無料券を貰った
口入れ屋の番頭さんに教えてもらった安宿に行ってみると、最初に田中先輩が立ち止まった小汚い旅館だった。
雫様と更科さんは、
「「あぁ、やっぱり。」」
と言って、大仏のような表情になっていた。
私は、
「野宿よりは良いのではないですかね。」
と言ったのだが、雫様が、
「こういう宿は、当たり外れがあるんや。」
と言った。私が
「外れはどのような感じなのでしょうか。」
と聞くと、雫様が、
「怖いでぇ。
寝て、起きたら痒ぅなっとるんや。」
と身震いした。すると横山さんが、
「あぁ、あるある!
布団や枕に壁蝨がいるのよね。
あれ、噛まれたら腫れるし、痒いと集中力が切れがちになって良いこと無いのよね。」
と言っていたから、実体験なのだろう。田中先輩が、
「その心配はなさそうだぞ?」
と言った。よく聞くと微かに布団を叩く音がしたので、これを聞いての判断なのだろう。
私は、
「あれも不思議なもので、大丈夫な人は噛まれないんですよね。」
と言うと、横山さんが、
「山上くんも噛まれたことあるの?」
と聞いてきた。私は、
「お恥ずかしながら、親戚の家に泊まった時、布団を干す時間がなかったとかで・・・。」
と話した。すると横山さんは、
「それ、分かるわ。
それに、かび臭くなっているのよね。」
と笑っていた。これも実体験があるのだろう。私は、
「田中先輩はそういうのはありませんか?」
と聞くと、田中先輩は、
「若い頃は俺もそういう目に遭ったな。」
と笑っていた。雫様が、
「若い頃ちゅうことは、最近はないんか?」
と聞いた。私も何か良い方法があるなら知りたかったのだが、田中先輩は、
「ああ。
そういう宿に泊まる時の裏技があるんだ。」
と言った。雫さま、横山さんの目が輝いている。私ももちろん気になったが、更科さんだけは何の事か、分かっていないようだった。
雫様が、
「どなんするんや?」
と聞くと田中先輩は、
「まず、布団と枕を外に出して、魔法で時間が立つと消える方の水を出してジャブジャブ洗うだろ。
で、次に火魔法で加熱するんだが、水魔法が消えたら燃えかねないだろ?
だから、新しく水をかけて、また火魔法で加熱する。
これを繰り返していくと、壁蝨が死ぬわけだ。
最後に布団を叩いて、風魔法で布団を膨らませたり、布団の表面や部屋の塵を外に飛ばしたら出来上がりだ。」
と言った。私は、
「布団が痛みそうなので、バレたら宿の人に怒られませんか?」
と聞くと、田中先輩は、
「そういう宿は、だいたい煎餅布団だ。
他人の汗も少しは洗い流せて、少しは膨れるからな。
加減さえ間違わなければ、喜ばれることはあっても、怒られることはなかったぞ。」
と言った。すると横山さんが、
「へー。
そんな技があるのね。」
と感心した。しかし田中先輩は、
「あぁ。
そう言えば昔、どうせ水が消えるからと思って畳の上でやったら、畳の汚れが浮いて色むらが出来て怒られたな。
真似するなら、面倒でも部屋の外でやれよ。」
と付け加えた。私はふと気になって、
「その畳はどうしたのですか?」
と聞くと、顎に手をやり、
「確かその時は、その部屋の畳を全部外に出して、魔法で出した水につけて、全部丸洗いしたぞ。
一応、色むらも目立たなくなったから、宿の人も許してくれたし、畳の壁蝨も一掃出来たからか、快適だったな。」
と答えた。雫様が、
「火魔法で加熱もやったんか?」
と聞くと、田中先輩は、
「ああ。
その方が、畳の中の壁蝨も殺せるからな。」
と言った。私が、
「『布団の洗濯、畳の掃除、承ります』とか言えば、お店が出来るのではないですか?」
と聞くと、田中先輩は、
「まぁ、俺が小規模にやるなら行けるか。
ただ、かなり魔法を使うからな。
割に合うかは別だ。」
と言った。すると更科さんが、
「和人は、いくらくらいなら頼む?」
と聞いてきた。私は、
「そうですね。
例えば畳洗いをしてもらうとして、真新しい畳の薫りも楽しめないでしょうし、元の畳の半額で表替えができますから、その更に半額くらいでしょうか。」
と言った。すると更科さんは、
「うん。
じゃぁ、畳は銀6匁くらいだから、銀1匁と5分くらいなら洗うということね。」
と言うと、私は、ちょっと高い気もしたが、
「・・・う〜、はい。」
と答えた。すると横山さんが、
「私なら、どうせなら表替えにするわね。
やっぱり、ちゃんと真新しいい草の匂いがした方がいいし。」
と言った。更科さんは、
「和人、私もそう思うわ。
というか、多分畳替えの半分でも頼む人はいないと思うわよ?」
と不味そうな顔をした。私は、
「つまり、誰も相手にしないということですね。」
と言うと、更科さんは、
「ううん、多分、もっと値段を下げれば需要はあると思うの。
でも、これだけ魔法が使えるなら、他の事をやったほうが稼げるから商売としてはね。」
と眉間に皺を寄せた。私は、
「ということは、商売にはなるけど、なり手がないということですね。」
と言うと、更科さんは、
「そういうことね。
で、和人。
私が何を言いたいかと言うとね。
あんまり簡単に『お店が出来る』とか言わないほうが良いわよ。」
と言って、怒られてしまった。私は、更科さんの実家は商売をやっていて、お店をやる大変さを側で見て知っているから、こういうことを言っているのだろうと思った。
私は、
「すみません。
やはり、商売は大変なのですね。」
と謝ると、更科さんは、
「うん。」
と返事をした。
田中先輩が、
「立ち話も長くなったが、そろそろ宿に入るぞ?」
と言うと、そのまま宿屋に入っていった。私達もそれに続いて入った。
宿に入ると田中先輩がここの番頭さんと思われる人と話をしていた。料金交渉とかをしているのだろう。
暫くすると番頭さんと思われる人が、
「みなさん、こちらに注目をお願いします。」
と言って手をあげた。私たちがそちらに注目すると、
「民宿『とまり木』にようこそ。
私はここの番頭の坂森と申します。
まず、こちらの宿について説明させていただきます。」
と言って、説明を始めた。
「皆様がお泊りになる部屋は、そこの階段を二階に上がって廊下をまっすぐ行った突き当りの右側の1部屋となります。
広さは7畳半で多少狭いかもしれませんが、ご了承下さい。
そして、先程も田中様にはご説明いたしましたが、こちらの宿では、夕食と朝食が付きます。
時間になりましたらお呼びしますので、1階のあちらの部屋にいらっしゃって下さい。」
と手で玄関から入って右手の部屋を指した。番頭さんは続けて、
「あと、この宿にはお風呂がありません。」
と言った。女性陣がざわつく。だが、番頭さんは
「申し訳ありませんが、お風呂に入りたい場合は入浴券がありますので、それを使って近くの銭湯にお入り下さい。」
と言ったので、女性陣も安心したようだった。私は、
「また、高額なのでしょうか。」
と聞くと、宿の番頭さんが、
「あぁ、人間の持っている通貨と我らの通貨では、価値が違うのでしたね。」
と苦笑いした後、
「大丈夫ですよ。
無料券ですので、宿代に込みです。」
と説明して、田中先輩に入浴券を5枚渡した。
雫様が、
「銭湯か。
ここも混浴か?」
と聞くと、番頭さんは、
「はい。
ただ、どこでも銭湯と言えば混浴と思っていましたが・・・。」
と答えた。すると横山さんが、
「王都には男女別の銭湯もあるわよ。」
と言った。雫様は、
「それ、ええなぁ。
銭湯言うたら、一日中はいっとるおっさんとかおんねんで。」
と、嫌そうな顔をした。すると横山さんも、
「あ〜、いるいる。
若い頃、じっと見られて嫌だったわ。
あと、おっさんに脱いだものの匂いを嗅がれたりとか。」
と言った。すると番頭さんは、
「なるほど、それは確かに不快ですね。
今度、機会がありましたら銭湯をやっている人に話しておきます。」
と言ったが、金のかかる話なので改善はされないだろうなと思った。
私は、
「それでは、部屋に行って荷物を降ろしましょう。」
と言うと、横山さんや更科さんが、
「そうしましょう、そうしましょう。」
「うん。」
と言って、田中先輩や雫様も含め全員で二階に登り、割り当てられた部屋に入った。
更科さんが、
「やっぱり、この人数だと狭いね。」
と言ったが、私はそれほど狭いとは思わなかった。育ちのせいだろうか。
横山さんが、
「起きて半畳、寝て一畳と言うじゃない。
それよりは広いわよ。」
と言った。しかし雫様は、
「いや、これ、普通なら三人までやろ。」
と口を歪めている。田中先輩が、
「まぁ、暮らすわけじゃないからな。
問題ないだろう。」
と言った。更科さんが、
「そう言えば、その押し入れの中、お布団ちゃんと5組あるかなぁ。」
と私に言ってきた。私も不安になったので押し入れの襖を開けると、4組しか布団がなかった。
しかも、少なくともさっきまで太陽に干したような匂いはしない。寧ろ、長く干していないすえて黴も生えているのではないかという臭いである。あの布団を叩く音は、別の家からだったに違いない。
私は咄嗟に、
「あぁ、これ、布団の数が少ないですね。
今夜、私は寝袋で寝ますので、皆さんで使って下さい。」
と言ってこの布団を使うのを回避しようとした。すると更科さんも、
「和人が寝袋なら、私も寝袋にするね。」
と言って、布団を使うのを回避しようとした。
田中先輩が、
「おっ、そうか。
寝袋のほうが場所を取らないからな。
じゃぁ、俺もそうするか。」
と言って、話に乗って布団を回避しようとした。横山さんや雫さまも、
「じゃぁ、私も寝袋にするわ。」
「一人だけ布団ゆうのもあれやし、うちもそうするわ。」
と言って、結局、全員布団を避けて寝袋で寝ることになった。
私は窓を全開にしてかび臭い匂いを追い出すと共に、田中先輩が襖を閉めたのだった。
畳の値段は現在の値段を参考に、1文=20円で換算しています。(銀6匁=600文=12000円)
お話の中だけ、ということでご了承下さい。
ただ、やはり1枚洗うと銀1匁と5分ということは、現代の金銭感覚で言うと約3千円なので、山上くんがちょっと高いかなと思うのも仕方がないかもしれません。(6畳なら1万8千円)
一方、銭湯は江戸時代を踏まえて、混浴となっております。
中途半端なさじ加減で、申し訳ないです。(--;)