ニコラ様は氷(ロック)
葛町まで避難する途中、ニコラ様達と一緒に歩いていた。
両親や兄達は、初めて見る異国人におっかなびっくりという感じだった。
レモンさんが、
「そういえば、ゴーチェ・・・、田中はこっちではどんな感じなんだ?」
と聞いてきた。私は、
「先日、一緒に飲んで聞いたのでは無かったのですか?」
と聞くと、レモンさんは、
「まぁ、そうなのだが・・・」
と言ってから辺りを見回し、私だけに聞こえるように小声で、
「実は、最初の方は覚えているのだが、すぐに酩酊したらしく、よく覚えていなくてな。」
と決まりが悪そうに言った。私は、酒は記憶を飛ばすからなと思いながら、
「そういうことでしたか。
ですが、私も沢山は知りませんよ?」
と言うと、レモンさんは、
「それでも良いから頼む。」
とお願いされた。私は、
「では、印象に残っているのをひとつ。」
と言って、大雪狼の牙の話を掻い摘んで話した。
すると、レモンさんは、
「あぁ、前に会った野辺山とかいう奴と初めて仕事をした時の話か。
なんか、薄っすらと思い出したような気がする。」
と記憶をたぐるように言った。私は、
「それは良かったです。
飲んで全部忘れたというと、やはり角が立ちますからね。」
と言うと、レモンさん
「そうなんだよな。
でも、嬉しくなって再会を祝ったらすっかり酔いが回ってな。
何と言ったか。
大吟醸とかいう、米で作った酒だったか。
こっちでは見かけないmuscatの果実を思わせる風味が素晴らしかったぞ。
ハプスニルのwineと同じく『発酵』を使って作るそうだが、こっちの方がスッキリした味わいで、グビグビ飲んだのも悪かったんだがな。」
と苦笑いした。私は、
「その、だいぎんじょうというのは飲んだことはありませんが、なんだか美味しそうですね。」
と言いうと、更科さんが、
「私の実家で飲んだでしょ?
和人、スッキリして美味しいって言ってたじゃない。
あれが、大吟醸よ。」
と言われてしまった。気を取り直して私は、
「あれですか!
あれは美味しかったですね!」
と言うと、次兄が、
「儂は酒造りはそんなに詳しくはないがな。
酒は、蔵元が違うと個性も違うんだぞ。
だから、レモン様?が飲んだ大吟醸と和人が飲んだ大吟醸の味が同じだったかは分からんな。」
と話に割り込んできた。庄屋様が感心しているようだ。
私は、
「そうなのですか?」
と聞くと、隣りにいた庄屋様も聞き耳を立てていたらしく、
「大吟醸というのは、米の芯だけを使って作ったお酒のことです。
ですが、毎年、米の出来も違いますし、蔵によって酒を醸す糀も様々です。
それに、同じ米と糀を使っても、仕込み毎に味が変わってしまうそうですよ。
なので、木桶毎に出来が変わるのだそうです。
それに、店で水で薄めて出しているわけですし、同じ時に飲まないと、同じ味とは言えないという人もいます。」
と話しに加わってきた。私は、『かもす』とか『こうじ』がどんなものか分からなかったのだが、最後の所が気になったので、
「酒とは、そういうものなのですか。
しかし、その薄めるのはどういう理由なのですか?」
と聞いた。すると庄屋様は、
「それは、私もよく知りませんが、そのまま出すと酒が濃すぎるからでしょうね。
体質もあるかもしれませんが、原酒はちょっと飲んだだけでひっくり返ってしまいますし。」
と答えた。私はレモンさんに、
「田中先輩と一緒に飲んだ時は、ひょっとして薄めていなかったのかもしれませんね。」
と言うと、レモンさんは、
「確かに、品種にもよるが、wineよりも濃かった気がするな。
まぁ、brandyほどじゃなかったけどな。」
と言った。私は、
「その、『ぶらんでー』というのは相当濃いお酒なのですか?」
と聞くと、レモンさんは、
「濃いなんてもんじゃないぞ。
distillerとか言う装置で、酒を下から炙って沸かした後、酒の濃いところだけを集めて酒に戻すからな。
酒の純度が桁違いだ。」
と説明した。だが、ここでニコラ様が、
「レモン、桁が変わるようなことはあるまいよ。
ただ、alcoholの濃さが倍以上というのは違いないだろうがな。」
とレモンさんの話を訂正した。どうやら、レモンさんは大げさに話したらしいが、どちらにしても、私が未体験の酒だというのはよく解った。
私は、
「そのまま飲むのですか?」
と聞くと、レモンさんは、
「俺は水割りだな。」
と言った。するとニコラ様が、
「まだまだだな。
俺は氷で飲むぞ。」
と言った。レモンさんが、
「わざわざ氷を魔法で出してか?」
と半ば呆れたように聞くと、ニコラ様は、
「まぁな。
でも、そっちの方が美味ぞ?」
と自信を持って言った。そんなに美味しいのなら、私も一度は飲んでみたいものだ。
レモンさんが、
「ニコラ様は魔力量が豊富だから出来るが、俺は氷を出す毎に気合を入れないといけないからな。
酔った状態では、とてもじゃないが無理だ。」
と苦笑いした。
こんな感じで、酒談義をしていたのだが、ふと思い立って、
「そう言えば、そろそろ休憩を挟んだほうがよくありませんか?」
と確認した。庄屋様は、
「なるほど、戸板を担いでいる者もいますし、ごもっともです。」
と言って、休憩を取ることになった。
休憩と言っても、水場があるわけでもない。
私はこんな調子で歩いていって、最後まで持つだろうかと心配だった。
だが、そもそも平村の人たちは日中、農作業をやっていて足腰が丈夫な人が多い。
おかげで、一人の脱落者もなく、道を進むことが出来た。
私はその後の道中でも、レモンさんに田中先輩から昔聞いた空鯨や水龍の数の子獲りの話の大雑把なところを話したが、レモンさんは聞いた覚えがないと言っていた。
私達が葛町に着いたころには夕焼け空も終わり、どんどん暗くなっていた。
月はもうすぐ下弦の筈なので、子の刻前にならないと登ってこないはずだ。
戸板で担いでいる老人もいるだけに、足元が見えているうちに葛町につけて、本当に良かったと思う。
葛町に着くと、入り口で蒼竜様と野辺山さんが待っていた。
私は、
「蒼竜様、野辺山さん、お疲れ様です。
すみません、遅くなりました。」
と言うと、蒼竜様が、
「何事もなくたどり着けたなら、問題ない。」
と返事をした。私は、
「ありがとうございます。」
と返した。そして、隣りにいた庄屋様も紹介しておこうと思い、蒼竜様に、
「えっと、すみません。
こちらが、葛町への避難に協力していただいた庄屋様です。」
と紹介すると、庄屋様は、
「平村で庄屋をしております、和泉 郷太郎と申します。
この度は、我が村の危機にご尽力いただいたそうで、ありがとうございました。
お礼もございます。
平村にお越しの際は、お声がけいただければ歓待したく存じます。」
と挨拶した。蒼竜様は、
「これは、ご丁寧に。
拙者、蒼竜と申す。
この度はここまでご苦労であった。」
と労った。庄屋様は、
「勿体無いお言葉、ありがとうございます。」
と感激していた。
この世界でも、だいたい30日で月が満ち欠けします。
あと、お話の中で大吟醸が出てきましたが、実は江戸時代に現代で言う吟醸酒はありません。
吟醸酒は精米技術の関係から、昭和になってからなのだそうです。(言葉としては明治にもあったらしい)
ですが、この世界には『精米』『発酵』の魔法がありますので、それらを使って作られています。
・日本酒の歴史
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もう一つ、庄屋様が「木桶毎に出来が変わる」と言っていますが、現代の酒蔵でもタンク毎に味が変わるそうです。
なので、複数のタンクを調合し、酒蔵としての味の品質を担保しているのだそうです。
あと、サブタイトルになっていないので探しづらいと思いますが、空鯨の話は「田中先輩が先生と呼ばれるきっかけ」に出てきます。




