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魔石物語~妖精郷の花籠姫は奇跡を詠う  作者: 宵宮祀花
捌幕◆苦痛無き世の神聖歌
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苦痛無き世の神聖歌

【████――――██――!! ████――――!!!】


 女神像が閉じていた両目を見開き、黒い虚のような目で一行を見下ろす。溢れる黒い涙が足元で沼のように溜まって広がり、緋色の身廊を塗り潰していく。

 そしてスカートのように伏せて閉じていた無数の花弁が大きく前方に開いた。

 蜂の巣のようなベル状の花の正面はダリアの花に似ており、小さな花弁が円形に密集している。花弁の一つ一つがざわざわと揺れる様は、あれが異形であると否応なく見せつけてくる。


「ローベリアの王女とはまた違った花だな」

「なにをしてくるかわからないよ。皆、気をつけて」


 暴れ狂い、襲いかかる荊を切り払いながらヴァンが言えば、シエルも音の波でミアを守りながら警戒する。ルゥは素手で荊を引きちぎり、魔骸に投げ返しては咆哮で花と化した住民を威嚇する。ぎこちない動きで後方から迫る住民だったものを切り捨てながら、クィンが魔骸の攻撃に備える。


【――――――――――――!!!!!!】


 歪で巨大な黒い花は一つ身震いをすると、再び甲高い金属音に似た悲鳴を拡散した。巨大な花が拡声器の役割を果たしており、その音量は最初の比ではなかった。


「っう……!」


 咄嗟に耳を塞いだせいで反応が遅れ、荊がヴァンの腕のすぐ傍をかすめた。僅かな切り傷からも魔骸の毒は侵蝕してくるようで、左腕に黒い粘液質の“根”が張った。

 すぐに構え直して切り捨てるが、脳を直接殴りつけるような音のせいで目眩がする。音と共に、傷口の根が徐々に侵蝕を深めていく。


「音で、僕が負けるわけにはいかないよね……!」


 ふらつきながらもシエルが竪琴をかき鳴らす。

 風の流れが変わり、鋭い爪で頭の奥を引っ掻くような音が一瞬揺らいだ。その隙を逃さず、甘く香る花の詩が紡がれる。


《Sess mia. yoa Sphilitie lisyera nachtie》


 ミアの詩が、教会の高い天井をものともせずにやわらかく響く。

 ミアの祈りが、魔骸の与える歪んでしまった願いを優しく包む。


【██――――████████――――――――!!!】


 魔骸は偽りの安息を叫び、詩に抵抗した。

 心がなければ傷つかない。存在しないものは痛まない。

 皆、どうか安らかに――――そう願い、叫び、そして壊れた。


 * * *


 ――――あの日。

 娘の身に起きた不幸を嘆き、不信を叫んだ夫婦が帰った夜。

 若いシスターは、誰にも相談することが出来ないまま寄宿舎に帰った。

 毎日祈りを捧げてきた敬愛する女神様を、一瞬でも疑ってしまった自分に絶望して。嘆き悲しむ夫婦の傷を僅かでも和らげることを、ただの一言も言えなかった自分に失望して。

 祈りは無意味だったのか。信仰は無意味だったのか。

 どれほど祈ろうとも助からない人がいる。傷つく人がいる。絶望してしまう人がいる。世界にはどれほど誠実でも、報われない人がいる。人の心と体を何とも思わず蹂躙出来る人がいる。


「どうして……」


 自分がしてきたことはいったい何だったのだろうか。

 そんな思いを抱いてしまうこと自体が、あってはならないことなのに。


 シスターが寄る辺をなくした幼子のような気持ちで自室へ戻ると、見慣れないロザリオが置いてあることに気付いた。机の片隅、まるで自分がうっかり置き忘れたような形で、それはあった。

 黒い石が中央についた、見たことのない女神十字のロザリオだ。


「誰かの忘れ物かしら……?」


 もしそうなら届けなければ。

 そう思って手に取ると、シスターはほんのいままで抱いていた昏い気持ちが、嘘のように晴れていくのを感じた。


 ――――祈りは無意味などではない。


 そんな声が聞こえた気がした。


 願えば叶う。祈りは届く。

 悩み苦しむ民を見ることが苦痛であるなら、誰も傷つかない世界を作れば良い。

 痛み、苦しみ、悩み、恐れ、争い、全ての苦痛無き世を作れば良い。


 ――――全ての苦痛に終焉を。


《Musess mia. yoa kstws fiyello musa cheeza.》

(わたしは詠う。あなたの痛みを癒やす詩になる)


 詩が響く。

 悪夢に塗り潰された教会を癒やすように。

 ミアの翼から花弁が舞い、甘やかな春の香りが広がっていく。

 ヴァンの腕を侵蝕していた毒も、傷口に花弁が触れた瞬間溶けるように消えた。割れんばかりに響いていた嘆きの悲鳴も詩にかき消され、魔骸は両目から涙を流して暴れ続ける。

 何故理解してくれないのか。全ての民を救おうとしているのに。

 独善に溺れた救済の女神は、ミアの詩を止めようと荊を振り回す。だが毒の棘を恐れなくなったヴァンたちに全ての攻撃を阻まれ、ただ一輪の花を摘むことすら叶わない。


《Musess mia. yoa raggia fiyello musa cheeza.》

(わたしは詠う。あなたの苦しみを癒やす詩になる)


 詩が響く。

 花が咲く。

 黒く染められた教会を飛び出して、心が凍り付いてしまった街中へと。

 春風に乗って花が咲く。ただ与えられた役割を繰り返すだけだった人形たちの頬を撫で、優しい目覚めを与えていく。殻の奥へ閉じ込められていた心を呼び覚ます。

 それは、喜びも悲しみも痛みも幸せも嘆きも愛しさもある世界への呼び声。

 それは、誰かにとっては幸福で、誰かにとっては不幸である世界へ誘う手。

 それは、祈りが届かないことも、願いが叶わないこともある世界へ至る道。


《Sess mia. endie manafica lisyera deae》

(わたしは祈る。全ての人々が安らかであるように)


 目を覚ました人々は、その場に泣き崩れた。

 抑えつけられていた心の解放に、体が耐えきれなかったのだ。

 けれど、衝動的に死を選ぶ者はいなかった。安寧の暗闇から光溢れる世界へ落とされたことに、ただひたすら声を上げて泣き続けた。

 そして、偽りの女神と化していたシスターはボロボロとその身を崩し、風化させていた。巨大な花になっていた下半身は地に落ちて砕け、女神像のような姿の上半身だけが残された。それも肌にヒビが入ったことを皮切りに、硝子を踏むような軽い音を立てて崩れていく。

 最後の黒い殻が剥がれ堕ちたとき、固く祈りの形に組まれていた白い手がほどけ、災厄の魔石が零れ落ちた。


【――――――――███、██████…………】


 消える直前に零した声は、誰に届くこともなく。

 それでもミアたちには、彼女の声が理解出来た気がした。


 ――――――――どうか、苦しまないで。


 安らかに。ただ安らかにあるように。

 それは嘗て魔骸になる以前のシスターが抱いていた、純粋な祈りだった。

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