もしもの未来
多種多様な店を横目に歩いていると、炎狼に三爪の看板を掲げた店に行き着いた。黒く焦がした木製の看板に、赤い塗料で狼を描き、上から三本の傷をつけたものだ。
冒険者や旅商人に向けた店は文字看板ではなく絵の看板を掲げることが多く、交易都市以外では港町などにその傾向がある。宿屋はベッド、酒場は酒瓶、食堂は食器、武具屋は剣や盾など置いているものの絵が看板になっている。
そして獣人族向けの店は狼の横顔が主に使われる。三爪の傷は、武具を扱っていることを表している。
扉は開け放たれたままになっており、ドアストップが足元に噛ませてある。
「番の具合が悪くてね。扉はそのままにしといてくれ」
ヴァンが扉を上から下まで眺めていると、カウンターから声がかかった。黒い毛並みの大型猫の獣人で、どうやら店主は女性であるらしい。傍に彼女の子供らしき女の子がおり、店主の体に半分隠れた格好で此方を伺っている。
「いらっしゃい。なにをお探しで?」
「爪とぎほしい。ある?」
「あるよ。旅してるんだったら、それなんかどうだい?」
店主が指し示した棚には、丸太に細い縄を巻き付けた爪とぎが立てかけられていた。大小様々な爪とぎが並んでいる中、ルゥは一抱えほどあるものを手に取った。
そうかと思えば両手で掲げてみたり、真下から覗き込んでみたりと不思議なことをしている。
「ちょっと重い?」
「北大陸で採れる密度の濃い芯材を使ってんのさ。保ちもいいし、木くずが散らばらないって評判なんだ。うちにも一本置いてるよ」
「へえ、馬車が散らからねえのはいいな」
「うん。ずっとお片付け大変だったから、これにする」
カウンターに爪とぎを置き、バックパックから銀貨を数枚取り出す。
交易都市なだけあり、この街ではあらゆる国の通貨を使用することが出来る。別大陸のエレミア銀貨を使える店も少なくない。店によっては魔石払いも可能だが、此処では通貨のみのようだ。
「はい、確かに。このあと街を歩くなら背負い袋に入れようか?」
「いいのか?」
「構わないよ。これくらいはサービスのうちさ」
店主は目の粗い袋に爪とぎを入れ、口を紐で縛ると袋の底部に空けられた鳩目の金属部分に紐を通し、背負える形にした。ルゥが肩を通して背負ってみせると、店主は「似合ってるよ」と笑って言った。
「ありがと」
「どういたしまして。それじゃあ、いい旅を」
ルゥが店主に手を振ると、ずっと隠れていた子供が、隠れたままながら小さく手を振った。
「何処行っても人が多いなァ」
広場への道中も冒険者や街の住民と幾度となくすれ違う。人のいない通りがないと思うほどに、何処を見ても人がいる。獣人や翼人、竜人や地底の民。職業も種族も様々で、小さな村から初めてこの街に出てきた人なら祭りかと勘違いしそうな人の群れだ。
二人は行き交う人を避けながら、微かに感じる風の魔素を追った。
「大きい街は、ひといっぱいいる。すごい。おれ、あんまり他の街知らなかったから」
「そういやお前、あのクソオーナーに捕まる前はどうしてたんだ?」
「んー? 兄弟とその辺で狩りしてた。そしたら兄弟が毒食べちゃって、助けてくれるってひとについてったら闘技場だったなー」
「お前、それ……」
ヴァンは毒餌から仕組まれていたことではないのか、と過ぎったが、今更だと飲み込んだ。あの街に囚われたこと自体は不幸だったかも知れないが、それでも彼は確かに兄弟のために戦っている最中は楽しそうだったのだ。それに、あの街を好きだったとも言っていた。いつか傷が癒えたら、また戻ることが出来るかも知れない。
それこそ、この旅が終わったあとにでも。
「……そうだ。ルゥは、この旅が終わったらどうするんだ?」
「おれ? 考えてなかったなー。どうしよう?」
「ふは、俺に聞かれても」
笑って答えると、ルゥはまん丸な目でヴァンを見つめながら首を傾げた。
見た目は長身の肉食獣人なのに仕草がいちいち子犬で、ギャップが凄まじい。
「じゃあ、ヴァンは? また一人旅するのか?」
「俺も考えてなかったが、それもいいな」
風のように気ままに、好きなときに好きな場所へ行く。嘗てはそうだったのだ。そう振る舞っていた。うちに燻る復讐心を悟られないように、自由を装っていた。
取り戻そうとしていたものを失ったいま、装うべき自由をも失って、何処へ行けばいいのか。
考え込んでしまったヴァンの横顔を見て、ルゥはふとなにか思いついた顔になった。
「ヴァン、おれの街くる? 闘技場、一緒に出てみたい」
「へぁ? お、おう……? まあ、それもありっちゃありだと思うが……」
突然の提案に、頭の上に疑問符を乱舞させながら頷く。
アンフィテアトラ自体は好ましい街だと思っている。賑やかで、程良く治安が悪く、程良く法が行き届いている。
「お前はいいのかよ。あの街に戻ることになっても」
「……うん。色んなひとに会って思った。みんな色んなことあって、でも、がんばって生きてる。おれも、自分の出来ることして生きる。それで考えたら、おれ、まだあの街に恩返ししてない」
「恩返し?」
ルゥはオーナーに散々利用されて使い捨てにされるところだったはずだ。それなのに恩返しとはどういうことかと思い問い返せば、ルゥは照れくさそうに笑って。
「ノエたちと、おうえんしてくれたひとに、なにも出来ないまま旅に出たから」
「ああ、そうか。……そうだな」
傷心のままヴァンたちと来たルゥは、大凡の闘士が行っている引退試合もしないままあの街から姿を消してしまったのだ。花形闘士の身に降りかかった悲劇は、多くの常連たちの知るところではあるが、だからこそあの舞台に帰りたいと思うのだろう。
「そんじゃ、旅が終わっても行き先が決まらなかったら、俺も闘技場に行くかね」
「うん。ヴァンの戦いなら皆、見たいと思う」
無事に生きて終われるかもわからない危険な旅であることは重々承知の上で。
それでも、もしかしたら訪れるかも知れない未来に思いを馳せて、ヴァンとルゥは青い風が歌う広場を目指した。