狂える星のアルビレオ・開幕
荒野に立っている。
戦車と砲火が蹂躙した大地は抉れ、風が吹き荒ぶ。
数日ほどかけた戦争は自軍の勝利で終わり、後は敗戦者の数を数え、一人ずつ首を並べるだけだった。
俺の仕事は終わった。
ここから先は事後処理だ。遅れて来る後方支援隊の到着を待つ暇もなく、耳元の魔導通信装置が風にまぎれた通信音を鳴らす。
じっと待っていると、通信が開始される。
『東魔王より勅令である。貴殿に与えし部隊とともに帰投すべし。急ぎ、王都・緋州へと帰還せよ』
通信が途切れる。
おかしな指令だ。
当初与えられた指令通りなら、このまま次の戦地へと移るはずだ。
どこかで指示が変更されたらしい。
いや、計画にない動きが新たに起きたか。
なんにせよ、戦は終わりだ。いま、一時は。
かつて柳氏と名乗った辺境の領主と彼に連なる眷属どもの土地であった土を踏みにじり、踵を返す。
部隊を連れて、都に戻る。
新たに与えられた役目を果たすため、俺は戦場を後にした。
*
窓の外をドラゴンが飛んでいる。
二匹連なるように風を切りながら飛ぶトカゲのような爬虫類の生物。
太陽光をはじき返し、黒光りする蝙蝠のような翼。当然、通常の自然界の生物ではない。骨格は矮小で、飛行能力を獲得するため軽量化され、小型。竜種であっても、飛竜と呼ばれる種はより動物に近いものだ。魔物といえど、保有する魔力量が低ければそこらの動物と変わらない。
本物の竜というものは、そういうものじゃない。
竜の中の竜、真なる竜族というものは保有する莫大な魔力で人に擬態する力を持ち、当然だが、そこらへんの魔物どもを一蹴する強大無比な力を兼ね備えるという。
飛ぶとマッハ2を軽く越えるとも聞く。
見たことはないが、データベースにはそのように記載されていた。
鱗は装甲車よりも厚く、あらゆる魔法をはじき返し、錬金用の素材としても十分だ。
僕はそんな竜が欲しくなったのだった。
竜とは、この地上で最強の生命体。
人語も理解し、高い戦闘能力を有する彼らは僕の新しいコレクションにぴったりじゃないだろうか。僕は僕の玩具をテーブルの上に並べてみる。軽自動車の模型、航空機のフィギュア。この次に、新しいドラゴンが並ぶ。きっと、すごくかっこいいだろう。
うん、決めた。僕の誕生日プレゼントはドラゴンだ。それも純粋魔族の竜種。
僕はテーブルのリモコンを取って、テレビをつける。はるか東、鬼人たちの治める魔国、東魔大鬼王国にて祭典が行われる予定だという。なんでも東魔大鬼王国の支配領土の拡大を祝う式典で、有力諸侯たちを一堂に集結させる一大セレモニーという話だ。
この祭典は東魔大鬼王国における辺境地域の支配を徹底するために行われるもので、つまりは示威行動である。これによって大陸東部地域の有力な支配者は東魔王率いる、アスラ一族であると知らしめたいのだろう。
しかし、時期が微妙だ。
魔界全土を統べる王を魔王というが、魔王の座は現在、空位だ。
この先、魔王が選定される予定もない。
東魔というのは、東部地域における魔王の後継である、という意味でついた名前だが、魔王の座に手をかけるには一手も、二手も劣る、というのが僕の見立てだ。
それとも、このセレモニーで、アスラ王家は空位の玉座の獲得に意欲的であることを示したいのだろうか。
実際、東魔王は周辺諸国の侵略を推し進めてきた。そのおかげで国内外はまつろわぬ諸侯の鎮圧のための乱が絶えない。戦争ばっかりの、紛争地帯。
それが東魔国である。
それはともかく、セレモニーが開催されるというニュースは、渡りに船だ。
一年中、戦争ばっかりやっているせいか、東魔国には強大な魔族が多いという。
きっと、探せば、竜だって見つかるはずだ。
僕は携帯をぱかっと開いて、通信をつなげた。
僕が電話をかけたのは【魔導協会】。
人類と魔族の共存、ついでに魔王の選定を絶対の使命として掲げる魔導士たちの互助会的な組織である。
【魔導協会】の受付が、僕の通信を上層部の大司教につなげた。
電子音っぽいしわがれた声が用件は何かと、魔導暗号音声で伝えてくる。
「ああ、僕の席を用意してくれ。うん、東部地域のさ、祭典には当然、魔導協会員の席があるだろ。どうせ、出席する連中なんてたいしていないんだから、僕がいってやるよ。一人か二人くらいは選帝侯が出席しないと協会としても体裁が悪いだろ? 手配してくれ」
魔導暗号音声で罵倒される。
これはOKという意味だ。
僕は通信を切った。
これでやるべきことをやった。後は祭典に顔をだすだけだ。
椅子から立ち上がり、押し入れからトランクケースを引きずり出す。東部地域はここから、約一万キロメートル以上離れていて、十三時間以上のフライトになる。
手荷物は多い方が良いものだ。
数日分の着替えと、瓶に詰められた飴玉とか、暇をつぶすためのゲーム機なんかもいる。ガイドブックもそろえる必要があるし、なにより忘れちゃいけないのは、兵隊がわりのおもちゃの人形。これはとっても大切だ。
*
フライトは最悪だった。暇だし。暇だし。暇すぎだし。
なにより西方から東方に向かう際の界圧差がこたえた。こればかりはどうにもならない魔力酔いというやつだ。人類の多い西方の魔力は澄んでいて軽いが、東、魔族どもの住処に向かうほど、魔力は重たくて濃密になる。慣れない内は息も吸わない方が良いだろう。
クタクタになりながら、手荷物を引き取り、羽州空港の到着ロビーにむかう。
ロビーには魔導協会員の歓迎のための人員が一列になって待機していた。
僕はこれを無感動に眺めた。東部魔族らしい黒髪に有色人種の特徴を持つ、おそらく女性たちが(僕の知る女性とは違う可能性もある)、首を長くして魔導協会からの使節をまっている。残念ながら、訪れたのは僕一人だ。
魔導師連中は集まりが悪い。
こういった式典において出席することは、次の魔王を決める選帝侯としての権利を持つ協会員として当然の役割だが、おそらくそれをまめに果たしている魔導師なんていない。
───こういう礼儀を求められる集まりが大嫌いな社会不適合者の集まりだからだ。
そのせいで魔界の魔王国は滅んだんじゃないだろうか。
長い黒髪の着物っぽい服をきた女性型東魔人が進み出て、僕に聞いた。
「魔導協会よりおこしのアルビレオ様でしょうか?」
その通りだ。
僕はうなずいた。
頭を振ると、よけいにぐったりした。
「こちらに、お車を手配しております。お部屋についてからの流れや祭典での手順は車内での説明となりますがよろしいですか?」
僕は二度、頭を振った。
胸の内がむかむかと気分が悪い。女に付き従う男の侍従が僕の手からトランクをとりあげた。そのまま出迎えの集団が僕の周囲を取り囲むように歩き出す。僕を歓迎している、というより、逃がさないように見張っているみたいだ。
女の先導に従って僕も歩いた。
「東魔大鬼王国にようこそおいでくださいました。アルビレオ様におかれましては、このたび、より我が国への親愛を深めてくださりますよう、我が国の自然や文化への観光ツアーが予定されております。観光する地域は、アルビレオ様ご希望の自然魔物保護区から東魔中央都市区を予定しております。私、今回の旅のツアーガイドの総監督をつとめさせていただきますユ・レアと申します」
ユ・レアの背後にひかえた別の女が言った。
栗色の髪を二つにわけてお団子頭にした女だ。
「私、自然魔物保護区担当のプリムラと申します」
さらに、別の女が言った。
「……レムともうします」
「……ミリアともうします」
「……ローザともうします」
以下、十数人にわたる自己紹介が続く。
「それパスできない?」
ユ・レアが美しい顔を横に傾げた。
「もうしわけありません。観光ツアーは、魔導協会の使節の方へ、ぜひ、我が国の歴史や文化についての知見を深め、我々、東部魔族への親交の一助とするため、東魔王陛下のたってのご希望でございます。アルビレオ様が我々、魔族との信頼関係を築くその一歩となることこそ、東魔王陛下がご期待なされているところでございます」
「あ、そ。で、どこにつれて行かれるの」
「まずは、プリムラ」
ユ・レアが指図する。
「まずは私の担当する自然魔物保護区にて東魔国の生態環境を実地で観察するツアーが予定されております。これは現地の生態系を理解するための目的で、より自然環境に密接に触れあうことが期待できます」
「移動手段は?」
「バスです。空港より半日ほど、バスで移動します。途中でいくつかの宿をはさむことになっており……」
絶望的な数字だ。
「それってすべての予定を消化して、都につくのはいつごろになる?」
「一週間後です」
僕は口を閉じた。
女たちが僕の肘をそれとなく触って優しく誘導する。
空港の出口が見えてきている。このままロータリーに待機している観光バスに詰め込まれる予定だとユ・レアが言っているのが遠くに聞こえた。
*
荷馬車にごとごとゆられる豚の気分だ。
胸のむかつきをこらえて体をシートにあずける。
プリムラがバスの前の席のあたりにたち、窓の外側に生息するコアラのような魔物についての解説を和やかに続けていて、僕の両隣をレムとミリアが固めている。
まるで犯罪者を逃がさないように拘束する刑務官のようだった。
これだから魔導協会の高位幹部どもが地方の視察に来たがらないのだ。
魔導協会は西方に位置する西央魔導教国にある組織だ。協会は、魔王の玉座と王権を管理する役割を担っている。協会には、魔王を選定する権利があるのだ。
魔王亡き後の魔界は、戦乱が続いていた。はっきり言って地獄だ。鬼の棲まう東魔大鬼王国をはじめとして、南方の炎精霊王の領土・南方業炎領や、北土を制した勇者の神聖帝国といった錚々たる顔ぶれが、魔王の後継者となるため、互いに覇を競っている。もちろんこれ以外にも大小様々な国家が魔王の座を狙い、常に戦争状態にある。
そのため、魔界全土は常に混沌としており、こんな状況が、かれこれ三千年は続いている。
そんな中で、魔導協会から、次代の魔王として推挙されれば、魔界全土の掌握まで大きく前進する。すくなくとも各国の指導者たちはそう考えているはずだ。
───つまり、地方の有力な魔族は、魔王へと推挙されるべく、西央の魔導師のお墨付きがほしいのだ。
というわけで、地方視察は、このように念入りなおもてなしの旅となる。
この機に取り入っておこうという腹づもりなのだろう。
僕がそれを喜んでいるかどうかは、まったく別の話だ。
僕はそっと唇にハンカチを押し当てた。
胸のむかつきが限界をむかえようとしていた。
バスをとめてもらおうか。
しかし、バスは自然魔物保護区のあたりに差し掛かったところで、多数の魔物が棲息する密林で、車を止めるのは危険すぎる行為だ。
ここで魔術を行使するのも、敵に手の内を見せる愚かな行いというしかない。
そう、敵だ。
東魔大鬼王国だけではなく、魔界に住む魔族たちは、本質的には敵だ。
西央と親交を結びつつ、西央の有する力を呑みこもうとする敵であり、敵地において魔導士は魔術を秘匿するべきだった。
仕官でもする気があるなら別だが、魔王を選ぶ気はないなら、なおさらだ。
魔王は協会に所属する最高位の魔導士───13選帝侯によって選ばれる。
だから、つまり、僕にも一票ある。
胸がムカムカして、思考がまとまらなくなってくる。
だから、ほんとは今回の旅は、かなり僕にとって危険な行為なのだ。
そんなことに遅まきながら思いあたったが、もうどうしようもない。
紙袋がほしい。
こんなとこに来るんじゃなかった。
隣のレムが気を遣ったようにナイロン袋を取り出した。
僕が取ろうとすると、彼女はナイロン袋の口を広げて僕の顔の前に差し出す。
やめてくれ。
なんだかそれをしたら、尊厳を失うきがする。
さすがにそんな……。
酸っぱい唾をのみこんで、こらえる。さすがに衆人監視の下で吐きたくない。
ユ・レア以下一同は東魔国がこの機会のために選んだえりすぐりの女魔族たちだ。
どんな状況でも対応するだろうし、この接待の成功いかんにおいて、自分たちの一族の将来がかかわってくる。かなり覚悟のきまった人たちだ。だから彼女たちに借りを作りたくない。そんなことをすれば、東魔国から帰国できなくなるだろう。
しょうがない。
トランクはとりあげられてしまったが、バスの荷台の中から目的のものだけを転移させる。数秒後、僕の手の中に、キャンディの入ったガラス瓶が出現する。
簡単な転移魔術だ。
魔術の一端を彼女たちに見せるのは最悪だったが、背に腹はかえられない。
瓶の中につめられた飴玉を取り出し、口の中に放りこむ。
最悪な気分だけど、なんとか、これで気を紛らわすことにしよう。
ごく小規模な危機をやりすごすため、差し出され続けるナイロン袋を手で押し戻し、プリムラの歌いだした自然魔物保護区のテーマ曲に耳をかたむける。
こぶしのきいた女の声が密林を行くバスの中、右に左に揺れていた。
*
ミリアが夜遅く、部屋に訪れたり、なぜか裸だったり、変な香気をかがされたりしなかったら宿は快適だった。
東魔国首都の緋州までは宿での逗留をはさんで一周間後になるという。
僕にあてがわれた客室の盗聴器を外しながら、僕は考えていた。
返却されたトランクケースから、人形を一体取り出す。
この人形は実は、砂粒よりも小さい虫型の魔道具が凝縮したものだ。
───超微小情報収集特化型デバイス、僕はこれを蟲と呼んでいる。
情報収集や、追跡、探知など様々な用途に使用できる優れ物だ。
蟲を起動する。
すると手の中で人形がボロボロと崩れていく。代わりに青白い魔力光をはなつ蟲が流砂のように床へと流れ落ち、あっという間に蟲たちは宿のドアの隙間から外へと出ていった。
これで、宿の様子をさぐることができるだろう。
僕はトランクケースをベッドのそばにおいて、寝台に横になった。
今日は疲れた。あの後、バスの中で起きた出来事については、できれば思い返したくない。
目を閉じてから一時間後、情報収集していた蟲が帰ってきた。蟲のたくわえたデータを見るには、意識を同調させればいい。高性能なカメラを、脳波で操っているような感覚だ。
蟲が集めた情報でいうと、こんなかんじだ。
プリムラは、一階の大部屋で、仲間たち数名とともに明日の予定について話していた。彼女たちは台所から持ってこさせたチューハイをのみつつ食べ物をたべ、晩酌をしていたらしい。内容を聞くところによると、今回の観光ツアーにおいて、用意された女性たちはせいぜい一月ほどの訓練しか受けていないのだという。
妙だな、と僕は思った。
戦勝を祝う祭典というからには急なことはたしかだが、儀礼的な祭典というものはもっと念入りに行うものだという気がしたのだ。東魔国側にこのセレモニーをおこなわなければならない理由があるのだろうか? 急遽、集められた彼女たちは、事の次第を深くは知らないようだ。全貌を知るのは一行のまとめ役であるユ・レアのみだという。
そこで僕はユ・レアの部屋に向かわせたバグの視界に、自分の意識を同調させた。
視界が反転する。床からの視界だ。バグは、棚か何かの上に移動。天井あたりからの視界に切り替わる。部屋には、ユ・レアといつもそばに控えている侍従の男の二人がいた。
蟲のログを十分ほど進ませる。するとミリアが、ドアを開けて現れた。
彼女が言うにはこうだ。
『話が違う。今回接待すべき魔導師と人が違うのはどうしたことだ。こどもの子守をしにきたんじゃない』
なんてことだ。
ユ・レアが冷たい眼差しでいった。
『魔導師は見た目通りの年齢ではない』
その通りだ。僕の場合は……その話は、おいておこう。
ユ・レアにたいしてミリアの憤りはさめやらぬようで、さらにわめいている。
おもに、そもそもちゃんと役に立つのかとか、女に興味がないんじゃないか、とか、僕の性的な能力においての疑念だった。
『そこを何とかするのがおまえたちの仕事でしょう』
ここでこの話はおわった。
とても不快な話だ。
次の場面はユ・レアと侍従の男の会話だ。
ユ・レアは椅子に深く腰掛けて、後ろの男に話しかけた。
『まったく急な増員にはこまったものね。教育がなってないったら』
『なにぶん急でしたもので、かきあつめられた人員にはできるかぎりの訓練を行いましたが』
『上からは例年通りと指令をうけていますけど、だめね。ミリアにはああいったものの、相手はこどもだもの。狂える星といったかしら。二つ名はたいそうだけど、魔術師としては新参だとききます。今回の観光ツアーは、通常通りのツアーを行うほうがかえって心象はいいかもね』
『では、そのように手配いたしましょうか』
僕もすこしばかり安堵した。
普通のバスツアーの方が楽しそうだ。
『いえ、まあ、相手側の出方を待ってもいいわ。こども一人、懐柔できぬわけでもないし……、しばらくはこのまま続けさせて、様子をみましょう。何かできればそれはそのまま我々の実績となるわけだし』
僕は蟲のログ再生を停止した。
収穫はない。
*
自然魔物保護区にはしばらく滞在した。一週間のうち三日ほどだ。
このあとは、東魔国のめぼしい観光地を見て回って緋州に直行するのだという。
自然魔物保護区の観光が多めにとってあるのは、僕の竜探しというリクエストが先方に伝わっていたからだろう。
モンスターが多数生息するポイントをあちこちバスで巡ってもらったが、結局、それらしきものには見当たらなかった。せいぜい、どこでも見られるワイバーンとか、それより小型のドラゴンというよりトカゲっぽい生き物くらいだった。
真の竜は保護区にはいないらしい。
この頃になると、僕はバスツアーの魔族たちと仲良くなってきていた。
宿の一階、ミリアやプリムラたちの泊まる大部屋で、すごろくの相手に混ざりながら、僕は彼女たちの噂話を聞いていた。
わかったことは、この観光ツアーは僕のために用意されたものではないということだ。成人男性の魔術師がもてなされる予定だったが、そいつの到着予定は祭典の直前ということになり、代わりに僕が出席することになったというわけで、用意された女性たちも本来はそいつを籠絡するためのスタッフだったということになる。
つまり、僕としては迷惑な時間を押しつけられたということだ。
僕は、すごろくのマス目を見ながら眉をしかめた。
レムがサイコロで六の目を出して、僕のコマを追い抜いていく。
このままだと負ける。
それはともかく、彼女たちの噂話は、次々と移り変わっていて、今は王族についてだ。
「長子のライゴウ様はまさに貴公子よ。いずれ東魔王陛下の後を継ぐお方だし、誠実なお人柄だけど、戦えば誰も敵わないんだって」
鬼人の国であるからには王族は鬼だ。それも直系となると、さぞ立派だろう。僕はサイコロを振った。1の目が出た。渋々、一個先のマスに進める。
「末のお姫様も美しくご聡明で立派なお人柄だって話だよ」
「ああでもやっぱり一番は第二王子の、エンファ様よ」
「あんたそればっかりね」
「でも、やっぱり素敵だもの。国を受け継ぐお方は長子のライゴウ様でしょうけど、エンファ様は鬼にしては優しくて、戦争は好まない方らしいわ」
「そうね、あまりおおっぴらにはいえないけど、国内の内紛が治まったのは、第二王子がお父上に直談判したからだって」
「ああ、トルク領の領主の処刑に反対したのも、慈悲深いエンファ様らしいわね」
東魔国内も複雑な情勢のようだ。
「トルク領?」
僕は聞いてみた。レムが答える。
「反逆者の一族よ。その昔は高貴な一族だったっていうけどね。なんでも、辺境の諸侯を扇動して、王家への反逆を企てた挙句、領主が投獄された今になっても、国内のあちこちに潜伏して、反旗を翻すときをうかがっているっていう話よ。ま、凶悪犯罪者の一族ね」
「へー、怖い人たちなの?」
「怖いに決まってるわよ。敵の生き血をすするんだとか、刃向かうものは、皆殺しにしてしまうとか」
ローザが大袈裟に体を震わせる。
僕は聞いてみることにした。
「ねえねえ、その一族に竜とかいる? いるとうれしいんだけど」
「あんた、そればっかりね」
ローザが笑って、続けた。
「いい? 竜ってのは、そうそう見れるもんじゃないのよ。高位魔族の中でも、限られた人間だけが変じることができる特別な生き物なの。あんまり貴重だから、竜は自分がそうだって、人には隠してるくらいなのよ? そういう強力な魔族を従えることのできるのは、王家だけ。だから、王都に行ったら、一人くらい、いるかもしれないけど」
「いるかもしれないけど?」
「でも、いたからって、王家に仕えている人よ? それをあんたどうする気よ」
「もちろん、スカウトするよ! そのつもりで僕は来たんだからね」
僕が言うと、ローザも、レムも、プリムラもぷっと吹き出した。
ひとしきり笑った後、プリムラが口を開いた。
「あんた、見かけによらず、生意気なことを言うのね。王家のものをとろうなんて。なんでそんなに竜がほしいのさ」
「そりゃ、かっこいいからさ、すっごく強くて、きっと隣にいたらびっくりするほど楽しいだろうって思うんだ」
「そりゃね。まあ、そういう人がいたら、立派なんでしょうね。強大な魔族は美形も多いし」
これはレム。
「きっとそんな人がいたら、王家の人々にも遜色ないほどかっこいいだろうね。女ならみんな惚れちまうくらい」
これはミリア。
「色男だったらいいねえ。ああ、あんたは女の子の方がいいんだっけ?」
プリムラが言う。
からかわれている。
僕はヘソを曲げた。
「女も男もどっちもきらい!」
また、みんなが笑い出す。和やかな雰囲気だ。すごろくの順番がレムを経てまた僕に回ってくる。ここらで気合いを入れないと、ゲームでまで負けてしまう。僕はサイコロを手の中に入れて、気合いをこめて、テーブルに投げようとした、その時。
「竜など!!」
甲高い女の子の叫び声がした。そっちに気がとられて、僕の手からサイコロがすり抜ける。僕は声をした方を見る。プリムラでもミリアでもレムでもない女の子。彼女たちより一回りくらい年下の、10歳くらいにしか見えない女の子が叫んだようだ。部屋の隅にずっといたらしい。彼女は、なぜか怒りに震えるように僕をにらみ、こちらにつかつかやってくる。
僕の目の前のテーブルを強く両手で叩いた。
「竜など! 最低の殺戮者だ! あんなやつは血に飢えたケダモノだ! 穢らわしい!」
語気荒く、そう言い捨てると、肩で息をしている。
「竜がどこにいるか、君は知ってるの?」
呆気に取られつつも聞いてみる。
すると彼女は我に返ったようだった。怯んだように、こちらを、僕というより、プリムラたちを見ると、押し黙って、再び部屋の隅へと戻っていった。
「彼女は?」
僕が聞くと、プリムラが戸惑ったように言った。
「さあ、うちらもよくは知らないんだけど、ノクルーナって子だよ。年が若すぎるから、下働きをやらせてる。いつもは静かにしてて、こんなふうに怒ったりする子じゃないんだけど」
ノクルーナという少女の方をみる。彼女は棚と寝台の間に置かれた小さい椅子に腰掛けて、膝の上で組んだ手を見つめている。その顔色はお世辞にもいいとはいえない。
「そんなことより、サイコロは? あんたの番だよ?」
急かされて、テーブルの上に視線をもどす。さっき投げた僕のサイコロは、なんと6が出ていた。やった、運がいいぞ。
僕はマス目を六つ移動させる。コマをおいたマスには何やら文字が書かれている。
僕は読み上げた。
「えーと、振り出しにもどる、だって? なんだって」
「あんた、運が悪いね、ほんとに協会の魔導士なのかい?」
呆れたようにローザが言う。
「魔導士と運は関係ないだろ、くそっ」
これで僕が最下位決定だ。まったく。
顔を見合わせてレムとミリアがくすくす笑う。
コマを始めのマスに戻しつつ、僕はため息をついた。
竜探しもすごろくも、思い通りにならないものだ。
とはいえ、明日はこの宿を離れるのだ。長かったバスツアーもそろそろ終わりだ。
彼女たちは、竜の話には飽きたみたいで、さっそく次の話題に移っている。
次は彼女たちに指示を出すユ・レアの悪口だった。
僕はそれを聞き流しつつ、ノクルーナのことを考えていた。
───彼女は竜に関して、なにかを知っているらしい。
もし、竜の居場所について知っているなら、なんとしても情報を得たいものだが、プリムラたちと一緒だと、どうにも聞き出しにくい。
どうしたものだろう。
なんとか彼女と二人きりになる方法はないだろうか。
頭を捻ってみるが、いい考えは思い浮かばないまま、宿の夜が更けていく。
*
東魔国首都・緋州にある鬼陽宮。
夜半過ぎ、王族とそれに連なるものが棲まう宮殿の通用門が開かれ、軍装の男たちが姿を現した。
漆黒の軍服を身に纏った男たちの胸に光る徽章、血色の鷲をかたどったそれは、王直属の精鋭部隊【緋鷲師団】である証だ。
彼らの先頭を歩くのは漆黒の外套を肩にかけ、王宮警備用の一般兵士の簡素な制服を身につけた男である。彼の胸には、階級を示す徽章の類は一切ない。
流麗な黒髪を背で束ねた長身の男。体つきは精悍で、横顔は若々しい。だが、その眼差しは覇気や意欲というよりは苦々しい諦念に満ちていた。
背後の副官と思しき男が、先頭を行く男に声をかける。
「レイヴン殿、ご指示を」
レイヴンと呼ばれた男は、そちらに一瞥もせず答える。
「ここで解散だ。各自、しっかり休息をとれ」
「ですが…国内の不穏分子が活動しているという噂もありますが」
「だからこそ、今日は休んで英気を養おう。ラーガルムからずっと働き詰めだ」
レイヴンはこともなげにそう言った。
彼の口にしたラーガルムとは、東魔国ラーガルム領、柳氏一族の討伐をもって終焉を迎えた戦役を指す。
副官らしき男が一礼し、【緋鷲師団】をまとめて通用門へと取って返す。
それを視線で見送った後、レイヴンが王宮内の警備兵の詰め所へと足を向ける。警備兵等一般兵士の兵舎は、宮殿内の通用門から少し歩いた先にある。
とはいえ、鬼陽宮は広大だ。王族たちの棲まう場所は一般兵舎からはるかに遠い奥まった場所にあるが、広大な中庭や鬼たちの好む武闘場など様々な施設がひとまとめにされている。
近道のために、中庭を突っ切ろうか、などと考えた矢先、レイヴンは足を止めた。
中庭へと続く菩提樹の植えこみ、その影に、一人の大男の姿を見つけたからだ。
「よぉ、よく帰ったな」
木陰から現れたのは赤毛の大男だ。額からは勇壮なツノが二本、天につくように生えている───鬼人。緋は鬼の最も尊ぶ色であり、纏う服装も朱色の着物だ。着物は上等な仕立てだ、腰に佩いた太刀も赤と金の拵えが目立つ、一目で王族に連なるものとわかるいでたち。
第一王子ライゴウである。
「ライゴウ殿下……」
急ぎ、臣下の礼を取ろうとするレイヴンを、王子が制した。
「礼はいい……驚いた顔をしてるな。お前が帰ってくるってきいて、待ってたんだぜ」
「私を?」
王族に対して、礼をとらぬことは不敬に当たる。
斬首されても文句は言えないのだが、鬼族は武を尊ぶ。この世の何よりも。
彼らが認めた武人に対しては、身分の上下など瑣末なこと。
むしろ、対等な振る舞いこそを彼らは好んだ。
「お前以外に誰がいる。俺の友が帰ってきたんだ。急いで、駆けつけて何が悪い? 戦場の土産話でも聞かせてくれ。酒でも飲みながら」
レイヴンがため息をつく。
第一王子は悪い人ではない。ないのだが……呑みの誘いは断れない。
鬼人の友が背中を大きく叩いてくるのによろけつつ、レイヴンはまた、ため息をついた。
───はやく、帰って寝たかったのに。
鬼陽宮の夜が更けていく。
*
結論から言おう!
僕はその夜、ぐっすりと眠った。
自然魔物保護区近辺の宿での宿泊はこれで最後。
思い返すと散々なバスツアーだったが、三日も過ごすと住み慣れた我が家である。
酒盛りが始まった大部屋から脱出し、自室のベッドに入ると、あっさりと眠りに落ちていた。
僕が起きたのは、真夜中。
爆発音とその次に女の子の悲鳴が聞こえたからだ。
ベッドの上に、飛び起きる。
暗い中、目をこらすと、トランクケースを置いたテーブルのあたりで、女の子──ノクルーナが右手を抱えてうずくまっていた。
ひどい傷跡だ。火傷と切り傷の中間といったところ。彼女の足元には僕のキャンディの瓶が落ちている。トランクケースの蓋は開きっぱなし。
それで大体、事情がわかった。
ノクルーナは、僕の部屋に忍び入り、トランクケースからキャンディを盗み出そうとした。
つまり泥棒だ。それで、こうなったのだ。
僕は、自分の持ち物に、魔導罠を仕掛けている。僕のトランクケースの中には様々な魔道具が入っているので、僕以外の人間が不用意に触ったら小規模な爆発を起こす仕掛けだ。
なんでそんなトラップが必要かというと、理由は簡単。防犯のためだ。
はっきりいって、魔界の治安は悪い。そこらじゅうで戦争が起きているので、泥棒や強盗、ひどくすると殺人だって簡単におきる。一人で旅をするなら、こういった警戒心は何より大切だ。
とはいえ、別に、僕だって、飴玉を盗みにきた少女の手を爆発させたいわけではなかった。
ノクルーナに近づく。彼女は、何が起きたか分かっていないようで、ひどい傷の右手を抱えて泣きじゃくっている。僕が近づくと怯えた顔で見上げてきた。罰されると思っているのだろう。
まったく。面倒な。
僕は彼女の前にしゃがみこんで目線を合わせる。
「大丈夫だから、泣かないで」
言うと、多少は安心してくれたみたいだ。怪我をした手を出すように言うと、おずおずと手をのばす。ひどい火傷で爛れている。破裂した皮膚からは血が滲み出ている。
まったく誰がこんなひどいことをしたんだか。僕だ。
治癒魔術【リキュア】を発動する。淡い水色の魔力光と共に、彼女の右手の傷が癒えて、元通りの白くて綺麗な肌を取り戻す。ノクルーナが驚いたような目で、右手を目の前で閉じたり開いたりしている。治癒魔術を見るのは初めてだろうか。これくらいは西央所属の魔導士としては当然のたしなみだ。
「痛みはしばらくしたら消えると思うよ」
彼女は伏し目がちな瞳を僕に向けた。
「お主、今、魔法を使ったのか? なぜ、わらわの傷を治したのだ。西央の魔導士よ」
幼い見た目には似つかわしくない、堅苦しい言葉づかいだ。
プリムラたちの話によると、ノクルーナは下働きでツアーに参加しているという話だったが……。
「僕も君に、聞きたいことがあるよ。なんで君が、僕の部屋にいて、僕の旅行鞄を漁って、飴玉なんかを盗ろうとしているの? キャンディがほしいなら、言ってくれればすぐにあげたのに」
聞けば、彼女はくやしげに歯噛みした。
「西央の魔導士が、何度も口にしている飴玉の瓶だ。何かたいそうな秘密があるのだと、思ったのだ」
あるわけない。レモン味と苺味とミルク味の砂糖の塊だ。
「君みたいな小さい子が、西央の魔導士になんの用事があるの? それなら盗みなんてせずに、正直にそう言えば…」
と、そこで僕は部屋の中を見まわした。指を鳴らす。
盗聴器は外したが、間諜まではどうにもならないものだ。忍者、忍び、草のもの、スパイ、そのほか諸々。
僕は秘密主義である。
「何をしたのだ?」
「僕らを見ている人たちに、ご退席願った」
「どういう意味だ」
ノクルーナには何か事情があるのだろう。僕の部屋に入ったのは、それが理由だ。
彼女は、僕個人にではなく、西央の魔導士に用事がある。
魔導協会の魔導士に用事のある人間というものは、たいてい厄介な事情をかかえている。
───人に聞かれたくないような事情だ。
それに、昼間の会話を思い返すに、彼女は竜の居所について知っているふうだった。
僕にとっても、彼女と、不審に思われず二人きりになる機会は大歓迎だ。
これぞわたりに船というやつ。
床に落ちていたガラス瓶を拾って、中身を取り出す。爆発は、盗んだ人間の手だけを灼くように調節しているため、中身は無事だった。
ラッキー! やっぱり僕は運がいい!
「さて、ナイショの話をしよう、ノクルーナ」
彼女の回復した手のひらに飴玉を一つ転がしてやる。
僕はレモン味の飴玉を口に放りこんだ。
*
鬼陽宮のライゴウの私室に招かれ、酒杯を交わす。
東魔の酒は、度数が高く、味わいは淡白だ。舌にのせればひりつく辛さだが、喉を通り過ぎると水のように清涼としている。
ライゴウは盃を一息に飲み干すと言った。
「親父には明日、顔を見せるんだろ?」
黒檀の卓を挟んで、向かいに座る男は涼しげな態度でうなずいた。
「ええ、まあ。いささかはやく着きすぎました」
「柳氏との戦はどうだった。苦戦したか?」
「はあ、宮中にはどのように伝わっていますか?」
「圧勝だったってな」
「では、そうなんでしょう」
特に感慨がなさそうだ。ちびちびと酒を口に運んでいる。
あいかわらず不味そうに酒を飲む男である。
「自分のことだろうに、興味がなさそうだな」
「終わった戦です。思い返す必要はない」
冷淡にも、無関心にも聞こえる口ぶりだ。
事実、彼にとってはすでに終わったことのようだ。ライゴウはそんな友人の人となりを知っているので、とがめ立てはしないが、戦功を誇る鬼人の文化の中では稀な男である。
─────そう、レイヴンという男は、鬼の集まる東魔においても、異質な存在だ。
「あいかわらずだな……宮中の様子は知っているか? お前がいないあいだに、続々と国内外から難物が集まってきている」
明後日から始まるセレモニーは国内の諸侯だけでなく、はるか西方、人類の魔導士の総本山である魔導協会からも使節団が到着したばかりだ。
「戦勝祝賀会を兼ねた謁見式でしょう。たまには諸侯に誰が主人か思い出させねば。ラーガルムの二の舞です」
東魔国内は一枚岩ではない。鬼人の中でも最も強力なアスラ王家が諸侯たちをまとめ上げてはいるが、王都から辺境に向かうほど、王家の支配は薄くなる。そのため、このレイヴンが内紛の鎮圧に向かわされていたのだった。
「ま、そうだ。東魔諸侯をまとめあげ、次を狙う決意表明でもある」
「次は、南方だと思っていましたが」
炎精霊王の治める領土、南方業炎領の端は、トルク領をはさんで東魔国に隣接している。そのため、ここ最近では緊迫した状況が続いている。
トルク領のみならず南部の動きがきな臭いのは、密かに南方業炎領の支援を得ているからだ、という情報もある。
「そうだな。いずれは南方との戦を視野に入れねばならん。だが、それは先の話だ。今は時期が悪い。とりあえずは叛意を持つ諸侯たちを根絶やしにしてからでなくては…」
ライゴウが苦悩するようにひとりごちる。
「……はあ」
ぼんやりした返事をしつつ、また一口、酒を飲む。
レイヴンにとって、王族の考えに、特に口をはさむ余地はない。
賛意も、その逆も、臣下が物申すには差しでがましいからだ。
「だが、わからんのは親父のことだ。魔界全土を制覇するのが我が父の野望なのだと思っていたが、最近、どうにも疑わしい。エンファのやつの戯言なんぞに耳を貸すとはな。トルク領主など、さっさと処刑してしまえばいいのだ。あとは、俺とお前で攻めこむ。それで南部は安泰だ。次の敵である、炎精霊王の領土へこちらから仕掛ける、お前はどう思う?」
血気にはやる物言いは、いかにも鬼族のそれだ。
荒々しいことは美徳であるが、無謀さも紙一重だ。ついでに、どうだと言われたところで、答えにくい問いだ。レイヴンは眉を顰める。
「陛下には陛下のお考えがあるのでしょう。それに意見するなど、俺ごときには畏れ多いことです」
へりくだるように男が口にする言葉に、ライゴウは厳しく眉を吊り上げた。
「知っている。だが、俺は次の王だ、そうだろう」
「滅多なことは口にしない方がいいでしょうな。陛下はご健在です。次の王の話など、ライゴウ殿下であっても、慎まれた方がよろしいかと」
「お前はそういうやつだよな、レイヴン! お前の意思を聞いているんだ、俺は」
ライゴウが酒盃を卓に叩きつける。
酔いが回ってきているのか、肌に血がのぼりつつある。
「陛下の意思が俺の意思です。俺は東魔王陛下に、ひいてはアスラ王家に仕えるものです」
「それでいいのか? それほどの腕がありながら、野心のかけらもないのか? 王が死ねと言えば、死ぬのか、貴様は」
「死にます。それが命じられたなら」
嘘偽りのない言葉だと、ライゴウにはすぐにわかる。
レイヴンはこういう男だった。
忠誠心というには、少々、歪んだところがある。
「はあ、お前のそういうところは、俺は好かぬぞ、レイヴン」
「そう心配せずとも、戦は終わりませんよ、ライゴウ殿下」
「なんだと?」
問い返せば、男は淡々と続けた。
「俺は道具です。銃や刀なんかと同じ。道具であるなら、役目を果たした時が命を終える時でしょう、そしてそれはきっと、戦いの最中であると俺は知っている」
「つまり、親父は、戦を止める気はない、と言いたいわけだな、お前は」
レイヴンは空になった盃の底を見つめた。
「そういうことです。俺が予定より早く帰らされたのも、緋州がきな臭いからです。トルク領残党の動きも活発と聞きますし、戦勝祝賀会に乗じて動きがあってもおかしくはない。トルク領から散り散りに逃げたネズミどもを、ここらで炙り出すのも一興でしょう」
「それがお前の意見か?」
「僭越ながら」
「……そういうことは先に言え。貸せ、注いでやる」
奪い取るように盃を取りあげると、酒をなみなみと注いで返す。
こぼさないように丁重に盃を受け取る男の渋い顔を見ながら、ライゴウは溜飲を下げる。
「お前のいない間、退屈だったぞ。宮中には、よからぬ輩ばかりだからな」
「よからぬ輩とは?」
「西央からの魔導師どもだ。祭典への出席のためとはいっても、二十名も魔導士どもがいるのは気に食わん」
「いつものことではないですか」
祝賀会のため、魔導協会の使節団は早めに現地入りしている。西央は各国の行事ごとにおそろしく機敏だ。体のいい監視と、牽制のためだ。
「それに、今年は選帝侯が二人いる。魔王の品定めではないかともっぱらのうわさだ」
「……内訳は?」
レイヴンが聞く。
ライゴウは肩をすくめた。
「わからん。今、把握しているのは、アル……なんだったかな。新参の魔導師が、観光バスにのせられているらしい」
レイヴンにも思い当たるところがあったようだ。
「観光バス……ああ、あの……ということは、かなり享楽的な御仁のようで」
「ああ……よほどすけべなじじいだろうな」
「まったく。ですが、それなら、与しやすい相手でしょう」
そういうことである。
ライゴウは醜聞から頭を切りかえた。
「まあ、そいつのことは、はなから計算にはいれていない。現在、どこにいるかもはっきりしているからな。足取りをつかませるとは、たいした魔導士じゃないさ。わからないのは、いまだに到着の遅れている魔導師の方だ。六つ眼のクレイオス、なんとも不気味なやつだ」
「南方出身の選帝侯、動機は十分ですが、こちらの中央魔導院はなんと?」
「把握してないと。誰もやつの動きを追えないそうだ」
中央魔導院とは鬼人たちの呪術師の集団である。
魔導や呪術に優れ、時に、間諜のような役割も果たすことがある彼らだが、六つ眼の足取りを掴むことができたものは一人もいない。
「俺も明日から、祭典の警備に当たりますが、警戒しておいた方がよさそうですね」
「やつら、腹の奥がなにも見えないからな。組織的なようでもあり、個人主義なようでもある。西央の魔導師は得たいが知れない。まったく、いつから俺の家は伏魔殿になったんだか」
ぼやいて、自らの盃に酒を注ぐと、一気に飲み干す。
それを見ていたレイヴンが、笑った。
こちらの反応を、面白がっているような表情だ。
臣下として見ると慇懃な男だが、友人として見せる顔は意外にもざっくばらんだ。戦場が長いだけあって、本質的には粗野なところがある。
彼の持ち場は、政治でも諜報でもない、戦う人間だ。
だからこそ、この友を信用しているのだろう。
酒宴の夜が更けていく。
*
祭典当日。緋州、王宮の敷地内にある“黎冥宮”内では盛大な催しが繰り広げられていた。元々は、鬼族の闘士たちが御前試合を行うために建てられたとかいう宮殿は、コンサートホールめいたすり鉢状の作りで、客席から舞台上が見下ろしやすい構造になっている。
なのだが、それは僕のいる場所にとってはどうでもいい。
貴賓席からの景色はお世辞にもいいわけではない。魔導協会の選帝侯にあてがわれた貴賓席は、警護のためもあってか階上に設えられていて、奥まった場所にある。
貴賓席というより、まるで隔離席だ。
協会の使者は粗末にあつかえないが、信用がおけないため排除もしておきたいという意識のあらわれだろう。
僕は周囲を見回す。
13名いるはずの最高位の魔術師を迎えるため、席は上階を囲むように13名分用意されているが、埋まっているのは二つだけだ。そもそも、この椅子がすべて埋まったことはないはずだ。最高位の魔導士は全員が人格破綻者で集まりが悪い。
次に階下を見る。
下のフロアには並みいる諸侯たちが列席し、その後ろに協会の派遣した魔導師団もいる。魔導使節団総員20名。魔導協会に在籍する魔導士たちのたったの一部だ。
協会の制服の陰気なフードを目深にかぶっている姿は、はっきりいって、僕から見ても不気味だ。
制服のデザインはもっと今風にしたらどうだろう。
いかにも魔術師といったローブなんかやめて、現代的なスーツにすべき。
かくいう僕も、目深にフードをかぶっているのだが、これがカビ臭くてしかたがない。
正式な礼装だが、少し古風なものだ。
黒く透ける紗のローブに、金糸で魔術除けの刺繍がしてある。東魔国に入ってからというもの、鬼人の扱う古代的で呪術的な探知魔導が逐一襲ってくるもので、こういう古典的な防御策を取るしかなかった。
腕にも、足にも、つけているジャラジャラしたアクセサリー類はタリスマンと呼ばれる護符だ。
宝飾品なので、こういった席にも持ちこみやすい。
大抵の探知魔導は、防御障壁で対抗できるのだが、近代的な魔導ではなく、呪い、とか言われる分野になると、こちらも古代的な守りの術が必要になるというわけだ。僕の趣味ではない。
まったく最低な催しだ。
貴賓席は退屈だった。
会場をもう一度、見渡す。
開けた円形のドームのようになった中心には、楽団が設置され、それより一段高くなった舞台に、舞いを披露する女性たちがつぎつぎと現れては、色とりどりの薄絹をひらめかせて踊りだす。
舞いも見飽きてしまった。
僕は横目で、長机の上に置かれた宴会の料理を見る。
頭のついたままの海老だとか蟹だとか、贅のこらされた料理が並んでいる。協会の使者へのもてなしは過剰なほどで、こちらを懐柔したい気持ちが見えかくれしている。
選帝侯というのは、魔王の選定権を持つものたちで、彼らを手中におさめれば、魔界全土の制覇への足がかりとなる。そう考えるものが多い。
だからこそ、西央の魔導士がここまでの厚遇を受けるのだが、僕にとっては頭の痛い話だ。僕は政治にまったく興味がない。魔王だかなんだかを選ぶつもりもない。
そもそも僕がこの場にきたのはドラゴンを探すためだ。
かっこいい、最強の仲間がほしい。
椅子に横向きに腰掛け、足を肘掛けに投げ出すように座る。行儀が悪いがどうでもいい。もう三時間以上、この祭典に付き合っているので、そろそろ社会的な人格が限界をむかえて溶けていきそうだった。
退屈でしかたがない。
舞台で舞い踊る人たちが一旦舞台裏に引っこんだかと思うと、今度は別のきらびやかな衣装の女性が進み出てきて、歌いはじめた。
絶対これ、東魔の歌姫とかいうやつだ。もう心がくじけそうだ。
僕は、僕にあてがわれた侍従の人に、料理の皿とは別で、デザートの皿を持ってきてもらうという魔導士とか礼儀とか体面とかをないがしろにした、ひたすら良識のない行為におよんでいる。
もしもこれ、同じような演目があと一時間続いたら、僕、死ぬんだろうな。
社会的な死だ。
チョコレートケーキをたっぷりともりつけてもらった皿から、フォークで口に運びつつ、ひたすら時間が経過するのを待っていると、
「いやぁ、ひまそうですねえ、狂える星のアルビレオ」
隣に座った男が声をかけてくる。
頭部に黄金の仮面をかぶった異形の男だ。
仮面の下には、僧侶のような白い法服を纏っている。
「話しかけないでくれる、六つ眼」
おやおや、と六つ眼は、仮面の下で、うっすらと笑った気配がした。嫌な男だ。
六つ眼道士・クレイオス。
彼の頭部をすっぽりと覆う黄金の仮面には、左右対称に三対の眼があることからついた二つ名だが、本人の顔は知らない。知っている人間の方が少ないだろうが、嫌な噂の絶えない男だった。
人体実験や非合法な魔術の研究を隠れてやっているというもっぱらの噂だったが、協会の魔導師はだいたいがみんなそんなものなので、興味はうすい。
これだけ席は空いているのだから、すぐ隣に案内しなくてもいいものを。
僕は席順を苦々しく思った。
六つ眼と世間話をする気はないが、やつのほうはそうではなかったようだ。
「めずらしいですねえ、あなたがこんな祭典に興味があるとは」
僕は当たり障りのないことを答えた。
「当然だよね。選帝侯としての責務を果たすためには、各国の内情を視察しておく必要がある。君もそうだと思うけど?」
「ええ、ですが、視察にとても熱心だとも聞き及んでいますよ。あの観光バスまで視察になるとはね」
「……なんで知ってる」
僕が聞けば、悪びれない返事がかえってくる。
「……いやぁ、研究のスケジュールが押していましてねえ。私は今朝、着いたばかりなのですよ。例年通りなら、あの観光バスにも乗るつもりだったんですがね。残念ですねえ、本当に」
いやみったらしく言われて、合点がいった。
こいつのせいか。あの傍迷惑なバスツアーは。
僕があのバスに乗る羽目になったのは、どうやらこいつと取り違えられたからだったらしい。
六つ眼は毎年、この東魔国で行われる祭典に参加していると聞く。
そこに飛び入りで、急遽、僕が予定を入れたせいで、東魔国側の対応が遅れてしまった、というわけだ。
金色仮面に向けて、なにか一言くらい言ってやりたかったが、弱みを見せるのも避けるべきだし、結局、言えたのはこれだけだった。
「おもしろかったよ、いい観光になった」
「そうでしょうとも。この国はなかなか文化も見所があるんですよ」
含みのある物言いだ。こいつは本当にいやなやつだ。
「僕と話をするのは、あまり建設的じゃないとおもうけど」
「いえ、とても建設的ですよ。わざわざあなたが、この場まで足を運んだ理由、知りたいですね……私にとっては、とても意味がありますから」
六つ眼がいいたいのは、僕の行動に、なんらかの政治的な意図を見出したがっている、というわけだ。
だが、この言い方なら、本気で、知りたいわけじゃない。
たんなる暇つぶし程度の腹のさぐりあいだろう。
「もちろん、協会所属の魔導師としての責務を果たすためだよ。それ以外に理由はあるかい?」
「失礼しました。ひさしぶりの同胞と話す機会ですので、つい、いらぬことを口にしてしまったようです」
「わかってくれたならかまわない。この場に出席した魔導師は僕らだけだ。ともに役目を果たすとしよう」
「ええ、まったくそのとおりです」
慇懃無礼な会話が終わる。
チョコレートケーキにフォークを突き立てる。
東魔国の食事でも、これはなかなかおいしい。
「ああ、そうだ。あのバスね、去年は二台、出てたんですよ」
とうとつに六つ眼が口を開いた。
「初耳だ。で、なんでそれを僕にいうの」
「死人が出てるからですよ。去年、ラディ老師が死んでしまって」
「誰それ。選帝侯にそんなやついたっけ」
聞いたことない名前だ。
「彼は、たんなる外交大使ですが、腹上死だったそうで」
「ふくじょうし?」
「おやおや、ご存じありませんでしたか。いえ、死因についてはお気になさらず。公表されている表向きの情報と、実際の死因はべつですから」
よくわからない言葉の羅列だ。だが、気になることは別だ。
「……実際の死因はなんだったのさ? なんで君が知っているの?」
「伝手がいろいろとありまして。実際は、毒殺だとか」
「それを僕に教える理由は?」
「言ったでしょう、同胞ですから。それにあなたはどうやら、観光を楽しんでいるようだ。私もこの国が気に入っているので、最後まで楽しんでほしい、それだけですよ」
僕の耳にいれる理由のいまいちわからない情報だ。
とはいえ、素直に感謝しておくことにした。
「……どうもありがとう」
「いいえ、たいしたことではありませんよ。食事には気をつけて、アルビレオ」
六つ眼が答える。
考えの読めない男だ。だが、今回は、悪意は感じない。
さっきの話を総合して考えると、去年死んだとかいう老師は、実際のところどうだかしれないが、暗殺された可能性が高いってことだ。
───六つ眼が言いたいことは、僕だってわかっている。
西央の魔導士にとって、この国は敵地だ。懐柔できないのなら、命を奪うのに容赦はないだろう。東魔国はそういうところだ。利用できないなら、殺してしまう。
うっかりしていると僕も、なんらかの理由で命を落としかねない。
会場が一段と騒がしくなる。
舞台上に視線を向けると、現在の東魔王とその一族が姿を現したところだった。
*
現東魔王が祭典の祝辞を告げ、兄王子が背後に続き、第二位以下の王子が付き従う。その後は高位の王女から順に席次につくのを、ステージから離れた裏手側の関係者席からレイヴンは眺めていた。
祭典はつつがなく行われているようだ。
会場をさっと見渡した。
この場に集まった氏族たちは東魔王家に恭順するものたちだ。
叛意はないだろう。
イレギュラーがあるとすれば。後方へ視線をうつす。
魔導士どもだ。
有力な諸侯たちに続いて、その後ろへ席を与えられた西央からの使節団のものたちが座っている。
あやしげな魔導士どもは皆一様に黒いローブを羽織り、素顔を隠していた。
さらに階上へ視線を向ければ、彼らよりも上位、魔導士の最高位である極光の位を授けられた魔導師たち───選帝侯らが貴賓席にいるのが見えた。
聞けば、協会の高位の魔術師たちというのは、かならずしも協会の意志で動いているわけではないという。
つまり、それぞれが独自の思惑で動くというわけだ。
ほぼ空席だが、それだけに着席しているものの姿が目立つ。
13席ある椅子の中央に、黄金の仮面をつけた異形の男が座る。大柄な男に見える。
筒型の仮面は頭部から首元までを覆い隠しており、僧侶の法服めいた衣装は体型を隠しやすいものだが、身長はかなり高いだろう。
食事にはまったく手をつけていないようだ。
その隣に座っている魔術師はかなり小柄だった。頭から体までをすっぽりと覆う黒の紗を身に付けており、こちらも容貌がわからないが、女かこどものように見えた。
それに座っているとはいいがたい。横向きに椅子にかけて、肘掛けに両足を投げ出している。よほどの礼儀知らずと見える。紗の下からのぞく腕や足首には金属の華奢な飾りと宝玉が輝いているのが遠目から見えた。レイヴンは目がいい。特に光り物には。
異国の踊り子のような格好だが、あれは魔導師がよく身に付けている護身のための玉だとすぐにわかる。
何度か、他の魔導士がああいったものを身につけているのを見たことがあるが、仮にも選帝侯の一人、そこら辺の魔術師がつけるような類のものではないだろう。
何か特別な術でもかけられているかもしれないため、もしも戦闘に陥った際には念頭においておく必要がある。
レイヴンは背後に控える祭事長に声をかけた。
「うちの所属の呪師部隊は、あいつらのことをすこしでも割り出せたのか?」
祭事長は宮殿内の警備を一手に引き受けるものだ。王宮の警備兵から、呪師の統括まで、全てを把握している。
彼は首を横に振った。
「身元を洗い出すため探知呪法や、殺害のための呪詛を行っておりますが。皆……呪詛を返され、狂い死にました」
もう一度、首を振った。
ダメだったようだ。
東魔にも腕のいい魔導士──こちらでは呪師という──がいるが、さすがに魔術ではかなわないということだろう。
「……からめ手は、ダメ、と。わかってはいたが、難儀だな。去年は不慮の事故で殺せたと聞いていたが」
「我が国の接待部門は優秀でしたな」
過去に、一人は殺せた実績がある。
なかなか上出来だ。
卓越した魔術師相手に魔術戦を挑むより、よほど勝算がたかい。
西の魔術師どもは目障りな存在だった。
「あの時、死んだのは選帝侯だったか?」
「いえ、老齢のラディ・ガナーンという男でした」
当てが外れた。
どうせだったら、高位の13ある席のうちの1つが欠けていればよかったのに。
残念である。
「今年はどうだった? あのバス、乗ったやついるんだろ?」
「それは通年通りです。アルビレオ様が今回飛び入りでいらっしゃり、六つ眼様がご辞退なさったので予定が狂いました」
「バタバタだな。今年は異様に手違いが多い。俺がここにいるのもそうだが…向こうの手回しがいいようだ」
嫌な動きだ。
番狂わせが多い。特にあの、アルビレオとかいうのが飛び入りでやってきてからというもの、流れが悪い。
そう感じる。
レイヴンは本来なら、ラーガルムの殲滅を完了させてから引き上げるはずだった。
それが今は祭典で警備をしている。手持ちの【緋鷲師団】には国内の反乱分子の捜索をさせているが、それも急な話で、国内外の諜報を担う中央情報局に無理をきかせている状態だ。
アスラ王家の威光をフルに使ったゴリ押しだが、しないよりはマシだ。
第一王子ライゴウの名を強調して、なかば強請って動かしている諜報官のアラン・篠崎からは、殺してやるからなバカガラスが、とひどい捨て台詞を吐かれたが、いつ殺しにくるのか見ものである。
「観光バスの現場担当のものからアルビレオについての話を聞いておりますが、相手が常識の埒外の存在なので厳しい追及は控えさせております」
祭事長がひかえめに言う。
めぼしい情報はない、ということだが、今は些細な情報でも把握しておきたいところだ。
「……アルビレオってのはどっちだ。仮面の方か? 性別は? バスの中での様子はどうだった。どんな人物だ」
「少年だそうで」
仮面の大男ではない方だ。
「夜とぎを固く拒否されたとか。食事に毒を混入させたもののまったく手をつけず、打つ手なしという報告です」
「なるほど、警戒心が高いな。見た目通りの年齢ではないかもしれない」
「狂える星という二つ名の、アルビレオの人となりについては、スタッフのひとり、メイファムから興味深い報告が上がっております」
目線で続きを話すようにうながす。
祭事長は手短に説明した。
責任者ユ・レアは毒殺を実行したが、あまりにも食事に手をつけないアルビレオが口にするのは持参した飴玉だけだった。
それに秘密があるのではないか、という推測のもと、飴玉を奪い、中身を盗み出すように命じられた下働きのノクルーナという少女は、深夜、眠りこけるアルビレオの寝室に忍び込み、こっそりと鞄を開け、小瓶を手に取ったという。
飴玉の中を取りだそうと小瓶の蓋をひねると、閃光がし、小規模な爆発。魔術による爆発は部屋のものを何一つ傷つけず少女の手のみを焼いた。この騒ぎにより目をさましたアルビレオは、少女の手をとると、魔術によって傷を癒した。
その際に、少女をとがめ立てすることはなく、魔術の防護がほどこされているから不用意に荷物にふれないように、とだけ前置きした後、
『そんなにおなかがすいていたのか? キャンディを食べたいなら僕に言えば余計な怪我をせずにすんだのに。ほら、手を出して』
そのようなことを言って、治癒した少女の手に取り出した飴玉をのせたという。
魔導師によって癒された少女の手には傷一つ無く、飴玉はとくに秘密のない、普通の市販の菓子だった。
メイファムはこの日の監視担当者であったそうだ。客室に寝泊まりしている間は常にスタッフが当番制で監視しており、寝室には覗き穴や盗聴器、監視カメラなどが仕掛けられていた。
この夜の出来事をメイファムはしっかりと記憶していたが、アルビレオと少女の交わした会話はたったこれだけ。
これが一連のメイファムの報告である。
「なんというか、反応にこまる話だな。善人のようにも思えるが、まぬけのようにも思える」
「やさしい人柄ではあるようです。メイファムからも、他の少女たちからも悪い話は聞きませんでしたから」
「それが本当なら、考えのたりないまぬけな善人か、筋金入りの善人かの二択だが、善人だとするならば、なぜそんなバスにのる?」
「さて、手違いでしょうか。魔導師は日程を把握していなかったようです」
「ただのまぬけのほうだったか。まあ、いい。野心のないお人好しならそれはそれでよし。どちらも与しやすい」
「魔術の腕は比肩にならないほどだというのをお忘れ無きよう」
祭事長がそつなく付け加える。
レイヴンは、今の話を思い返す。少女の腕の怪我を治した、それも完璧に。
傷一つなく治癒するというのは、東魔の抱える医療術師たちでも難しいことだった。
「極光位の実力というのは本当のようだな」
階上を見やる。
魔導協会は、次代の魔王を選出する、という目的のもとに特権的な立場にある。
たしかに魔導士どもの承認があれば、東魔の格は上がる。次代の魔王の統べる国として、他国への牽制にもなる。それはいずれ魔界全土の掌握のための足がかりともなるだろう。
いわば、箔がつく、というやつだ。
しかし、それは魔導士たちと協調路線をとる場合だけだ。
むしろ、この先、魔導協会の本国である西央魔導教国とは対立する可能性もある。
そうなった時は、かえって西央に所属する強力な魔導士たちは邪魔になる。
目ざわりな存在だ。
利用できるなら、利用する。
そうでないなら、どうなろうとかまわない。彼らは東魔国にとって、それくらいの存在だ。
レイヴンにとっても、魔導士どもの動きに注目してはいるが、彼らを獲得するように、との指示は受けてはいない。
レイヴンは祭事長に目線を向ける。
「とりあえず、監視を厳しく、どちらも不審な挙動をさせないように見張っておこう」
指示を出すと、祭事長が一礼して、背後の通用口から姿を消した。
配下の警備兵たちに指示を出しにいくのだろう。
レイヴンは一人になると、表情に苛立ちをあらわにして、階上を睨みつけた。
さすがに仕事が多すぎる。昨夜は謎の呑み。王子からの誘いは断れなかったが、今朝の業務は朝の日がのぼる前から始まっていて、イライラしっぱなしだ。
極めつけはあの選帝侯とかいう二人───厄介者どもめ。
祭典はまだ続く。
椅子に背を深くもたれさせ、長く息を吐く。
今はすこし、休息を取ることにしよう。
あの二人のうちのどちらか。
できるなら二人とも、俺が殺せたら楽で良かったのに、などと考えながら。
*
午前中から夕方にかけての式典は諸侯の集まる儀礼的なもので、夜の部からは会場を、迎賓館に移しての西央風の立食パーティーという形だった。
東魔国は歴史の古い国だが、先進的な文化を取り入れていることを示したいのだ。
そんなことを考えつつ、手に持った皿にケーキを積み上げる作業に集中することにした。
六つ眼には食事に気をつけるように言われたが、立食式のパーティーなので問題ない。
軽食のコーナーにも豚の丸焼きだとか魔物の姿煮だとか、東魔風の豪勢な食事が並んでいるが、そんなものはどうでもいい。
僕が並んでいるのはデザートがところせましと渦巻く一角だ。
こちらも東魔国の威風を見せつけるためか、贅がこらされていた。
世界三大甘味の一つ、魔界の地で栄養たっぷりに育ったラズベリーと魔力をたっぷり浴びたマンドラゴラの葉の粉末を混ぜ合わせた砂糖菓子、とかいうのが並んでいるが、見た目は立方体で赤を基本色としたグラデーションに輝いている。
一つ、つまんでみたが、さくさくと砂糖のほどけるような軽い触感で味は恐ろしく甘く、それでいてラズベリーの香りがある。
感想は、甘くておいしい、だ。
実のところ、僕は食レポは苦手だ。
僕の味覚はある一定の時から壊れたものらしい。らしいというのは、僕がその異常を異常として気にしていないからだ。とくに困ったことはない。
先程食べたチョコレートのケーキを皿に山盛りにしながら、用意されたトッピング用の器からスプーンで生クリームをかける。チョコレートのケーキはいくらあってもいい。
そんなことをしていると、僕の肩を後ろから叩くものがあった。
振り向く。
見覚えのない壮年の人物がそこにいた。
鬣のように長い髪を背に垂らす東魔風ではなく、西央風に髪を額の後ろになでつけた大柄な人物、赤褐色の肌をしており、彼はこの国に属する魔族なのだろう。
「ずいぶん、ここの食事をお気に召されたようだ」
その男はほがらかに言った。
「誰かな、君は?」
聞いてみたけど興味はあまりない。この男の身分や肩書には、という意味だ。
「申し遅れましたな。私は、この国に仕えるラム家の筆頭、ラガー……」
どこどこ領のなんとか伯とかいう、長い自己紹介が始まりそうだったので、僕は口をはさんだ。
「君はドラゴン? それともほかの種族?」
男は目を白黒させた。
「そんなことが気になりますかな」
「とってもね。僕はドラゴンを探しにきたんだ」
「ほほお、なんと、竜を……それならば、お力になれるかもしれませんな」
「本当かい? 自然魔物保護区にもよってみたんだけど、飛竜ですら買い取り不可って言われちゃった」
「ははは、それはまた……ご冗談を」
「僕は冗談はいっていないけど」
また男が目を瞬かせた。
そしてこちらを少し疑っているような目つきになる。
「……そう、ですな。でしたら、まあ、やはり当家にお越しになるのがよろしいでしょうな。いやはや、アルビレオ殿のお役にたてるとは」
「君は竜をもってるの?」
「……ええ、その点では私はあなたのお力になれるでしょうとも。当家で必要な魔物をご用立ていたしましょう」
「ふーん。わかった。それなら君ん家に行くよ。お菓子はある?」
「もちろん、すばらしいものを用意させましょう。西央風がお好みでしたら、当家の料理人に作らせますよ。腕ききのコックがいましてね。チョコレートケーキもたくさん用意させますよ」
「ほんと? うれしいなぁ! 僕、チョコレートケーキ大好き!」
男がうなずいて僕の背中に手を回した。
どうやら竜のいる場所に親切にも案内してくれるというらしい。
わざわざ東魔国まで来たかいがあったというものだ。
バスツアーで寄った自然魔物保護区では保護されている野生の竜種は見れたが、外への持ち出しは厳重に禁止されていた。
それに深い森の中では小動物たちの声は聞こえはするものの、実際の竜を見る機会は滅多になかった。
ガイドツアーのプリムラによると、ドラゴンと呼べるような大型の魔物は自然魔物保護区の奥深くに棲息しているため、観光客用に組まれたツアーでは、遭遇しないらしい。
僕は観光客用のお土産物屋さんで熊のぬいぐるみを買わされたが、全くの徒労であったとしかいえない体験だ。
「ええと、君、名前はなんだっけ? 失礼したね、忘れてしまったみたいだ」
「……いえ、まだ名乗っておりません。自己紹介が途中でしたからな。私は、ラ……」
「そこまでにしたほうがいいだろうな」
そこで彼は、ぴたりと動きを止めた。
別の男の声だ。
そいつはいつのまにか僕らの背後に忍び寄っており、自己紹介を始めようとした男の背後から声をかけただけだった。
彼は、腰の剣帯につけた刀っぽいものに手をかけており、金属がカチリと音を立てる。
それだけのことがどうしたのかわからないが、どうやら緊迫しているようで、僕を招待してくれた人は額から汗を吹き出している。
意味不明の展開だ。
男は続けた。
「ラガート殿。ラム家ほどの家格のものとあれば、わきまえていると思うが、今宵は東魔王陛下のご祝宴の最中だ。この場に集った血族の一つとして諸侯に模範を示すべき時に、陛下のご客人を先んじてお招きするなどという不作法は慎んだほうがいいだろう」
「…王家の鴉か。餌をむさぼるに飽きたらず、目敏いな」
意味不明のやりとりだ。
僕は首をかしげた。
「……カラス? 人間では?」
カラスと呼ばれた男が刀の柄から手をはなす。
ほっと安堵したようにラガートと呼ばれた男が息をついた。
「もちろん、陛下に叛意などございません。この魔術師どのが東魔国に不慣れなようでしたので案内してさしあげようかと、ですが、たしかに祝宴の客人を引きとめては無礼を働いてしまうところでした。アルビレオ殿、すみませんな。また、機会があれば、ということにいたしましょう」
「えっ、ちょっとまって、家に呼んでくれるんじゃ」
「その話はなかったことに」
そそくさと男が、来た方向へと去っていく。
僕はその背中を見ながら、状況を整理していた。
どう考えてもこのカラスとか呼ばれた男のせいだろう。
そちらを観察してみると、そいつもこちらを観察しているようだった。
値踏みするような目つきだ。
「……カラス?」
訊ねる。答えはない。
若い男だ。黒髪に均整のとれた体つき。
王宮警備兵の簡素な制服の上に黒い外套を身に纏い、腰のベルトに、先程、カチャカチャ鳴らしていた刃物をぶらさげている。
物騒なやつだ。
顔つきは、若くみえたが、どことなく疲弊しているようにも見える。
そのせいで実年齢はわかりにくい。
「カラスって……クロウのこと?」
「レイヴンだ」
「……鳥の名前の方だよね?」
「違う、俺は、レイヴン。鳥とは違う」
「ややこしい!」
レイヴンというのが名前らしい。
「せっかく、竜に会えそうだったのに君が追い払ってしまった」
レイヴンは瞳に一瞬、激烈な怒りをみせた。
「……この場で叛逆の相談とはな、魔術師」
「叛逆……? 意味がわからない。誰に対する叛逆だって?」
僕は聞き返す。
「傲慢だな。さすが協会所属のエリートだ。地方の政に興味がないか?」
「……なんか、勘違いしてるようだな。僕はどこにも属してるつもりはないけど」
「西央から派遣された極光位の魔導師。そう聞いているが」
「派遣ね、派遣。魔導協会は、どうも君が思っているのと実態は違うが、言ってもわからないだろうな。魔導師というものは基本的に、誰の言うことも聞かないんだ」
「協会の意向と、お前の行動は別、ということか?」
「行きたいところにいって、好きなことをする。ラガートくんの家に行くのだって、僕がきめることだ。君にとやかく指図されるいわれはないが」
「不遜だな。こちらにはラム家に指図する権利がある」
「……君はどこの誰? 王家の関係者?」
「王家に仕えるものだ」
「意味がわからない。所属は? 階級章は? 軍属? どれも違うようだ、それなのに貴族にいうこと聞かせるなんて、君ってなんか、隠してるんだ?」
「こちらの事情にうといようだな、魔術師。その程度の認識でここに乗りこんだのか? 俺が何者かもわからないのに」
「そうだね。目的を果たしたら、すぐに帰るつもりだったから」
「目的とは?」
まるで尋問のようなやりとりだ。
しかし、この僕に隠すところなど何もない。正直に答える。
「……ああ。まだ、なにか誤解しているな。そうだな、別に隠すことでもないから、君にも聞こう。君は、竜を知らない?」
「知らん」
レイヴンと名乗った男は、そっけなく言うと、パーティー会場の出口へと向かって行ってしまった。
なんだったんだろう。
それにしても失礼な男だ。
僕に根掘り葉掘り聞いてきたくせに、自分はさっさと話を切り上げてしまった。
チョコレートケーキを突き刺したフォークをひとなめする。
どうやら竜探しは難航中のようだ。
*
───あのラガートとかいう男。
臣下の身でありながら、魔術師にちょっかいをかけるとは、思いあがりもはなはだしい。
レイヴンは迎賓館から出ると、王宮の通用門のある方角へと足を向けた。
王宮の外に用事があるのもそうだが、すこし頭を冷やしたかったのもある。
思い返すのは、先ほどのラガート・ラムの狼藉。あれにはかなり腹が立った。
ラム家というのは軍人の名家であるが、あの場で切り捨ててもよかったほどだ。
そうしなかったのは、あの場が祝宴の席であったため、流血沙汰は好ましくないうえに、西央所属の魔術師に国内の醜聞を見せることになる。
東魔国内に集う諸侯たちの中には、魔王の座を狙う野心を隠さないものもいる。
西央の魔導協会と組んで、一足飛びに権勢を得ようとする不埒な輩だ。
ラガートという男はたいそうな自信家なのだろう。
そうでなくては、祝宴の場で、なみいる諸侯たちに先駆けて、魔術師に声をかけはしない。とはいえ、彼の態度は到底許容できない。
東魔国内には、いまだ、王家に恭順するのを不服とする諸侯たちがいる。
彼らは、反旗をひるがえす隙をうかがっており、機があればいつでも事を起こすだろう。
だからこそ、ああいった席でよからぬ態度をとるものは見過ごせなかった。
王家の威信に傷がつけば、あの場に集まった諸侯に示しがつかないからだ。
選帝侯は利用価値がありすぎる。
王家にとって、特に必要はないのに、よそにくれてやるわけにもいかない。
───そういった複雑で、微妙なバランスが、こちら側にもある。
あるというのに、あの魔導士、アルビレオは、まったくそこらへんの事情を斟酌する気がないようだ。
そう。アルビレオだ。問題は。
どんな人間なのか、ためしに話してみたが、とらえどころのないやつだった。
おそらく頭はいい。魔導士らしく明晰だ。
だが、何か、ぬぐいがたい違和感がある。今日半日、ずっと彼の行動を監視していたが、十分に賢いはずの男が、ああいうこどもじみた振る舞いをするだろうか。
下心が見え見えのラガートの軽率な誘いに乗るとは、考えにくいのだが…。
そこがわからない。
本人が言っていたように、本当に政治に興味がないのか、もしくは、興味がないふりを装っているのか。
バス内での前評判を信じるなら、アルビレオというのはマヌケだが、それでも、抜け目のない魔導士連中の一人であることを加味するなら、計算、という可能性もなくはないが……。
竜が欲しいとか言っていたあれも、本気かどうか。
思わず、ため息が出る。
───どうにも調子が狂う。
本当だったら、六つ眼の方に向かうべきだった。六つ眼道士は、アルビレオより数段やり手だ。警備のものをつけてはいるが、すでに行方をくらまされてしまったらしい。どちらかというと、こちらを優先して監視するべきだったのだが、結果はこれだ。
レイヴンは足を止めた。
あのアルビレオとかいうのが現れてから、何かのバランスが崩れている。
当然、うまくいくべきはずのことがうまくいっていない。
本来だったら、今年、来るべき選帝侯はたった一人。
六つ眼のクレイオスだけだった。
それが、急に、一人増えた。
そのせいで、余計な手間が増え、結果的には六つ眼を野放しにさせている。
胸がざわつく。言語化しがたい不快な感情だ。
まあ、いい。
レイヴンは気を取り直して、歩き出した。
今は仕事のことを考えねば。
【緋鷲師団】がトルク領の残党と思しき男をとらえたそうだ。
そっちの尋問が始まるので、これから中央情報局の治安維持室に向かう。
部隊との合流もして、これからの手筈を確認する。
実際、行動に移すためには、陛下の裁定を待たねばならないが、祭典が終わり次第、掃討作戦にはなめらかに移行できるだろう。
そうだ。祭典が終われば。
───あの厄介者どもは東魔から追い出せる。
そうしたら。全てが元通りだ。変わりのない日常が帰ってくる。
レイヴンは多少、気分がよくなってきたのを感じた。
人生において、最も大切なことはシステムが円滑に機能している、ということだ。
命令があり、実行する。
自分はそのためにいる存在で、今日も万全だ。不調はない。
*
この馬鹿げたパーティーは三日三晩続くそうだ。
食事会が終わると、再び会場で、セレモニー第二部が始まった。
貴賓席に戻り、舞台上を見下ろすと、魔族の精鋭劇団による芝居が始まるところだった。退屈さは際限がなく、時の流れのように降り積もっていく。誰か助けてくれ。
僕はといえば、本日で、通算十三皿目の皿にチョコレートケーキをのせたものを、手近にいた侍従に持って来させることにしていた。劇の途中で退席するのはマナーが悪いからだ。
しかし、平凡な劇だった。
あらすじはこうだ。
一人の志ある英雄が貧困や圧政に苦しむ各地方を回って、彼らを救い出し、地方を統一し、やがて中央の姫君と結ばれるという、英雄譚だ。おそらくこの若者は何代も前の王家に縁のある人物で、そして彼がやがて王になることで東魔王家成立の正当性をたたえる筋書きなのだろう。ならば、姫君のロザリンド、とかいうのはまったくの創作なのだろう。いきなり西央風すぎる人物だ。
肘掛けに肘をついて、体をななめにして劇をながめる。
このままでは無為に時間を過ごしてしまって、なんの成果もないまま帰国することになりかねない。
魔族というものは、種族に関して口が堅い。人類にはピンとこないが、種族というのはプライベートな事柄のようで、聞かれたからといってすぐに答えるということはない。とくに西央の外国人には口をつぐみたがる内容のようだ。
しかし、成果はまったくない、ということもない。
僕は、この暇な機会を有効活用するため、情報収集用の蟲型魔導盗聴機をはなっており、この劇が終われば、すぐに回収できる手はずになっているからだ。
蟲はあらゆる人々の会話や文書を録音、録画している。
そこから必要なデータを取り出すのはすこし手間だが、こうしてくだらない観劇に時間をつぶしている間も宮殿内の機密情報はつつぬけだった。
───1時間後、ロザリンドが実は若者の妹だった、という事実が発覚した。
物語は佳境にはいっているようだ。若者が女性の体を抱えて嘆き悲しむ。
荘厳な挿入歌がオーケストラによって演奏される。
劇の残りはあと30分くらいだろう。情報収集が完了するまでにかかる時間もそれくらいだろう。
劇が終われば、体調が悪いとでもなんとでもいって、僕は退出することに決めた。
あとは情報を解析するだけだ。
*
───あの後から劇は、3時間は続いた。
実は壮大な三部作になる予定だったらしく、僕が見ていたのは、まだほんのさわりのところだったらしい。魔族というものは長命な種だ。そのせいか、セレモニーも劇も何もかも長すぎる。
最終章のフィナーレを見る前に僕はしびれをきらして退出した。
役者たちの一世一代の魂のこもった熱演はともかく、僕にはやるべきことがあるのだ。
六つ眼は食事会にすら出席していない。僕のすぐ隣の席が空いているせいもあって、よけいに席を外しにくかったのだが、最後まで見る必要はないだろう。
そもそも、魔族の体力と純粋な人類の体力には差がありすぎる。
宮殿内にある来賓用の宿泊棟へと僕が帰って来れたのは夜中の12時を過ぎたころだった。
僕にとっては都合のいいことに、宿泊棟に人は少ない。まだセレモニーも終わっていないからそれも当然だろう。
会場を出ると、僕の後に衛兵が護衛と、監視をかねてついてきたが、それも問題はない。
蟲を回収するのは宿泊室で行うからだ。
衛兵といえど、部屋の中まではチェックしないはずだ。
部屋そのものにかけられた防護はどうかというと、これも問題はなし。
こっちに着いて早々仕掛けられた魔術戦においては圧倒的な勝利を収め、少なくとも中央魔導院に使いものになる魔術師はいないだろう。
あとは部屋に戻り、悠々自適に蟲を回収し、蟲に保存されたデータの解析を行うだけだ。
人の気配のない廊下を歩き、部屋の前で衛兵と別れる。
彼は部屋のドアの横に立って、僕に一礼した。
そのまま護衛をするのかもしれないし、途中で交代するのかもしれない。
だが、たいした問題ではない。
室内で行われている魔術について、外にいる彼にはわかるはずもないからだ。仮に、外にいる者が魔術師であったとして、わかりはしないだろう。
───これから行うことはたんなる回収だ。
すでに探知用の魔術は実行されている。
部屋に入ってドアを閉める。鍵も閉めておく。
トランクの中から魔導演算端末WANDを取り出し、テーブルに置いた。
起動する。
モニターの青い光が暗い部屋でまぶしい。
WANDから現在、バックグラウンドで実行中のデバイスたちに召集コマンドをかける。
五分足らずで集まってきた。
換気口やドア、窓枠の隙間から、砂鉄のような粒子となって超微小情報収集特化型デバイスが集まってくる。
ひとつひとつは砂粒よりも小さい蟲は体内にその場で見聞きした情報を蓄積する能力がある。
この蓄積された情報を解析するのが僕の仕事だ。
以前も蟲による情報収集は行ったが、今回はそれとはデータの量が違いすぎる。
蟲は宮殿内にある全ての電子機器にも入り込んで情報を抜いてくる仕様だ。
一個体の収集してきた情報は超微小だが、全体にまとめなおすとひとつの大きな記録媒体になる。
問題は情報をつなぎなおせれば、だ。
一つ一つの断片化された情報を意味の通る大きなデータに変換する作業は手間とコツがいる。
地道な作業だ。
さらに膨大な情報の中から役に立つ情報はひとにぎりだろう。大半はたわいのない雑談や、意味のない視覚データだ。
僕にとって役に立つ情報というのはひとつだけ。
───竜の居場所だけだ。
まずは端末に解析作業の指揮をとらせながら、バグを数値に変換する作業からだ。
これは時間がかかりそうだ。
トランクの中から飴玉いりの小瓶を取り出す。瓶の蓋をあけて、中からピンク色の飴玉を掌の上に転がすと口に放り込む。
甘くておいしい。
さて、この宮殿の中のどんな秘密も数時間後にはすべて僕のものになっているだろう。
たとえば公にはできない貴族たちの血縁関係について。
たとえば現在進行中の軍事行動について。
公に明かせないゴシップや、世界を揺るがしかねないスキャンダルだって手に入るが、そんなことにはまったく興味がない。
*
結論としていえば、現在進行中の軍事作戦が五つ、この先行われる予定の軍事侵攻目標がおおまかに、わかってしまった。関係者以外にはもちろん極秘だろう。
蟲を逆演算し、消去し終えた今、それを知られたという痕跡すら残っていない。
端末を終了させる。
窓の外を見ると、深夜を過ぎていた。人は皆、寝静まる時間だ。頃合いだろう。
僕は軽い気持ちで席を立つと、ドアへ向かった。外に出る。衛兵がドアの外に立っていた。
どうやら、交代しながら僕の部屋を警備、監視していたらしい。
僕を認めて声をかけようとする兵士の顔は、僕を一瞥したあと、トロンと蕩けて、まぶたを落とす。
膝から崩れおちるように彼は僕の足下に倒れた。
───昏睡の魔術だ。
蟲の応用で、機序は簡単。蟲をさらに細分化し、目に見えないほどの大きさになった粒子状のデバイスが、神経系に作用、昏倒させる。
普通に寝ているのと生理学上は変わりないため、これも証拠は残らない。蟲はずっと前に発動させているから、魔力の使用を新たに検知されることもない。
とても簡単で効率的な魔術だ。
この蟲というやつ。
実体は、実のところ機械ではなく、魔導術式でできているので、応用範囲が広い。別系統の魔術に即転用可能。僕の最近気に入っているオモチャである。
僕は眠りこんだ衛兵の横を通りすぎる。
宿泊施設のロビーは広々としていて調度品なんかも豪華だ。深夜のため人気は少ないが、各所で見張っている警備兵たちは、皆一様に眠っているだろう。
受付にいる係の人も眠りこけている。
彼らは魔術が切れるまで眠るはずだ。魔術が切れるのは僕の魔力が尽きたときか、魔術を行使する意識が途切れたときだ。
あとから蟲を体内から回収すれば誰も眠っていたことなど、覚えていない。
誰にも止められることなく、ロビーを出る。
───外気は冷たいことが、温度センサから観測できる。
周囲は夜の帳に包まれ、暗い。───視覚センサは正常だ。
宿舎を出て向かうのは、ちょっと遠い場所。王宮内の警備兵たちの兵舎である。
そこまで距離はあるのだが、ちょっとした散歩だと思うと気分もいい。
目的のものは目と鼻のさきにあった。
いつだって青い鳥は身近に飛んでるものだ。
僕は意気揚々と夜風を切って歩き出す。
実際のところ、本体の僕は部屋から一歩も出ていないのだけど。
30分ほどあってたどり着いた兵舎は質素な雰囲気だった。きらびやかな朱塗りの宮殿とはうってかわって、病院や刑務所といった感じのコンクリートの建物。
僕は入り口にはいると、目的の部屋に向かった。
僕を見つける人はいないだろう。
目的の部屋まで辿り着くと、僕は人型を構築し直した。
手のひらを見る。うん。ちゃんとしてる。
これから会う相手には、できるかぎりいい印象をもってほしい。身なりはしっかりしているだろうか。
僕は自分の姿を確認した。
丈の長いコートは、光沢のある漆黒の布地のテクスチャをうまく再現できているようだ。中に着ている衣服も普段のものと寸分違わず再現できている。
立派な魔術師然とした姿だ。僕は自分の姿に満足して、ドアをノックした。
返事はない。
しばらくドアの外で待っていると、やがて音も無くドアが開かれた。
長身の男が僕を見おろしている。昼間に会った彼だ。
レイヴン。
彼は無言でドアから去っていき、テーブルのそばにある椅子にこしかけた。
こちらに興味なさげな視線を向けている。
僕は挨拶することにした。彼とは友好的な関係を築いていきたいからだ。
「やあ、夜分遅くに失礼。寝ていたかな?」
無言。
これは、部屋に入っていいということだろうか。埒があかないので、僕は一歩距離を詰めることにした。
彼のいる部屋は士官クラスに与えられるもののようで、質素ながらも広く、丁度品などが支給されている。
僕はじろじろと部屋を観察したが、個人的な品物は少ない、といわざるをえない。
「物の少ない部屋だね。君はここに勤めてから長いんだろう?」
彼が視線をあげた。
すこしこちらに興味が出てきたのかも知れない。
「君のことを調べさせてもらったよ。僕がどれだけ知っているかというと、君が先日のラーガルムで起きた内乱の鎮圧においてめざましい功績をあげたということも知っている。そして、それは公にされることのない功績だということも」
「何を言いたい」
はじめて彼が口を開いた。
「ええと、君はとても優秀だということだ。古い氏族たち、八大貴族の内紛の鎮圧にも君は参加していた。でも、君の公的な記録はとても少ない。僕が解析したかんじだと、噂ばっかりだったけど、どんな秘密も人の口にはのぼるものだよね。どう? 僕もこの国について少しは知識を得てきたんだよ。今じゃ、ちょっとした事情通だ」
答えはない。
レイヴンは得体の知れない目つきで僕をみている。
僕は少し、ここにきて少しだけ、気まずくなってきた。
もしかして、もしかしてなのだが、僕は歓迎されて、いないのではないだろうか。
目当てのものを見つけ出した喜びでよく考えずに、訪れてしまったが、よく考えると夜中の三時はとっくに過ぎている。
もしかして、今、僕はとても、マナーが悪いのでは? そんなことに思い当たり、しどろもどろになりつつ言う。
「ええと、それはつまり、君は貴重な存在だということで……それは僕にとってもおなじことだ」
「……何の用だ。お前が知っているという事実を明らかにしたところで、魔導協会側に得があるとは思えんが」
非常に硬い口調だ。
「魔導協会とは関係ない。僕の目的は、君だ」
僕としてもなかなか緊張している。こんなことを口にするのは初めてだからだ。
意を決して、僕は続けた。
「僕の目的は、君のスカウトだ。僕の来訪した理由を話したと思うけど、もう一度言うよ。僕は竜がほしいんだ」
「どういう意味だ?」
レイヴンという男は訝しげに眉をひそめた。
「君を個人的に僕は欲している。僕の使い魔になってほしいんだ。えーと、待遇については後から相談だけど、僕との契約は君にとって満足いくものになるって約束するよ」
「なあ、つまり、あんたは俺がほしいのか」
レイヴンが、さっきよりは、やわらかい口調になる。
どうやら、話を聞いてくれる気になったみたいだ。
「ほしい! そうだよ、僕は君がほしいんだ。考えてくれるのかな」
「竜なら、だれでもいいのか? なぜ竜がほしい」
「……世界で最強の魔物だから。かいつまんで説明すると、僕はこの間、かなりの深手を負ってね。それで痛感したんだ。僕には相棒が必要だ」
「……具体的には何をすればいい?」
「今やっていることとたいして変わらない。職務としては少なくなるくらいだ。基本的には僕の護衛。それ以外は好きにしてくれ」
「使い魔というのは、もっと親密な関係性だと聞いたが」
彼の言葉に、僕はすくなからず失笑をかみ殺した。
「ああ、時代遅れだね。たしかに魔導士って、そういう古風な考えを持っている人多いよね」
「お前は違うって?」
「もちろん! 僕は最新で、最高の魔導士だからね! 考え方も新しいんだ。君の望む給与を支払うよ。君の求めるものはよくわからないが、いずれにせよ、君はこのままここにいるよりずっといいはずだ」
「それはなぜだ?」
「近々、大きな戦争になる。西央じゃないよ。今はまだ、どことの戦争かは未確定だけど。そうしたら、君はそのうち死ぬからさ。この国は、滅びはしないが、敗北する。領土は三分の一になる……それがアルスノヴァの筋書きだ」
実はこの話は人にしてはいけないことになっている。
アルスノヴァは魔導教会の秘中の秘だ。
ちっぽけな軍事機密なんてものじゃなく、まちがいなく世界の秘密の一つだ。
「それが協会の意向か?」
「誰の意向かとか、関係ないよ。これは確定されたものなんだから。僕としては貴重な種族をそんなくだらないもめごとで失いたくない。やっと君に会えたんだから」
「戦が始まる前に逃げろっていうことか? 王家を俺に見捨てろって?」
「王家に愛着があるのかい?」
「俺にこの国を捨てろと言っているわけだな」
「……愛国心があるのかい?」
僕が聞くと、レイヴンは首を横に振った。
「少し違うな。あんたは勘違いしている。俺はこの国を愛しているわけではないが、この国の歯車のひとつなんだ。いろいろと話してくれた礼だ。俺も話そう。世界というのは大きなシステムで、無数の歯車が噛み合って、一つの役割を果たす。その大きなシステムが動くとき、邪魔な小石や不良品のパーツは、無数の歯車にすりつぶされて、壊れちまうんだ。でもそれは何が悪いってわけじゃない。大きな力が動くとき、踏みつぶされるものたちに理由なんてない。ただ、そこに、そのようにあっただけだ。システムというのは、そういうものなんだ。善人だろうとなんだろうと容赦無くすりつぶす。だから、その歯車である俺も、ただ実行するだけだ。システムの一部として。俺がどう思うかとかは関係ない。ましてや、歯車がいつ死ぬか、ってこともだ。世界というものは、そういう風にできてる。それがこの世界っていう機構なんだ」
僕は彼の言うことを僕なりに解釈した。つまりこう。
「君はシステムの信奉者なんだ?」
「俺は仕組みのとおりに動く、そこに俺の意志は必要無い。ただ、そのようにするだけだ」
一風変わった人生哲学だ。
彼自身に意思はなく、今は彼の世界である、国家というシステムに仕える道具だと、彼は主張しているらしい。
僕は彼の人生観について、結論を出した。
「僕が思うに、君はとてもつまらない! 君のいう世界ってとても窮屈そう。やっぱり僕と来た方が良い。そっちのほうがずっと楽しいよ」
うんうんと僕はうなずく。そうだ。絶対その方がいい。かたよった思想のマニュアル人間って、こじらせすぎると手に負えないし。
僕はレイヴンに言った。
「君に約束する。僕と来たら、今よりずっとおもしろい世界を見せてあげる。君の言う、世界という機構があるとするなら、それは生まれて生きるに値するすばらしいものだと、僕は信じているからね」
「そう思うか? まあいい、聞きたい話はあらかた聞いた。なあ、魔術師、面白いことなら他にもあるぞ。物がすくないって言ったが、この部屋には必要なものはそろってる。たとえば、これは何だと思う?」
言って、レイヴンはいつの間にか持っていた黒塗りの鞘入りの刀を見せる。
「えーと、刀かな」
レイヴンはひとつうなずく。
刀を持って椅子から立ち上がる。
「そうだ。これの使い方を見せてやろう」
「え?」
銀色の光が閃いた。遅れて、激痛。
「俺はシステムを実行する武器だ。この刀と同じ。さて、協会本部の魔術師め。やはりおまえたちの魂胆はそうだったか。この国で、歓迎されていないと気づかなかったか?」
僕との間にあった距離を一瞬でゼロにして、レイヴンが僕を斬りつけたようだ。
痛みが酷くて、声を上げられなかった。腕から出血。見れば、手首の先から下が消失している。
赤い液体が床にとめどなくこぼれていく。
───しまった、再現度が高すぎる。
これが蟲を集めて、人間の形をとるときのリスクだ。
人間らしい動きを再現するために、痛覚を切れず、受けたダメージがそのまま本体にフィードバックする。
ついでにいうと、今のこの状況こそ、僕が竜をもとめた理由でもある。
「さて、アルビレオ、お前は何回斬ったら死ぬんだ?」
感情の感じられない声。
視線をあげると、さらに銀光が閃いて、熱いとも鋭いともわからない痛みが走る。
合計で何回だろう。
レイヴンはとても効率的に、死なない程度に、身体機能を傷つけることに熟知しているようだ。
僕はつかのま意識を失った。
*
僕は苦痛で飛び起きた。腕、足、首、腹の部分、すべてが切断されたような激痛。胃の腑から腹の中のものがせり上がってきて、寝台のうえに嘔吐する。
ひどい痛みだ。とにかくやたらめったらに体を切られた痛み。
僕は今し方、吐いた吐瀉物に頭を埋めて体を丸めて苦痛をやりすごそうとした。
テーブルに置いたWANDのモニタでバイタルデータをちらりと見ると、僕の体は八つ裂きにされたようだった。
いやもっとひどいかも……、八つ裂きというか、細切れというか……。
体を切断された時に感じた鋭い痛み、その後のばらばらにされた傷の痛みを、僕は追体験していた。
僕が今いるのは宿舎の一室だ。
僕の意識はいったん断絶したため、外の衛兵たちは、目を覚ましているだろう。
ここで魔術が行使されたことも知るはずだ。とはいえ、僕自身は一歩もこの部屋を出ていない。
───先程、八つ裂きにされたのは僕が蟲で作りだした人形だ。
数多の蟲を使って再現した、人間そっくりの人形。
それを人間らしく操るためには、いまだに意識の同調を切ることができず、そのため、負傷すれば、同じダメージを本体も負ってしまう。
僕の魔術にはいまだに欠陥がある。
竜に会うのだからと思って、自然な動作に見えるよう深く同調させたのが仇になった。
しかし、念のために、人形で赴くことにしてよかった。
念入りすぎかとも思ったが、六つ眼の忠告が頭にあった。
───生身でいれば、僕は生きていない。
そう考えると、背筋に寒気が走る。
痛みと怒りで頭が沸騰しそうだ。
「くそ、許さない……許さないぞ……」
何てやつだ。あいつ。僕を八つ裂きにするなんて。許さない。次にあったら殺してやる。絶対絶対絶対。殺してやるからな。
屈辱感は何百回、殺し方を考えたとしても癒えることはないらしいが、それだけ思考すると怒りも冷めてきた。
だいぶ冷静になってからあらためて先程のことを考える。
レイヴンと名乗る竜の行動についてだ。
いきなり現れた客人に向かって刃で切りつけるとは無礼で不作法なやつで、とんでもない礼儀知らずとしかいえないが、どうやら彼はこの東魔国を守る、という主義があるらしい。それはたんなる雇用と給与の関係ではない、損得勘定からの行動でもない。
───彼は国家というシステムの崇拝者だ。
───ちょっとどころかだいぶ危ない思想の人間だった。
そんな彼にとって、この国にきてからの僕の行動はさぞ目に余るものだったろう。
というよりは、協会所属の魔術師、という立場が東魔国の利益に反するから、そもそも僕への心象は最悪だったようだ。
僕は東魔国と西央をめぐる政治に興味はないと目的を明言しておいたが、あのレイヴンが聞き入れるはずはない。
ふむ、つまり僕は信用されていないのだ。
話を性急に進めすぎたのかもしれない。
ここで僕の取るべき選択肢はなんだろう?
彼を引き続きスカウトすべきだろうか。
───これは却下。
さすがに僕にもプライドがある。僕を八つ裂きにした危険な人間はこちらが願い下げだ。
次は、このままセレモニーに出席し、なにごとも無く帰国する。
竜は稀少な種族だが、別に生息域はこの国に限られてはいない。
今回の魔術の使用は、向こうに気づかれただろうが、これといって特に咎められはしない。
魔術師を国に迎え入れるというのは、大なり小なり暗躍を許可するようなものだからだ。それにやはり魔術の使用の証拠は残らない。
蟲は回収済みだ。
だから、このまま大人しくセレモニーを終了させ、あきらめて帰る。これが無難。
一番ベストな選択だ。
僕は、そうするだろう。交渉は決裂した。このままここにいても、いいことは一つもない。時間の無駄だ。合理的に考えれば、そうだ。
しかし。
それで。
僕は満足できるだろうか?
ベッドに横たわったまま目を開ける。指先に力をこめる。
鋭い鋼に切り裂かれた指先。今は、痛みは引いてきたが、まだ少し動きがぎこちない。
死にかけた恐怖と緊張でこわばっているのだ。
僕は手の指を無理やり強く握りこんだ。
あのレイヴンとかいうやつに、吠え面をかかせてやりたい。
その気持ちでいっぱいだ。僕は決めた。そうしよう。
僕はセレモニーを終わらせ、ついでにあの男を痛い目にあわせる。完璧に勝利して、その時、あいつがどんな顔をするか、見下ろしてやるのだ。
そのために僕がすべきことは……思考を巡らせること数瞬。
すぐに思いだした。
無駄足になったが、蟲で東魔国の情報を得ていて本当に良かった。
僕はベッドから起き上がる。
部屋の隅においてあるトランクケースを開けて、中を探る。
仕込みはすぐにできる。
*
仕留め損なった。
刀を鞘に納め、レイヴンは兵舎の私室で苦い顔をしていた。
アルビレオを寸断した後、死体は青白い光る砂のように崩れて消えてしまった。
魔導士がよく使う奥の手、というやつだ。分身や幻影、どんな魔術かはその魔術師の腕によるが、彼もまた高位の魔導士である。
本体は無事で生きているだろう。となると、明確に、敵を作ったことになる。
こういった事態も警戒して、ずいぶん痛めつけたが、それであきらめてくれるだろうか。
普通に考えるなら、普通の感性を持っているなら、怖くなって逃げ帰るはずだが。
なんというか、やつは普通じゃない。
困ったな。
レイヴンは東魔刀をベッドの上に放り投げる。
───こんなことになるなら、斬り殺さなきゃよかったんだ。
まったく本当に、その通りであるが、後悔先に立たずである。
やってしまったことは、しょうがない。
あの場の判断では最善だった。
そう思うこととしよう。
テーブルの前に戻って、椅子にどっかと腰かける。
大体、なんだあいつ。
いきなり現れて使い魔だとかなんだとか。
使い魔というのは、センシティブな話題だ。魔族にとって使い魔とは、生涯に渡る対等なパートナー関係のことをいう。つまり、狭義では、恋人関係を指すのだった。
昨日会ったばかりで、ほぼ初対面だというのに深夜に部屋に押しかけてきて話す内容があれでは、さすがに失礼すぎる。
きっとあの魔術師は、自分が何を言ったのか、わかっていないのだろう。
人類と魔族の間には文化的な断絶がある。
だから、まあ、それはいい。なかったことにしよう。
それよりも、久しぶりに気持ちよく寝ていたのに、突然叩き起こされて、わけのわからないことを言われたことに腹が立っていた。
テーブルに置かれた時計を見る。午前四時。
窓から月の明かりが煌々と室内に差し込み、レイヴンを照らす。
───寝たい。
体は切実に眠りを欲しているのだが、考えるべきことがあった。
あの魔術師の口走った、東魔国がいずれ敗北して三分の一になるとかいう不吉な予言についてだ。
口から出まかせだろうか。
だが、あの魔導士が口にしたことが虚偽だったとして、あそこまで突拍子もない嘘をつくだろうか。
しかも、西央の魔導士の言うことだ、一定の信憑性はある。
西央魔導教国に本拠のある魔導協会には多数の魔導士が在籍しており、その影響力は侮れないものだ。
協会の高位の魔導士である選帝侯なら、人の知らない秘密を知っていてもおかしくはない。
おかしくはないのだが、今のところ推測だ。
今更、細切れにした魔導士本人に問いただすわけにもいかないし、真偽をいくら考えてもキリがない。だというのに、もし、真実であるとするなら捨て置くこともできない。彼の信奉するシステムの崩壊の危機である。
いらんことを知ってしまった。
とても眠れそうにない。
レイヴンは思考を切り替えることにした。
こういう時は仕事のことでも考えるべきだ。夕刻ごろに受け取った諜報官アラン・篠崎からの報告では、近々、動きがありそうだ、という話だった。
先日、捕らえた反乱軍の男から得た情報も確かだ。
もはや、祭典が終わるまで待つ、という悠長なことはしなくていいだろう。
あの魔導士の言動も気になることだし、騒乱の芽ははやくに摘むべきだ。
東魔王陛下に朝一で奏上して、早速、狩り出すのはどうだろう。
うん。気分がいい。
これ以上、王宮に張りついて、魔導士どもを見張っていたところで益はない。
明日からは、王宮を出て、そっちに専念することとしよう。
レイヴンはそう決めて、頭から憂いを振り払った。
*
回想から始めよう! あれは数日前のバスツアーの宿でのこと。
僕は数日前の出来事を思い返した。
はなはだ不本意なバスの旅ではあったが、そこで出会った幼い少女。夜中に飴玉を盗もうとした彼女は、言葉遣いは古くさく、実の名前はノクルーナ・オルト・トルクというのだそうだ。
姓はトルク、これは八貴族戦争で最後に敗れたとされている家名だ。
僕は盗聴・盗撮の防衛用偽装結界を周囲に張ってから、彼女の話を聞くこととした。いつどこで誰が何を見ているか分かったものではない。この結界を外から見た人間は僕たちがいたって普通の世間話をしているという風に見えるだろう。
実際に結界内で起きた会話は違う。
飴玉を食べ終わった彼女は、涙をこぼし、ぽつぽつと僕に身の上話を語ってくれた。
───八貴族戦争はまったく大義のない戦いであった、と彼女はいう
八貴族領とは東魔国の南部辺境の一帯のことだ。
アスラ王家よりも古い血筋で、元を正せば彼女たちドルイド系の魔族たちの治める土地だったとか。
長らく東の鬼たちはこの貴族領の血筋を尊重し、自治を認めてきたが、ちょうど今から70年前、中央集権化を推し進める現東魔王が侵攻を始めたのが長きにわたる争いの発端だったという。
八貴族たちはもちろん抵抗した。
南部は戦火の絶えない土地となり、この現状を憂えた彼女の父親ノールダスは、平和的な解決の道を模索した。
八貴族領主たちを取りまとめ、東魔王との交渉による和平を望んだのだ。
穏健派で信望を集める貴族領主たちの中心的な存在だったノールダスは、ある日、謀反の疑いをかけられ、首都のどこかに軟禁されているのだという。
トルク領はその時、壊滅的な打撃を受けており、長男であるノルド・オルト・トルクは戦死。
ついでにその際に、やたら凶暴な黒竜がトルク領の城内に押し入ってきたそうで、ノクルーナはその時のことを鮮明に憶えているらしい。長身で、黒髪の、刀を手にした、やたら腕の立つ粗暴なドラゴンだったとか。聞いたことあるな、そいつ。
トルク領の陥落をもって終焉した一連の出来事を、八貴族戦争という。
ノクルーナが言うには、自分はそのトルクの三女で、父の行方を捜索しており、こうしてこのような猥雑なバスなどにまぎれこむような身分ではないが、西央の魔術師に支援を頼むことができないかと決死の思いで僕に接触してきたそうだ。
トルクの家は戦争のおりに敗れてはいるが、まだ長女ギーラ・オルト・トルクが存命であり、首都に捕らわれた父の身柄を確保次第、各地に身を潜めている反乱軍とともに、蜂起する予定だという。
トルク家は最古の貴族の家柄であり、その歴史は現王家よりも古い。
王都や八貴族領にいまも潜伏する反乱軍はトルク家を旗頭に独立の構想すら掲げているのだという。
彼女のかたる物語は、ふしぎなお伽話のようだ。
僕は小さい彼女の手に瓶からとりだした飴玉をもうひとつ置いてやる。
「でも、よくこのバスに乗り込めたね」
彼女はしゃくりあげた。
「手引きをしてくれるものがおった。プリムラじゃ」
彼女は八貴族領の出自だという。
僕が急な予定を入れたおかげで、女たちの出自や身元を精査する暇がなかったそうで、バスツアーの人員に紛れこんでいたらしい。
「実際、西央の魔術師というからには、もう少し気骨のあるやつかと思っていたが」
「なんで僕がこのバスに乗るってわかったの? 公にされない情報のはずだけど」
「六つ眼という魔導師が、ギーラ姉上と話をしていたのを聞いたのだ。協会の魔導士がもう一人到着する予定だと」
「六つ眼が? 反乱軍のリーダーと密会? へえ、変わったこともあるものだ」
あの金色仮面、けっこう暗躍しているようだ。
「あの男は南方から現れた。理由はわからぬが反乱軍に支援をしてくれている。父上の代からの付き合いで、我らが持ちこたえられたのはそれゆえだ」
「ふーむ、僕にはぜんぜん心当たりないな」
「同じ魔術師であろう。同僚のことだぞ。なぜ全く知らないのだ」
厳しくとがめられる。
僕は腕を組んで、頭を横に振った。
「僕、六つ眼とそれほど親しくないし」
「お前は誰とも親しくないのだろうな」
とげとげしい言葉だ。胸がいたむ。
「その通り。僕は君たちの争いに興味はない」
変な期待をされても困るので、僕は自分の立ち位置を明らかにしておくことにした。
僕は戦争とか、内乱とか、六つ眼がやっている陰謀なんかには興味がない。
東魔国内のゴタゴタにもだ。
ノクルーナが僕に期待しているような助けは、与えてあげることはできない。
彼女は押し黙り、手の中の飴玉を見下ろす。
「それでよい。もとより異国のものの手を借りようとなどしたのが間違っておったのだ。我らは我らで、所領を奪還し、誇りを示すべきだった。それが今回の件でよくわかった」
涙を啜りつつ、彼女は飴玉を口にほうりこむ。
それで、僕は彼女を丁重に送り返した。
それで終わりだ。
実は内心、ノクルーナの作り話だとおもっていた。
たいして興味もなかったし。だけど、今となってはこの話は渡りに船といったところだ。
最高だね。全てのピースがはまったかんじ。
あの男、レイヴンは、確実に、反乱軍の掃討作戦に出てくるはずだ。なぜ知ってるかというと、レイヴンの情報はすでに調べつくしてある。
つまり、僕がノクルーナ───反乱軍側につけば自動的にあいつと接触するってことだ。
僕は寝室の机の上、投げ出されたWANDを起動する。
蟲が取得したデータから、ある情報について抽出するよう指示を出す。
数分も経たず、取得されたのはとある場所の座標だ。
それはトルク家の父親であり、一族の指導者である男が監禁されている場所の座標だ。
この男を助け出すことが、反乱軍の目的なら、きっとこの情報は役に立つことだろう。
あのあと、ノクルーナとは別れたが、きっと今頃、彼女は首都のどこかを逃亡しているところだろう。
女の子一人、見つけだすのは簡単だ。
実は彼女との別れ際、僕は簡単なおまじないをかけておいた。それはただ、旅の安全を願う程度のささいなものだが、今となっては幸運の護符だ。
僕の魔力を、蟲でたどれば、彼女たちに出会うのは簡単なことだ。
すばらしい土産話を、きっと彼女は喜ぶだろう。
明日以降の完璧な計画に思いを馳せつつ、ひとまず今日は僕は寝ることにした。
ベッドに横になる。
八つ裂きにされて疲れたし。ちなみにベッドシーツははがした。
*
三日後。
セレモニーは盛大な正餐会を経て、つつがなく終わった。
退屈な会だった。
会がおわった数時間後には、出席者たちは空港まで送迎され、帰国する。
これで今回の視察は終わりだ。
警備兵たちに取り巻かれながら、僕も帰国者たちの列の中にいた。
このまま送迎用の車に詰めこまれて、空港まで向かう予定だ。
隣にいる六つ眼が意味ありげに仮面の顔をこちらに向けてきた。
「おや、お帰りではないんですか?」
僕は今、帰国者たちの列の中にいるので、この問いかけはおかしい。
普通だったら、僕が西央に帰ると思うはずだ。
だが、六つ眼にとりつくろったところで見抜かれているだろう。
僕は六つ眼の言葉を否定せずに言った。
「急用ができた。そのうちどこかで会うかもしれないな」
「どういう風の吹き回しで? いえ、それともあなたがそう動くのはアルスノヴァのシナリオですか?」
勘繰られているが、ハズレだ。僕の行動は僕の意思によるものだ。
「やつがどう考えているかは知らない。たんなる予定変更だ」
「いえいえ、それならいいんですよ。あなたが動くことが、彼の人の次の一手というわけではないのなら」
持ってまわった言い方だ。
「お前たちの思惑には興味がない」
「でしょうね」
そう言ってる間に目の前に車がとまる。
ドアが開かれ、乗り込む。
六つ眼は、車のドアを閉めるのをさえぎるように、よりかかるとこう言った。
「次は実体で出会えるとうれしいですがね」
ふざけた口調だ。
こちらが実体ではないことに気付いているから出会い頭にああ言ったのだ。
そう、まだ帰国するわけではない。
今ここにいる僕は蟲で作った人形だ。
用意された空港の席にも乗るだろうが、それは偽物。
蟲でできた実体は、本体と同時に平行して動かすこともできる。そのぶん操作性は劣るが、今回は見た目だけは完璧に仕上げている。
「別に僕は会いたくない。実体にも分身にも」
六つ眼が愉快そうな声をもらして、去っていく。
こいつはこいつで実体ではない、ということだ。魔導士はいくつも奥の手を持っている。こいつもそう。
セレモニーに現れた時から、ずっと実体なんかじゃない。
魔術師たちは皆一様に何かを企んでいる。
タクシーのドアが閉まり、六つ眼や、警備兵たちを置き去りに走り去る。
───同時刻、僕は首都郊外をはるか南西部へと抜けた先、旧トルク領の西端、国境の境目に聳え立つ山脈の頂に建造されたトルガム城砦の尖塔にいた。




