者達から袖の下を求められたり、色々とあるものだ。」
と苦笑いをした。
風呂から上がった後は、更科さんの部屋に通された。
部屋に入る前に、部屋に案内してくれた杉元さんから、
「夫婦なのですから、憚ることもありませんよ。
しっかり、おやりなさいな。」
と袖で口元を抑えながら言われた。私は何のことかよく分からなかったが、
「はい。
がんばります。」
と答えると、杉元さんは、
「早く跡継ぎが出来るといいですね。」
と言った。それで、私は杉元さんが何を言っていたのか、その意味を理解し、
「冷やかさないで下さい。」
と、慌てて返した。杉元さんは、
「あら、まぁ。」
などと言いながら、下がっていった。
部屋に入ると、更科さんから、
「やけに楽しそうだったわね。」
と言われてしまった。私は、
「そのような事はありませんよ。」
と言ったのだが、更科さんから、
「耳まで真っ赤よ。」
と指摘されてしまった。私は言い訳しようと思ったが、
「その、こずく・・・。」
と、途中まで言いかけて恥ずかしくなり、口ごもってしまった。更科さんが、
「何?」
と聞いてきた。機嫌が悪くなってきているようだ。私はもう一度言おうとしたが、
「その、こずく・・・。」
と、恥ずかしくて、またしても最後まで言えなかった。更科さんが、
「小突くって、何を?」
と聞いてきた。私は思いきり目を瞑って、
「子作りと言われまして。」
と大きな声で言ってしまった。更科さんも赤面した。
更科さんは、
「杉元さんも、意地が悪いわね。」
と言うと、私の頭を撫でてきた。私は緊張で竦んでしまうと、更科さんは、
「そんなに固くならなくてもいいから。
慌てなくったって、構わないのよ。
和人が作りたくなったら、受け入れてあげるから。」
と言われてしまった。私は、
「その、作りたくないわけではないのですが、やはり家族で住めるところも決まっていませんし、今はまだ無責任に思えますので。」
と言うと、更科さんは、
「和人らしいわね。
まぁ、今日は同じお布団で寝る練習ね。」
と言って、布団を指で差した。
狭い天幕でも一緒に寝たことはあるが、同じ布団というのは距離感が全然違う。
しかも、今日は佳央様もムーちゃんもいない。
すぐ横で更科さんの息遣いが聞こえる筈だ。
私は、恐る恐る更科さんの普段使っている布団に入ると、更科さんも布団の端をめくって入ってきた。
私が緊張でガチガチになっていると、更科さんは、
「和人、眠れないんだ。
ちょっとまってて。
前にやった、あれ、するわね。」
と言って、更科さんは私の目の辺りに手を置いて、
「おやすみなさい。」
と言った。
私は前回と同様、今回もなんとなく安心して、すっと眠りに落ちたのだった。
──上は洪水、下は大火事、これなんだ?
答えはお風呂です。
作中の五右衛門風呂は、井戸からお水を汲んで上の樽に張り、下の釜に薪を焚べて沸かして入っていましたので、これをイメージして作られたと思われます。
給湯器を使ったご家庭なら「蛇口を捻ってお湯を溜めるんじゃないの?」とか、石油風呂釜を使うご家庭なら「水を張って、タイマーを入れるか点火スイッチを押すんじゃないの?」という感じなので、ドラム缶風呂に入ったことがあるなどの特別な体験をしたことがある人以外、「答えはお風呂」と言われてもピンと来ないですよね。
(既に、石油風呂釜もピンとこない方がいらっしゃるとは思われますが。。。)
あと、江戸時代で自室、というのはかなりの贅沢となります。
一般の庶民であれば、四畳半の長屋に家族全員で暮らすということも珍しくなかったそうです。
江戸時代は子供の死亡率が高かったのもあって子沢山ですから、この四畳半に例えば両親と子供四人が寝ていたりしたそうです。
この狭さ、現代の日本人には耐えられなさそうですよね。(^^;)