両家ご対面
暫くすると、更科さんのお兄様が厠から座敷に戻って行った。
それと入れ違えるようにして、座敷から弟君が出て来た。
弟君は更科さんや私を見て、
「おかえりなさい。
こちらが和人さんのご家族で?」
と聞いてきた。私は、
「修、久しぶりです。
そのとおりで、こちらが父で、こちらが母。
そして上の兄と、次の兄です。」
と大雑把に説明した。すると弟君はお辞儀をしてから、
「はじめまして。
佳織の弟の修です。
姉がいつもお世話になっています。」
と挨拶をした。父は、
「これはご丁寧に。
お初にお目にかかります。
和人の父の、一郎です。」
と返した。父も普段よりも丁寧な印象だ。
弟君が更科さんの方を見ると、更科さんは、
「実は今朝、平村の上空を3頭の竜が飛んでてね。
敵対する竜の里の者たちだということで、急遽、葛町に避難することになったの。
でね。
ついでだから、実家に来てもらったらって言って連れてきたの。」
と言った。弟君は、
「あぁ、それで。」
と納得したようで、父に、
「平村は、大変な事になっているのですね。」
と言った後、足元を見てから、
「ただ、事情はともあれ、父もこちらまで来てくれたのは良い機会だと言っておりました。
まずは座敷に案内しますから、ついて来て下さい。」
と言った。足元を見たのは、すすぎが終わっているか確認したのだろう。
杉元さんが桶を二つ持ってきて下に置きながら、
「修さん、私が案内しますよ。」
と言ったのだが、弟君は、
「いえ、和人さんのご家族なら、僕が案内するほうがいいでしょう。
杉元さんは、すすぎに使った桶の片付けをお願いします。」
と言った。更科さんと私は、杉元さんから桶を受け取るとすすぎを始めた。
杉元さんが、
「分かりました。
お手数ですが、お願いします。」
と言って会釈をした。弟君は、
「ではこちらに来て下さい。」
と言って、私の両親について来るように促した。
弟君は、
「では、和人さん、先に連れていきますので。」
と言ってから私にも会釈をした。
ただ、両親も兄達も、明らかに戸惑っているようだ。初めての家で、しかも初対面の人に案内される形になったからだろう。
私は、
「えっと、修、すみません。
やはり、私が紹介した方が良いと思いますので、待っていて下さい。
もう少しで、すすぎも終わりますから。」
と大急ぎで足を洗っていたのだが、弟君も私の両親の顔色を見て察したらしく、
「いえ、配慮が足りませんでした。
そうですよね。
和人さんが紹介するのが筋なのに、うっかりしていました。」
とやや気まずそうに言った。私は、
「いえ、こちらこそ、急に押しかけてしまってすみません。」
と謝ると、次兄も弟君を知っていたようで、
「すまんな、修。」
と片手で拝みながら謝っていた。
更科さんがすすぎを終えると、私達は座敷に移動した。
御用商人と農民は、形式上、同格ということになっている。
本来、卑屈に振る舞う謂れはない。
だが、両親と一兄は座布団に座らず、かしこまって頭を深く降ろし土下座した。
自分たちよりも住まいも立派なら、着ているものも立派。何もかもが上等なのである。卑屈になるなと言う方が無理なのかもしれない。
私も、お祖父様に挨拶する時、出された座布団の横に座ったが、あれは私が歩荷で御用商人よりも身分が低かったからで、今回とは状況が違う。
更科さんのお父様が、
「和人の父も母も、そんなに頭を下げることはない。
もう親戚なのだから、座布団で気楽にしなさい。」
と声を掛けた。父は、
「すみません。
庄屋様の所に上がる時、子供の頃から座布団は目上の人が座るところだと教えられていまして。」
と頭を掻きながら説明した。お父様は、
「なるほど、そういう事もあるのか。
だが、ここに憚る謂れもないのだから、遠慮をする必要はない。
座布団に座りなさい。」
と言った。両親な顔を見合わせると、お兄様が、
「少し話を付け加えるとだ。
ここで座布団に座ってもらわねば、我々が和人の両親を卑下している形になってしまう。
すまんが、座布団に座ってもらえぬか。」
と苦笑いしながら話した。形式上の問題でもあるらしい。
父が、
「そういうことですか。
でしたら。」
と言って座布団に座ると、それを見て、母、一兄、次兄も順番に座布団に座った。
母が、
「なんだか、ふわふわして落ち着かないねぇ。」
と足をもぞもぞさせながら言うと、父が、
「そうだな。
儂も子供の頃、庄屋様の座布団を指で押して怒られたことがあるが、あれはもっと薄かったし、押した時もこれより弾力が無かったはずだ。」
と言いながら、座布団を仕切りきに指で押していた。次兄が、
「俺も、薄い座布団になら何度か座ったことがあるが、こんな分厚いやつは初めてだ。
やはり、上等の座布団は違うな。」
と言った。お祖母様が、
「なんだい、いい大人がみっともないねぇ!
それに比べて、形からして、あんたが長男かい?
なかなか落ち着いて良いじゃないか。」
と、一兄を褒めた。一兄は、
「大奥様、すみません。
お恥ずかしながら、私もいっぱいいっぱいでして。」
と心苦しそうに言った。お祖父様が、
「なるほど、和人の兄じゃな。
言葉遣いも、よう似とるわい。」
と楽しそうだ。一兄は私をちらりと見て、
「和人は、もう1月半も外で働いていますから、私などより立ち振舞も立派になっている筈です。
私など、ただの農家の倅ですし、粗相などありましたらお許しください。」
と言った。お祖父様が、
「そういう、謙虚なところじゃな。」
と言った。更科さんのお父様が、
「さて。
まだ、宴の支度まで間があるから、その間に当家から紹介しておくとするか。」
と言って、お祖父様、お祖母様、お母様、お姉様、お兄様、弟君の順に、名前と今の仕事を簡単に紹介した。その後、父が、
「では、こちらも紹介いたします。」
と言って、母、一兄、次兄の順に紹介をした。
次兄が、
「俺も冒険者をしている縁で、修とは知り合いだ。」
と付け加えた。
ここで、襖の向こうに人の気配がした。おそらく、女中さんの誰かだろう。
お父様が、
「では、そろそろ始めるとするか。」
と言うと、襖が開き、女中さん達がお膳を運んできた。
事前に来ると知らされていなかったはずなのに、膳には一人に1匹づつ、焼き魚がある。
膳を置いた後は、女中さんが盃にお酒を注いでくれた。
更科さんがぼそっと、
「干物ね。」
と言っていた。お父様は咳払いして、
「・・・こんなものしか無いが、今日は両家の初の対面となる。」
と気まずそうに言った。続けてお父様は、
「本来であれば結納だのなんだの、いろいろと必要なことがあったのだが、既に、赤竜帝が取り仕切って結婚の儀式も終わったと聞いている。
これ以上、何かやるのも角が立つから止めとしよう。
今日は、両家の懇親会ということで楽しんでくれたまえ。
では、せっかくの焼き魚が冷めないうちにいただくとする。」
と言うと、お父様が盃を手に取った。更科家の他の人たちも盃を手に取ったのを見て、私達の家族も慌てて盃を手に持った。
お父様は、全員が盃を手に持ったことを確認してから、
「では、両家の発展を祈願して、乾杯。」
と言って、更科家の人たちと次兄が盃の中のお酒を飲み干した。これを見て、慌てて私の残りの家族も盃を空けた。
更科さんが、私のところに来て、
「注いで回るわよ。」
と言った。私は、そういう作法なのだろうと思い、更科さんについていきながら、お祖父様から順に盃にお酒を注いで回った。
母が女中の小鳥遊さんに、
「大根の煮物一つとっても、家のとは偉い違いじゃね。
これは、どうやって煮とるん?」
と声を掛けた。小鳥遊さんは、ちょっと困った顔をして、お祖母様の顔色を確認した。
お祖母様が、
「いいよ。」
と許可を出すと、小鳥遊さんは、
「こちらは、昆布出汁にお醤油と味醂で煮ています。」
と話した。
母は、
「あれ?
味醂ってのは、水で薄めて飲むもんじゃなかったのかねぇ。
料理にも使えるのかい?」
と恐る恐るという感じで聞いた。小鳥遊さんは、
「えぇ。
甘みが加わるので、塩だけよりも美味しく仕上がるんですよ。」
と答えると、母は、
「なるほどねぇ。
流石、いいとこの女中さんは料理も得意なんだねぇ。」
と褒めていた。
この後も、小鳥遊さんと母は料理の話を楽しんでいた。
次兄も、弟君と楽しく話している。
だが、他の面々は初対面というのもあり、今ひとつ盛り上がる感じはなかった。
私は間に入ってなんとか場を取り持とうとしたのだが、結局徒労に終わり、気疲れするだけの宴会となったのだった。
今回、敬称が付いているかどうかで山上家の人々か更科家の人々かを読み分けるようになっています。
例えば、『父』が山上くんの父で、『お父様』が更科さんの父です。
大変わかりづらい仕様となっており、申し訳ありません。(--;)
あと、料理に甘さを足すために砂糖ではなくて味醂を使う事がありますが、江戸時代、味醂はお酒と同じように飲まれていたのだそうです。今では、味醂を飲むことはほぼありませんので、ちょっと不思議ですよね。中には味醂で漬けた梅酒とかもありますが、圧倒的に少数派ですし。
ちなみに、味醂を使って自分で梅酒を付けるのは酒税法違反になるらしいのでやめましょう。(^^;)
・酒税法
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