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魔石物語~妖精郷の花籠姫は奇跡を詠う  作者: 宵宮祀花
伍幕◆亡き忠臣のための即興劇
74/118

魔骸の母

 ぴくりと、地に伏せた荊が反応した。

 忌々しい希望を打ち砕かんとして、王女が冒険者たちを睨む。


【████――――――!!】


 王女は頭を抱えて一つ悲鳴を上げた。

 刹那、王女が抱えていた黒い卵が高い音を立てて砕け、ぶわりと黒い荊が吹き出した。

 その勢いは、これまでの荊の動きが戯れであったと思わせるほど苛烈であった。王女の深淵なる嘆きを表すかの如きうねりは、大海原の渦のようでも大地を吹き荒れる大風のようでもあり。荊は辺り構わず破壊し始め、そのついでのように兵士を、冒険者を、棘で貫いては喰らっていく。

 優雅に設えられていた天蓋付きベッドは見る影もなく。軟体生物の触腕のような黒荊に変異した王女の下半身を露わにした。そして一度は溢れ出した卵の荊が、逆再生でも見るかのように王女の体に吸い込まれていった。


「あれが本体か!?」

「だとしても、あれはいったい……」


 卵の荊を取り込んだ王女の姿は見る間に歪んでいき、しなやかな細腕も黒く染まったかと思えば三対の荊に変異した。更に頭部がメリメリと音を立てて裂け、巨大な黒い花へと姿を変えた。

 女性らしいシルエットを残した歪な花は、呪詛の霧と荊を纏わり付かせながら、一行を顔の無い顔で見下ろしている。八重に咲く黒い花は黒薔薇にも似ており、花弁の奥から腐敗と鉄錆の芳香を放っている。人体で喩えるならば腹部に当たるであろう箇所には不自然な膨らみがあり、其処から心音とも地鳴りとも取れる低い音が規則正しく響いていた。

 黒ずんだドレスの裾から伸びる木の根にも似た荊には無数の瘤があり、それらをよく見ると全て異なる人の顔で出来ている。荊に浮かぶ瘤の顔はどれも苦痛に喘いでおり、全ての口から呻き声が漏れている。あのような姿になってもなお生きているのか、或いは、喰われた命の源が持っていた記憶がただ再現されているだけなのか、ミアたちにはわからない。

 見覚えのある顔も、知らない顔も、どれもが言葉にならない苦痛を訴えている。


「まさかとは思うんですけど……王女様は、騎士団長さんとの子を身籠っていたんじゃ……?」


 アフティが呟くと、たった二人残っていた兵士の片割れがビクリと肩を跳ねさせた。冒険者のみならず、兵士たちも壊滅状態となったいま隠す理由もなくなったためか、彼は項垂れて呟いた。


「正確には団長ではなく、姫様に団長と思い込まれて寝所に招かれた者の子です。あのとき既に、姫様は正気ではいらっしゃらなかったので……」

「そうなのですね。では、魔石が取り付いているのは、正確には彼女ではなく……」


 クィンの表情が僅かに歪む。痛ましそうに見つめる先は、王女だったものの腹部だ。緩やかに、確実に、脈動しながら膨らんでいく、その場所。これまで連れてこられた命を糧として集めてきた本当の化物は、彼女の中にいたのだ。

 人としての形を得る前に魔石の拠所となってしまった小さな命は、己が何者であったのかを自覚することなく、生まれずして暴食の怪物と化した。

 荊は最早、獲物を求めない。あとはただ、取り込んだ命を喰らって、ゆっくり成長するだけだと言わんばかりに。


《――――Yoa layra nene zia asferria》


 ミアの詩は途切れない。どれほど王女が変わってしまっても、魂を失った魔骸に成り果てても。花の香を纏った歌声は室内に反響し、天上の鐘の音のように聞くものの心を震わせる。


《Saddia fiyelle rafia afexia mia musess yoa》


 ミアの詩が花弁を纏った甘やかな風となり、荒れ狂う魔骸を包む。魔骸は二本の荊で大きな腹を抱え、もう二本の荊で頭を抱えて叫ぶ。その姿はまさに我が子を護らんとする母のもので、ミアは大きな瞳を涙で潤ませながらも必死に詩を紡いだ。


【███――――!! ████――――――!!】


 悲嘆の声を上げながら、魔骸は苦悶に喘ぐ。

 やがて黒い葉を貼り合わせたようなドレスの裾から、ずるりとなにかが生まれ落ちた。それは、無数の人面を押し固めたかのような、黒く醜い肉塊だった。しかし、そんな異形の姿を晒したのも一瞬のこと。

 生まれ落ちた肉塊は、これまで自らが喰らってきた命たちのように見る間に萎んでいき、小さな乾いた種のようになった。其処に命らしさは全くなく、遠目には石礫にしか見えない。

 ミアの詩は、命を送る詩。歪なまま留まることを赦さず、正しく魔素へと返す詩。ゆえに如何な魔骸といえど、詩魔法の前ではその形を、歪な命を、維持することが出来ない。


【████――――! ██!!! █――――!!】


 しかし正しさは時に、誰かにとっての棘となる。

 死に絶えた小さな種を見た魔骸の母は悲鳴を上げながら、ボロボロとその身を崩れさせ始めた。まるで、全ての生命力を我が子に注ぎきり、それさえも失って、朽ち果てていくかのように。壁を埋め尽くしていた歯車も、軋む音を立てながら割れて崩れ、砂糖菓子のように零れていく。

 詩魔法によって浄化され、歪んだ下半身を失った魔骸の王女は、それでも泣き叫びながら小さな種に這い寄ろうとする。黒く濁った目からぼたぼたと赤黒い涙を流して、縋り付くように。


《Sess mia yoala Sphilitie lisyera nachtie》


 朽ち逝く細い荊が、震えながら萎んだ種――彼女の子――へと伸ばされる。

 だが、それも儚く崩れ、虚空へと消えていく。無数の花弁が彼女を見送るように渦を巻きながら舞い上がり、仄かな花の香を残して溶け消えた。


「王女様……」


 魂を魔石に食い尽くされているはずのそれは確かに、最期の瞬間、紛れもなく母であった。

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