庄屋様から
翌朝、腹に強烈な一撃を受けて目が覚めた。
わずかに呻きながら目を開けると、佳央様の尻尾が腹に乗っていた。
どうやら、佳央様の寝返りで尻尾が腹に入ったらしい。
今、佳央様は竜人化をといて私と同じ天幕で寝ている。
勿論、更科さんも隣で寝息を立てている。
私は、更科さんの頭を撫でてから、佳央様を天幕の隅に移動させた。
普段ならまだ寝ている時間だが、まだ腹がうずくので二度寝できそうにない。
私は天幕から出て空を見上げた。
案の定、まだ空に星が光っている。
だが、東の空が明るくなりかけているので、もうすぐ夜も終わる筈だ。
少し早いが土間に行くと、母が桶を担いで出かけようとしていた。
井戸まで水を汲みに行くのだ。
実家から井戸までは、普通に往復しただけでも四半刻くらいかかる。毎朝、こんなに朝早くに桶を担いで汲みに行っているのかと思うと、それだけで頭が下がる。
私が、
「おはよう。」
と声を掛けると、母も、
「えらい、早起きじゃね。」
と返してきた。私は、
「まぁ、いろいろとあって。」
と言うと、母は、
「いろいろあったら、朝寝坊になるもんじゃけどね?」
と言った。私は何を言っているのかよく分からなかったので、
「そういうもの?」
と聞いたのだが、母は残念なものを見るような目をして、
「あぁ、そういう事。
もう少し、長く相手できるようにならんとね。」
と言われた。
私は母が何を言っているのか、相変わらず解っていなかったが、
「そうする。」
と適当に返事をした。そして、
「顔を洗いたいけど、まだ水を汲んでいなかったか。」
と言うと、母は、
「まぁ、こんな早起きがおるとは思わんけね。」
と返事をした。私は、
「それじゃ、一つ汲んでくるか。」
と言って、母から桶を受け取って出かけた。
私は、少し駆け足で井戸まで行くと、水を汲んで溢さないように実家まで歩いて戻った。
瓶に水を入れ、2回目の水汲みに出かける。
実家の水瓶の場合、3回往復しないと一杯にならないので、更にもう1往復する。
私が3回の水汲みを終えると、空が白け始めた。
母が、
「ご苦労さん。
疲れたろ?
まだちょっと熱があるけど飲みな。」
と言って、白湯を出してくれた。
私はそれを受け取ってゆっくり口にすると、
「毎朝、こんなに早くありがとう。」
とお礼を言った。母は、
「そういうんはええの。
でも、佳織ちゃんにはちゃんと言っておあげ?」
と言った。母は、なんだか嬉しそうだ。
私は、
「そうする。」
と言って、更科さんがまだ寝ているはずの天幕に戻った。
更科さんが、
「おはよう、和人。
行水?
・・・ではないわね。」
と言った。私は、更科さんが行水かと聞きかけて否定したので、自分の体が臭うのではないかと思い、恥ずかしくなった。
私は、
「これから川に行って、行水をするところです。」
と言うと、更科さんも、
「じゃぁ、私も。」
と慌てて支度を始めた。佳央様が眠そうに、
<<行水?
私も行く。>>
と言ったので、私は袋から佳央様と自分の2本、手ぬぐいを取り出した。
3人で川で行水をして戻ると、既に朝食の支度が出来ていた。
私は、
「遅くなってすみません。」
と謝ったが、父は、
「まぁ、今日はお客様だ。」
と言って咎める様子もなかった。私達が御飯を食べていると、家の前で、
「山上 広人殿はおられるか。」
と声がした。私は、誰だろうと思ったのだが、更科さんから、
「和人、呼んでるよ?」
と言われて、自分の名前が変わったのを思いだした。
私は慌てて口の中の御飯を飲み込み、
「はい、おります。」
と言って表に出た。
すると、そこには庄屋様がいた。
私は、
「おはようございます、庄屋様。
昨日は、急にニコラ様御一行を案内してしまい、申し訳ありませんでした。」
と謝ると、庄屋様も、
「いえ、とんでもございません。
こちらこそ、昇格のこと、露知らず誠に申し訳ありませんでした。」
と丁寧に謝り返した。私は、
「いえ、こちらこそ、何もお伝えできておらず、申し訳ありませんでした。」
と負けずに謝ったのだが、庄屋様は、
「いえいえ。」
と言ってから、本題に入った。
庄屋様は、
「それでですね。
遅れ馳せで申し訳ありませんが、こちらはお祝いとなります。
些少ですが、気持ちですのでお収め下さい。」
と言いながら、私にご祝儀袋を渡そうとした。
私は咄嗟に、
「そんな、申し訳ないです。」
と辞退したのだが、庄屋様は、
「いえいえ、おめでたい事ですので、お祝いさせて下さい。」
とお願いされた。私は、これでは受け取らないわけにも行かないかと思い直し、
「では、ありがたく頂戴いたします。」
と言って受け取った。庄屋様は、
「朝餉の途中だったようで、申し訳ありませんでした。
また、お時間のある時にお越しください。」
と丁寧に言ってから帰っていった。
家から出てすぐの時、まだ口をモゴモゴさせていたのでバレていたのだろう。
私と更科さんは、父母や兄達に、結婚のお祝いの日程を相談した。
だが、よく考えると、明日は講習を受けて、その後は湖月村を往復するとしか聞いていない。
どの日が空いているのか、自分でもわからないのであれば、日程の立てようもない。
仕方がないので、前日に私達で宴会の材料を持ち込んで、翌朝振る舞おうという話になった。
その後、庄屋様のお宅に伺うことになった。
話も終わり、将にこれからニコラ様を迎えに行って帰ろう思った時、また、家の外から
「山上 広人殿はおられるか。」
と声がした。私は、
「すみません。
何か粗相がありましたか?」
と言いながら外に出ると、ばつが悪そうな表情の庄屋様がいた。
私は、
「どうなさいましたか?」
と聞くと、
「その、追加のご祝儀にございます。」
と言って渡してきた。私は、昇格の他に結婚のご祝儀ということだろうと思ったので、
「わざわざ2回に分けてお運びいただかなくても十分でしたのに。」
と言うと、庄屋様は、
「いや、こちらにも事情がありまして。」
と苦笑いした。私は、その事情にはつっこんではいけないのだろうと思ったので、
「私も、貰ってばかりというのもアレですから、そのお金は村のために使っていただけませんか。」
とお願いすると、庄屋様は、
「私が包むのでしたらそれで良いのですが・・・。」
となにやら言いかけたが、途中で止め、
「申し訳ありません。
今のは忘れて下さい。」
と言った。私は、
「でしたら、先に頂いた方と交換というので如何でしょうか?」
と提案すると、庄屋様は、
「それでは私の・・・、分かりました。」
と何やら途中まで言いかけたが、ご祝儀を交換することになった。
さっきと比べて、明らかに重い。
私は、
「結婚のご祝儀では無かったのですか?」
と余計なことを口にしてしまった。庄屋様は、
「結婚と言いますと?」
と言ってきたので、私は当然知っているのだろうと思い、
「先日、大杉の更科屋のところの佳織さんを妻にいただきまして。
先程も、次にこちらに戻ってきた時に、結婚の宴会でもやろうという話をしていました。」
と話した。すると庄屋様は、
「いえ、その話は初めて聞きました。」
と言うと、庄屋様は少し考えてから、
「その時には、改めてご祝儀をお渡し致したく。」
と祝儀を催促した形になってしまった。私はやってしまったと思い、
「申し訳ありません。
そんなつもりで言ったのではありません。」
と謝ったが、庄屋様は、
「いえ、こちらこそ、ちゃんと確認もせず、申し訳ありませんでした。」
とお互いに謝りあった。
更科さんが、
「和人、こちらは?」
と聞いてきたので、私は、
「こちらは、平村の庄屋様です。」
と庄屋様を紹介した。そして、
「庄屋様、こちらが私が娶りました佳織です。」
と紹介した。佳央様が竜の姿で出てきて、
<<あと、私が佳央よ。>>
と言った。庄屋様は驚きのあまり、尻餅をつきあわあわと後ろに下がろうとしたが、私は、
「佳央様!
突然出てきたら驚かれるでしょう!」
と怒ると、佳央様は、
<<それもそうね。>>
と軽く流した。私は庄屋様に手を差し出し、
「申し訳ありません。
お掴まり下さい。」
といって庄屋様を引き起こすと、
「こちらは佳央様です。
見ての通り、竜の子供です。
たまに連れて歩きますが、襲ったりはしませんのでご安心下さい。」
と言った。佳央様は、
<<動物じゃあるまいし、失礼ね。>>
と機嫌が悪くなったので、私は、
「すみません。
佳央様はそんなことはしませんよね。」
と言って頭を撫でた。
更科さんが頭を出して催促してきたので、私はそっちの頭も撫でた。
両親や一兄が、
「こっちはそろそろ畑に出かけるがどうする?」
と聞いてきた。私は、
「なら、私達もニコラ様を迎えに行くので、もう少し待っていて下さい。」
と言った。
庄屋様は、
「おや。
では、私は先に自分の屋敷に戻りますので、ゆっくり起こし下さい。」
と言った。私は、
「わかりました。
では、後で伺いますので、宜しくおねがいします。」
と言って、庄屋様と別れた。
その後、私達も帰る準備をして両親達と畑まで行った。
私は、
「では、また暫く来られませんが、これで失礼します。」
と言って両親や一兄と別れた。
私は、竜人化した佳央様、次兄、佳織を連れて、4人で庄屋様の屋敷に向かった。
私達は、なぜ庄屋様は二回も来たのだろうと話しながら、田んぼの広めのあぜ道を歩いたのだった。
平村では、比較的浅い所で水が出る想定です。
いわゆる浅井戸は、雨が多いとその影響を受けたり、場所によっては肥溜めの水が混入している可能性もあるので、そのまま飲むのは危険です。
ですので、山上くんのお母さんは、汲んできた水を一度沸かしてから冷まして山上くんに渡しました。
ただ、山上くんは予想よりもずっと早く汲み終わったので、お湯が冷めきらず、白湯になってしまいました。
あと、庄屋様が二回来たのは、「閑話?(2)」のためとなります。




