ようこそラトレイアへ
――――実は、ラトレイアの違和感は、目眩だけではありませんでした。一瞬でしたけど、街の人たちの顔が見えたんです。それが……言葉では表しにくいんですけど……皆笑顔なのに、それが凄く怖かったんです。参考にならないかも知れませんが……――――
立ち去り際、スーリアが勇気を出して教えてくれたこと。ラトレイアの民に抱いた妙な違和感。それが幻惑術によるものなのか、彼女が怯えるあまりに抱いた感覚なのか。馬車旅のあいだ考えていたヴァンだったが、街に着くなりそれを理解した。
「ようこそ旅のお方。此処は女神信仰の都ラトレイアです」
「まずは教会へどうぞ。女神様がお待ちです」
ヴァンも、ミアも、クィンも、ルゥも、シエルも。皆、一様に言葉を失っていた。
あの街はもう、壊れてしまっている。そんな言葉が、頭の中を反響していた。
街の入口にさしかかると、シエルはまず魔獣馬車を劇場に隠した。
これから先、誰かしらが馬車守で残る余裕がない場面が出てくるかも知れない。そうなってから慌てるのでは遅いからと、馬車旅の道中で魔獣を劇場に慣らしていたのだ。どうも魔獣はシエルの優しい風の魔素を気に入っているようで、慣らす時間が然程いらなかったのは幸いであった。
街の人々は、確かに一見すると普通に見える。だが、違和感はすぐに見つかった。
「……宿は何処だ?」
「ようこそ旅のお方。此処は女神信仰の都ラトレイアです」
「まずは教会へどうぞ。女神様がお待ちです」
話しかける文言を変えても、街の入口にいた男の台詞は変わらなかった。にこにこと人好きする笑顔を貼り付けて、一言一句先ほどと全く同じ台詞を、同じ抑揚で話す。まるで此方の言葉を認識していないかのように。
そしてそれは、街の中に入っても同じだった。
「旅の方ね。ラトレイアっていいところでしょう?」
通りがかりに、花売りの若い女性が微笑みかける。
「女神様が今日も見守ってくれてるんだよね?」
「ええ、そうよ。いい子にしていたら、きっといいことがあるわ」
買い物をしている母子が、他愛ない会話をしている。
「街の北には大きな教会があるんだ。女神像が綺麗だから、旅の人も見に行くといい」
商店前で行き会った若い男性が、荷下ろしをしながら話しかけてくる。
それだけなら何てことのない街の風景なのだが。
「旅の方ね。ラトレイアっていいところでしょう?」
既に一行が通り過ぎていてもなお、花売りの若い女性が虚空へ向かって微笑みかける。
「女神様が今日も見守ってくれてるんだよね?」
「ええ、そうよ。いい子にしていたら、きっといいことがあるわ」
買い物をしている母子が、歩きながら先ほどと全く同じ会話をしている。
「街の北には大きな教会があるんだ。女神像が綺麗だから、旅の人も見に行くといい」
荷下ろしを終えた男性が、誰もいない空間に向かって話しかけている。
誰も彼も、設定された台詞だけを喋る装置と化してしまったかのようだった。同じ場所でじっとしているわけではなく、行動は恐らく普段と変わりないだろうことが、余計に違和感を抱かせる。なにより住民は皆一様に、表情が笑顔で固定されていた。
「なんだこれ……」
一行は表情を強ばらせながらも街を抜け、人気のない街外れまで来ると物置のような建物に身を隠した。少々埃っぽいが、宿も同じ状態だろうことを考えるとこうするしかない。
「想像以上にやべえことになってんな」
「本当だよ。幻惑術を防ぐ手段がなかったら、僕たちもどうなっていたか……」
「街の人たちは、教会と女神様の話しかしていなかったわね。魔石の気配が濃いのも、中央にある一番大きな教会だったわ。でも……」
「ええ。他の教会にも近しい気配がありました」
街の人たちの状態は、ローベリアの城で見たヒュメンの冒険者が近い。既に、魔骸の毒に魂まで侵蝕されており、彼らの自我は最早其処にはない。民の形をした抜け殻があるだけだ。
「教会へ……行くしかないかな」
「元凶は中央でいいのかしら……? 他の教会の気配も気になるのよね」
「そうだね。手分けして二つの教会を見てから中央を目指す?」
「それなら分け方も考えねえとだな」
詩魔法が使えるミアと、魔石の気配を終えるクィン、音で攪乱出来るシエルと、魔骸の毒に強い耐性を持つルゥ。そして、誰よりも冒険者としての基礎スキルが高いヴァン。
考えた結果、ミアとルゥ、クィンとシエルのペアを作り、ヴァンはクィンとシエルのほうにつくこととなった。ミアとルゥのペアは身軽さ重視で、いざというときにはルゥがミアを抱えて逃げる算段となっている。最終的に集まるのは中央教会だが、もし異変が起きたらシエルは鳥で、ルゥは遠吠えで伝えることにした。
「じゃあ……」
いざ向かおうかとなったときだった。
物置の扉が叩かれ、外から声がかかった。
「ようこそ旅のお方。此処は女神信仰の都ラトレイアです」
「まずは教会へどうぞ。女神様がお待ちです」
街の入口にいた男だ。
最初に聞いた言葉と全く同じものを、同じように、扉の向こうで唱えている。
「ようこそ旅のお方。此処は女神信仰の都ラトレイアです」
「まずは教会へどうぞ。女神様がお待ちです」
「ようこそ旅のお方。此処は女神信仰の都ラトレイアです」
「まずは教会へどうぞ。女神様がお待ちです」
繰り返し繰り返し、同じ言葉が再生される。
ふと、ルゥが扉の下を見て表情を強ばらせた。
「離れろ!」
四人を下がらせるのと同時に、ルゥが扉を思い切り蹴り飛ばした。
激しい破壊音と共に扉は向こう側へと吹き飛び、何度も繰り返されていた台詞が途切れた。
「なっ……なんだってんだ!?」
「ルゥ、どうしたの?」
ルゥは黙って前方を指さし、地面に転がっているモノを睨んでいる。
四人が物置から出て“ソレ”を見る。
「っ……! あれは……」
「アイツ、さっきの男だよな……?」
信じられないといった様子で、ヴァンが誰にということもなく問う。
ルゥが吹き飛ばした扉の傍ら。仰向けに倒れた男は、陸に打ち上げられた魚のようにビクビクと激しくのたうちながら、急速に変異していた。服の下でなにかが暴れているように全身がぼこりと盛り上がり、跳ね回る度に体が歪に折れ曲がっていく。
やがて男はブリッジのような姿勢で変異を止めると、ホースのように伸びた頸椎をうねらせて、一行に黒く爛れた顔を向けた。その顔は、やはり満面の笑みであった。
「ようコそ旅ノお方。此処ハ女神信仰の都ラトレイアでス」
「まズは教会ヘどウゾ。女神様がオ待ちデす」
所々上擦った、引き攣れた声で、男だったものが言う。
歪なソレから目を離さないように道を抜けても、一行が随分と離れてからも、男は変わらず同じ台詞をいつまでも繰り返していた。