第一章その1
第一章、まだ……この夏を諦めたくない
翌朝は緊急の登校日となった。灰沢一敏はすぐに家を飛び出して自転車に乗り、一敏の通う鎌倉の高校へと急行する。
昨日の災害で湘南地域に限って言うなら落ちた隕石は一〇個程度、そのうちの一つは平塚市にある大型ショッピングモールに直撃、死者は既に四〇〇人を超えていて今も懸命の救出活動が続き、藤沢にも落ちて美咲は記憶を失った。
一番被害が大きかったのは九州で、特に鹿児島県南部――薩摩半島の町がまるごと消滅したらしい。そして今朝、ジェネシス彗星への核攻撃が発表されて宇宙に向け、十数発の戦略熱核弾頭を搭載したミサイルが発射されたという。
あいつは大丈夫だろうか? 中性的な可愛らしい顔立ちの頼りなくて、優しくて、だけど意地っ張りで頑固な水前寺美咲はこの夏休みに遊び倒したのか、こんがり日焼けして昨日、記憶をなくした。
そして思い出した時、多くのものを失った悲しみに暮れることになるだろう。
いつも遅刻ギリギリで来る一敏は三年一組の教室に入ると、クラスメイトが全員いることにとりあえず安堵してと胸を撫で下ろし、教室を出た。
他のクラスにいる友達を探すため廊下に戻ると、すぐに見つかった。
「灰沢君! よかった、無事だったのね!」
「紺野! 君は……大丈夫だったか?」
「うん、なんとか」
三組のクラスにいる女子生徒の紺野陽奈子はボブヘアーの黒髪に大人しい小学生と見間違える程の小柄で、妖精のように愛くるしい幼げな顔立ち、全体的に子どもっぽいが献身的で芯の強い女の子だ。
「とにかく無事でよかった、君のクラスは?」
「まだ来てない子がいるの、少し待ってみるわ」
「ああ……わかった」
陽奈子と一敏はある出来事から話すようになった。そして一敏は教室に戻ってもう一人、クラスメイトの女子生徒がいる席に歩み寄り、声をかけた。
「大丈夫か、直美」
鶴田直美は緩いウェーブのかかった長い黒髪に赤いカチューシャ、まるで緻密に作られた人形の作られたようなのような顔立ち、クールビューティーな深層の令嬢のような雰囲気で、クラスの垢抜けた女子グループの中では一際異彩を放ち、異端者でありながらクラスの上位グループとも仲が好かった。
今年の四月四日までは。
「一敏……よかった……あんたまでいなくなったら……あたしどうしようかと」
直美はやつれた表情でボソボソと呟く。直美は幼馴染みで思いを寄せていた一敏の親友、美咲とは対照的な羽鳥啓太が四月四日に起きた大量自殺事件の犠牲者となった。
大量自殺事件――彗星接近のパニックが一段落すると衝突の確率は五分五分と報じられて、これは同時に人類の滅亡を信じて備える者たちと、信じない者に分かれる結果となった。
そして世の中は後者に味方した。
滅亡を信じ、残された日々を精一杯過ごそうという人々を魔女狩りのように迫害し、日本人特有の同調圧力によって二月に入る頃には彗星衝突を「あの噂」と呼び、信じる者は奇異の目で見られ、迫害されると言う風潮が完成してしまった。
そして迎えた四月四日、まるで申し合わせたかのように全国の名所や観光地、ビルからの飛び降り、首吊りやリストカット、線路への飛び込み等、一人でひっそりと命を絶った者もいれば公衆の面前で数十人が一斉に命を絶ったこともあった。
全国でこの事件の死者は三万六七八五人だが、実際は巻き添えや後追いを含めると一〇倍以上の三〇万人、未遂や失敗を含めると更に増えるにという。
羽鳥啓太は直美と一敏に感謝のメッセージを残して死んだ。
そして紺野陽奈子は江ノ島の裏側――岩屋洞窟の近くにある稚児ヶ(が)淵から冷たい海に飛び込んで自殺しようとしたが、一敏が助け出して一命を取り留めたのだ。
「啓太に……謝らなきゃ……死に損ねちゃったって……」
「そう言うな、俺はお前が生きててよかったと思ってる。啓太に言われたんだ……直美のことを頼むって」
一敏は啓太から託された最後の一言を思い出しながら、ゆっくりしゃがんで目線を合わせる。一敏、啓太、直美は入学してからよく三人で遊んでいた、啓太は直美の幼馴染みで、一敏は直美のことがずっと好きだった。
好きな女の子が瞳から光を失い、惰性のように生きてる姿に何もできず歯痒かった。
これじゃ啓太に合わせる顔がないと唇を噛んでると、担任の先生が教室に入るなり席に着くよう促した。
「……きくん……みさきくん……みさきくん……」
誰かが呼んでいる。君は誰? そう問いかけようとした時、急に視界がくっきりとなって知らない学校の校舎の一室にいるのがわかった。
周囲を見回すと、本棚に囲まれた部屋でテーブルの席に座っていたことに気付く、図書室にしては狭く、おそらく図書準備室か資料室だろう。
部屋にいる名前も知らない生徒――男子二人女子二人、不思議な安心感と充実感で自分の居場所はここなんだと全身で感じていた。一緒の部屋にいる生徒はみんな顔はぼやけていて見えなかった。
ただ一人の女子生徒を除いて。
「水前寺君、私のクラスメイトのエーデルワイス団が危ないの! ××さんたちにバレたうえに××先生にも活動が知られたわ!」
僕のことを知ってるセミロングの黒髪に知性的で、可愛らしい女の子。そういえばこの子は確か黒のアンダーリムをかけていたのに今はしてない、コンタクトにしたのかな? あれ? どうして知ってるんだろう? そう考えてる間にも意識してないのに、まるで再生ボタンを押されたレコーダーのようにしゃべる。
「うん……やはり僕たち以外にもエーデルワイス団がいたなんて」
「ううん……エーデルワイス団のことを教えたの、私なの! 私のせいよ……私がエーデルワイス団のことを教えたばかりに……」
彼女はオロオロと動揺し、女子生徒二人がなんとか落ち着かせようとする。
「××先輩のせいじゃないですよ」
「そうよ、××さんも私たちも仲間が欲しかったのよ」
声は鮮明に聞こえるが、名前のところだけ不自然にノイズが入ったかのようにかき消されてしまってる。すると厳つい体型の男子生徒が決意に満ち、力の籠った声で片腕を胸の辺りにまで上げる。
「そうだ、この×コウにも俺たち文芸部の他にもエーデルワイス団がきっといる!」
「それなら、いっそ×コウのエーデルワイス団のに呼びかけて決起集会を開くのはどうですか? 部長」
もう一人の後輩らしきの男子生徒が提案すると、部員の励ましで彼女は少しずつ落ち着き、やがて強い決意と覚悟に満ちた表情になって肯いた。
僕がいるのは文芸部で彼女は部長らしい。僕は彼の提案に賛成だった。
「××さん、僕は××君の提案に賛成するよ……この×コウにいるエーデルワイス団の人たちにお互い、自分達は孤独ではないと知らせよう。ネットではなく……実際に集まって顔を合わせることで初めて安心して、お互いに勇気を与えることができる」
×コウというのは多分この学校の略称なのだろう、学校の「校」か高校の「高」なのかわからないが恐らく後者だろう。
エーデルワイス団決起集会を開く、これには賛成だ。だが二人の女子生徒のうち、スラリとした背の高い女子生徒が不安な問題も指摘した。
「でも、集会を開くのはいいけど……誰がまとめるの?」
「私がやるわ、私が×コウエーデルワイス団の団長――いえ、代表者になるわ!」
文芸部部長の強い意志と決意を秘めた眼差しで、みんなを見回すと僕も肯いて早速行動を開始。
タブレットで全国にいるエーデルワイス団同士での情報や意見交換を行ってる公式サイト――というよりエーデルワイス団専用のSNS――バッカニアにアクセスして、自分の学校のコミュニティに書き込んだ。
×コウにいるエーデルワイス団の皆さんにお知らせします。
既にご存じの方もいると思いますが、友達のエーデルワイス団が先生や一般の生徒に活動を知られて危機に直面しています。彼らを救うため、明後日の放課後体育館裏の広場でエーデルワイス団の×コウ集会を行いたいと思います。
実際に表に出て名乗り出るのは不安だと思いますが、団員の皆さんが来るだけでお互いの力になれますので、参加の方をお願いします。
書き込んで送信すると早速、参加の意思表明するエーデルワイス団がぽつぽつと現れ始めた。
凄い、既に一五の団体が参加を表明する書き込みが出てる。この分だと一つの団体に最低三人に見積もっても四五人くらい、五人だと七五人、もしかすると一〇〇人に達するかもしれない!
僕は彼女を微笑みながら見つめると、彼女は頼もしい眼差しで微笑みを返して肯いた。
「さぁやろう、エーデルワイス団×コウ集会を!」
そこで美咲は目が覚めた、周囲を見回すと畳の部屋で布団から起き上がり、頬に触れると涙を流していた。なんだろう? 思い出さないといけない夢を見てたような気がする。
泣いてたのか? 僕は……どうしてここに? 美咲は冷静に思い出すと昨日は確か、一敏の母だと言う人――つまり親戚のおばさんの付き添いで重軽傷者で溢れ、パンク寸前の病院に連れて行かれた。
比較的軽傷の者は外の簡易テントで診察を受けていたが、頭を打って記憶障害が出た美咲は重傷者の搬送、緊急手術、集中治療室、入院患者の対応に追われてる病院内に案内されて診察を受けた。
結果は脳に損傷や異常はなく、記憶喪失も医師によれば何らかの拍子で思い出す可能性もあるという。
美咲はエアコンで除湿された部屋で寝てたらしく、時計を見るともうすぐ一〇時だった。
窓の外から甲高い飛行機のエンジン音が聞こえる、厚木基地に着陸する海上自衛隊かアメリカ海軍所属の飛行機だろう。
布団を出て部屋を出ると、廊下はムワッと湿っていて全身から一気に汗が湧き出る。リビングに入ると、おばさんは美咲に気付いて世話を焼く。
「おはよう、もうそろそろ起きてくると思ったよ美咲君、お腹空いたでしょ?」
「あっ……はい……」
「記憶は失くしても……夏休みになると、ぐっすり寝ることは忘れないんだね」
「すいません……なんか」
「いいのよ、あなたが生きてるだけでも嬉しいわ……さあソーメンできたわよ」
「はい……いただきます」
美咲は少し気まずいと思いながら席に座り、おばさんが振る舞ってくれたソーメンを美味しくいただきながら過ごす。ふと、置かれてる写真立てを見ると派手な格好をした若い頃のおじさんとおばさんが、仲良く改造バイクをバックに写ってる。
テレビには朝一〇時のニュース番組が放送されていた。
『まもなく核弾頭を搭載した新型ミサイルがジェネシス彗星に着弾します。今朝発射されたミサイルは従来の化学ロケットより速く、既に月軌道を抜け、地球から数百万キロの宙域で着弾、核爆発でジェネシス彗星を破砕、数百万度の火球で蒸発させます。有識者によれば彗星は汚れた雪玉に例えられ、核爆発によって破砕、蒸発させて分解されて細かい氷と塵に成り果てるとのことです』
『これで彗星が破壊されてくれれば国内外の混乱も終息に向かうでしょう……ようやくエーデルワイス団の若者たちも、目が覚めて反省して戻ってくるといいんですけどね』
『そうですね。彗星による地球の破滅を言い訳に就職活動やインターンシップ、受験勉強や夏期講習から逃げた人たちには然るべきことを受けてもらわなければいけません』
六〇過ぎくらいの大学教授やジャーナリスト、様々な肩書きを持つテレビのコメンテーターたちは彗星の破砕はもう成功したかのように呑気に構えている。すると、四〇歳手前だが若々しいアナウンサーが静かに一喝する。
『しかし、ジェネシス彗星はまだ存在しています。破砕作戦もまだ終わってていません、根拠のない楽観は禁物です……最後まで油断せずに見守っていきましょう』
そこでCMに入り、いつもの日常と変わらない放送が流れる。美咲は本当に世界が終わるのか? と漠然とした気持ちでソーメンをすすっていた。