第五十四話 衝撃
「う……ん……」
頭がズキズキする。それに、今日は随分と布団が固い。
そんなことを思いながら、サリーシャはゆっくりと意識を浮上させた。目を開くと、辺りは薄暗い。
──今は、夕方かしら?
辺りを見渡すと、薄暗い中に見えるのは見たこともない景色だった。質素な木目の壁に、ぴったりと閉ざされたドア。そして、甦る記憶……。
──わたくし、あの商人の男性に……。
サリーシャはぎゅっと体を抱きしめた。幸い体を拘束されてはいないが、ここがどこなのかさっぱり見当がつかない。耳を澄ませば、部屋の外には人がいるようで物音がするのが聞こえた。
「助けて!」
サリーシャは叫んだ。とにかくここを出なければならない。手が傷付くのも厭わずに拳を作ってどんどんとドアを叩くと、ガチャンと音がしてドアが開いた。
「静かにしろ。猿ぐつわをはめられて拘束されたいのか?」
顔を出した男は不愉快そうに眉を寄せ、サリーシャを見下ろす。しかし、サリーシャと目が合うと驚いたように目をみはった。
「こりゃ、話には聞いていたが凄い美人だ。流石はあの鬼神が溺愛しているだけあるな」
目の前の男がニヤリと厭らしく笑ったのを見て、サリーシャはゾッとした。この男は味方ではない。逃げなければ危険だと頭の中で警鐘が鳴り響く。
男の手がこちらに伸びてきてサリーシャが体を強ばらせたとき、サリーシャからは見えない位置から男の声が聞こえた。
「おい。大事な交渉道具なんだから、大切に扱え」
「……ちっ。わかりましたよ。──おいっ、静かにしろ」
目の前の男は不満げに舌打ちすると、サリーシャの前のドアをバシンと閉める。ガチャガチャと外から鍵を閉める音がした。
サリーシャは呆然として立ち尽くし、混乱する気持ちのまま辺りを見渡した。
薄暗い中に見える大きなブロックを積み上げた石造りの壁は、叩いたところで壊すことはできないだろう。見上げれば通風口がひとつあり、そこから僅かな明かりが射しているのが見える。
「どうしよう……」
ここがどこなのか、いったいなんの理由で自分がここに連れ去られたのか、そして、なんの交渉に使おうとしているのか、さっぱりわからない。ただ、先ほど陰から聞こえてきた声は、聞き覚えがあるような気がした。
──どこで聞いたのだったかしら……。
商人の男の声ではなかった。だが、思い出せそうで思い出せない。
サリーシャは部屋の隅に寄ると、膝を抱えて座り込んだ。普段、外出するときには必ず護衛がいるが、あのときは領主館の敷地の中だったので護衛を付けていなかった。内門と外門の衛兵も馬車の中身までは確認しなかったのだろう。
「……セシリオ様」
心細くて、思わずその名を呼んだ。
セシリオは絶対にサリーシャを守ってくれる。だから、今回もきっと助けに来てくれる。
そう自分に言い聞かせて、泣きそうになる自分を叱咤する。
──わたくしはアハマス辺境伯夫人なのだから、しっかりしないと。
涙がこぼれ落ちないようにと見上げた先にある通風口からは、西日が射しているのが見えた。
***
急いで馬を走らせて戻ってきたセシリオは、アハマス領主館がいつになく騒がしいことに気付き、眉を潜めた。いつもなら外門の見張り役からの報せを受けて必ず出迎えるモーリスも、今日はいない。
そのただならぬ様子に、嫌な予感がした。
「なにかあったのか?」
出迎えたドリスは真っ青だった。よく見ると手が震えている。訝しく思ったセシリオがそう尋ねると、返ってきたのは予想だにしない答えだ。
「奥様が……」
「サリーシャがどうした?」
「何者かに連れ去られました」
「! なん……だと……」
セシリオは頭を殴られたような衝撃を受けるのを感じた。




