SS 二人のバレンタインデー
世の中全体が大変なときなので、何かホッとできる物語を提供したく、投稿します。
こちらは今年、出版社様宛に年賀状をくださった皆さまへお返しに送ったSSです。
少しでも皆さまが楽しめますように。
アハマスはタイタリア王国の端に位置しており、異国文化の情報が多く入ってくる。そんなアハマスの地で初めて知る事実に、サリーシャは驚愕した。
「大変だわ……」
サリーシャが知った事実。
それは、遠い異国の地では二月のとある日に、チョコレートと共に愛を告げるというものだ。たまたま今日の外出の際に言葉を交わした旅の行商人に聞いた。
「早く準備しないとっ!」
カレンダーを見たサリーシャは慌てふためいた。
これはのんびりしている場合ではない。その日まであと一ヶ月もない。
一刻も早くとびきりのチョコレートを入手して、愛するセシリオに愛を告げなければ!
サリーシャは早速準備に取りかかった。
一方、セシリオは悩んでいた。最近、サリーシャの様子がおかしいのだ。
物思いに耽るようにノートを見つめ、時折ぶつぶつと呟いてカレンダーをチェックし、口元に笑みを浮かべている。
「なあ、モーリス。なんだと思う?」
「さあ? 何か心当たりかヒントはないのか?」
「心当たりかヒント……。そう言えば、侍女のノーラとバレンタインがなんたらかんたらとか話していた気が……」
「バレンタイン? 誰だそれ?」
「知らん。聞いたこともない家名だ」
セシリオの行動は速かった。
すぐにあらゆる情報網を駆使してバレンタインについて調べ上げた。
その結果、わかったのはこんな事実だった。
「バラだ。赤いバラがいる」
バレンタインとは家名でなく、どうやら外国の行事らしい。赤いバラの花束を用意して恋人に愛を告げる日だということだ。
そしてセシリオは悟った。きっとサリーシャは、自分がバラを用意してくれると信じてカレンダーを眺めていたに違いない。
だがしかしだ。困ったことに、今の時期にタイタリア王国にバラなど咲いていない。
「なんてことだ……」
セシリオ=アハマス、一生の不覚。
愛する妻のためならば千里をも駆ける覚悟があるのに、実際にはたった一本のバラすら用意できないとは。なんたる不甲斐なさ!
天を仰いで落ち込んでいると、そこに通りかかったのが侍女長のクラーラだ。
「旦那様、何をしていらっしゃるんです?」
「クラーラ。俺は本当に自分が情けない……」
「はい?」
突然何を言い出すのかと訝しがるクラーラに、セシリオはことの顛末を話した。サリーシャに愛を告げるためのバラが用意できないと。
すると、クラーラはぽんと手を打つ。
「それなら、お任せください」
「用意できるのか?」
「厨房に相談にいって参ります」
「厨房? 用意したいのは花だぞ」
「いい案がございます」
クラーラは自信たっぷりに胸に手を当て頷いた。
◇ ◇ ◇
バレンタインデー当日、サリーシャはこっそりと準備したチョコレートをセシリオにプレゼントした。
「セシリオ様、これを」
「なんだ?」
「チョコレートですわ。ドリスに頼んで手配してもらったのです。お口に合えばいいのですけど」
中を開けてみると、宝石のように美しいチョコレートが入っていた。
こんなものはアハマスには売っていないので、わざわざ王都から取り寄せたのだろう。
「あの……、セシリオ様、……大好きです」
チョコレートを眺めていると、サリーシャがおずおずとそう告げる。視線を上げると、熟れたりんごのように顔を赤くしてこちらを見つめるサリーシャがいた。
「あのっ、今日はバレンタインという外国の行事の日らしいのです。チョコレートを用意して女性から男性に愛を告げると聞いて……」
サリーシャはあたふたした様子で言い訳を始める。
セシリオは思わぬ話に目を瞬いた。
自分が調べた話と全く違う。恐らく、国ごとに文化が違うのだろう。
耳まで赤くしたサリーシャのその様子に、愛しさが込み上げるのを感じた。きっと、これを渡そうと計画を練ってくれていたのだろう。
「サリーシャ、これを」
セシリオは事前に用意していた物をそっとケースから出す。
サリーシャはそれを見た瞬間、驚きでその瑠璃色の瞳を真ん丸にした。
「まあ、凄いわ!」
そこには、まるでガラスのような繊細なバラがあった。
「飴細工のバラだ。俺の調べでは、バレンタインは男から女にバラを贈り、愛を告げる日だと。サリーシャ、愛している」
サリーシャはぽかんとした顔でセシリオの顔を見上げ、次いで感極まったように口元に両手を当てる。
「セシリオ様。こんなに素敵なものを頂いて、もったいなくて食べられません」
「食べないと、駄目になってしまう。食べてくれ。来年も、再来年も、ずっときみのために用意しよう」
そう言うとサリーシャは嬉しそうに笑い、こくりと頷いた。
バラの花弁を指で折ると一口自分で食べ、もう一枚折ると今度はセシリオの口元に寄せる。
舌で掬うように口にしたそれは、これまで口にしたどの砂糖菓子よりも甘美で極上の味がして、二人は顔を寄せて微笑み合う。
その年以降、二月のとある日になると、お互いにチョコレートと飴細工を贈り合う領主夫婦の仲睦まじい姿が毎年のように見られるようになったという。
ご清覧ありがとうございました。